2007/08/01 - 2007/08/09
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ねいちゃさん
8月5日 またまた巡ってきました、私の誕生日。
その記念すべき日に訪れるのが「モン=サン=ミシェル」。う~ん、出来すぎ。
昨年はエジプトのアブシンベル神殿で朝日を迎えるなんて、生涯にない貴重な体験をいたしましたが、今年はそれにも勝るであろうモン=サン=ミシェル・・・、私ってきっと幸せな人生を過ごしているんですよね~。
ここまできたら、強欲な私はマチュピチュで誕生日を迎えるというのを最大の夢にしております。
そうそう、もう一ついいことあったんですよ~。
ツアーの添乗員さん、女性の方でね、「○○さん今日お誕生日ですよねー」って、ワインもらったんだぁー。
昨日ワインの試飲ができなかった所で、買っておいてくださったそうです。これは本当にサプライズでめっちゃ嬉しかったんですよぉー。あの時の添乗員さんのお気遣い心より感謝してます。。。
では、その記念すべき一日の旅行記をはじめましょうか。
< 旅 程 >
☆8月1日(関空→パリ→ニース)
☆8月2日(ニース→モナコ→エクス=アン=プロヴァンス)
☆8月3日(エクス=アン=プロヴァンス→アルル→アヴィニヨン→リヨン)
☆8月4日(リヨン→ロワール古城→トゥール)
★8月5日(トゥール→サンマロ)
☆8月6日(サンマロ→パリ)
☆8月7日(パリ→ヴェルサイユ→パリ)
☆8月8日(パリ→関空)
☆8月9日(関空→自宅)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 日本旅行
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-
キリアド=ホテル=サントピエールコール[KYRIAD HOTEL SAINT PIERRE]
トゥールで泊まったホテルです。このホテルはトゥールのすぐ近くのサン=ピエール=デ=コールの駅前にあります。日本で言うところのビジネスホテルのようで、冷蔵庫などはありませんでした。まぁ駅前に小売店があるので、そこで色々購入しておけばまぁ問題ないかも。 -
ただ部屋は二人なのに、ロフト付きベットのある変わった三人部屋でした?!
こんな感じです。
朝なんでちょっと使用感のあるベットで申し訳ないですが・・・二つベットが並んだ上に横向きのロフトベット・・・なんでこういう造りなのかは不明、フランス人の考えることはよくわかりません。 -
サン=ガシアン大聖堂[Cathedrale Saint-Gatien de Tours]
早朝ホテルの部屋から外を眺めていると、ニョキニョキと2本の塔が見えました。何だろうと思いながら、とりあえずコンデジの光学12倍ズームで撮っておきました。帰国後もずっと気になっていたのですよ、あれはなんだったんだろうと。
今回改めて旅行記を作成する段になって、ようやく昔年の疑問が氷解いたしました。ありがとうございます!
トゥール最大の教会で、13世紀ごろより建築が始まり、内部には華麗なステンドグラスがあるそうですよ。もちろん見てませんが。。。 -
旅行中は極めて早起きとなり、普段の引きこもりに近い生活が見事に一変しますっ。駅前に奇妙なオブジェが並んでますが、何よりびっくりしたのがちゃっちぃ噴水。イェイェ噴水の小ささに驚いてるわけではないのです、水です、水。
水が水色なんです!って変な日本語ですけど、色が着いてる噴水って見たことあります?ライトじゃなくてー。ホントフランス人の考えてることはよくわかりません。普通の水だとダメだったんでしょうか??? -
のどかな田園風景でしょ・・・なんて言ってる場合ではなかったのです。8時にホテルを出て、古城ホテルにお泊まりの新婚さんを迎えに行ったのは、いいんですが・・・運転手のオリビエは南仏の人で道を殆ど知らない。1時間も迷いに迷ったんですよー、でね、これが後にモン=サン=ミシェル観光に影響するんですよねー、ホンマ何してくれるんや、オリビエ!!!
