2011/08/15 - 2011/08/15
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ライオンベラーさん
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2年前(2009年)のデータですが、年間の飛行機の発着回数がもっとも多いのは、アトランタのハーツフィールド空港で、その回数は97万回だそうです。
アトランタはここニューヨークの南西約800kmにあります。
2番目以降もシカゴ、ダラス、ロサンゼルス、デンバー、ヒューストンとアメリカ国内の空港が続き、7番目にやっとヨーロッパのパリが出てきます。
乗降客数でもアトランタ(ハーツフィールド)が1番で、1年間に約8800万人近い人が、そこで乗り降りします。
2番目以降はロンドン(ヒースロー)、北京、シカゴ(オヘア)、東京(羽田)と続きます。
羽田の年間乗降客数は約6200万人です。
とにかく毎日毎日世界各地でおびただしい数の飛行機が離着陸し、おびただしい数の人たちが乗り降りしています。
しかし今から100年ほど前は、この地球上には空港のようなものはどこにもなくて、空には1機の旅客機も飛んでいませんでした。
その頃は、ここアメリカとフランスの2カ所で、ときおり実験用の飛行機が飛んでいただけでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
世界で初めて動力を搭載(とうさい)した有人の飛行機が飛んだのは、その8年ほど前の1903年の12月でした。
その場所は、ここワシントンD.C.からわずか300kmほど南下したところにあるノースカロライナ州のキティホークという街でした。
飛ばしたのは、北部のオハイオ州からからやってきたライト兄弟でした。
兄弟はその実験のために機材の主要部分をここまで運んできました。 -
実験機フライヤー号の初飛行は、3mほどの高さを上下しながら、12秒ほど飛んで、37mほど先に着地しました。
その日の2回目、3回目で少しずつ距離を伸ばしていき、4回目には約1分もの間飛び続け、260mほど先に着地しました。
そのときのライトフライヤー号の実物がこの館内に展示されていました。
(この写真の飛行機ではありません。フライヤー号の写真は撮っていません。) -
その実験の後、飛行技術は急速に発達しました。
-
1927年、アメリカのリンドバーグは、世界で初めてプロペラ機で大西洋単独無着陸飛行を行いました。
33時間半かけてニューヨークからパリまで飛びました。
そのときのスピリットオブセントルイス号の実物が、この写真の上部に写っています。 -
これは日本が開発したゼロ戦(零式艦上戦闘機)です。
ゼロ戦は1939年に完成し、翌1940年から中国戦線で使用され始めました。 -
その後、1941年の真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争にも使用され続け、最後は特攻機として使用された後、終戦に至(いた)りました。
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これはサイパン島で見つかった機体です。
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右上の緑色の飛行機状のものがV1、左の上半分が黒いロケット状のものがV2で、ともに第二次世界大戦中にナチスドイツが開発して、イギリスめがけて撃ち込んでいました。
その後、アメリカやソビエト連邦で、さまざまなロケットが開発されるようになりました。 -
1961年4月12日、ソビエト連邦のガガーリンが、宇宙船ボストークで、人類初の宇宙飛行を行いました。(1時間50分で、地球を1周しました。)
そのわずか1月後の5月5日、アメリカのシェパードが同様の飛行を行いました。
写真は1962年2月20日に打ち上げられたアメリカの有人宇宙船フレンドシップ7です。
ジョン・グレン飛行士は、この宇宙船で、地球の周りを5時間で3周しました。
このとき彼は、宇宙に出た3人目のアメリカ人となりました。
操縦席をのぞき込むと、ぎっしりと計器類がつまっていて、その中にわずかに人がひとり、入れるような空間がありました。
普通の乗用車の座席よりもはるかに狭くて、レーシングカーの座席ほどの広さしかありませんでした。
ガガーリンの初飛行のひと月後の5月25日、ケネディはアメリカ連邦議会で「アメリカは1960年代中に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」という声明を出しました。 -
そしてその8年後の1969年7月20日、ケネディの公約通り、宇宙飛行士ニール・アームストロングおよびバズ・オルドリンが、月面に降り立ちました。
それは1960年代が終わる5か月前のことでした。
月面に着陸した後は、約6時間半もの間、2人はこの着陸船の船内で船外活動の準備をしていました。
そしてその後ようやく、アームストロング船長が船外に出て、月面に向かって一歩ずつ、この梯子(はしご)段を降りて行きました。
世界中の6千万人以上の人たちがその様子をテレビで見ていました。 -
そしてついに月面に人類初の第一歩をしるしました。
「That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.(これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である)」
と、アームストロングは言いました。
続いてオルドリン飛行士もこの梯子(はしご)を降りて、人類2人目の人として、月面にその一歩をしるしました。
ということは、この写真の今降りている人はオルドリン飛行士ということになります。
(彼らはどちらもその20年ほど前に、飛行機のパイロットとして朝鮮戦争に参加していました。)
これはその時の月着陸船イーグル号ですが、本物はではなくてレプリカ(模造品)です。
