2007/08/01 - 2007/08/09
141位(同エリア448件中)
ねいちゃさん
この「フランス窓便り」というタイトルをご存じの方が、どれほどおられるのかなぁ?大昔(今から30年ほど前)に「りぼん」という少女漫画の漫画家さん田渕由美子さんが描かれていた漫画からいただいているタイトルなんですねー。
高校時代、彼女が持ってた漫画を、授業中に借りて読んで以来、完全にはまってしまいましたー。それからというもの毎号欠かさず講読しはじめた立派な「りぼニスト」でした。さすがに大学時代にはやめましたけど。あ、そぉそぉ単行本まで買ったんですよねー・・・コレは未だに実家にあるハズ・・・(アラフィフのおっさんですが、何か?)。
田渕先生の他には、陸奥A子先生や小椋冬美先生も大好きでした。いつかフランスの旅行記を出すときには、タイトルはこれにしよーって決めてましたっ!(笑)
さてさて、本題に戻しましょう。
8月3日はエクス=アン=プロヴァンスからアルル・アヴィニヨン・リヨンと向かいます。バカンスシーズンの車列の渋滞を尻目に逆行して、バスでパリに向かうルートです。
ではでは、ごゆるりとお楽しみください。
< 旅 程 >
☆8月1日(関空→パリ→ニース)
☆8月2日(ニース→モナコ→エクス=アン=プロヴァンス)
★8月3日(エクス=アン=プロヴァンス→アルル→アヴィニヨン→リヨン)
☆8月4日(リヨン→ロワール古城→トゥール)
☆8月5日(トゥール→サンマロ)
☆8月6日(サンマロ→パリ)
☆8月7日(パリ→ヴェルサイユ→パリ)
☆8月8日(パリ→関空)
☆8月9日(関空→自宅)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 日本旅行
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-
8月3日早朝。
サント=ヴィクトワール山から朝日が顔を出しました。
うーむ、今日も気持ちのいい夜明けです。なんか元気がでてくる風景です。
さぁ今日も張り切って参りましょう、基本夜型人間なので、時差ボケはむしろ丁度いい感覚、って変ですか? -
アルルの跳ね橋
ここでバス停車、アルルのプチ観光地の一つです。この何の変哲もない橋にわざわざ日本くんだりから来た観光客が降りるのかというと、この橋はかのゴッホが描いた「アルルの跳ね橋」であるからだー、と勢いよく言いたいところですが、どう見ても新しいじゃん、ねぇ。
ゴッホが描いた橋は残念ながら現存しておりません。おそらく、アルル観光課の方が「なけりゃ、作っちゃえば?」とお作りになったもの。 -
ご丁寧にもゴッホの作品まで展示してあります。ゴッホがアルルに居たのは、1888年2月から翌年の5月まで、その間にこのような橋をモチーフに幾点かの作品を残しておられます。今でこそ作品は数億円もの価値ですが、ゴッホが生存中売れたのは1点だけ、ここで描いていた姿も「貧乏画家が今日も絵をかいてるなー」程度で誰も目に留めていなかったのでしょうね。
-
作品と見比べると、橋はそのまんまの再現でしょうが、川岸なんかが全然ちがっております。観光課の方に「どうせならちゃんと再現してよ〜」と突っ込みたくなる所ですが、まぁこんなものでしょう。ガッカリ観光地とまでは申しませんが、その範疇の域は出ません。
「アルルに来たなら絶対見なきゃ」と思われてる方がおられましたら、その程度だと思っておいていいと思います。あくまでご自分の判断で、私はそう思っただけですけど。 -
アルル市内観光となりました。ここはどこなんでしょう?何かの広場です。とやっつけ気味に紹介できない所が私の弱点なんで、ちょっと調べてみますねーーー。ありましたっ、リピュブリック広場[Place de la Republique]です。どうも旧市街の中心地に来たようです。
右の建物が市庁舎。もっと右、影になっている所がサントロフィーム教会[Eglise St-Trophime] 。 -
アルルのオベリスク[Obelisque d'Arles]
広場中央にあるオベリスク、よく見ると途中で継ぎ足され補修されているのがわかります。
これは、コンスタンティヌス2世が円形闘技場に建てたもののようで、闘技場が無くなった後放棄され2つに折れていたものを、17世紀に台座の上に乗せて修築したそうです。ヒエログリフがないから、ローマ時代のものだと思ったのですが、やっぱりそうでしたか・・・。 -
サン=トロフィーム教会[Eglise St-Trophime]
見事なファザードは一見してロマネスク様式だとわかります。この教会には見事な回廊もあって、現在「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の主要な建造物として世界遺産に登録されております。 -
おっと、こんな所に「わん」がいた!
