2011/10/23 - 2011/10/23
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ANZdrifterさん
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荒脛巾(荒覇吐・荒吐とも)の神については諸説があるが、基本的な理解は、元来は土着の祖霊・地主神であり、ヤマト王権の北進によって北に追いやられた「まつろはぬ民・エミシ」が信仰していた古代からの素朴な信仰をうける神ということらしい。ご神体はしばしば丸い海の石だという。
つまり、高天原系の係累がおおい神々とは異なり、地主神であり、縁者のすくない神様らしい。
多くは同じ社域に祭られた後来の高天原系の神に地位を奪われて小さな社殿となったり、鳥居の近くで客人神となったりしている。
たとえば埼玉県大宮市の氷川神社の門客人神社と呼ばれる摂社や、大国魂神社の坪宮の祭神、奥多摩で鍾乳洞の近くの養沢神社などは、元来は荒脛巾神社であったという。
つまり、ヤマトの進出にともなって、東日本の住民の素朴な信仰対象であった地主神が脇役に押しやられてきた歴史を物語っている。
荒脛巾神社の分布は、元来武蔵・甲斐以北、つまり関東・東北が中心らしく、検索すると会津若松や宮城県大崎市、多賀城市などに荒脛巾神社が現存することが分かる。
今回は多賀城市の荒脛巾神社をおとずれた。
国指定の特別史跡「多賀城跡」の北東、鬼門には東北地方の延喜式内 100社を統べる陸奥総宮があり、その100?ほど東の右手に表紙写真の石標があり、そこを入って100?あまりに赤い鳥居があり、人家の庭に入り、植え込みを通り抜けると神社が三社祀られている。
真ん中にあるトタン屋根の鞘堂の下に、見るからに古い建物の荒脛巾神社がある。社頭には荒脛巾神社の額があるが、その後ろの社殿には道祖神の額が掲げられている。
はばき(脚絆)から足の神、道祖神ということで、金精様や鉄製のワラジなどが供えられている。
社殿に向かって右には養蚕神社がある。左側には石像がならんだお堂があり、聖徳太子と刻んだ碑が立っていて、その手前にはやや白濁した湧水が小さな水場となっている。
荒脛巾神社は甲斐・武蔵以北に600社もあったとされ、崇拝する人々を荒吐族(アラハバキ)と総称する書物もある。この荒吐族は奈良時代には5人の王によって統治されていたが、王の1人は崇仏論争で蘇我氏に敗れて亡命してきた出羽物部氏だったという。
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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