2012/02/06 - 2012/02/06
940位(同エリア4215件中)
mas98765さん
- mas98765さんTOP
- 旅行記435冊
- クチコミ5件
- Q&A回答0件
- 496,388アクセス
- フォロワー29人
ヴェネツィア観光の旅行記を3回に分けて書きます。1回目は、サンマルコ広場まで行く話とゴンドラの話です。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
前の旅行記から続きます。
いよいよヴェネツィア観光が始まります。イタリア語ではVenezia、英語ではVeniceですね。ご存知ない方も多いかと思いますが、ヴェネツィアは島です(わたしは今回のツアーに申し込むまで知りませんでした)。メストレのホテルを出たバスは、やがてヴェネツィア本島に通じる橋を渡ります。道路と平行して、昨夜一足先にヴェネツィアを訪れたときに利用した鉄道が走っています。添乗員さんはヴェネツィアについて色々説明してくださいました。でもわたしは口頭での説明をすぐに忘れてしまうので、後で調べて説明を加えます。ヴェネト州の州都ヴェネツィアは、5世紀頃に「ゲルマン民族の大移動」で進入してきたゲルマン人から逃れるために湿地帯に町を造ったのが始まりのようです。たくさんの杭を干潟に打ち込んだ上に建物を建てていて、ヴェネチアの下には森があると言われています。海洋貿易で立国し、十字軍遠征による権益の拡大やジェノヴァとの戦争で都市国家として繁栄しました。大小たくさんの運河があって、教会も数多くあります。「ヴェネツィアとその潟」として世界遺産にも登録されています。さて、橋を渡り終えたところの駅の隣にはローマ広場があって以前はここにとまったらしいのですが、今は観光バスの立ち入りが禁止されているそうで、更に西に走ったところでバスを降りました。そこから、このような場所に出て歩いていき、 -
8時30分頃、船に乗り込みました。
-
やはりこれだけの船になるとハンドルではなくて舵なのですね。
-
船が動き出したところで現在地を確認しておきます。バスはトロンケット島というところまで来ていたのですね。
※ヴェネツィアの地図はこちら
http://maps.google.co.jp/?ll=45.436225,12.332067&spn=0.034149,0.084543&t=m&z=14&brcurrent=3,0x0:0x0,1 -
船はヴェネツィア観光の中心地であるサンマルコ広場方面に向けて走ります。船の窓から建物が見えます。でも、窓ガラスが汚いので写真写りがよくありません。帰りの船では甲板に出て建物の写真を何枚か撮りました。そのときの話は後ほど別の旅行記で。
-
このように、ヴェネチア本島と南側のジューデッカ島との間を東に進んでいきます。
-
船はやがて、サンマルコ広場付近を通り過ぎ、
-
ずっと東側に到着しました。
-
8時55分頃、船を降ります。
-
右手はこんな感じで、
-
潮の状態はこんな感じです。ヴェネツィアは冬の間、ときどきアクアアルタという現象が発生して潮位が高くなり、サンマルコ広場などが水没してしまいます。大潮・気圧・海上風などの条件が重なると起こるようです。地盤沈下や地球温暖化などでヴェネツィアは危機感を強めていて、稼動式防護壁を設置するモーゼ計画もあるようですが、反対もあって建設は進んでいないそうです。添乗員さんによると、このところはあまり発生していないようです。前の旅行記でお話したように、ヴェネツィア市のホームページで確認したところ、今日は9時30分頃が潮位のピークで+70cmということで、このくらいならNORMALの範囲のようです。
※ヴェネツィア市の潮位情報ページはこちら
http://www.comune.venezia.it/flex/cm/pages/ServeBLOB.php/L/IT/IDPagina/2104 -
サンマルコ広場の方に歩いて戻ります。
-
前方のこのような塔があるところがサンマルコ広場です。この塔は鐘楼(Campanile di San Marco)です。これはズームアップしてみたもので、まだかなりの距離があります。
-
海の方を見渡すと、こんな感じです。対岸にも建物が見えますが、これはサンジョルジョマジョーレ(San Giorgio Maggiore)という島で、島のほぼ全体が教会になっています。
-
ズームアップしてみると、こんな感じです。教会の内部にはティントレットという人の絵画が並び、鐘楼からの眺めも素晴らしいそうです。
