2011/09/17 - 2011/09/17
230位(同エリア471件中)
まみさん
2011/09/17土 ヒヴァ観光の代わりにタシケント観光
〜ホテル前からショッタ・ルスタヴェリ通り〜シャフリサーブス通り〜地下鉄でティムール広場最寄りのユーヌス・ラジャビイ駅へ(タシケントのどうってことない郊外の撮影散策)〜
・ティムール広場散策
・ティムール博物館見学
〜サユルガーフ通り(タシケントのブロードウエイ通り)〜
・ナヴォイ記念オペラ・バレエ劇場前を散策──オペラのチケットを購入&新婚さん2カップルで目の保養!?
・国立歴史博物館見学
・トゥルキスタン(Turkistan)劇場でオペラ「蝶々夫人」鑑賞
・夜の独立広場を散策
【タシケント泊:ラデュス JSS(RADUSS JSS)】
ウズベキスタンといったらティムール!
タシケントのティムール広場に程近い、青いドーム屋根の白く丸い美しくエキゾチックな建物のティムール博物館で、そのことをここでまずしっかりと頭にたたき込まれた気がします。
シルクロードで栄華を極めたウズベキスタンの古都は、ジンギスカンによって破壊しつくされ、それをよみがえらせたのがティムールなのです。
ウズベキスタンで一番人気の歴史人物がティムールだそうです。
旧ソ連からの独立後に国がレーニンに代わる英雄として祀りあげたせいもあるようだけど。
だから、ティムールの彫刻があるティムール広場がない町なんて、ウズベキスタンにはないのではないかしら。
ミュージーアム好きの私がタシケントでぜひ訪れたいと思っていたミュージーアムはいくつかありましたが、ティムール博物館は3番目くらいでした。
でもティムール広場をめざせばすぐ目の前というアクセスの良さと、撮影代を払えば写真撮影OKなところが気に入っていました。
内装も一見の価値ありです。
豪華な吹き抜けのホールの壁画にティムールの絵と、なにやらいわくありげなコーランが展示されてあり(でもオリジナルではなくコピー)、そのホールを囲む1階と2階の円廊が展示スペースとなっていました。
展示は、中央アジア旅行は初めての私にとって、物珍しいものばかりでしたので、写真を撮りまくり。
さすがに全部の写真を撮ったら狂気の沙汰だろうと思って、ぐっと控えねばならないくらいでした。
だけど、展示の8割9割を見終わった頃に、館員さんにみとがめられて、写真は撮ってはいけないと注意されました。
撮影代を払った証拠のフォトチケットを見せたら、これで撮っていいのはホールだけで、展示はダメだと言われました。
えーっ、そうなの!?
でも、いままでパチパチ撮りまくっていても、他の館員さんはなぁんにも言わなかったよ?
さすがに注意された後は、撮影はやめましたが、もう撮っちゃった分はいいよね、それで旅行記を作成しても@
もっとも、注意された後の展示でも、撮っておきたいのがあってウズウズしてしまって、参りました。ぐっと我慢しました。
そうでなくても、すでにたぁぁくさん撮りまくっていたから@
私って、きりがないんです。
<2011年秋ウズベキスタン旅行:旅程一覧>
9/16金 成田発 ウズベキスタン航空でタシケントへ&国際線の遅延で国内線に乗り遅れる
9/17土 ヒヴァの代わりのタシケント観光
9/18日 朝7時台の国内線でブハラへ&ブハラ観光1日目
9/19月 午前ブハラ観光&午後サマルカンドヘ事前手配の車で移動(途中シャフリサーブス寄り道)
9/20火 サマルカンド観光1日目
9/21水 サマルカンド観光2日目
9/22木 特急シャーク号に途中乗車してタシケントへ&タシケント出国
9/23金 朝8時台に成田着
(その後、昼に妹ら一家と上野で待ち合わせて、甥っ子姪っ子らと上野動物園で遊ぶ)
「ティムールを知るには ティムール博物館
ティムール一族を中心に、ウズベキスタンの歴史上の偉人の資料を集めた博物館。歴史上の事件を再現した絵画や、建築物の模型もあって楽しめる。豪華な内装も見もの。」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)
「アミール・ティムール博物館
アミール・ティムール広場の北側にある、ドームを載せた帽子のような形をしている建物がこの博物館だ。ソ連時代、ティムールはチンギス・カンと同じレベルの悪者として扱われる場合が多かったが、独立後は一転してレーニンに代わる国民統合のシンボルとなった。ティムール朝の歴史をたどる再現絵画、武具やタイル、貨幣、陶器などの展示物のほか、ビビ・ハヌム・モスクやグール・アミール廟などの当時の建築のミニチュアが興味深い。英語の説明あり。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)
