2011/08/05 - 2011/08/05
194位(同エリア554件中)
Weiwojingさん
- WeiwojingさんTOP
- 旅行記996冊
- クチコミ137件
- Q&A回答106件
- 2,115,189アクセス
- フォロワー194人
長年しばしばスリランカを訪ねた折に集めてきた古写真や絵ハガキがかなりの枚数になったので、何かまとめてめてみたいと思った。それらは約100年位の写真や絵ハガキであるが、あるものは今の姿を彷彿させるものもあり、また現在の同じ場所と比較することが出来るようなものもあったりして、なかなか興味深い。
古写真はどこにでもあるという訳ではない。スリランカ国内ではアンティックショップや古い写真屋などで見つけることが出来るが、むしろ外国での方が見つけやすいかもしれない。例えばイギリス・ロンドンやポルトガル・リスボンでの古董市、香港の骨董店などである。外国に行く度に探し求めてきた。
その後新たに入手した3枚の写真を追加した。ゾウとゾウ使いたちのと牛車の写真である。(2016年7月20日)
PR
-
この絵ハガキは鉄道駅を撮ったものであるが、もちろん今のコロンボフォート駅である。100年前はこんなにのんびりしていたのですね。書かれた説明によると、Colombo Cent-ral Railway Station とあるが、コロンボフォート駅のことである。1860年から1880年あたりのようだ。
-
コロンボ市内を撮った絵ハガキであるが、100年前には路面電車が走っていたのだろうか。車体に YORK STREET と書かれている。
-
コロンボから南方へ走るゴールロード (Galle Road) の様子で、1880年代に撮られた写真である。
-
ゴールロードをさらに南下したカルタラにある、カルタラ橋( Kaluthra Bridge) で、1900年初頭に撮られたた絵ハガキである。
-
紅茶の積み出しをしている最中のコロンボ港の光景である。イギリス植民地時代に紅茶の栽培が始まり、盛んにイギリスをはじめ世界中に輸出されていた。
-
仏教の聖地アヌラダプーラを撮った絵ハガキである。
-
この女性はタイコを手にしているが、恐らく踊りを職業としているのではないだろうか。
-
これはシンハラ人女性の肖像写真。たくさん装飾具を身に付けているところを見ると、上流家庭の女性のようだ。
-
この女性もシンハラ人で、同じように装飾具をたくさんさん身につけている。恐らく正装した時の写真であろう。
-
これはタミル人労働者をスタジオで撮ったもののようである。
-
田舎の農夫を撮ったものである。随分痩せこけた体をしている。
-
この人物は仏教僧で、前の農夫の写真と比べると、いかにも富裕層といった風で、恰腹がよい。
-
僧侶の集団を撮った1枚である。スリランカの仏教は上座部仏教で、日本の仏教とは異なる。
-
英国人を真ん中にしてキャンディの仏歯寺の関係者を撮った写真であるが、彼らは皆昔の王候貴族の服装をしている。
-
タミル人のヒンズー教僧侶である。
-
おしゃれなタミル人の若い男性2人。100年前はこんなファションが若い男性の間で流行っていたのだろうか。
-
タミル人女性。
-
イスラム教徒のマレー人。スリランカにはマレーから移住して来たイスラム教徒がかなりいたが、現在では彼らの子孫は少ない。この老人はかなり精敢な顔つきをしている。
-
イギリス植民地時代はよく狩りが行われていた。その対象にゾウが含まれていて、よくこのような光景を見ることが多かった。ゾウ狩りがよく行われていたため、野生のゾウの数が随分減少したようだ。
-
一方、このような光景もよく目にする。ゾウが川で水浴びをしていて、ゾウ使いに体を洗ってもらっている。
-
コロンボのゴールフェイスにある Galle Face Hotel で、スリランカで最も古いホテルだと言われている。1864年に年建設されたので、すでに150年弱の歴史を有することになる。
-
これはコロンボのフォートの一角で、Chatham Street である。
-
キャンディ湖を見下ろす丘の上から見たキャンディの街並みである。街並みは現在と全く変わらない。
-
山林を切り開いて鉄道の建設をしている写真であるが、どのあたりか分からない。
-
ヌワラエリア近郊で茶摘みをするタミル人女性。スリランカでは当初コーヒーの栽培が行なわれていたが、病気の蔓延で全滅し、その後紅茶栽培に切り変わった。その労働力としてインドから多数のタミル人が連れてこられた。
-
宝石を扱う商人たち。この種の業者はモスレム人が多い。左側の人はイスラム教徒の帽子を被っている。
-
タミル人の音楽集団のようだ。前列右4人は踊り手である。
-
キャンディで伝統舞踊を職業とするシンハラ人舞踊家たちで、エセラ月(7月から8月にかけて)のぺラへラ祭りにはその素晴らしい舞踊を今でも見ることが出来る。
-
現在のキャンディアン・ダンスの若い踊り手たち。この日はぺラヘラ祭りに出るために早めの準備を終えたところを撮った。
-
ゾウが何か建材でも運んでいるようだ。ゾウは労働力としても大きな役割を果たしている。右側はゾウ使いである。
-
3頭のゾウと欧米人およびゾウ使いたちが写真に納まっているが、おそらくこれから狩りに出も出かけるのであろうか。
-
コロンボ市内にある Galle Face Hotel の前を移動している牛車。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- 一歩人さん 2011/09/21 10:42:33
- 生き様がでています
- Tamegaiさんへ
昔の写真には、生き様が見えるようです。
清く、貧しく、美しくっていうか。
我が家にも祖先の写真がわずかにありますが、
郷里の街並みを写したものがあります。
とにかく、たくましい生活が見えるようです。
現在のように、飽食に時代でなからでしょうか。
そういえば、スリランカというより、セイロン島と
いったほうが、懐かしいです。
セイロン紅茶のイメージが強いです。
ありがとうございました。失礼しま〜す。
次は大阪城へおじゃまします。
- Weiwojingさん からの返信 2011/09/22 08:31:49
- RE: 生き様がでています
- 一歩人さん、おはようございます。書き込みをありがとうございます。
古い写真ばかり集めてみました。そこから何が見えたでしょうか。
今はスりランカと言う名前に変わりましたが (と言つても、もう50年も前
でしたが)、かつてはセイロンと言われたこの国は英国の植民地で、
紅茶の栽培地とした知られていました。勿論今も紅茶の栽培にかけてはインド
と並ぶ生産国です。そのため未だに「セイロン紅茶」という名前で世界中
に販売されていますね。スリランカ紅茶とは言いませんね。今だに
スリランカの国をセイロンと言う人が日本では多いです。特に年配者は
セイロンと言った方が分かりやすいです。
「スリランカ」と言うのは、「光輝く島」という意味です。「ランカ」というのが島の
ことです。北海道よりやや小さめの島国です。小さいですが、この国は
バラィティに富んでいます。人種、文化、食べ物、自然等変化に富んでいます。
私はこの国が好きです。何度でも訪れてみたいです。この国の旅行記を
書きますので、これからも見てください。
Tamegai
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
Weiwojingさんの関連旅行記
コロンボ(スリランカ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
コロンボ(スリランカ) の人気ホテル
スリランカで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
スリランカ最安
609円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
2
32