-
しばらく歩くとこのような場所にやってきました。左前方に見える特徴的な建物を
-
ズームアップしてみるとこんな感じで、これはサンタマリアデラサルーテ教会(Santa Maria della Salute)です。バロック式の教会で、上から見ると八角形の土台の上に大きなドームがのったデザインです。1631年に建設が始まり、1687年に完成したようです。イタリアでは1629年からペストが流行し、ヴェネツィアの人口の3分の1が失われたそうです。ペスト撲滅のため聖人に捧げる教会を造ろうという意見が出る中で、詳しいいきさつをよく知らないのですが、ペスト撲滅だけでなくて、様々な理由から聖母マリアに捧げようということでこの教会を建設したようです。今ではペスト撲滅を記念する教会になっていて、毎年11月21日の聖母マリアの祝日を祝ってペスト撲滅を記念する市の公式行事が行われるようです。
-
さて、更に歩いていくと、右手にこのような橋が見えました。
-
これは溜息橋(Ponte dei Sospiri)といって、その昔ドゥカーレ宮殿から牢獄に向かう橋だったようです。この橋を渡ると2度と戻ってこられないと言われ、溜息をついたことから名づけられたようです。
-
いよいよサンマルコ広場が近づいてきました。この先には
-
このようなアーチが並んでいて、ここで上を向くと
-
いつの間にか、巨大なドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)のところに来ていました。近すぎて全体が収まりません。ヴェネツィア共和国の総督邸兼政庁だった建物です。中のいくつもの部屋は大きな絵画で埋め尽くされていますが、これらの部屋はあいにく撮影禁止です。後ほど別の旅行記で。
-
ドゥカーレ宮殿を過ぎると大きな柱が2本並んでいます。これについては後ほど別の旅行記で。さて、今回の旅行の間ヨーロッパは寒波に見舞われていましたが、ヴェネツィアはとりわけ寒かったです。ここまで来るだけで手がかじかんできたので、ついに手袋をしました。
※周辺の地図はこちら
http://maps.google.co.jp/?ll=45.43394,12.339481&spn=0.002134,0.005284&t=m&z=18&brcurrent=3,0x0:0x0,1 -
ここで右に曲がります。ドゥカーレ宮殿左側のこのあたりもサンマルコ小広場というちょっとした広場になっています。直接海に面していて、共和国時代に海の玄関だったところです。この位置で左上を見上げると、
-
先ほどから遠くに見えていた鐘楼がそびえています。
-
正面には時計台(Torre dell'Orologio)があります。
-
時計台のてっぺんには鐘があって、ブロンズ製の2人のムーア人が実際に腕を動かし、鐘を打って時間を知らせます。ムーア人とは北西アフリカのイスラム教徒の呼び名ですが、どうやらブロンズが黒く変色してしまったことからこのように名づけられたようです。
-
文字盤はこのように24時間制です。現在9時11分です。文字盤には12正座も描かれていて、月の満ち欠けも表しているようです。
-
時計台を正面にして左手に広がるのがサンマルコ広場(Piazza San Marco)です。広場に向かって左側の建物が新政庁(Procuratie Nuove)で、
-
右側の建物が旧政庁(Procuratie Vecchie)です。以前、ヴェネツィア共和国の行政長官の執務室がありました。
-
時計台を正面にみて右手には、サンマルコ寺院(Basilica di San Marco)があります。これは聖マルコに捧げられた大聖堂です。聖マルコは「マルコによる福音書」を書いたとされる人です。828年にヴェネツィア商人がアッバース朝のアレクサンドリアから盗んできた聖マルコの遺体(聖遺物)を納めるところとして建てられました。聖マルコの遺体はイスラム教徒が嫌う豚肉の塩漬けの樽の底に隠して運んだそうです。再建を繰り返した後、1090年代に完成した建物を基礎として改修を繰り返し、現在に至っているそうです。現在は実質大聖堂ですが、ヴェネツィア共和国がカトリックから独立していたため、今でも大聖堂ではなく寺院の名前で呼ばれているようです。
-
ファサードのてっぺんには聖マルコの彫像が立っています。その下には翼を持ったライオンが描かれています。2世紀頃の哲学者によって、このライオンは聖マルコのシンボルだと決められていたからです。ヴェネツィアはこれを、自分たちのシンボルにしました。
