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奈良時代の天平13年(741)、聖武天皇の詔により全国に国分寺(僧寺・尼寺)が建立されることになります。武蔵国については東山道(現府中街道とほぼ同じ)沿道の東西880m、南北550mの広大な敷地に約20年の歳月を費やして国分僧寺並びに尼寺を完成します。<br /><br />聖武天皇がこの詔を発する背景は当時大流行した疫病(天然痘)と飢饉から国を護り民を救う事にありました。即ち当時の医学では及ばぬ病気の流行を止める手立てなどなく、ただひたすら仏の力にすがり民を幸せにしたいとの天皇の強い決意がありました。<br /><br />併せて光明皇后の後押しがあったと思われます。つまり皇后は当時権力あった藤原不比等の三女ですが、長兄の藤原武智麻呂など4人の兄弟が相次ぎ病死しその菩提を弔う意向もあったと思われます。<br /><br />尼寺は僧寺に比して広くない敷地でもあり既に発掘が終了、きれいに整備・公園化されておりあたりは子供達の遊ぶ姿が見受けられます。<br /><br />いずれにせよ我々の時代より不自由な状況の中で歴史的な創造物を全国レベルで造ることは自分としてはたまらなく興奮を覚えます。同時にこの事業にかり出され労働を提供した国民が自らの農業生産を犠牲にして従事せざるを得なかったことを考慮すれば身を切られる思いをいたします。<br /><br /><br />2023年11月14日追記<br /><br />伝祥応寺に関する説明が該当のホームページに下記の通り記載されています。<br /><br />『 伝祥応寺、法灯240年余の歴史<br /><br />伝祥応寺は、鎌倉時代に武蔵国分尼寺跡(現在の国分寺市西元町・黒鐘公園)の北丘に興ります。開山由緒は不明ですが、当地の発掘調査で数十基の板碑等が出てきていることから、阿弥陀信仰の盛んな寺院であったことがわかっています。板碑の最古のものでは正応元年(1288年)とあり、国分尼寺の焼失以前から祥応寺が建てられていたのではないかと考えられています。口碑によれば、この旧跡から鉄仏の阿弥陀像が掘り出され、黒鉄(くろがね)のお姿であったことから、村人は当地を「黒金」と呼んだそうです。<br />祥応寺の山号を「黒鉄山」の由来となっています。<br /><br />府中六所とは、大国魂神社(府中市)のことで、旧跡から掘り起こされた鉄仏は大国魂神社に運ばれた後に神輿庫と不動堂の間の堂宇に祀られていましたが、明治初期の神仏分離令により近隣の寺院に移されたと伝えられています。伝祥応寺の法灯期間は、この阿弥陀像の製造時期から発掘された中で最も新しい板碑の建立時期を下限とすると、建長5年(1253年)から明応2年(1493年)までの240年余りの期間であったと考えられています。』

武蔵国分寺 聖武天皇の妃で外戚藤原不比等の娘である光明皇后の4兄弟の病死もあって国分僧寺と共に造営された『武蔵国分尼寺』散歩

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2011/10/09 - 2011/10/09

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滝山氏照

滝山氏照さん

奈良時代の天平13年(741)、聖武天皇の詔により全国に国分寺(僧寺・尼寺)が建立されることになります。武蔵国については東山道(現府中街道とほぼ同じ)沿道の東西880m、南北550mの広大な敷地に約20年の歳月を費やして国分僧寺並びに尼寺を完成します。

聖武天皇がこの詔を発する背景は当時大流行した疫病(天然痘)と飢饉から国を護り民を救う事にありました。即ち当時の医学では及ばぬ病気の流行を止める手立てなどなく、ただひたすら仏の力にすがり民を幸せにしたいとの天皇の強い決意がありました。

併せて光明皇后の後押しがあったと思われます。つまり皇后は当時権力あった藤原不比等の三女ですが、長兄の藤原武智麻呂など4人の兄弟が相次ぎ病死しその菩提を弔う意向もあったと思われます。

尼寺は僧寺に比して広くない敷地でもあり既に発掘が終了、きれいに整備・公園化されておりあたりは子供達の遊ぶ姿が見受けられます。

いずれにせよ我々の時代より不自由な状況の中で歴史的な創造物を全国レベルで造ることは自分としてはたまらなく興奮を覚えます。同時にこの事業にかり出され労働を提供した国民が自らの農業生産を犠牲にして従事せざるを得なかったことを考慮すれば身を切られる思いをいたします。


2023年11月14日追記

伝祥応寺に関する説明が該当のホームページに下記の通り記載されています。

『 伝祥応寺、法灯240年余の歴史

伝祥応寺は、鎌倉時代に武蔵国分尼寺跡(現在の国分寺市西元町・黒鐘公園)の北丘に興ります。開山由緒は不明ですが、当地の発掘調査で数十基の板碑等が出てきていることから、阿弥陀信仰の盛んな寺院であったことがわかっています。板碑の最古のものでは正応元年(1288年)とあり、国分尼寺の焼失以前から祥応寺が建てられていたのではないかと考えられています。口碑によれば、この旧跡から鉄仏の阿弥陀像が掘り出され、黒鉄(くろがね)のお姿であったことから、村人は当地を「黒金」と呼んだそうです。
祥応寺の山号を「黒鉄山」の由来となっています。

