2010/03/28 - 2010/03/28
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倫清堂さん
桜の季節なので、日帰りで神奈川へ花見に行きました。
今年の春は寒暖の差が激しく、昨日汗ばむ陽気だと思えば、今日は凍えるような寒さになってしまう。
そんな中、桜の満開の時期を予想して日程を組みましたが、残念ながら寒波が押し寄せたことで開花は遅れてしまいました。
去年・一昨年は東京を花見して歩いたので、今年はもう少し遠く神奈川まで足を延ばしてみました。
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まず訪れたのは小田原城。
城を含めた一帯は小田原城址公園として整備され、桜の名所として、また「日本の歴史公園100選」として親しまれています。
小田原駅から徒歩で10分足らず。
桜は3〜5分咲きといったところでしょうか。 -
小田原城の歴史は古く、平安時代から豪族の土肥氏が居館としていたのを、室町時代に大森氏が奪い、山城を築いたのが始まりです。
その後、北条早雲が奪ってから順次拡張され、豊太閤による小田原征伐で滅ぼされるまで、北条氏が関東支配の拠点とした城です。
気温は低めで少々曇り気味ですが、本丸の広場には出店が並び、花見客で賑わっていました。
現在の小田原城天守閣は、宝永年間に作成された引き図を参考に復元されたもので、内部は北条氏を中心に古文書・絵図・武具・刀剣などの歴史資料の展示室となっています。
あまり時間がないので、ざっと見学しました。 -
イチオシ
北条氏の滅亡後、その領土は関東に移封となった徳川家康公が治めることになりました。
家康公は江戸城を居城とし、重要な地に位置する小田原城には大久保忠世を置きました。
その後、大久保忠隣が大久保長安事件の連座などの理由によって改易され、阿倍正次・稲葉正勝と城主が変わりますが、忠隣の孫の忠朝が城主に復帰し、10代目忠良の時に明治維新を迎えるのでした。小田原城 名所・史跡
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江戸時代中は、地震や大火によって何度も天守閣が焼失・倒壊しますが、その都度再建されて来ました。
関東大震災では石垣までが崩れてしまいましたが、天守閣は昭和35年に鉄筋コンクリート造りで外観復元されました。
現在まで、公園内には常盤木門・銅門・馬出門が復元され、江戸時代の姿を取り戻しつつあります。 -
天守閣から南側、小峯曲輪の場所に、報徳二宮神社が鎮座しています。
御祭神は二宮尊徳翁。薪を背負いながら読書をしている像で有名な二宮金次郎です。 -
小田原の農家に生まれ、相次ぐ両親の死によって極貧の生活を余儀なくされた幼少時代、伯父の家に寄宿するも、油代がもったいないと夜の読書さえも許されず、自ら荒れ地に菜種をまいて収穫し、それを菜種油と交換して読書したという逸話が残されています。
青年時代は苦労を重ねて田畑を買い戻すなどして本家を再興し、36歳にして小田原藩に登用されます。
家老服部家の財政を立て直し、その手腕を認められて下野国桜町領の復興を命じられ、領民の不平分子を説得しながら目的を達します。
その後幕府に登用され、家康公の墓所がある日光神領の財政立て直しに取り組み、今市に移ってその地で没するまで職務に専念したのでした。報徳二宮神社 (小田原市) 寺・神社・教会
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尊徳翁の勤勉さは明治維新後の国民の手本とされ、修身の教科書に取り上げられた他、昭和に入ると全国の小学校に像が建てられました。
報徳二宮神社の境内にある銅像は、昭和3年の即位御大礼に際して制作・寄進されたもので、全国には同じ型の像が約千体ありましたが、先の大戦でそれらは供出に遭い、これが最後に残された1体ということです。
メートル法普及を意図して、ちょうど1メートルの高さに作られています。 -
ちなみに二宮尊徳翁自身は、身の丈6尺(約182センチ)と、かなり大柄であったようです。
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神社では期間限定で、尊徳翁が下野国芳賀郡赴任時代に食していたという「呉汁」の再現したものが出されていました(400円)。
大豆の汁を水に浸し、すりつぶした汁を入れた味噌汁のことで、再現されたものは具が入っておらず、淡白な味でした。
また、現代風に工夫された方には人参や大根などたくさんの具が入っていて、味付けも分かりやすいものですが、尊徳翁が生きていたら、きっと贅沢だと言って叱られたことでしょう。
何事も事足り過ぎて事足らず
徳に報ゆる道の見えねば
早起きを習慣とする尊徳翁は、家事をする女性のことを気遣って炊飯は昼一回のみとし、朝夕の食事はお茶漬けを食べていたとのことです。
嬉しいことに、呉汁の料金には報徳博物館の入館料も含まれているとのことです。 -
神社は明治27年の鎮座で、社殿は神明造りです。
その礎石は、天保7年の大飢饉の際、藩主大久保候の命によって領民救済のために開かれた米倉の礎石を用いたものです。
神職の方たちの態度も非常に丁寧で、境内は手入れが行き届いており、初宮参りをはじめとする参拝客の姿も絶えません。
尊徳翁の報徳の精神が、見えないところでしっかり受け継がれているからなのでしょう。
桜がとてもきれいに咲いていました。 -
報徳博物館 美術館・博物館
