結城・下妻旅行記(ブログ) 一覧に戻る
関東鉄道常総線下妻駅から東へ徒歩5分、多賀谷氏居城の下妻城(しもづまじょう、茨城県下妻市本城町)を訪問しました。<br /><br />多賀谷氏は武蔵国騎西の多賀谷郷豪族を出自とし、武蔵七党のうち野与党あるいは村山党の後衛とも伝えられますが定かではありません。何れにせよ多賀谷家政(たがや・いえまさ、生没年不詳)が結城直光(ゆうき・なおみつ、1330~1395)の家人になったのが多賀谷氏の始まりと伝えられています。<br /><br />嘉吉元年(1441)の結城合戦で結城城は10ヶ月の攻防の末落城、結城氏朝・持朝親子とその一族は自刃、多賀谷氏は結城氏の末子を救出しその後の結城氏再興に忠臣ぶりを発揮します。<br /><br />鎌倉公方足利氏と関東管領の上杉氏の争い(享徳の乱)では主家結城氏に従い公方側に与し高経(たかつね)は管領上杉憲忠(うえすぎ・のりただ、1433~1455)を討ちその功により当地下妻三十三郷を与えられます。<br /><br />多賀谷氏は結城氏の重臣として「結城四天王」の一角としての地位を占めますが所領を広げる中でしだいに結城氏からの独立色を強め、ついに常陸太田の佐竹氏と同盟し、他の四天王領を次々と攻めて支配下に収めついに20万石に及ぶ支配地を獲得します。<br /><br />天正18年(1590)小田原の役で多賀谷重経(たがや・しげつね、1558~1618)は豊臣秀吉の石垣山城に参陣し本領である下妻六万石を安堵されますが秀吉からは結城氏の臣下として扱われます。<br /><br />文禄元年(1592)秀吉の朝鮮出兵では重経は病気と称し参陣せず、佐竹氏から慶宣の実弟を養子として迎えた宣家(よしいえ)・弟重康を肥前名護屋城に派遣させますが秀吉の叱責を受けます。<br /><br />慶長5年(1600)関ケ原の戦いでは佐竹氏出身の藩主宣家は佐竹氏と共に東軍に参陣しなかったため、徳川家康より佐竹義宣(さたけ・よしのぶ、1570~1633)の出羽国へ突然の改易に伴い宣家も佐竹氏に従い下妻を去ることになります。<br /><br />出羽へ国替えの佐竹氏に従った宣家は兄の藩主義宣を助ける中藩内各地、即ち白岩城(現仙北市)、続いて檜山城(現在能代市)の城主を務めます。その後嫡男重隆(しげたか)の亀田城主就任に伴い宣家も後見役として同城に移ります。<br /><br />宣家が亀田に移った後の多賀谷氏の家督は佐竹家一門の戸村氏が相続して幕末に至る約400年に亘り檜山に居館を構えて同地域を統治することになります。<br /><br /><br /><br />現地で入手したパンフレット「下妻歴史散歩」に「戦国武将・多賀谷氏について」の項では下記の通り記載されています。<br /><br />「下妻多賀谷氏初代氏家は、結城合戦の際に結城氏朝の末子(結城成朝)を抱いて城を逃れ、足利成氏の鎌倉公方就任後は結城家の再興に奔走するなど主家に忠節を尽くしました。<br /><br />氏家は鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉憲忠の対立の中で、享徳3年(1454)結城成朝に従い憲忠を討ち、その功により成氏より河内郡を賜りました。また氏家は寛政2年(1461)多賀谷城の築城を行っています。続いて家植の代には、近隣地域をその支配下に治め、戦国大名として自立する足る地盤を築きました。その後、家重、重政、政経、重経らのもと、西は鬼怒川右岸、東は桜川流域、南は牛久沼河畔、北西は結城氏領と拮抗するまでに領土を拡大しました。<br /><br />しかし、重経の時代、豊臣秀吉より結城氏に属することを命ぜられましたがそれを快しとせず、また朝鮮出兵にも病と称して出陣しませんでした。そのため、文禄の検地では、6万石の領有のみしか認められず、さらには、関ケ原の戦いでは、東軍に参陣しなかったため、慶長6年(1601)改易されたとされ、多賀谷氏は下妻の地を去ることになりました。」

常陸下妻 主家の結城氏から独立し領域を広げるなか常陸佐竹氏と連携した為関ヶ原合戦後改易・没落した多賀谷氏本拠『下妻城』訪問

9いいね!

