2012/02/20 - 2012/02/20
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京妓さん
紫式部 「源氏物語」 の主人公・光源氏の実在モデルと言われるのが、
源融 (みなもとのとおる)。
源融が造った広大な邸宅 「六条河原院」 の跡地とされるのが、
ここ渉成園、通称・枳殻邸。
源融は、百人一首では 「河原左大臣」 という名で登場します。
〔第14首/河原左大臣〕
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆえに
乱れそめにし われならなくに
〔第47首/恵慶法師〕
やへむぐら しげれる宿の さびしきに
人こそ見えね 秋は来にけり
- 交通手段
- JALグループ 徒歩
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-
【渉成園〜枳殻邸〜】
源融は嵯峨天皇の皇子ですが、
臣籍に下り、源氏姓を与えられています。
光源氏は桐壺帝の皇子ですが、
諸々の事情で東宮(皇太子)にはなれず、
臣籍に下り、源氏姓を与えられています。 -
【渉成園〜枳殻邸〜】
陸奥国 (宮城県) の塩釜の景色がとても気に入っていた
源融は、その風景を模した 「六条河原院」 を造りました。
そのため、わざわざ難波 (大阪) の海から
汐汲みまでさせたという、どえらい財力の持ち主。
そりゃ、物語の主人公にもなるってもんです。
※後の調査で、六条河原院は、今の渉成園よりもやや東北寄りの位置に
造られていたらしいことが判明。詳しくは↓
【百人一首歌枕巡り】 源融の河原院跡
http://4travel.jp/travelogue/11017666 -
【パンフレット】
入口で、庭園の維持保全のための
「参観者協力寄付金」500円をお支払いします。
すると、このパンフレットを頂けます。 -
【高石垣】
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【庭園入口】
-
【臨池邸 (りんちてい)・滴翠軒 (てきすいけん)】
左の建物が臨池邸。
奥が滴翠軒。 -
【滴 翠】
池に落ちる小滝(滴翠)。 -
【代笠席 (たいりつせき)】
煎茶席。 -
【茶 畑】
代笠席のそばには茶畑。
チャノキ (茶の木) が植えられています。 -
【傍花閣 (ぼうかかく)】
-
【盧菴 (ろあん)入口】
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【盧菴 (ろあん)】
二階建ての茶室。 -
【ろう風亭 (ろうふうてい)】
ろう風とは、仙人が住むとされている
中国の山の名前。
※「ろう」 は門がまえに良という字。 -
【ろう風亭 (ろうふうてい)】
1880(明治13)年7月14日、
ここの「嘉楽」というお部屋で、
明治天皇がご休息されたそうです。 -
【石 碑】
明治天皇御小休所枳殻邸。 -
【印月池 (いんげつち)】
池泉回遊式庭園。 -
【侵雪橋 (しんせつきょう)】
木造の反橋。 -
【侵雪橋 (しんせつきょう)】
-
【印月池 (いんげつち)】
侵雪橋を渡ったところから見た印月池。
池の向こう、画面中央には京都タワー。 -
【五松塢 (ごしょうう)】
-
【縮遠亭 (しゅくえんてい)】
茶室 (抹茶席)。 -
【縮遠亭 (しゅくえんてい)】
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【塩釜の手水鉢】
渉成園は、かつて源融が、
陸奥国の塩釜を模して造らせたという
六条河原院の跡地。
←この「塩釜の手水鉢」は、
渉成園の景物として最も重要なものだそうです。
奥に 「源融ゆかりの塔」 が小さく写りこんでいます。 -
【塩 釜】
茶会が催される際の水源だったようですが、
今は水が枯れてしまって、この通り。 -
【塩 釜】
塩釜の旅行記はまた後ほど。 -
【源融ゆかりの塔】
ここまで引っ張ってきたのに、ごめんなさい。
実は、百人一首の中の源融の歌は、
六条河原院や塩釜には全く関わりのない、
恋の歌なんです。
〔第14首/河原左大臣〕
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆえに
乱れそめにし われならなくに -
【源融ゆかりの塔】
河原院に深く関係しているのは、恵慶法師の歌です。
源融が活躍した時代から約100年後、
すっかりさびれてしまった六条河原院にて
詠まれたのがコレ↓。
〔第47首/恵慶法師〕
八重むぐら しげれる宿の さびしきに
人こそ見えね 秋は来にけり
むぐら(雑草)が八重(幾重)に生い茂った寂しき屋敷。
それが、源融の死後約100年の六条河原院の姿。
栄華を極めた屋敷に、もはや人は誰も寄りつかないけど、
秋は変わらず巡って来るという、世の無常を詠んだ歌。 -
【豪邸も100年後には荒屋敷】
百人一首の歌は、
第1首・天智天皇(飛鳥時代)から、
第100首・順徳院(鎌倉時代)まで、
おおむね時代順に並んでいます。
第14首の河原左大臣(源融)の贅を尽くした豪邸も、
約100年後には、
第47首の恵慶法師によって
その荒れ果ててしまった様が伝えられる。
百人一首の中に、
こんな時代の移り変わりが見てとれます。
今2012年と、100年前の1912年を比べてみても、
やはり100年経つと、世の中まるで別世界ですしね。
ちなみに、今から100年前、
1912年はタイタニック沈没の年。
第一次世界大戦すらまだ始まっていません…。 -
【回棹廊 (かいとうろう)】
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【回棹廊 (かいとうろう)】
かつては、朱塗りの欄干の反橋だったそうです。
残念ながら、安政の大火(1858年)に焼失。
私が宿泊した 「枳殻荘」 の赤い欄干の橋は、
もしかすると、これを模したのかな? -
【木の上に鷺 (さぎ)!?】
池を眺めていたら、頭上を大きな鳥がバサバサッと。
←ズームしてよく見たら、
鷺が木の上に巣を作っていました。 -
【鷺 (さぎ)】
←池に鷺がいても驚きませんが、 -
【鷺 (さぎ)】
木の上の鷺は初めて見ました。
しばし源融を忘れ、バード・ウォッチング。 -
【鷺 (さぎ)】
飛んでいる所は、ブレてうまく写せなかったのですが、
交代で木の枝を運んでいました。 -
【鷺 (さぎ)】
池に下りてきて、休憩中の鷺。 -
イチオシ
【鷺 (さぎ)】
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【鷺 (さぎ)】
凛々しい立ち姿をもう少し見ていたかったのですが、
これから宇治へ行くので、さようなら “\(>_<)/” -
【漱枕居 (そうちんきょ)】
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【漱枕居 (そうちんきょ)】
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【双梅檐 (そうばいえん)】
紅梅・白梅が20株ほど植えられた梅林。
例年2〜3月に開花とのことですが、
この日はまだつぼみ。 -
【双梅檐 (そうばいえん)】
開きかけの白梅が2〜3つ。 -
【双梅檐 (そうばいえん)】
一番多く花をつけていた木でもこのくらい…。
1〜2週間あとに来ていたら、
満開の梅を愛でることができたかな、残念!
これから、宇治へ向かいます。
宇治にある源融ゆかりの地とは、
実は誰でも知っている“あの”有名な場所です。
【百人一首歌枕巡り】源融の邸宅跡2
http://4travel.jp/traveler/korinori/album/10650261/
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