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予定より30分ほど早く、小田原散策を終えました。
次に向かったのは、相模国一之宮の寒川神社。
茅ヶ崎駅で相模線に乗り換え、昼食を食べる時間がなかったためやむなくパンを食べながら電車に揺られ、宮山駅で降りて歩くこと約5分。
まず見えたのが参集殿の大きな建物と、その前に咲く桜でした。
寒川神社は社会福祉活動も行っており、病院や老人介護施設、青少年のための教育施設も運営しています。 -
社殿は、平成7年に造営された御本殿をはじめ、新しくもありなおかつ威厳も保った素晴らしい造りです。
しかし、その御創始は雄略天皇の御代にさかのぼる、古い歴史を持っています。 -
御祭神は寒川比古命と寒川比女命で、寒川大明神と称されます。
記紀神話には登場せず、現在は開拓神として崇敬されています。寒川神社 寺・神社・教会
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見ることはできませんが、御本殿の裏には神社発祥の地とされる、難波の小池という禁足の神池があります。
また、近くの安楽寺には大神塚という古墳があり、初代相武国造の墓ではないかと考えられます。
南門の近くには桜がさいていましたが、なぜかこちらの門をくぐって先に進むことを全く考えずに帰ってしまいました。
この先には神鹿苑や売店などがあるようで、惜しいことをしました。 -
その理由は、反対側にある末社、宮山神社のことばかり頭にあったからです。
古くからこの地に鎮座していた7社の小祠を合祀したお宮で、ぐるりを掘りで囲まれています。
そして、ここにも桜が咲いていました。 -
だれも見向きもしないような小さなお宮ですが、自分が参拝に入ると、珍しいものでもあるとでも思ったらしい他の参拝客もついて来て、桜の写真などを撮り始めました。
1時間に3本しかない相模線に乗り、宮山を後にしました。 -
予定より1時間ほど早く、次の目的地の江の島に到着しました。
もともと予定は、帰りの新幹線にギリギリ乗れる時間で組んでいたため、あまり余裕があるとは言えない状態です。
江の島には、まだ新幹線も通っていなかった頃に、母と妹とで来たらしいですが、お土産を置き忘れたことや、帰りの電車の時間が迫って走った記憶はあるものの、その風景などはきれいさっぱり記憶から抜けてしまっています。
藤沢駅から小田急線で片瀬江ノ島駅に到着、電車から降りて風景を見渡しても、記憶がよみがえることはありませんでした。
江ノ島大橋を歩いて渡りました。 -
長い橋を進むと、前方に銅でできた鳥居と、階段を挟むようにして並ぶ土産物屋が見えて来ました。
ここからは苦手な雑踏地帯です。
雰囲気が、なんとなく金毘羅さんに似ていますが、こちらは弁天さんを祀る島。
竹生島・宮島とともに、日本三大弁財天とされています。
その信仰の中心となっているのが、江島神社。
土産物屋の前の人だかりをすり抜けながら、大鳥居までたどり着きました。
鳥居の先にある楼門をくぐると、そこにはなんと弁天さんのレリーフが。
外国人は物珍しそうにカメラのシャッターを切っていますが、このような信仰の地のディズニーランド化は断固反対です。
江島神社は奥津宮・中津宮・辺津宮の3社構成で、それぞれ多紀理比売命・市寸島比売命・田寸津比売命をお祀りしており、手前から島のお奥にかけて、辺津宮・中津宮・奥津宮と配されています。江島神社 寺・神社・教会
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御創始は欽明天皇13年。
勅命により、島の岩屋に海の守り神を祀ったのが始まりです。
文武天皇4年には、役小角が岩屋に籠って修行することで霊験を得て、その後、泰澄・道智・弘法・安然・日蓮などの名僧も訪れて修行しました。
源頼朝公は、平家討伐のための挙兵を助けたとされる文覚上人に命じ、寿永元年に弁財天を勧請しました。 -
奥津宮の鳥居は、その際に頼朝公によって寄進されたものを模しています。
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また、奥津宮の拝殿の天井には、江戸時代の絵師酒井抱一による「八方睨みの亀」が描かれています。
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石段を登ったり降ったりしながら、ようやく島の最奥に位置する稚児ヶ淵に到着しました。
相承院の稚児白菊が身を投げたことから、その名が付けられたと言われています。
そこからすぐの所に、修行場であった岩屋がありますが、内部はアトラクション化されているらしいので、入って落胆することを避けて引き返しました。
帰り道、かなりこの地に慣れた小学生の女の子のグループが、土産物屋の間からわき道に入ろうとしているのを見つけました。
近道があると聞いていたので、もしやと思って進んでみると、案の定でした。
地元の人しか知らないようです。 -
最後に児玉神社を参拝。
御祭神は、明治時代の軍人で陸軍大臣や台湾総督などを務めた児玉源太郎命です。 -
境内には、近代化されたことに感謝する台湾人から贈られた狛犬があります。
江の島の最も一般的な観光ルートからは外れているため、参拝客の姿は少ないですが、御祭神の業績を知る人だけが敬虔な気持ちで参拝するのなら、それもまたよいのではないでしょうか。
ここまでアトラクション化の波が及ばないことを祈るばかりです。児玉神社 寺・神社・教会
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