この運転手、パリでも暴走やらかしてくれます。でも本人はいたって呑気、あやまりもしない、ったくフランス人の考えてることはよくわかりません・・・このフレーズ、すでに3回目・・・。 -
それでもね、車窓からこんな風景見えちゃうと、全部忘れて「お、お、おー」ってなもんです。
14:00すぎに、モン=サン=ミシェルにとりあえず到着。 -
フランスの田舎町って感じの景色です。
目の前にあるあのホテルに泊まれば、すぐそこがモン=サン=ミシェルなんですよねー。いいロケーションです。
では、観光前に遅めの昼食(遅めはオリビエのせい・怒!)をとるためにバスから降りましょう。 -
綺麗じゃないですかー。
昼間もちろんいいんですが、夕方とか朝とか夜とか、きっと最高の景色なんだろうなぁー、いつか見てみたいもんです。 -
さすがにお腹へったぁー。お決まりのビールタイム。
この後、例のふわふわオムレツが出るのですけど、味は微妙、何というかメレンゲを焼いた感じ。昔の巡礼者にとっては、長旅を疲れを癒す有り難い栄養源だったのでしょうけれども。
あ、でもオムレツ、写真に撮ってませんねー、このビールのショットだけ?我が行動ながら不可解・・・。 -
イチオシ
本旅行記の表紙写真にもさせてもらいました。このショットはお気に入りですっ!
今回の旅行記のタイトルを「フランス窓便り」にしたのも、この一枚があることを想定しての判断です。なんというー深謀遠慮なのでしょう。(笑)
この年の年賀状はこれで決まり!(笑) -
撮影ポイントにて、モン=サン=ミシェル全景。
とうとう来たんですなぁ、ここに。
日本人が訪れたい世界遺産の一つ、とうとう来ちゃいましたよ。
テンションがアゲアゲの状態です。 -
イチオシ
近くから見てもいいんですが、こうやって遠景で眺めるのも、また格別なのですよねー。
この画像もしばらくデスクトップに貼り付けてました。
じーっと見てると、隅々まで細部にわたって丁寧に作られているのがよくわかります。
ではでは、皆さんお待ちかねの(誰も待ってないよ)「ねいちゃさんが語る、そーだったのか!モン=サン=ミシェル物語」をはじめることにいたしましょうか。 -
モン=サン=ミシェル[Mont Saint-Michel]の歴史はとある伝説から始まります。
時は8世紀初、クローヴィスが創始したフランク王国メロヴィング朝の時代のこと。ここからほど近いアヴランシュという町の司教だったオベールの夢に、大天使ミカエルが現れ「あの岩山にネ、聖堂を建てた方がたぶんイイと思うんだ」と命じますが、オベールは「聖堂やって?いくらかかると思てんねん」となかなか信じませんでした。
業を煮やしたミカエルは、「そんならこうしてさしあげましょう」と、オベールの頭に指を突っ込んで穴を明けちゃった。翌朝「頭いてー」と起きたオベールは、穴が開いてる事を知って「なにさらすんじゃ、ボケ」とは言わずに、「やっべ、ミカエルマジやで〜、次シカトしたらただでは済まんわ」(十分ヒドイめにあってはりますけど・・・)と、せっせと建築に勤しんだところ、それまで陸続きだった「トンブ山」が一夜にして海に囲まれ孤島となってしまいました。
オベールは「ええっ、どうやって帰ったらええねん・・・」と途方にくれたというお話です。めでたしめでたし・・・。
708年10月16日、モン=サン=ミシェルは献納され、それ以後、聖地としての歴史が始まったのでした。
おしまい・・・ちょっとあっさりしすぎましたか?