府中六所とは、大国魂神社(府中市)のことで、旧跡から掘り起こされた鉄仏は大国魂神社に運ばれた後に神輿庫と不動堂の間の堂宇に祀られていましたが、明治初期の神仏分離令により近隣の寺院に移されたと伝えられています。伝祥応寺の法灯期間は、この阿弥陀像の製造時期から発掘された中で最も新しい板碑の建立時期を下限とすると、建長5年(1253年)から明応2年(1493年)までの240年余りの期間であったと考えられています。』

交通手段
私鉄 徒歩
  • 府中街道に建つ標柱<br /><br />僧寺から府中街道を跨いでJR武蔵野線高架橋の下をくぐりますと尼寺の一角に入ります。

    府中街道に建つ標柱

    僧寺から府中街道を跨いでJR武蔵野線高架橋の下をくぐりますと尼寺の一角に入ります。

  • 武蔵国分尼寺石碑<br /><br />国分寺市立歴史公園として整備されています。<br /><br />

    武蔵国分尼寺石碑

    国分寺市立歴史公園として整備されています。

  • 尼寺石碑<br /><br />2本も並んでいます。

    尼寺石碑

    2本も並んでいます。

  • 尼寺全景<br /><br />画面左側の盛土が金堂跡です。

    尼寺全景

    画面左側の盛土が金堂跡です。

  • 尼寺説明及び図面<br /><br />

    尼寺説明及び図面

  • 主要遺構の全体図及び調査中の全景<br /><br />左右を照し合せると位置関係がよく理解できます。右は武蔵野線高架橋、左は既に住宅地となっています。

    主要遺構の全体図及び調査中の全景

    左右を照し合せると位置関係がよく理解できます。右は武蔵野線高架橋、左は既に住宅地となっています。

  • 公園案内図<br /><br />当時の広さに対し現在はかなり縮小されています。

    公園案内図

    当時の広さに対し現在はかなり縮小されています。

  • 中門跡発掘現場写真及び外観イメ−ジ図<br /><br />

    中門跡発掘現場写真及び外観イメ−ジ図

  • 説明絵図

    説明絵図

  • 説明絵図

    説明絵図

  • 金堂跡全景

    イチオシ

    金堂跡全景

  • 金堂跡近景

    金堂跡近景

  • 金堂跡

    金堂跡

  • 金堂基壇(版築)断面

    金堂基壇(版築)断面

  • 断面説明板

    断面説明板

  • 尼坊跡<br /><br />礎石が整然と並んでいます。

    尼坊跡

    礎石が整然と並んでいます。

  • 尼寺跡中枢部北辺

    尼寺跡中枢部北辺

  • 尼寺北辺の模擬塀

    尼寺北辺の模擬塀

  • 北辺の塀を内側から見る

    北辺の塀を内側から見る

  • 堀建柱建物跡・説明板

    堀建柱建物跡・説明板

  • 国分寺(僧寺・尼寺)復元絵図<br /><br />壮大なスケールがたまりません。

    国分寺(僧寺・尼寺)復元絵図

    壮大なスケールがたまりません。

  • 旧鎌倉街道<br /><br />意外にもこんな所に旧鎌倉街道が通っていたとは!とてもラッキーなめぐり合わせです。

    旧鎌倉街道

    意外にもこんな所に旧鎌倉街道が通っていたとは!とてもラッキーなめぐり合わせです。

  • 通行禁止看板<br /><br />旧鎌倉街道につき車両通行禁止となっています。歴史的遺産は大事にしたいですネ。

    通行禁止看板

    旧鎌倉街道につき車両通行禁止となっています。歴史的遺産は大事にしたいですネ。

  • 案内板<br /><br />保存地域として車両の往来を禁じています。

    案内板

    保存地域として車両の往来を禁じています。

  • 旧鎌倉街道<br /><br />素晴らしい切り通しです。タイムスリップしたような気持ちです。

    旧鎌倉街道

    素晴らしい切り通しです。タイムスリップしたような気持ちです。

  • 塚(盛土遺構)

    塚(盛土遺構)

  • 塚(盛土遺構)説明板

    塚(盛土遺構)説明板

  • 旧鎌倉街道案内板

    旧鎌倉街道案内板

  • 伝祥応寺跡<br /><br />鎌倉時代末頃に建てられた寺跡だそうです。

    伝祥応寺跡

    鎌倉時代末頃に建てられた寺跡だそうです。

  • 伝祥応寺説明文

    伝祥応寺説明文

  • 伝祥応寺案内板

    伝祥応寺案内板

  • 旧鎌倉街道<br /><br />往時の人々の生活が偲ばれます。

    旧鎌倉街道

    往時の人々の生活が偲ばれます。

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