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JR三鷹駅南口からバス15分、深大寺入口下車深大寺城(じんだいじじょう、東京都調布市深大寺元町)を訪問しました。<br /><br />築城時期は定かではありませんが武蔵七党(武蔵国に於ける典型的な党的武士団で当時は7党あった由)狛江氏による築城との伝承があります。<br /><br />深大寺城が活躍の場として脚光を浴びたの16世紀中葉でして扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の影響下の時、重臣の難波田広宗(なんばた・ひろむね)に命じて当城を整備させ北条氏綱軍の勢力拡大に対応させますが逆に氏綱は当城を封鎖して動きを制し、かねてより虎視淡々と狙っていた河越城に進軍、包囲された上杉軍は総崩れとなり河越城を捨てて松山城に退くことになります。<br /><br />もとより深大寺城は戦略的な位置付けは低く、北条氏が武蔵国を手中に収めた時点でも特段の役割は少なく、従い北条氏派遣軍の駐在も認められずそのまま放置されたようです。<br /><br />自分が訪問した時は歴史に見放された遺跡と思いきや、すっかり現代風にアレンジ、いわゆる公園化されて歴史の深みを忘れた味気のない雰囲気を感じました。例えば土塁は立派ですが完全に復元されており感動は今ひとつ及びません。<br /><br />もっとも当地域は市街化されていますので行政等による整備・公園化する事で遺産を保存するのですからやむを得ない事情もあります。その中で自分自身では想像力を逞しくして自ら開拓・開墾した所領に生死を掛ける武士(もののふ)の生き様に心を砕くことで往時を偲びたいと思います。<br /><br />

武蔵調布 相模を勢力下に置き次に武蔵南部進出をもくろむ小田原北条氏を抑えるべく既存の砦跡を整備改修して対抗した扇谷上杉氏の『深大寺城』訪問

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2011/10/16 - 2011/10/16

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR三鷹駅南口からバス15分、深大寺入口下車深大寺城(じんだいじじょう、東京都調布市深大寺元町)を訪問しました。

築城時期は定かではありませんが武蔵七党(武蔵国に於ける典型的な党的武士団で当時は7党あった由)狛江氏による築城との伝承があります。

深大寺城が活躍の場として脚光を浴びたの16世紀中葉でして扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の影響下の時、重臣の難波田広宗(なんばた・ひろむね)に命じて当城を整備させ北条氏綱軍の勢力拡大に対応させますが逆に氏綱は当城を封鎖して動きを制し、かねてより虎視淡々と狙っていた河越城に進軍、包囲された上杉軍は総崩れとなり河越城を捨てて松山城に退くことになります。

もとより深大寺城は戦略的な位置付けは低く、北条氏が武蔵国を手中に収めた時点でも特段の役割は少なく、従い北条氏派遣軍の駐在も認められずそのまま放置されたようです。

自分が訪問した時は歴史に見放された遺跡と思いきや、すっかり現代風にアレンジ、いわゆる公園化されて歴史の深みを忘れた味気のない雰囲気を感じました。例えば土塁は立派ですが完全に復元されており感動は今ひとつ及びません。

もっとも当地域は市街化されていますので行政等による整備・公園化する事で遺産を保存するのですからやむを得ない事情もあります。その中で自分自身では想像力を逞しくして自ら開拓・開墾した所領に生死を掛ける武士(もののふ)の生き様に心を砕くことで往時を偲びたいと思います。

交通手段
高速・路線バス 私鉄 徒歩
  • 「深大寺散策マップ」にて確認<br /><br />北隣に都立神代植物公園を控え、深大寺の山門から南東方向に進みます。<br /><br />尚深大寺は733年(天平5年)に満功上人が開山したと伝えられ都内では浅草寺に次いで古い寺です。初詣やだるま市(3・4月)では賑わいます。「深大寺そば」は有名です。<br />かつて自分の勤務先が近くにあり、海外のお客様を案内しましたが非常に気に入って頂きました。<br /><br />尚当地へは京王電鉄調布駅下車、駅北口からもバス10分程度で連絡可能です。

    「深大寺散策マップ」にて確認

    北隣に都立神代植物公園を控え、深大寺の山門から南東方向に進みます。

    尚深大寺は733年(天平5年)に満功上人が開山したと伝えられ都内では浅草寺に次いで古い寺です。初詣やだるま市(3・4月)では賑わいます。「深大寺そば」は有名です。
    かつて自分の勤務先が近くにあり、海外のお客様を案内しましたが非常に気に入って頂きました。

    尚当地へは京王電鉄調布駅下車、駅北口からもバス10分程度で連絡可能です。

  • 水生植物園案内図<br /><br />植物園入口の側道が深大寺城跡に繋がる道です。<br /><br />かつては沼地が連なっており,外部進入に対する防御の役割を果たしていました。<br />