では、いつも通りの長口上でお目汚しくださいませ。 -
ノルマンディー公国の成立
この地は、やがてノルマン人(ヴァイキング)の支配下に入ることになります。北仏を脅かすノルマン人に悩んだ西フランク王シャルル3世(単純王)は首長ロロ[Rollo]と協定を結び、キリスト教に改宗し、セーヌ川沿岸を襲撃しないことを条件に北仏の一部を割譲、911年ここにノルマンディー公国が誕生することとなるわけです。
ここモン=サン=ミシェルもノルマンディー公国の保護下に入ります。966年リシャール1世の命で、オベールの聖堂は排除されベネディクト会の修道院が設置されます。その後モン=サン=ミシェルの修道院は、広大な領地を有し、防衛施設をもち、その建造物は上へ上へとを伸びていったのです。 -
ノルマン=コンクエスト[The Norman Conquest of England]から英仏百年戦争前夜
1066年ノルマン=コンクエストが達成され、イングランドにノルマン朝が成立すると、ちょっとややこしい状況となってくるんです。というのもノルマンディー公はフランス王臣下の諸侯、それがイングランドに行くと国王・・・もちろん今日のような国家意識や国境概念はありませんが、こういった屈折した国際関係は何かと火だねをうむ元なのです。
その後、イングランドにはプランタジネット朝が成立するのですが、これもアンジュー伯アンリというフランス王臣下の諸侯が、イングランド王ヘンリ2世となってます。アンジュー伯はフランス最大の諸侯でフランス国土の半分以上を治めていましたから、フランス王家カペー朝よりはるかに強大で、ことはさらにややこしくなるわけですねー。
このプランタジネット朝に暗愚で名高いジョン王(犬みたいな名前)が出ます。一方フランスには名君のフィリップ2世が出てきたから大変。フィリップ2世はジョン王をことごとく破り、フランス国土の殆どを奪い取ることに成功して尊厳王と呼ばれます。ジョン王は気の毒に欠地王・・・あらあらですねー。
しかし、こうした世俗権力同士の争いは、ヨーロッパ全体から見れば「コップの中の戦争」、相変わらず聖なる世界を統べるローマ教皇が、名実ともにヨーロッパ全体の王のような存在でした。1096年に提唱される十字軍を見ても解るように、キリスト教信仰は大変熱心だったため、モン=サン=ミシェルは英仏抗争に巻き込まれ被害を被ったものの、破壊された建物も修復され、13世紀には「ラ=メルヴェイユ」と呼ばれる建築棟も完成する他、様々な増改築もなされ、ほぼ現在のような修道院の形ができ上がっています。 -
英仏百年戦争[The Hundred years War]
聖なる世界を統べるローマ教皇の権勢は、成長しつつあった世俗権力にやがて追い抜かされてしまいます。そのターニングポイントはやはりアヴィニヨンでお話した「アナーニ事件・教皇のバビロン捕囚・教会大分裂」と見て間違いありません。その世俗権力の台頭をまさに見せてくれるのが、この百年戦争で、これにより今日の英仏の基礎が固まったと言えると思います。
戦争の経緯は他に譲るとして、この長き戦いは、モン=サン=ミシェルにもう一つの光をもたらしたと言ってもいいんじゃないでしょうか。英仏の間に位置するモン=サン=ミシェルの修道院は閉鎖され、城塞として利用されますが、干満の差と潮流の激しさから敵船は近づくこともできず、大きな被害を受けることなく、長き戦いをほぼ無傷で乗り越えます。
この百年戦争の戦禍を受けなかったことから、大天使ミカエルへの崇拝は飛躍的に高まり、世の中が落ち着いてくるにつれ巡礼ブームに拍車がかかり、ヨーロッパ各地から聖地モン=サン=ミシェルへ数多くの巡礼者がやってくることになったのです。
とはいうものの、当時の旅は大変危険なもので、無事にたどり着けたとしても最後の難関が待ち受けておりました。引き潮を待って砂浜を急いで渡らねばならず、一気に押し寄せる大波に飲まれて落命するものもあったため、モン=サン=ミシェルに行くには命がけ、遺言書を書いてから出発したそうですよ。 -
フランス革命から第二帝政期
モン=サン=ミシェルは、それ以後も修復や再建が熱心に行なわれましたが、巡礼地であると同時に修道僧の信仰や学問の場としての性格も強くなってきます。人里から離れた絶海の孤島、清貧を旨とする修道僧でなくとも、観光客も誰もいないたった一人でこの教会にいる自分の姿を想像してみてください。キリスト教徒でなくても、心より神にすがるんじゃないかなー。
しかし、歴史はまだここを平和な信仰の場にはしてくれないようです。16世紀からの宗教改革では、カトリックの拠点となってプロテスタントの攻撃の的であったし、18世紀のフランス革命では、王の擁護者=市民の敵と見られ、モン=サン=ミシェルは監獄として使用され、司祭や王党派など反革命勢力の人々が囚人として送られる日々が続きます。