※2011年秋ウズベキスタン旅行の詳細な旅程はこちら。
「2011年秋ウズベキスタン旅行プロローグ(旅程一覧)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10606873
あるいはもう一つのブログ「まみ’s Travel Diary」(http://mami1.cocolog-nifty.com/)の記事より
「2011年ウズベキスタン旅行の詳細旅程(写真付)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/09/2011-41d7.html
<立案・準備編>
「今年も2度目の海外旅行を計画中」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/08/post-087f.html
「もうすぐウズベキスタン旅行!」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/09/post-4f78.html
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
青いドーム屋根と白い壁がさわやかで美しい、ティムール博物館
伝統的な帽子(!?)をかぶったおじさんが通りかかったので、急いでパチリ! -
目の前の階段を上がったけれど
こちらは入口ではありませんでした。 -
入口は、半地下のこちら
-
こっちが入口だよ、という看板もあり
入場料は3,500スム、写真代は3,000スムでした。
(2011年9月現在、1,000ウズベキスタン・スム(UZS)=43.90円(約50円で換算)) -
クロークに荷物を預ける
ふつうに歩いているときと違って、ミュージーアムで展示を見るためにゆっくり歩いている時は、荷物はどんどん重く感じられてきて、思った以上に負担になってくるものです。
ミュージーアムをじっくり楽しむには、身軽が一番! -
階段を上がると
-
中央ホールに出た後、さらに上へ行く階段を上るのは、またあとで
このアングルが絵になると思ったので、先に写真だけ撮っておきました。
展示はホールを囲む円廊の1階と2階とに分かれているので、上へ行くのは、先にホールと1階を見学してからです。 -
一見の価値ありの豪華なホール!
-
ルーマニアの首都ソフィアにある国民の館を思い出させるシャンデリア
と、見学中には思ったけれど、写真をひっくり返してみたら、それほど似ていませんでした。
でもテイストは似てると思います。
関連の旅行記
「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第20日目ブカレスト1日目(3):国民の館を見学」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10150146/ -
なにやら由緒ありげなコーランと鮮やかな壁画
これはどうもレプリカらしいです。
というのも、ちょうどはちあわせた日本人グループのガイドさんが「みなさんはこれを見る必要はありません。なぜなら○○でもう、オリジナルを見て来たからです」と言っていたので。
どこにオリジナルがあったのか、なんのいわれがあるコーランなのか、までは、分かりませんでした。 -
ホールの中央から見上げた1階と2階の展示スペースの様子
-
ティムール一族が描かれた壁画
ここに描かれたのがティムールとティムール一族だと思うのは私の推測です。
このホールの周りにはティムール一族や関係者の肖像画があったのですが、ティムールの孫のウルグベクの名前は聞き覚えがあっても、ウルグベクうんたらとあったせいで本人だと断言できず、あとは勉強不足で誰が誰だか分からなかったので、写真は撮りませんでした。 -
この人がティムール
この時点ではティムールの顔は、ティムール広場の騎馬像のおかげでなんとか覚えたばかりでした。
でも、この中で一番えらそうな席にいたので、見当つけることができました。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/23951836/