イーグル号はこの姿で月面に降りて来ましたが、下半分は発射台として利用して月面に残し、2人の飛行士は上半分に乗り込んで、上空の司令船に戻って来ました。
彼らが司令船に乗り移った後、その着陸船は切り離されたので、現在は月面のどこかに落下しているはずです。
1969年7月16日、これらの宇宙船はサターンV(ご)型 -
ロケットに格納されて、フロリダ州のケネディ宇宙センターを飛び立ちました。
この様子は、世界中の数百万の人々がテレビで見ていました。
サターン?型ロケットは全長が110mもあります。
そのほとんどの部分が燃料タンクですが、地球の重力に抗(こう)して宇宙に出ていくためには、それほどたくさんの燃料を必要とします。
約2分半かけて燃料を使い切ると、1段目(全長42m)が切り離されました。
その後の約6分間は、2段目(全長25m)の燃料で上昇を続けました。
2段目も燃料を使い切ると、1段目と同様に切り離されました。
次の3段目は燃料を2分半噴射(ふんしゃ)して、いったん地球周回軌道(地球を回る軌道)に乗りました。
そのまま地球を2周半した後、3段目が再点火され、今度は月へ向かう軌道に乗りました。
そのとき、発射から2時間44分経っていました。 -
その40分後、3段目から分離した司令船コロンビア号は180度転回して、3段目の中にある月着陸船イーグル号(写真)とドッキングしました。
その50分後には、イーグル号が3段目から取り出されて、使用済みの3段目を切り離しました。
その後コロンビア号は先端にこのイーグル号をつけたまま、2日かけて月への飛行を続けました。
3日後の19日、月の近くに到達したコロンビア号はロケットエンジンに点火して月周回軌道に乗りました。
翌20日、コロンビア号は月の周りを十数回周回した後、アームストロング船長とオルドリン飛行士を乗せた月着陸船イーグル号を切り離しました。
そしてイーグル号は月面に着陸しました。
二人は月で岩石採取などの活動した後イーグル号に戻って、中でいったん睡眠をとりました。
そしてその後、月面を飛び立ってコロンビア号と再会し、ドッキングしました。
このイーグル号が母船コロンビア号から切り離されていたのは、1日半ほどの間でした。
その間コリンズ飛行士は、コロンビア号で月の周りを -
周回していました。
2人を迎えたコロンビア号は、21日にイーグル号を切り離した後、地球への帰路につきました。
3日後に地球上空で円筒(えんとう)形の支援船を切り離し、円錐(えんすい)形の司令船は3人の飛行士を乗せたまま大気圏に突入し、パラシュートを開いて、無事太平洋上に着水しました。
アポロ計画はケネディが1961年に支援を表明してから、1972年までの11年間にわたって実施されました。
1968年の12月、アポロ8号によって、3人の宇宙飛行士が人類で初めて、月の周りを周回して無事地球に帰還しました。
その後の9号、10号と合わせて、9人の宇宙飛行士が月を回って帰って来ました。
地球を周回しているときは、地球が大きく見えていますが、月まで行くと地球は、地球から見る月の4倍の大きさほどになります。
行き帰りにも片道2〜3日かかる、大変な道のりです。
10号の打ち上げの2か月後、前述の11号で二人の飛行士がついに月に着陸しました。 -
1969年から1971までの3年間で、11号から17号までの7度の飛行で6度成功し、計12人の飛行士が月面に足を降ろしました。
月まで行って、丸い地球を見たのは、8号以来9回で、計27人です。
これがアポロ11号の司令船です。
着陸したアームストロング船長、オルドリン飛行士、周回軌道で待機していたコリンズ飛行士は、実際にこれに乗って月まで行ってきました。 -
1975年、アメリカのアポロ18号とソ連のソユーズ19号が、地球周回軌道上でドッキングしました。
それまで宇宙開発で競争していたアメリカとソ連が、この頃から、協力し合うようになりました。 -
手前(左)はソ連の「SS-20」で、奥(右)は米国の「Pershing-II」です。
-
Pershing-IIは、1983年から1987年までの間、旧西ドイツに配備されていて、モスクワなどのソ連西部の標的に向けられていました。
しかし1987年の中距離核戦力(INF)全廃条約で廃止されました。 -
SS-20は、ソビエト連邦内の48カ所の基地に配備され、ロンドンやパリなどの西ヨーロッパや、東京、大阪、ソウルなどの東アジアの都市に向けられていました。
極東方面には100基ほど配備されていたので、日本の多くの都市にも向けられていたと思われます。
こちらも1987年の中距離核戦力(INF)全廃条約で廃止されました。 -
正面のV2ロケットの向こうにある、大きな円筒形のものが、国際宇宙ステーションの模型です。
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たくさんのミサイル(ロケット?)が展示してありました。
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模型のスペースシャトルも展示してありました。
スペースシャトルは1981年から今年(2011年)までの30年間に計135回も打ち上げられました。
最後の打ち上げはひと月前の7月8日で、12日後の7月21日に地球に帰還しました。
つまり、今回の旅で私がアメリカに飛ぶちょうど20日前に最後のスペースシャトルが地球に帰還したということになります。 -
この無人偵察機プレデターは、現在もアフガニスタンなどで使用されているようです。
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このように、この国立航空宇宙博物館には、たくさんの記念すべき展示物がありました。
ニューヨークを巡る ~ 生まれて初めて訪れるアメリカの旅 ~ 11 首都ワシントンを巡る ③ (5日目)http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10656014/ へ
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