1863年第二帝政を作ったナポレオン3世の勅命により、この監獄はついに閉鎖されますが、なんと1万2千人もの人々がここに幽閉されたと言われています。
この優雅なモン=サン=ミシェルが、人々から「海のバスティーユ」と呼ばれた悲しい歴史もあるのですねー。 -
近代から現代へ
1874年忌まわしい歴史を断ち切るように、監獄としての役目を終えたこのモン=サン=ミシェルは、再び人々の憧れと崇拝の場として光を浴びるようになります。命がけだった渡海も1879年堤防が設けられ、陸続きで島に渡れるようになり、当初は鉄道の線路も引かれておりました。
島の入り口と修道院を結ぶグラン=リュー通り付近には多くの宿やお土産店なども並び、一大観光地となるのですが、修道院としての再開はまだ50年もたっていません。1966年のことですから、私よりもここの修道院は若いのですねー、これは知りませんでした、ちょっとびっくり。
1979年ユネスコの世界遺産に登録され、年間300万人もの観光客を集める、世界でも指折りの観光地となり今に至っております。日本でも人気の世界遺産ですよねー、「ピラミッド・タージマハル・マチュピチュ」そしてココ。一度は行きたいなーと思ってる人多いですよねー。 -
海に浮かばないモン=サン=ミシェル
ヴェネツィアのアックア=アルタやペルーのマチュピチュ遺跡もそうですが、観光地であることと環境に優しいことは同時に併存できないものようです。モン=サン=ミシェルの島と陸地を結ぶ堤防の存在が、潮流をせき止めており、この100年間で2mもの砂が堆積、急速な陸地化が進行しています。最近では島の間際まで潮が来ることは滅多にないそうです。1900年当時のような海に浮かぶモン=サン=ミシェルはもう見られません。
フランス政府は2005年この対策計画を発表しました。2009年に地続きの道路を取り壊し、2010年にその代替となる橋をかけるというものでしたが、いまだ進捗状況は遅々とした状態だとか。
2011年夏に二度目の計画が発表されたので、今後の進展を待ちたいとは思いますが、一つ懸念するのは環境に人間が手を入れて成功したケースというのは余り多くはないという事実です。潮流や砂の堆積など環境アセスメントも十分行って、現在の生態系をできるだけ残していく工夫も同時にしてほしいものです。 -
いやー、ちょっとマジに語らせていただきました。
長口上、ご拝読ありがとうございました。
さぁ、ではぼちぼち王門をくぐって中に入っちゃいましょう。
このままだと日が暮れます。(笑) -
ここはモン=サン=ミシェル名物でチョー有名なお店です。えーっと確か名前は「ナントカおばさんの・・・」
あぁ「ジェシカおばさんの事件簿」でしたっけ?ちがう??(TVで見た人いる?)
じゃあ「デュラムおばさんのカップパスタ」でしたよね?あら〜?。。。(CMで上戸彩さんが食べてるでしょ〜)
と、ボケるのはこのへんにしておいて・・・(ツッコミ居ないからやりにくい^^;)
そうです。「プラールおばさんのオムレツ[LA MERE POULARD]」
しかーし「名物にうまいものなし」の王道をいってます。何の味もしないもの、当時はね、卵が貴重だったからどうしたら沢山の巡礼者に食べさせるかってんで、水と卵を混ぜてメレンゲ風にして焼き上げたもの。これでも巡礼者には栄養満点だったのでしょうけど、飽食の我々には頼りない代物ですね〜。話のネタにはなりますがそれだけ。バカ高い料金を覚悟でねっ。 -
グランド=リュ[Grande Rue]
王門から修道院へと東に続く、ここがメインインストリート。両側には土産屋さんにレストラン・ホテルなどなど・・・。ほとんどの建物は20世紀に復元されたそうですよ。
このへんではガレットやクッキーなんかも売ってますが、かなり高いです。パリのスーパーでも同じものが半値以下で売ってますから、どうしてもココでないとイヤだという人以外はお奨めしません。 -
私はこの情報知らなかったし、まだパリには行ってないから、とりあえず帰り際に買いましたけどネ。
当時は1ユーロ=165円の時代なんで、目が飛び出る(出ませんけどね、比喩ちゅうやつ)ほどの高価なクッキーでした。おしゃれな缶々は今も我が家の裁縫箱、まぁコレはコレでね、欲しい時はその時買うのが、私のモットー。
後悔してもしなくても・・・。缶々見るたびに「あぁ高かったな」と思い出せるのも「想い出」というもの・・・ある意味大人買い? -
それにしても、すんごい数の人たちです。
年間300万人は伊達じゃない!