関連の旅行記
「2011年秋ウズベキスタン旅行第2日目(2)タシケント:ティムール広場やナヴォイ劇場などタシケント新市街散策」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10626569/
そしてこの博物館を出るころには、ティムールの顔はすっかり覚えました@ -
向かって左、女性たちが描かれた壁画
ティムールの妻たちでしょうか。
3人の女性のうち誰かがティムールに最も愛された妃ビビハニムかもしれません。
と思ったけれど、ちょっと調べてみたら、ティムールには50人以上の妃や側室がいたんですねぇ。
ビビハニムの名に馴染みがあるのは、サマルカンドにビビハニム・モスクやビビハニム廟が残っているおかげです。
一番上にはフェニックス(不死鳥)が描かれています。
ティムールとフェニックスの関係はよく分かりません。 -
夜空を舞う美しいフェニックスに注目
-
壁画の上の方は、カラフルだけど鍾乳洞チック
-
向かって右の壁画
ティムールと師、というかんじにみえます。 -
見学者たち
ウズベキスタンでは、日常的にスカーフで頭を覆っていた女性たちと、ふつうに洋服姿の女性たちと、両方見かけました。 -
太陽の女神かな
-
月の女神かな
-
青いドームの建物と流れ星
建物は、ティムールの墓があるサマルカンドのグリ・アミール廟でしょうか。 -
サマルカンドの今昔
ここからは1階の円廊の展示です。
このときは、これらの写真は全部レギスタン広場のものかと思い込んでいましたが、実際にサマルカンドに行った後では、もうだいたい分かるようになりました、るんっ!
どれも行くことができましたから。
(でも時間がたつと、きっと忘れる……。)
左上:ビビハニム・モスク(中庭)
(レギスタン広場かと思ったけれど、レギスタン広場には真ん中にあんな風に緑と大木はないです。)
左中:レギスタン広場のティラカリ・メドレセ(神学校)
(横からみたところだと分かりにくいので、ラベルを確認しました。)
左下:レギスタン広場のかつてのシェルドル・メドレセ
右上:シャーヒズィンダ廟
右中:ビビハニム・モスク(外のタシケント通りから見たところ)
右下:レギスタン広場のかつてのウルグベク・メドレセ -
サマルカンドのレギスタン広場のかつてのシェルドル・メドレセの写真
サマルカンドの今昔の写真のうち、昔の姿の写真をアップで撮りました。
レギスタン広場が今のようにすっきりした広場に整備されたのは、ソ連時代のことです。
それまではこんな風に市場がひしめいていたようです。
そしてせっかくのメドレセはすっかり荒廃していました。 -
サマルカンドのレギスタン広場のかつてのウルグベク・メドレセの写真
今の姿からは想像つかないくらい荒れた様子が痛々しいです。 -
ブハラの16世紀のナマズゴン(NAMAZGON)・モスクと、修復前のオリジナルのタイル
このモスクは行ってないのでよく分からないです。 -
明日以降の観光ではこういう建物三昧に違いない!……と思って眺めた絵
たぶん、サマルカンドのグリ・アミール廟。 -
レギスタン広場の絵
3日後に実物を見ます!
実際の広場は、柵があったりと、この絵よりもずっとごちゃごちゃしていましたけど。 -
14〜15世紀の陶器
-
14〜15世紀の陶器の皿
モチーフは、水差しとブドウとザクロと……あとはナシ、かしら? -
「サマルカンドの市場」(A. アリクロフ(Aliqulov)画)
隊商の町のかつての姿が偲ばれます。 -
中央アジアらしい(!?)ビーズ・アクセサリー
きめ細かなビーズで、一見、模様が染められた布に見えます@ -
サマルカンドのビビハニム・モスクの建築現場
ティムールの妃ビビハニムがティムールを驚かせるために、彼の留守中に大急ぎで造らせたという、ビビハニム・モスク。
この絵では象も活躍しています。 -
金糸の絨毯
ここからしばらくは、外国からの寄贈品の展示品の写真です。
下の方に文字が刺繍されています。人名のようですが、よく読めませんでした。 -
ティムール絨毯・その1
文字はキリル文字で装飾的にアミール・ティムールと書かれています。
アミールは、スルタンに仕える将軍のことです。
ティムールともなると、実質スルタンや王と同列の権力と地位がありましたが、自分の称号を変えなかったようです。 -
ティムール絨毯・その2
1996年のティムール生誕660周年記念に制作されたようです。 -