2012/01/07 - 2012/01/07

71位(同エリア128件中)

0

6

滝山氏照

滝山氏照さん

関東鉄道常総線下妻駅から東へ徒歩5分、多賀谷氏居城の下妻城(しもづまじょう、茨城県下妻市本城町)を訪問しました。

多賀谷氏は武蔵国騎西の多賀谷郷豪族を出自とし、武蔵七党のうち野与党あるいは村山党の後衛とも伝えられますが定かではありません。何れにせよ多賀谷家政(たがや・いえまさ、生没年不詳)が結城直光(ゆうき・なおみつ、1330~1395)の家人になったのが多賀谷氏の始まりと伝えられています。

嘉吉元年(1441)の結城合戦で結城城は10ヶ月の攻防の末落城、結城氏朝・持朝親子とその一族は自刃、多賀谷氏は結城氏の末子を救出しその後の結城氏再興に忠臣ぶりを発揮します。

鎌倉公方足利氏と関東管領の上杉氏の争い(享徳の乱)では主家結城氏に従い公方側に与し高経(たかつね)は管領上杉憲忠(うえすぎ・のりただ、1433~1455)を討ちその功により当地下妻三十三郷を与えられます。

多賀谷氏は結城氏の重臣として「結城四天王」の一角としての地位を占めますが所領を広げる中でしだいに結城氏からの独立色を強め、ついに常陸太田の佐竹氏と同盟し、他の四天王領を次々と攻めて支配下に収めついに20万石に及ぶ支配地を獲得します。

天正18年(1590)小田原の役で多賀谷重経(たがや・しげつね、1558~1618)は豊臣秀吉の石垣山城に参陣し本領である下妻六万石を安堵されますが秀吉からは結城氏の臣下として扱われます。

文禄元年(1592)秀吉の朝鮮出兵では重経は病気と称し参陣せず、佐竹氏から慶宣の実弟を養子として迎えた宣家(よしいえ)・弟重康を肥前名護屋城に派遣させますが秀吉の叱責を受けます。

慶長5年(1600)関ケ原の戦いでは佐竹氏出身の藩主宣家は佐竹氏と共に東軍に参陣しなかったため、徳川家康より佐竹義宣(さたけ・よしのぶ、1570~1633)の出羽国へ突然の改易に伴い宣家も佐竹氏に従い下妻を去ることになります。

出羽へ国替えの佐竹氏に従った宣家は兄の藩主義宣を助ける中藩内各地、即ち白岩城(現仙北市)、続いて檜山城(現在能代市)の城主を務めます。その後嫡男重隆(しげたか)の亀田城主就任に伴い宣家も後見役として同城に移ります。

宣家が亀田に移った後の多賀谷氏の家督は佐竹家一門の戸村氏が相続して幕末に至る約400年に亘り檜山に居館を構えて同地域を統治することになります。



現地で入手したパンフレット「下妻歴史散歩」に「戦国武将・多賀谷氏について」の項では下記の通り記載されています。

「下妻多賀谷氏初代氏家は、結城合戦の際に結城氏朝の末子(結城成朝)を抱いて城を逃れ、足利成氏の鎌倉公方就任後は結城家の再興に奔走するなど主家に忠節を尽くしました。

氏家は鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉憲忠の対立の中で、享徳3年(1454)結城成朝に従い憲忠を討ち、その功により成氏より河内郡を賜りました。また氏家は寛政2年(1461)多賀谷城の築城を行っています。続いて家植の代には、近隣地域をその支配下に治め、戦国大名として自立する足る地盤を築きました。その後、家重、重政、政経、重経らのもと、西は鬼怒川右岸、東は桜川流域、南は牛久沼河畔、北西は結城氏領と拮抗するまでに領土を拡大しました。

しかし、重経の時代、豊臣秀吉より結城氏に属することを命ぜられましたがそれを快しとせず、また朝鮮出兵にも病と称して出陣しませんでした。そのため、文禄の検地では、6万石の領有のみしか認められず、さらには、関ケ原の戦いでは、東軍に参陣しなかったため、慶長6年(1601)改易されたとされ、多賀谷氏は下妻の地を去ることになりました。」

交通手段
私鉄 徒歩
  • 多賀谷城跡公園<br /><br />すっかり公園化されてしまい、城跡の雰囲気が感じられません。

    多賀谷城跡公園

    すっかり公園化されてしまい、城跡の雰囲気が感じられません。

  • 土盛<br /><br />公園化に伴う土盛かも知れませんが、やや城跡の「臭い」がします。<br /><br /><br /><br />

    土盛

    公園化に伴う土盛かも知れませんが、やや城跡の「臭い」がします。



  • 公園内部<br /><br />周辺を見渡しても城跡らしいものは見当たりません。

    公園内部

    周辺を見渡しても城跡らしいものは見当たりません。

  • 下妻城(多賀谷城)本丸跡<br /><br />本丸跡の標柱があるのみで遺構らしきものはないようです。

    下妻城(多賀谷城)本丸跡

    本丸跡の標柱があるのみで遺構らしきものはないようです。

  • 下妻城(多賀谷城)説明板

    下妻城(多賀谷城)説明板

  • 本丸跡石碑<br /><br />多賀谷氏は戦国時代に20万石の所領を持っておりました。当城も最盛期で南北1.5Kmにも及ぶ城域を有していました。

    イチオシ

    本丸跡石碑

    多賀谷氏は戦国時代に20万石の所領を持っておりました。当城も最盛期で南北1.5Kmにも及ぶ城域を有していました。

この旅行記のタグ

9いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP