2011/12/22 - 2012/01/03
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shiraok4563さん
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ポルトガル2日目。前日必死の思いでシントラまで辿りついた私たちは、イギリスの詩人バイロンが「この世のエデン」と呼んだ世界遺産の町シントラを探索。王宮→ムーア城→ペーナ宮殿の順に観光する予定。
問題はホテルからの足をどうするか。シントラは駐車スペースが余りないと聞いていたので、朝一で王宮をぐるっと回った先にある駐車場に止め、後はシントラを巡る434番のバスに乗ることに。結果的には、ムーア城、ペーナ宮殿とも駐車場はがらがらだったので、駐車スペースの問題はなかったが、両者に行くまでには、ブラインド・スポットだらけの細い急な山道を登る必要があったので、前日の経験に懲りていた私としては、バスにして良かったと一安心。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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駐車場から王宮までは徒歩。いきなり急な坂道と階段。
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王宮は10時からとガイドブックには書いてあったため、しばし王宮の前で写真をとりながら、時間つぶし。
王宮は、14世紀にポルトガル王朝中興の祖、ジョアン1世によって建てられた夏の離宮。16世紀にマヌエル方式で知られるマヌエル1世が改築。 -
マヌエル方式の凝った窓
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実は9時半から開いていた模様。正面左のギフトショップでチケットを購入して、入場。幸いなことに内部は写真撮影OK。
2Fに上がってすぐに有名な白鳥の間(Sala dos Cisnes)。かつての宴会場。15世紀に制作された白鳥の絵が描かれた天井からその名前が来ているらしい。 -
この白鳥、1羽ずつ違うポーズをとっている。
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中庭もマヌエル方式。
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カササギの間(Sala das Pegas)。
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ジョアン1世がおしゃべりな宮廷の女性への戒めとして天井にカササギの絵を描いたと言われている。
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セバスチャン1世(在位1557-1578)の部屋。セバスチャン王が寝室として使用した部屋。
セバスチャン王は北アフリカ征服を夢に見てモロッコに遠征し、24歳の若さで行方不明になってしまった王。この部屋で北アフリカ植民地化を夢見たのだろうか。
セバスチャン王亡き後は、摂政であった大叔父エンリケが王位を継いだが、高齢であったエンリケも間もなく世継ぎがないまま逝去。スペイン王がポルトガル王に就き、ポルトガルは以降60年間スペインの支配に置かれることに。 -
シーザーの部屋。立派なタペストリーが印象的。
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美しいアズレージョと豪奢な天井ドームが印象的な「紋章の間」(Sala dos Brasoes)。アズレージョは18世紀に作られたデルフト焼き風のもの。
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天井は、王家の紋章を中心としてポルトガル貴族72家の紋章で飾られています。
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アズレージョをよく見ると、何だか幸せそうな人が・・・
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ここにも!
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この部屋は、アフォンソ6世(在位1656-1683)が摂政である弟ペドロ(後のペドロ2世)によって死ぬまで9年間幽閉された部屋とのこと。アフォンソ6世・・かわいそうです。
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アフォンソ6世(ポルトガル語:Afonso VI, 古ポルトガル語:Affonso VI, 1643年8月21日 - 1683年9月12日)は、ポルトガル・ブラガンサ王朝の国王(在位:1656年 - 1683年)。「勝利王」(o Vitorioso)と呼ばれる。ブラガンサ王朝を開いたジョアン4世と王妃ルイサ・デ・グスマンの息子。
1653年、長兄テオドジオの死により王太子となり、1656年に父王の死去を受けて13歳で王位に即いた。アフォンソは3歳のときに小児麻痺で左半身が麻痺しており、これが精神を不安定にしていた。そのため彼は統治に興味がなく、即位後も1662年まで6年間母親が摂政として政務を執っていた。その後ポルトガルは1663年6月8日のエストレモスの戦い、1665年6月17日のモンテス・クラロスの戦いでスペイン軍を破り、1668年2月13日にスペインから独立の承認を得た。海外では、1658年にスリランカにあった植民地をオランダ共和国に征服されて失い、1661年6月23日には姉カタリナ(英語名:キャサリン)がイングランド王チャールズ2世と結婚したため、持参金としてボンベイとタンジールを割譲された。オランダとの関係は1661年にイングランドによって調停され、ポルトガルはスリランカを放棄する一方、ブラジルを獲得した。
アフォンソ6世は1666年にサヴォイア家傍系のマリア・フランシスカ・イサベル(フランス王アンリ4世の孫)と結婚した。しかし結婚は長続きせず、翌1667年に王妃は王の不能を理由に教会に対して婚姻の無効を申し立てた。これは認められ、マリアはアフォンソ6世の弟ペドロ(後のペドロ2世)と結婚した。同年、ペドロは兄王から統治権を奪い、摂政王太子となった。アフォンソ6世はアゾレス諸島のテルセイラ島へ7年間追いやられ、1675年にポルトガル本土へ帰国した直後、シントラ宮殿の一室に死ぬまで監禁された。
アフォンソ6世の死後、摂政であった弟ペドロはペドロ2世として王位を嗣いだ。
(ウィキペディアより) -
アラブ風の幾何学模様で飾られた礼拝堂(Capela)。
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アラブの間(Sala dos Árabes)
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台所(Cozinha)。王家のパーティーに出される食事は全部ここで調理していた模様。
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外から見るとワインボトルのようなものが2本立っていましたが
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中からみると・・・台所の煙でした。
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これで王宮見学は終了。
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次は434番のバス(1人5ユーロ)に乗ってムーアの城へ。
山の上に雲がかかっているのが気がかりだが・・・。
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