アルマ・アラサン(Alma-Arasan)渓谷の絵
カザフスタン大統領からの寄贈の絵です。
高い雪の山脈に色付いた木々があるすばらしい渓谷です。 -
キルギスタンからの寄贈の「祖国」(O. ヌルメンベトフ(Nurmenbetov)画)
これもすばらしい景色の絵です。
川辺に遊牧民のテント(ユルト)が見えます。
寄贈コーナーの展示品は他にもあったけれど、撮った写真はここまで。 -
「ウストゥルト(USTURT)平原のティムール」(I. アリベコフ(Alibekov)画)
ウズベキスタンの西にある平原のようですが、ティムールにとってどのような意味を持つ土地だったのか分かりませんでした。 -
前の写真の絵の全体
-
陶器のティムール
-
美しい台座の上に、ちまっと座って
-
ティムールと子供の陶器
子供か孫でしょうか。
いかにも世界を掌握した!と言いたげなデザインです@ -
「アミール・ティムールとビビハニム」(T. サデュラエフ(Sa’dullaev)画)
ティムールの宮廷生活が垣間見えるようです。 -
「散策」(S. ラフマノフ(Rakhmanov)画)
先頭はティムールと妃のビビハニムでしょうか。 -
「サマルカンドのジュマ・モスク」(R. フドウベルガノフ(Khudoyberganov)画)
ジュマ・モスクとは金曜モスクという意味で、町で一番格式が高いモスクの呼称です。
サマルカンドの金曜モスクというと、ビビハニム・モスクがそう呼ばれていたそうです。
巨大な建築物に比して、四隅のすらりと細い塔が印象的だったので、いわれてみればビビハニム・モスクに見えます。 -
「アリシェル・ナヴォイとフセイン・バイカラ」(T. サデュラエフ(Sa’dullaev)画)
ナヴォイ劇場にその名がついたナヴォイ(1441〜1501)は、ティムール時代の後半15世紀に活躍した国民的詩人であり、政治家だそうです。
調べてみると、ナヴォイの生涯を描いた伝記映画「草原の英雄」(1947年制作、監督K・ヤルマートフ)という旧ソ連の民族映画の存在がヒットしました。
それによると、フセイン・バイカラは時のスルタンの王子で若いときにはナヴォイと熱い友情で結ばれいました。
後にナヴォイはスルタンとなったフセイン・バイカラの政治顧問となるのですが、バイカラは、ナヴォイをねたむ宰相の影響を受けてナヴォイをうとましく思うようになり、ナヴォイを左遷してしまいました。
そして宰相に操られたバイカラは暴君と化し、ナヴォイは人民の中に身を投じたとのこと。
この絵はきっとバイカラがスルタンとなってナヴォイが彼の政治顧問となった後の宮廷の様子ではないかしら。
まだ2人の中が破たんする前の……。
参考にしたサイトのURL(goo映画)
http://movie.goo.ne.jp/movies/p15416/story.html -
「祝宴」
テント風の王座についているのはティムールだと思います。 -
「第一歩」(E. イヴァノヴァ(Ivanova)画)
タイトルは意味深です。祖父と孫。歴史と未来を感じさせるペア。
そして背後の建物は、このティムール博物館です。 -
これも宴会の絵かな
タイトル・ラベルは見当たりませんでした。
中央の人物はティムールっぽくないので、誰かよく分かりません。 -
「アミール・ティムール───科学のパトロン」(R. リゾムハンメドル(Rizomuhammedor)画)
孫のウルグベクが近代科学の天才で先見の明がありすぎて暗殺されたことはガイドブックからのにわか知識で知っていましたが、ティムール自身も中世の当時にあっては科学を奨励した君主だったようですね。 -
「アミール・ティムールとホルドン(Xoldun)」(V. ブルマキン(Burmakin)画)
机の上に書物があり、ティムールが教えを乞うところのように見えますが、Xoldunなる人物は誰か、あるいは人物名ではないのかどうかも、よく分かりません。 -
ティムールのテント(ユルト)の復元
-
ティムール帝国の版図
砂漠を意味しているのか、ところどころラクダのマークがあるのが可愛らしいです@
この図から、ティムールは西は、現在の東欧やトルコも通過してフランスまで迫ったことが分かります。
ウズベキスタンではティムールは建国王のイメージですが、今年2011年のコーカサス旅行の歴史をひもとくと、あちらではモンゴル同様、破壊と侵略のイメージしか感じられなかったです。