島内のホテルはどうなんでしょうねー、朝夕の誰もいない時間帯にこの辺りをそぞろ歩きできるのは、かなりいいかもしれません。島内の夜景の写真とか余り見かけないもん。絵的にいいものが撮れそうではあります。
ただモン=サン=ミシェルの雄姿は、外からしか望めないし・・・。一日貸してもらえるチャリか車でもあったら、外行って写真とって・・・ってできるんだけどなぁ。 -
ほらーこんだけ車が並んでますよねー。すごいっすねー。
この堤防が将来無くなるとして、この車はどこに置かれることになるんでしょう、たぶんトラムみたいなのを連絡で走らせるような感じになると勝手に思っているんですが。モン=サン=ミシェル地下大駐車場とか作んないでネ。
景観は見違えるほどよくなりそうですが、交通事情がアカンかったら、えらい混雑になるかもしれません。フランス人のみなさん、しっかりお考え下さいね、たのんますよー。 -
建物の感じがノルマンディーなんでしょうか?
確かにパリでもローマでもアムステルダムでもない感じはしますね。
石造りの素朴でいい感じです、でも冬は寒いっていうか、冷たいでしょうねぇ。 -
間近にくると、要塞であるというのが迫ってきますね。
この上に攻め上がっていくというのは確かに大変だわ。
百年戦争を持ちこたえたというのは、やっぱ現場見ないとわからないもんです。 -
イイ感じの風景です。
結構この手の写真は気に入ってます。
さりげにちょこんと塔の先端・・・。 -
かなり高い所にきましたね。車たちもあんなに小さい。。。
添乗員さんは「今日は混んでいるので、裏道を通りましょう」とか仰ってたような記憶がありますので、サン=ピエール教会ではなくて直接修道院を目指しているようです。ということは、教会には寄らないということかな。 -
修道院の真下辺りにいます。ずっとクネクネした階段を上ってきています。
巨大な城壁と、あぁ左手に噂の運搬機が見えてますね。食料なんかを囚人たちの人力で運び上げたという代物。上にはハムスターがくるくる回っているような大滑車があって、その中に8人ほどが入って回していたんだとか。この運搬機「ブラウン」とか呼ばれたそうですけど・・・。
過酷な労働ではあったんだろうけど、囚人たちにとっては外を眺めるわずかな機会だったんでしょうか。 -
ガブリエルの塔!と、言いたいところですが、残念ながら違うようです。
城壁の角っこの物見櫓みたいですねー、ガブルエルのはもっと下の方で王門から左の方にある、「でぶっ」とした感じの塔です。場所が離れているから写真はなかったです、というわけで「なんちゃってガブ塔」ってことで・・・。
下の方には「ファニの城壁」が見えます、こっちはホンマもん。
修道院西側の倉庫を守るため築かれた軍事要塞ですが、写真では城壁は写っておりません。その上にたつ建物の屋根が見えています。満潮時にはここの下の方まで水に浸かるそうですよ。 -
イチオシ
この運搬機については、興味深いお話を見つけました。
革命後のお話ではないんですが、宗教戦争中、カトリック側がプロテスタントの攻撃を防いでいた頃。プロテスタントの将軍でノルマン貴族の名門であったモンゴメリー伯は、この運搬機のある入口の番兵を味方に引き入れ、夜陰に紛れて部下を要塞内に引き上げさせようとしました。約80名ほどが引き上げられましたが、「しーん」としたままで、歓声も物音も聞こえてこない。
「あれー?」てんで、別の部下が他の場所を上って、中をのぞいて見ると・・・引き上げられた兵が次々と刺し殺された上、首を刈られ、あたりは「血の海」。凄惨な光景に、その部下は絶叫し、モンゴメリー伯も慌てて逃げ帰ったんだって。要塞の上からは、守備兵の哄笑「がぁはっはっ、バカーめ」と夜空に響いたそうです。
逆に待ち伏せを喰らったようですね。ここが難攻不落というのは下の様子が筒抜けになっていたということでしょうか。これは中世のエピソードで、大滑車などもなかった頃のお話なのですが、近代以降は監獄として使用され、血なまぐさいお話は、詳細な記録がないだけでいっぱいあったんでしょうね。 -