「フランス犬物語」♪〜 -
扉上の半円状に囲まれた部分(これをティンパヌムというらしい)の彫刻をご覧下さい。
中央におられるのがイエスさまです。4つの福音書と4匹の獣が対応している構成ですね。有翼の獅子はヴェネツィアの守護聖人のマルコだとわかりますが、他がよくわかりません。
で、調べてみたら、人はマタイ、牡牛はルカ、鷲はヨハネを表したものらしいです。キリスト教ではよく出てくるパターンなのでしょうね、覚えておこうっと。 -
この教会は元々別の名前だったんですが、3世紀頃のアルルの聖人でトロフィムスという方のご遺体が、アリスカン(立派な石棺を有する共同墓地)にあったので、そのご遺体を11世紀頃にこの教会に移したことにより、サン=トロフィーム教会という名前になったそうです。
-
アリスカンは立派な石棺が多くて、ルネサンス期には有力者たちがこぞって自分ら用に持って行って荒廃したんだって。こういうのってバチが当たったり、心霊現象とか起こったりしないんかな〜、人のお墓でしょ。
ちなみに、ゴッホもゴーギャンもこのアリスカンの絵を描いてます。ゴッホはきっと心霊的な何かを感じたと思うんですよね、だから描いたんだと思う、きっとゴッホは「見える」人だった・・・勝手な想像。 -
イチオシ
ツアーなので当然教会には入りません。色々調べると入っとけばよかったといつも後から思いますが、旅行中はなかなか気づかないもんです。次から次へと見どころラッシュ状態なんで、これはメインとか心の中に順位つけてますから。
写真は街路から見えた三色旗、風にはためいていい絵です。 -
さて、リピュブリック広場を出て、東にしばらく歩くと円形劇場、そのあたりから・・・見えてきました円形闘技場です。アルルにある古代ローマ遺跡の中でもっとも保存状態が良い建造物。
ローマの地方統治の巧みな所は、ローマ市民が受けられるレベルの娯楽を、他の都市でも同様に提供した点です。円形劇場や円形闘技場はいわばその先兵。無償で小麦が支給され、無償で娯楽が楽しめる、「どうだ、ローマの支配下になってよかっただろ〜」って、見事な統治方法ですね。 -
円形闘技場[Les Arenes]
往時は3層あって優に2万人もの人々を収容しました。コロッセオの5万と比べればさすがに少ないですが、それでも立派なものです。今は2層のみとなっていますが、十分いにしえの昔を偲ぶことができます。
収容人数は人口の2割程度が入れる大きさとして作られたと、何かで聞いた覚えがありますが、だとすれば当時周辺地域を含めて10万人が住んでいたことになりますね、実際の所はどうだったんでしょうか、ちょっと気になります。 -
立派なゲートです、はやる気持ちを抑えてくぐりましょう。
この暗闇をぬけると・・・大歓声の民衆が待っているのです。
じゃあ、入りましょうか、心の準備はよろしいですか?
3・2・1 だーーーっ!
じゃなくて、どうぞーーーっ! -
わぁー、、、わぁ、、、わ、、、?、、、 新しい??? なんでぇ???
コロッセオ的な絵を想像してると完全に裏切られます。そうです、ここは現在も闘牛場として使用されているんです。思いきり現役なんですな。
ヴェローナのアレーナもオペラ劇場として現役ですが、本来の闘技場的な使われ方を維持しているのはアルルの方です。ここの闘牛はスペインと違って「殺さず」がモットー、逆刃刀の緋村剣心みたいですねー、「るろうに剣心」って知ってる??? -
それにしても修復されているとはいえ、今から2000年前の遺跡が現役で使われているって、考えただけでもすごくないですか?