見る立場で歴史がガラッと変わってしまう面白さと恐ろしさをここでもまざまざと感じられました。 -
2011年の独立20周年記念の絵
いろんなモチーフがごちゃごちゃと(苦笑)。
めがねの男性はカリモフ大統領かな。
でも最近の写真とはあまり似てないかも。
20周年記念の品はいろいろあったのですが、その中でとりあえずこの絵だけ写真を撮りました。 -
次は2階の展示へ
-
階段から見たホールのシャンデリアと天井
-
2階の展示の最初には
ブハラのナディール・ディヴァンペギ・メドレセの有名な正面の建物のタイル画───偶像崇拝を禁ずるイスラム教の教えに逆らって人物の顔やフェニックスが描かれたデザインの複製に、カリモフ大統領のこんな言葉が書かれてあります。
「独立は、ウズベクの人々に、自らの歴史遺産を明らかにし、国民としての自尊心の感情、自らの文化と伝統、信仰、言語、そして精神を復活させる可能性を与えた。独立は、ウズベクの国民的メンタリティを発展させ、愛国心と祖国への愛を強化する上での新たな活力となった。」(私訳) -
イスカンダル・スルタンの占星図(中世のミニチュア)
黄道12宮の星座たちが描かれていますが、見慣れた西欧チックなデザインとやはり違います。特に人物の服装が(笑)。 -
タージ・マハル(17世紀)のミニチュア
インドのアグラにある有名なあれです。
なぜウズベキスタンのティムール博物館に? -
タージ・マハルのミニチュアを横から見たところ
前から見てもタージ・マハル、横から見てもタージ・マハル@
一昨年の2009年に撮影に出かけた鬼怒川の東武ワールドスクエアのミニチュアより大きかったかな。いや、あっちの方が大きかったかな。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/17838575/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/17838576/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/17838577/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/17838578/
関連の旅行記
「東武ワールドスクエアに行きたくて鬼怒川温泉1泊旅行(9)なつかしい中国や韓国&いつか行ってみたいアジアの世界遺産───Tobu World Square:アジアゾーン」(2009年12月4日)
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10407968/ -
サマルカンドのグリ・アミール廟(15世紀)のミニチュア
本当は生地シャフリサーブスに葬って欲しがっていたティムールのお墓は、サマルカンドのここグリ・アミールにあります。 -
グリ・アミール廟の大きなドームを中心に上から眺めたところ
このアングルで向かって右の建物はいまは残ってなくて、建物の基盤跡しかありませんでした。 -
グリ・アミール廟を後ろから眺めたところ
この回廊の形の建物も、もう残っていないです。 -
民族楽器
ヴァイオリンに似ていて形の違う楽器が特に興味深かったです。
一緒に展示してあるバーブルナーマ(BABURNAMA)は楽器にちなんで楽譜集かその手の研究本かと思ったのですが、ムガール帝国建国者バーブルの回顧録で、一種の歴史書のようです。
またしてもムガール帝国ゆかりの展示。なぜかしら。 -
天文台のウルグベクとアリ・クシュチ(Kushchi)
いまや幻のウルグベク天文台の中の様子の絵でしょう。想像図かもしれませんが。
天文観測に偉業をなしたウルグベクにちなんでか、青い星の模様が壁にたくさん見られます@ -
いまや幻のウルグベクの天文台の模型
現在は基礎部分と六分儀の地下部分のみが残っているそうです。
天文台跡はサマルカンドの郊外にあるので、見に行くつもりはなく、実際に見に行きませんでした。なので、代わりに模型をじっくり観察@ -
サマルカンドのレギスタン広場にあるウルグベクのメドレセ(15世紀)のミニチュア
-
ウルグベクのメドレセのミニチュアを、上から中庭を中心に見たところ
手前は「夏のモスク」と呼ばれていた部分です。 -
さまざまな銀製品
ベルトのバックルとか胸当てっぽいのとか、剣の鞘とか、装飾品とか、いろいろ。
服のボタンやキセルもあるのかな?