このあたりから迂回して、いよいよ修道院へ向かいます。
下には「歴史博物館」(・・・かな?)が見えてます。Museeと書いてあるから多分そうなんでしょう。小さな島ですが、ここには4つも博物館があるんですよ。そのどれもがやはり小さめで、そこそこイイお値段がします。歴史博物館はろう人形なんかもあるんだけど、評判はイマイチ?。どうしても見なきゃーという程ではなさそうです、英語表記もありません。 -
いよいよ入場口です、ここはその手前から後を振り返ったとこ・・・かな?さすがに記憶が曖昧で申し訳ないです。
運転手オリビエの迷子のせいで、急ぎ足の行軍も重なり、脇道みたいなのを上ってきたから、方向感覚がわけわからん状態になっています。 -
あーなんだか懐かしい感じのする入口ですー。突然ですけど、みなさん「鬼武者」ってPSのゲームご存じですか?「バイオハザード」のスタッフだった日本の方が、「俺ならバイオはこう作る」と製作した「戦国版バイオ」。結構売れたゲームなんでパート4まで作られたんですけど、その「鬼武者3」の舞台の一つがここモン=サン=ミシェルでした。
その時はじめて、モン=サン=ミシェルなる歴史的建造物がフランスにあるんだと知ったんですよね、懐かしいなぁぁぁ。この門を守る敵兵が結構やっかいで、苦労したことを覚えていました。コレ、ゲームのまんまなんだわ〜。 -
私たちはもちろん「弓足軽」の攻撃を受けることもなく、難無く城内?に侵入します。
ゲームではどっかから鍵を入手しないと開けられなかったんじゃないかなぁー、PS2の時代のことですからねー、こっちも記憶が曖昧です。(笑)
それにしても立派な城門ですねー、修道院の入口とはとても思えないでしょー。これがこの島のたどってきた歴史を物語るんですよね。この門くぐるだけでも歴史の重さがあります、来てよかった〜。
この感覚って歴史が好きな人でないと、なかなか「共感」してもらえないもんなんです、百年戦争で戦った英仏の兵士たちの屍の上と同じ位置に立ってる、何百年もの前の一瞬の出来事と「想い」だけでリンクする、言葉にしたらこういうことなんですけど。「共感」までしてくれる人は少ないです。 -
哨兵の間と呼ばれる入口を通り、ここから大階段が続きます。
太陽が後光のようにふりそそぎ、イイ撮影ポイントになってますね、でもモロ逆光ですよー、みなさん。
こういう場所は風景だけに留めておきましょう、フラッシュは使いたくない景色。 -
聖堂の外壁を守る補助用の壁として造られたもののようです。壁だからパリのノートルダムのような飛梁ではないのでしょうが、機能的には同様のものと言っていいのかな?
尖塔の装飾は何でしょう?葉っぱみたいです。雨水排出口はやっぱガーゴイルなんでしょうか。 -
こちらは聖堂と修道僧の居住棟を結んでいる回廊です。この二つの建物の間に大階段があって、私たちはそこを通っているわけです。
左手の居住棟は14〜16世紀の建物、修道院の幹部様たちがお住みだったところだそうです。居住棟は外壁のようなものですから、部屋からの景色は絶景だったことでしょうね。尤も戦争中は敵兵の艦が湾を埋め尽くす光景を目の当たりにするわけですから、心穏やかではいられなかったでしょうけど。 -
階段見上げて、尖塔見上げて、昔の水道口とかを見ながら・・・何もかもに圧倒され続けます、やるなー、モン=サン=ミシェル。
やるやると聞いていたけれど、ここまでとは・・・! -
ようやく大階段を上り詰めて、ソーゴチエのテラスへ到着。ここには小さいツーリストオフィスがあって、内部地図や説明のパンフももらえます。(日本語版もあります)
-
イチオシ
ソーゴチエのテラスから右後ろを仰ぎ見ると・・・見事です。
やるやると聞いていたけれど・・・って、もうええわ。 -
モン=サン=ミシェルができるまで。ツーリストオフィスにあった展示模型です。
左上−さいしょはこんなんで
右上−こ−なって
左下−あ−なって
右下−こんなん出来ちゃった・・・説明カンペキ!!