2000年前の人々が歩いたかもしれない。
猛獣が運ばれていたかもしれない。
傷ついた剣奴が血を流しながら、最後に見つめた壁だったかもしれない。
歴史というものの呪縛はこういうことなんですよね。
だから離れられません。 -
見事な石組み。一つ一つ誰かが運んだものなんですよね。
「おまえさん、ガキができたそうじゃないか」 「へいっ」
「じゃあ今日はこのへんでいいぜ、早くかえんな」 「いいんですかい?」
「おまえがいたら、足手まといになるだけだかんな」 「あ、ありがとうございます」
なんて会話があったりして・・・妄想です。 -
イチオシ
カフェテラス[Cafe la nuit(Cafe Van Gogh)]
ローマ時代から近代までアルルって奥が深い。確実にこの近くにあのゴッホがいたんですよね、懸命に筆を走らせて・・・。陽光の明るさにこだわったゴッホが描く黄色は、今もこのカフェに残っています。
世界一有名になったカフェと言っても、過言ではないでしょう。 -
「夜のカフェテラス」−フィンセント=ファン=ゴッホ[Vincent van Gogh]
右の画像はウィキペディアからお借りしています。
こうして見比べてみると、いかに似せて作られているかがよくわかります。もちろんゴッホの頃のものではないでしょうから、観光地としての当然の知恵。でも写真をとれば、ゴッホと同じーーーって、優越感ももたらしてくれます、なんて商売上手なんだ! -
夜カフェの向かいにあるローマ時代のフォルムの遺構
ホテルと一体となっている2本の石柱。これがローマ時代のフォルム跡を示す唯一の遺構です。フォルムは建設同時、3400m四方の広場だったそうで驚きの広さ。しかもそれが石柱のアーケードや彫刻に囲まれていたというんですから凄かったでしょうねー。
このアルルという都市がローマ時代には、いかに重要な場所であったか、がこの広場からも読み取れますね。 -
リピュブリック広場の市庁舎に入りました。階段の途中にあった彫像。
どなたの作品だったのでしょうか?よくわかりませんが、こういう何気ない空間に、何気なく彫刻が置かれているというのは、ここがフランスではなく、イタリアに近い存在だったことを物語ってくれているようです。
さて、アルル観光はここまで。これから少し北方の都市アヴィニヨンに向かうことにしましょう。毎度の事ながら急ぎ足の旅。 -
イチオシ
ローヌ川から見るサン=ベネゼ橋とアヴィニヨンの眺望
サン=ベネゼ橋は途中で切れちゃってます。元々920mもあって22個のアーチがあったんですが、17世紀になって流され再建されないままになっています。橋の左手後方にうっすらと山が・・・綺麗ですねー。 -
今回のツアーで南仏のアヴィニヨンに寄ると知って、俄然テンションが上がりました。
「教皇のバビロン捕囚」という歴史用語に登場する街なんですが、一体どんな事件だったのか、どんな街なのか、全くイメージがつかめない。教皇庁はやっぱローマでしょ、なんでフランスに?バビロンって何?『旧約聖書』の故事から引用されているため、世界史の中でも日本人には大変わかりづらい比喩表現の一つだと思います。 -
14世紀の城郭で守られている都市、アヴィニヨン。
ヨーロッパの中世都市はおしなべて城郭都市なんですが、多くは一部しか残ってなくて、ここまで良好に保存されているのは大変珍しいことです。
特にこのローヌ川沿いの城郭遺構は見事なものでした。 -
城壁を内側から。防衛の拠点として所々に高見櫓?が設けられております。兵士たちは交替でここに詰めたのでしょうか。日本の城壁の優雅さはここにはなくて、あくまで堅牢重視の趣です。
ふーん、内側はこうなってたのかー。上ることはできないようですが、ちょいと上ってローヌ川を見たい衝動にかられますね。 -
サン=ベネゼ橋[Pont Saint-Benezet]
Sur le pont d'Avignon L'on y passe, L'on y danse
Sur le pont d'Avignon L'on y danse tous en rond
Les belles dames font comm' ca Et puis encore comm’ ca ♪
アビニョンの橋で 踊るよ 踊るよ アビニョンの橋で 輪になって 組んで
子どもが通る おとなも通る ♪
有名なフランス民謡「アヴィニヨンの橋の上で」、みなさんも子供の頃聞いたことあると思います。橋の上で輪になって踊る♪と歌ってますが、当時の実際の橋は歩行者・馬用で狭くもろかったため、輪になると端っこの誰かが落ちます。(笑)
ホンマは橋の下の島で踊ったんだって、ちゃうやん! -
イチオシ
アヴィニヨンの街並み
昼食は城壁の側のレストランで取りましたが、今回の旅行中一番美味しかったところでした。例によって食事の写真はありませんが・・・。その後、中央の広場まで町歩き。いいでしょうこの写真、気に入っているんです。フランスの地方都市の街並みは大抵こういう感じなんですよ。 -
広場前のパフォーマーさん、イタリアでもよく見ましたが、こういうのヨーロッパでは流行ってるんでしょうか。個のレベルでの自己表現が高い位置に根付いているってことなんかな?
日本で全く見かけないのは、同一化に走ることで安心感を得る社会だからで、例えば何かが流行ればみんな一緒の格好をするといった、そういう違いなのかもしれませんね。「出る杭は打たれる」という慣用句は欧米人には理解できないのかも。 -
時計台広場にやってきました。このシアターに向かって左の地下にトイレがあります。扉をあけて地下に降りる階段が目印。行った時は無料だった記憶があるのですが、今はよくわかりません。広場の北の端っこ付近です、場所を覚えておいて損はないでしょう。
-
「Hotel de Ville」と刻まれていますが、これは市庁舎。
ヴィレ=ホテルではありません、「Hotel」には公共の建物という意味もあります、ご存じでしたか?「Ville]は英語の「village」に通ずる言葉なので、市庁舎ということになります。
ちなみに、この市庁舎の屋根には14世紀頃の時計台があるそうです、あぁ見てへんかったー。 -
時計台広場[Place de L'Horloge]
ここがアヴィニョンで一番の華やかな場所。シアターや市庁舎、多くのカフェやメリーゴーランド、歌手や似顔絵画家のパフォーマーの方たち、観光客のメッカですねー。 -
夏場でも時折突風が吹くので、そんなに暑さは感じないです。この突風、ガイドさんは「ミストラル」と仰ってました。「今は涼しいけど、冬は地獄よぉー」とはガイドさんの弁。
地中海から吹いてくる風は、何も遮られるものがない状態でアヴィニョンまで到達します。 -
アヴィニヨン教皇庁前の建物。これは何だったのかな?わかりませんでした。ご存じの方は教えて下さーい。
-
イチオシ
アヴィニヨン教皇庁[Palais des papes d'Avignon]
では、皆さんの嫌いな世界史のお話をしてみましょう。あ、飛ばさずにちゃんと読んで勉強してくださいね〜。
アヴィニヨンという街が世界的に有名になったのは、ここに教皇庁がおかれたためです。1304年に仏王フィリップ4世により擁立された教皇クレメンス5世は、1309年にはヴァチカンからアヴィニョンへ半強制的移住させられ、以後1377年のグレゴリウス11世に至るまで、7代にわたってフランス人教皇がアヴィニョン教皇庁に居続けるという異例の事態となったのです。
これを世界史では「教皇のバビロン捕囚」と読んでおります。 -
「バビロン捕囚」は前586年ヘブライ人が新バビロニアのネブカドネザル2世に強制連行された事件ですが、これに準え教皇がアヴィニヨンに強制連行されたことを、教皇の「バビロン捕囚」としたわけです。「バビロン捕囚」の何たるかがわかってないと意味をなさない高尚な比喩なんですね。バビロン[Babylon]とアヴィニヨン[Avignon]、音が近いというのもあったのでしょうか。
-
では、なぜ仏王フィッリプ4世は仏人教皇擁立と教皇庁移転を考えたのか。ヨーロッパ全体の宗教世界の王として君臨した教皇ですが、この頃よりいよいよ陰りが見え始めて来ます。一方それまで地方権力の一つに過ぎなかった国王は国内統一を達成し王権の伸長を図る時期に来ていたのです。
財政不足の国王はそれまで免税であった高位聖職者への課税に踏み切り、教皇が猛然と反対したため、1303年アナーニ事件が勃発、この事件で王権が教皇権を押さえることに成功します。さらに教皇を意のままに操る必要性から、仏王の権力範囲内に教皇庁を移し、仏人教皇を擁立し続けることとなったわけです。国内政治の充実のために、教会に余計なことを言わせない。その強力な意志が、かくも堅牢な要塞に教皇を住まわせたわけなのです。 -
どうです?勉強になりましたか?
では、その後・・・しかしローマ教皇がローマにいないというのは、あまりにも不自然なため、1378年に教皇はローマに戻ります。反対するフランスではもう1人の教皇をアヴィニヨンに立てたため、2人教皇という混乱を招きました。これを教会大分裂(大シスマ)といいます。この不測の事態に1409年ピサ公会議が開かれますが、教皇をもう1人増やし3人にしてしまうという失敗に終わり、1417年コンスタンツ公会議でようやく終息することになりました。
これらの事件は、教皇権の衰退を決定的なものとし、以後宗教改革は避けられない様相を見せることになるのです。
勉強おわり。あーしんどかった・・・・・・。 -
結局、こんだけ語ったくせに、教皇庁へは入っておりません。自由時間をもらったんですが、ええかげん疲れていたので「カフェで休憩にしよ」と言って・・・軟弱者です。「それでも男ですか!この軟弱者!」とセイラさんに怒られたカイさんみたいですが、動けないものは仕方ない。(これはガンダムのお話ですが、わかった人いますか?)