説明プレートの写真は撮ってこなかったので、正確なところは分かりません。 -
刺繍の布と銅器と旅行用の収納箱
-
サマルカンドの市場(Zafarnamahからの細密画)
あっ、サマルカンド・ナン(パン)を売っています@
Zafarnamahとは、ウィキペディアフリー百科事典の英語版からかいつまんでみると、意味は「勝利の書簡」。
1705年にシーク教徒のグル(教祖)ゴビンド・シィングからインドのムガール帝国の第6代皇帝アウラングゼーブに宛てて書かれたペルシャ語の詩の形の10通の書簡のことだそうです。
タイトルからして、戦いの勝利の報告かと思ったら、この書簡では、アウラングゼーブ王とその部下がコーランの誓いを破ったことを責め、皇帝によって様々な苦しみを味あわされたが、決して負けていないこと、いや精神的には皇帝に勝っていると宣言しているそうです。
皇帝はグル刺殺のために軍を送りましたが、それには失敗したことも。
また、アウラングゼーブ皇帝の人間としての弱さや暴君ぶりを述べ、自分は皇帝のせいで両親や4人の息子を失うという非常な苦しみを負ったが、それでも神への誓いを守る、とも。
全部で111行ある詩の中で最も多いのは神への祈りだそうです。
1704年に起きた皇帝とグルの間の戦い(Battle of Chamkaur)について詠んだ部分もあります。
グルが皇帝を説得しに行ったこともあるようです。
アウラングゼーブ皇帝は熱心なスンニ派イスラム教徒でした。
そして他の異教徒を弾圧し、さまざまな宗教上の改革をしたため、ヒンズー教徒の反乱をきっかけとして、シーア派イスラム教徒を含め、帝国内のさまざまな異教徒が次々反乱を起こりました。
皇帝の軍事遠征が成功して、彼の時代にムガール帝国の版図は最大になりますが、一方で内政面でも財政面でも帝国を苦境に追いやることになり、彼の死後、ムガール帝国は弱小化していきます。
というわけで、Zafarnamahはあまりサマルカンドの市場と関係ない内容に思えますが、他にもいろいろなことが書かれているようなので、きっとこの書簡のどこかしらにサマルカンドの市場の様子が出てくるのでしょう。 -
サマルカンドのビビハニム・モスク(14〜15世紀)のミニチュア
-
ビビハニム・モスクのミニチュアを横から見たところ
手前の屋根ぽこぽこの部分は、今は廃墟で、建物があった跡しか残っていません。
だからこのミニチュアは往時の姿でしょう。 -
山岳の砦の包囲(Zafarnamahからの細密画)
これはシーク教徒のグル(教祖)ゴビンド・シィングとムガール皇帝アウラングゼーブとの間の戦いを描いたものかもしれません。
……ティムールとの関係はよく分からないですけど@
このあと、別のミニチュアにカメラを構えていたら、館員さんにみとがめられて、フォトチケットで撮っていいのはホールだけだ、と注意されてしまいました(泣)。
でももう、ほとんど見終わっちゃった後だもんねっ! -
2階展示回廊から見たホールと天井と、すでに見学し終わった向かい側
-
中央の吹き抜けホールを見下ろしたところ
あのように中央ホールを囲んでティムール一族やウズベキスタンの歴史にかかわる人物たちの肖像画がありました。 -
サルビア花壇とティムール博物館
ティムール博物館の写真は以上です。
見学時間は、11時から12時5分。
写真を撮っていたせいもあって、意味がよく分からない展示も多かったにしては、比較的ゆっくり見学できました。
そして写真を撮ったおかげで、旅行記を作成ついでに後でいろいろ調べたことも多いです。
こういう復習も海外旅行の醍醐味@
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