ちなみに、このカット割りはサウスピーチさんの旅行記をパクらせてもらいましたっ!無断レイアウト借用ですっ、ごめんなさい。
サウスピーチさんの旅行記では、朝・昼・夜と溜息の出るような素敵なモン=サン=ミシェルの写真がいっぱいです。みなさんも是非・・・必見ですよぉー。 -
西のテラスから見る修道院[Abbaye]正面ファザード。
黄緑色の苔むした感じがこれがまたイイのです、なんて普通に言ってますけど。
たとえ石造りであったとしても、海風の浸食や塩分による劣化などがあって、これだけの建造物を何百年も維持するのって大変なんでしょうねー。インドのモエンジョ=ダーロなんかは、塩害で日干煉瓦がやられて、遺跡自体崩壊の危機に陥ってるという話ですから、塩をバカにはできません。 -
遠く海上にはトンブレンヌという小島が見えます。
この島は現在無人島ですが、太古の昔はモン島と双子の島として、ケルト系の民族の信仰を集めていたそうですよ。 -
西のテラスから下を見たところ、結構な高さがあります。
「鬼武者3」ではこの下に薬草?があって、どうやって取りに行こうかと思案しておりました。実際眺めてみると・・・取りに行くの、普通に諦める高さとなっております。(笑) -
この西のテラスは、昔は建物があったそうですが、18世紀の火災により焼失。現在は教会の外郭と焼け残った身廊の一部があります。下写真のファザードは1780年の再建、ファザード越しの塔もまた絶景。
このテラスからの眺望もまた絶景。西にはブルターニュのカンカル岩礁、東はノルマンディーの岸壁、北にはドンブレイヌ小島などなどが望めます。 -
イチオシ
ヤバイですっ、結構軽い気持ちではじめたフランス旅行記ですが、調べれば調べるほど、さすがに奥が深くていらっしゃる。遅々として進まないのは予定調和でまぁいいんですが、このモン=サン=ミシェル編、どう考えても一遍では収まらない写真量。。。そこで、修道院から内部については「PartⅡ」を急遽作成することにいたします。みなさま、もうしばらくお付き合いくださいませ。
「フランス窓便り・・・⑥(モン=サン=ミシェル編PartⅡ)」へ続く・・・。
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この旅行記へのコメント (2)
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- サウスピーチさん 2011/10/18 12:17:01
- 旅行記更新、嬉しいです!
- ねいちゃさん、こんにちは♪
私はツイッターで、4トラの新着情報(部分的な)をお知らせしてくれるアカウントをフォローしているんですが、先程、何気に「フランス・・・ モン・サン・ミシェル・・・」の題があったので、リンクをクリックしたら、何と、ねいちゃさんの旅行記でした! 思わず「おっ!」と声が出てしまい、テンション↑ ヽ(*^ω^*)ノ
今回も初めから飛ばしてますねー。 気付いたら何度も声出して笑ってました。
あっ、私もタイトルの写真、見た瞬間に気に入りました。 どこから写してるんでしょうか?
モンサンが見えるホテルから?
モンサンの詳しい歴史や内部の説明、よーく分かりましたよ。 私も少しは調べましたが、それでもやはり、なるほど!と新しいことを学ぶことは多いですね。
やっぱりねいちゃさんは違う道から上に上がられたんですねー(裏道と書かれていたので)。 どうも写真というか風景が私が見たものと違うと思いました。
自分の「想い」やその時の感動の「気持ち」を人に共感してもらう・・・くだりですが、本当にその通りなんです!(力が入るっ!) 旅行が嫌いな人っていうのは多分いないと思うんですけど、旅行自体に対する想いや、その土地・歴史に対する想いなど人それぞれですし、私の周りには、私のハイテンションな旅行話を聞いてくれる友達はいますが、残念ながら興味が全く違うので気持ちを共有できるているとは感じません。 なので、この4トラに辿り着いた時にはすごく嬉しかったですし、ねいちゃさんと出会えたことも本当に感謝しています! 自分が情熱を注いでいるものを少しでも分かってもらえた時や、その人も同じようなものを持っていると感じた時ほど、心の底から「幸せだなぁ〜。」と感じることはありません。
そうそう、わざわざ私の旅行記のことまで明記して下さり、ありがとうございます! 私が密かに心の中で(もうそうじゃなくなっちゃいましたけど)「師匠!」と呼んでいる、ねいちゃさんにお勧めして頂き、感無量でございます・・・。ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪
すいません・・・。 長くなっちゃったんでこの辺で。 あっ! ロワール古城編もあるんですね!