時計台広場でのんびりしておりました、心地よい風が吹いていいですよ〜。ガツガツ観光するのも大事ですが、優雅にフランス時間を楽しむのもね、大事ですっ!
あぁ写真は広場のだまし絵、おしゃれですね。 -
心地よい休憩をはさんで、今日の宿泊地リヨンに移動。バス車中では完全に爆睡でした。
リヨンの街に到着です。フランス第二の都市、ここの旧市街もまた世界遺産です。ここリヨンはかつての絹織物の一大生産拠点、特に、クロワ=ルースの建物は高い天井をもってます、なんでも織機が入るようにーという工夫。またトラブール[Traboule]と呼ばれる小さな通路は有名で、川への運搬路としてだけでなく、絹織物のデザインがパクられないように隠して運んだ道だそうですよ、人間らしくって面白いですね。
写真は旧市街と新市街を結ぶボナパルト橋。 -
バスはソーヌ川沿いの旧市街近くで停車、ここから夕食に向かいます。リヨンでは観光はありません、ただ立ち寄っただけ。
写真はリヨンの裁判所、24本のコリント式の列柱からなる大層立派な建造物ですね。この建物の向かいにはパスレル=ドュ=パレ=ドュ=ジュスティス(裁判所の歩道橋)という赤い橋があったハズなのですが、記憶にございません。 -
サン・ジャン大聖堂[Primatiale Saint-Jean]
フルヴィエールの丘のふもと、初期キリスト教の洗礼堂などいくつかの聖堂があった場所に、1180年から1480年にかけて建設された司教座聖堂。建物はゴシックとロマネスクの2つの様式が混在しております。
ここにはサン=ルイと呼ばれる十字軍を率いたルイ9世が葬られているそうな。入ったんだけどなぁ・・・知らなかったでは済まされない愚を犯したようで、見ておかなきゃね。旅行前の下調べは大事だわ〜。
またブルボン朝の創始者であるアンリ4世が、マリー=ド=メディシスと結婚式を挙げたとされている場所でもあります。ほほぉ〜。 -
綺麗なステンドグラスが多くあって、写真も撮ったんだけど、ブレブレばかりでちゃんと写ってませんでした。暗闇に弱いコンデジもさることながら、だいぶ疲労もピークになってきて、緊張感も失われつつあります。
その中でもまぁ見られる写真がコレ。祭壇にライトが当たってなかなかよい雰囲気を醸し出してくれています。祭壇の左手奥にあるマリアの礼拝堂には、ペテロとパウロの生活を描いたステンドグラスもあったそうですが・・・どれだったか、覚えておりませんねー。 -
ノートルダム=ド=フルヴィエール=バジリカ聖堂[Basilique Notre-Dame de Fourviere]
リヨンで1・2を争う観光名所であるフルヴィエール大聖堂が見えます。
この聖堂は1872年から1896年にかけて、街を見下ろす丘に建てられており、リヨンの街からはどこからでも見えるのですが、それには意味があるようで、1870年代第三共和政前のパリ=コミューンの嵐が、ここリヨンにも吹き荒れたことから、キリスト教が社会主義勢力に対抗する象徴として建造された歴史をもっております。
通常世界史では、史上初の社会主義政権としてパリ=コミューンを一定評価するのですが、その逆の視点というものが垣間見えてなかなか面白いものです。 -
この辺りのレストランでの夕食だったのですが、「美食の街」と言われるリヨンの食事は最悪でした。特にグラスワインがマズイかった、ツアーだから仕方ないにしろ、お昼のアヴィニヨンがめちゃウマだっただけに、最高と最低を同時に味わうことになりました。こういうこともあって、リヨンの印象は個人的見解として「悪い」のです。個人旅行でのんびり回ったら、また別の印象なのでしょうけどねぇー、リベンジしてやる!とも思えないことが残念。
-
イケメンのストリートミュージシャン。フランスの街角にはよく似合います。
夕食後しばらく時間があったので、スーパーで飲み物を買って、この後今宵の宿泊地チューリップ=イン=サフィール[TULIP IN SAPHIR]にむかいました。このホテルも全く記憶にないのです。
どうも毎回、旅行3日目に私の疲労のピークが来るようで、健全な肉体に健全な精神が宿るという言葉通り、疲れてくると全てマイナス思考となって感動も薄れてきます。これではフランスに失礼です、こんな日は早めに寝ましょう。。。
「フランス窓便り・・・④(ロワール古城編)」に続きまーす。
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