    水生植物園案内図

    植物園入口の側道が深大寺城跡に繋がる道です。

    かつては沼地が連なっており,外部進入に対する防御の役割を果たしていました。

  • 深大寺城そば畑の案内板<br /><br />このなだらかな坂道を登って行くようです。

    深大寺城そば畑の案内板

    このなだらかな坂道を登って行くようです。

  • そば畑<br /><br />路の左手にそば畑を見ながら前進しますと右手に広大な芝生が眼に入ります。

    そば畑

    路の左手にそば畑を見ながら前進しますと右手に広大な芝生が眼に入ります。

  • 広大な芝生公園(第二城郭)<br /><br />周囲の大樹に囲まれた芝生に市民たちがそれぞれ休日を楽しんでいます。

    広大な芝生公園(第二城郭)

    周囲の大樹に囲まれた芝生に市民たちがそれぞれ休日を楽しんでいます。

  • 大樹と土塁<br /><br />芝生の向こうにはっきりと土塁が見えます。

    大樹と土塁

    芝生の向こうにはっきりと土塁が見えます。

  • 土塁<br /><br />復元された土塁が手前から続きますが、それなりに見応えがあります。

    土塁

    復元された土塁が手前から続きますが、それなりに見応えがあります。

  • 土塁の上から<br /><br />復元土塁ですが雰囲気が良く出ています。

    土塁の上から

    復元土塁ですが雰囲気が良く出ています。

  • 連続する土塁<br /><br />復元土塁が南に向けて続きます。

    連続する土塁

    復元土塁が南に向けて続きます。

  • 空堀<br /><br />土塁の先は空堀がはっきり見えますが、フェンスが張られて下りることができません。

    空堀

    土塁の先は空堀がはっきり見えますが、フェンスが張られて下りることができません。

  • 芝生の中央部<br /><br />土塁の上から芝生の中央を望みます。樹木の向こうが中央部で、手前には市民の休憩用ベンチが設置されています。

    芝生の中央部

    土塁の上から芝生の中央を望みます。樹木の向こうが中央部で、手前には市民の休憩用ベンチが設置されています。

  • 空堀<br /><br />フェンスの外は空堀となっています。尚車両が見えますのでこの先は民家と思われます。

    空堀

    フェンスの外は空堀となっています。尚車両が見えますのでこの先は民家と思われます。

  • 西日を浴びた芝生<br /><br />右手は復元土塁がしっかりと配置されています。

    西日を浴びた芝生

    右手は復元土塁がしっかりと配置されています。

  • 復元した土塁<br /><br />あまりにも立派過ぎて見ても気持ちが入りませんネ。

    イチオシ

    復元した土塁

    あまりにも立派過ぎて見ても気持ちが入りませんネ。

  • 建物跡<br /><br />画面の石柱は建物の柱穴位置を示しています。武士の屋舎であろうと言われています。

    建物跡

    画面の石柱は建物の柱穴位置を示しています。武士の屋舎であろうと言われています。

  • 説明文

    説明文

  • 土塁と空堀<br /><br />復元した形ですがよくできています。<br /><br />

    イチオシ

    土塁と空堀

    復元した形ですがよくできています。

  • 土塁と空堀説明<br /><br />第一郭(本丸)跡における土塁と空堀の説明です。

    土塁と空堀説明

    第一郭(本丸)跡における土塁と空堀の説明です。

  • 城跡図(当時)と公園図(現在)の比較<br /><br />土塁と空堀の他虎口(入口)や土橋の位置がよく判ります。

    城跡図(当時)と公園図(現在)の比較

    土塁と空堀の他虎口(入口)や土橋の位置がよく判ります。

  • 深大寺城跡石碑<br /><br />この石碑の後背に土塁がありますがその奥の更に一段高くなった所に平地が残されており、どうやら物見跡ではないかと思われます。<br />

    イチオシ

    深大寺城跡石碑

    この石碑の後背に土塁がありますがその奥の更に一段高くなった所に平地が残されており、どうやら物見跡ではないかと思われます。

  • 水生植物園から城跡に繋ぐ坂道<br /><br />かつては敵の進入を防御する沼地だった水生植物園に繋がる路です。<br />城跡図にはその跡がありません。公園化にあたり新設されたと思われます。

    水生植物園から城跡に繋ぐ坂道

    かつては敵の進入を防御する沼地だった水生植物園に繋がる路です。
    城跡図にはその跡がありません。公園化にあたり新設されたと思われます。

  • 第一城郭跡<br /><br />周辺は土塁が囲み敵の侵入を困難にさせています。<br /><br />尚この先は進入を許さない急涯となっています。<br />またすぐ近くに中央高速自動車道路が走っていますが<br />豊富な樹木により騒音が遮断されています。<br /><br />

    第一城郭跡

    周辺は土塁が囲み敵の侵入を困難にさせています。

    尚この先は進入を許さない急涯となっています。
    またすぐ近くに中央高速自動車道路が走っていますが
    豊富な樹木により騒音が遮断されています。

  • 第一城郭土塁<br /><br />樹木や薮で覆われてますが長い土塁が巡らされてます。

    第一城郭土塁

    樹木や薮で覆われてますが長い土塁が巡らされてます。

  • 第一城郭から見た崖下<br /><br />樹木の向こうは水生植物園が見えます。かつては沼地となって敵の侵入を防御していたようです。

    第一城郭から見た崖下

    樹木の向こうは水生植物園が見えます。かつては沼地となって敵の侵入を防御していたようです。

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