それと、モンサンの後編もあるし! すごく楽しみなんですけど、すぐに見ちゃうと何かもったいないような、寂しいような・・・
(貧乏性なもんで・・・好きなものは一番後に!派なんです・・・苦笑)。
それでは、また。
サウスピーチ :)
- ねいちゃさん からの返信 2011/10/19 02:14:40
- RE: 旅行記更新、嬉しいです!
- サウスピーチさん、こんばんわ〜♪
いつもいつも熟読していただいて感謝です!
> 何と、ねいちゃさんの旅行記でした! 思わず「おっ!」と声が出てしまい、テンション↑ ヽ(*^ω^*)ノ
あら〜、見つかっちゃいましたねー。実はアップして、すぐにレスが来たので私も思わず「おっ!」と声が出てしまいました。(笑)
> あっ、私もタイトルの写真、見た瞬間に気に入りました。 どこから写してるんでしょうか?
あれね、モンサンに行く手前で入ったレストランからです。後振り向いたら窓越しのモンサンが見えたので、「むっちゃ、ええやん」と慌てて撮った一枚。ホントに「窓便り」でしょー。窓がナナメってるのもいいね。
> モンサンの詳しい歴史や内部の説明、よーく分かりましたよ。
実はモンサンは外観のみ興味を持っていたのですが、歴史は余り知りませんでした。でも調べるとかなり重厚な歴史をお持ちだったので、えらい長口上となってしまった。ノルマン=コンクエストなども影を落としているなんてねぇー、面白いものです。
> 自分の「想い」やその時の感動の「気持ち」を人に共感してもらう・・・くだりですが、本当にその通りなんです!(力が入るっ!)
よく思うのですよ、何か違うって。イタリアきれい〜、パリすてき〜もいいんだけど、そこでそれこそ何千何万という人々の様々な想いが、交差していた記憶を想像できてしまう感じ・・・ホントにガクガクと震えますよね。
サウスピーチさんの旅行記では、それを一番感じたのはサンドニだったかなー、文章にお気持ちが表れていました。きっと私と同じような気持ちを持っておられるんだなぁーとその時思ったんです。
もっとも、こういう私たちがもし一緒に旅行してたら、かなりめんどくさい旅行者になっているでしょうから(爆)、連れ合いが適度に止めてくれて丁度いいかもしれませんねー。世の中うまくできてます。(笑)
> この4トラに辿り着いた時にはすごく嬉しかったですし、ねいちゃさんと出会えたことも本当に感謝しています!
それは私も全く同じです。あんなだらだらした本文をまともに読んでくれる方は4トラでも余りおられないでしょう。私にとってはここは復習のできる場所、思ったことを自由に言い散らかせるだけでも有り難いのに、読み手まで居て下さることに心より有り難いと思っております。
> そうそう、わざわざ私の旅行記のことまで明記して下さり、ありがとうございます!
いえいえ、こちらこそ何度も登場させてもらいまして、ありがとうございます。サウスピーチさんの旅行記も肩から力がぬけてきてとてもイイ感じですよぉ。私は抜けすぎて脱臼してしまってますが・・・ちょっと軌道修正しなくては・・・。(笑)
> あっ! ロワール古城編もあるんですね!
ロワールは思いの外よかったですね。時代的にはきっとお気に召すと思います。写真はともかく、今回のシリーズ中では渾身の一作になったかも。今のコンデジもいいんだけど、そろそろちゃんとしたデジイチが欲しいなぁと思ってる今日この頃。写真も綺麗なの撮りたいです。
ではでは、いつもありがとうございます。またね〜♪
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