-
その下の部分を見ると左右2頭ずつ馬が並んでいます。
-
1204年の第4回十字軍のとき、コンスタンティノープル(今のトルコ)の競馬場にあった馬を略奪してきたものです。もともとは紀元前にギリシャでつくられたようです。1797年にヴェネチア共和国がナポレオンに降伏した際にはパリにも運ばれ、ナポレオンの失脚で戻ってきたそうです。それから現在ここを飾っているこれらはレプリカで、本物は内部にあります。この寺院はファサードの入口を飾る絵も綺麗です。それについては後ほど別の旅行記で。
-
サンマルコ寺院の前には赤いポールが3本並んでいました。どうやらヴェネツィアの旗を掲げるところのようです。このときはポールが立っているだけだったので、何だか分かりませんでした。
-
広場にはところどころ、このようなものが積み重ねられています。これは、アクアアルタのときに通り道にするための台です。さて、ここでしばらく写真撮影タイムとなりました。イタリアの観光地では公式ガイド以外は説明してはいけないことになっているので、添乗員さんからの説明はありません。この後は一緒にゴンドラに乗り、その後は13時まで各自自由散策です。
-
9時30分頃、旧政庁裏手(だと思いました)のこのような場所から、6人程度に分かれてゴンドラに乗りました。添乗員さんに振り分けていただきました。
-
水路の両側にゴンドラが並んでいます。
-
出発です。ゴンドラは最初から傾いているように見えました。ゴンドリエーレ(こぐ人)が左側に乗るため、バランスをとれるよう、もともと非対称にできているらしいです。ゴンドラは基本的に黒いデザインです。
-
橋の下すれすれにくぐり抜けていきます。
-
水路を進みます。
-
ところどころにカーブミラーもあります。
-
ここを右折します。前方のゴンドラのゴンドリエ−レは足を使って壁をけって曲がりました。我々のゴンドラのゴンドリエーレは足を使わずに曲がったような気がします。熟練度の違いでしょうか。
-
ゴミ発見。でも、あまり多くありません。
-
更に、狭い水路に向かって直角に左折。前のゴンドリエーレはまた足を使っていました。
-
我々のゴンドラも左折。すれすれですが、船体はこすりません。さすがです。
-
ゴンドラが水路の左右に寄りました。
-
何かと思ったらすれ違い(後ろの船に道を譲ったのかも)でした。やはりすれすれで、見事に通り抜けていきます。
-
まもなく、視界が開けました。もしやと思ってすぐ右を向くと、
-
リアルト橋(Ponte di Rialto)が見えました。この橋の辺りは海抜が高いため、早くから集落が出来て商業の中心地になりました。最初は木製でしたが見物人の重みで崩れたり火事に遭ったりしたため、デザインを一般公募して石造りの橋に変えました。その時にはあのミケランジェロも応募したそうです。リアルト橋は後ほど歩いて渡りました。別の旅行記で。
-
リアルト橋を背にして南下します。ここはカナル・グランデ(Canal Grande)つまり大運河という名前で、ヴェネツィア本島はこの運河によって逆S字型に二分されています。この運河にはリアルト橋も含めて4つだけ橋があります。
-
ここで同じゴンドラに乗った方が記念写真を撮ってくださったりしたので周囲の写真をあまり撮らなかったのですが、この写真の真ん中の旗が掲げられている建物はロレダン宮(Palazzo Loredan)で、今は市庁舎になっているようです。
-
更に少し進むと左手に、このような建物がありました。これはグリマーニ宮(Palazzo Grimani)で、16世紀の中頃にGerolamo Grimaniのために建てられた家だそうです。今は控訴裁判所になっているようです。Palazzo Grimaniはヴェネツィアにもう1箇所あるようです。
-
グリマーニ宮の角を左折して進み、10時頃元の場所に戻りました。ゴンドリエーレが帽子を逆さにしたらチップをあげてくださいと言われていましたが、何故かチップを要求されませんでした。ここで解散となり13時まで自由時間です。
次の旅行記に続きます。旅行記の索引はこちら。
http://mas98765.yokinihakarae.com/index.html
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
mas98765さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
54