2011/07/04 - 2011/07/04
151位(同エリア252件中)
まみさん
2011/07/04月 バクー(アゼルバイジャンの首都)市内観光
・旧市街のキチック・ガラ通り〜物見の塔の脇から旧市街を出てサービル像のある公園〜シェマハ門から再び旧市街に入る
・旧市街散策(イチェリ・シャハル)(世界遺産)
・乙女の塔(世界遺産)と内部の博物館を見学&展望台
<ホテルに戻ってチェックアウト>
・シルヴァン・シャー宮殿(世界遺産)を見学
・旧市街の城壁沿いのワヒド公園(新市街)〜イスティグラーリエット通り散策
・噴水公園からニザーミー通り(歩行者天国)散策
・カスピ海臨海公園
・ネフッチレル通り〜旧市街に戻る
【21時発トビリシ行きの一等寝台泊】
新市街めぐりは、まずはソ連期のオイルリッチの建物を見るために、城壁沿いのワヒド公園とイスティグラーリエット通りの歩道を歩きました。
本当はメトロ駅のすぐそばに出るつもりでしたが、旧市街から出るときにシルヴァン・シャー宮殿の近くにあるはずの地下門を見過ごしてしまったので、ワヒド公園の方から歩き始めたわけです。
そのワヒド公園の、めちゃくちゃきれいだったこと!
整備が行き届いていて、ゴミ一つ落ちてなくて、とても居心地よくて、バクーって本当にきれいな町なんだなぁとほとほと感心しました。
……その感想は、夕方、タクシーで鉄道駅に向かう途上、車窓から駅前周辺を見たときに、そうでもないところもあるんだな、と覆るのですが。
でも、観光として徒歩で回ったエリアは、おそろしくきれいで整ったところばかりで、やっぱりバクーってきれいな町だという印象は、私の中で変わっていません。
ただ、新市街の目抜き通りのイスティグラーリエット通りは、交通量の多さに圧倒されました。
東京の交通渋滞のひどいところ並みではないかしらと思ったくらいです。
しかも、ブーブーとクラクションがうるさかったです。
まるで渋滞時にはクラクションを鳴らすのが礼儀みたいにブーブーブーブー。
前の車がちょっとでももたもたしたときは言わずもがな、バスが乗客の乗降で停まっているときですら、後ろからブーブー鳴らす車がいて、ちょっと唖然。
旧市街の静けさとは雲泥の差で、同じ町とは思えないくらいでした。
城壁という壁一つでこの喧噪が旧市街に届かないのは、なんだかとても奇跡的な気がしてしまったくらいです。
それでも歩道などにはゴミ一つなく、とてもきれいだったのが印象的でした。
ただ、旧市街よりは圧倒的に人が多いせいか、異邦人を見る視線は、新市街を歩いているときの方が感じられた気がします。
別にあからさまな負の感情は感じなかったけれど、なんとなく見られている気がするという……ひょっとしたらただの自意識過剰!?
途中で一休みしたくなったので、イスティグラーリエット通りの科学アカデミーにほど近いあたりの喫茶店に入りました。
思えば私がアラブ圏を一人で旅行したときの1997年のチュニジアや1998年のイスラエルでは、喫茶店やレストランは思いっきり男性社会で、女一人で入るのに勇気が要ったものでした。
現在はそれらの国もそうでもないのかもしれないし、たまたま私がそういうエリアばかり回っていたせいかもしれません。
そのことを覚えていたので、喫茶店ははじめ躊躇したのですが、バクーでは、旧市街でもちらっと見た限り喫茶店に若い女性の一人客もいたので、入ってみようと思ったのです。
※入った喫茶店と喫茶店で注文した飲み物とお菓子の写真はこちら
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその6:食べ物編(ホテルの朝食以外)<アゼルバイジャンのバクーとグルジア編>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10587126
新市街の中心の噴水広場から歩行者天国のニザーミー通りまで来ると、イスティグラーリエット通りの喧噪はさすがに届きませんでした。
このあたりは、なんとなく若者の街という気がしました。
といっても、ティーンエージャーの爆発的な若さではなく、せいぜい30代くらい?
町もこぎれいで、すっきりしていて、人々も、旧市街に比べるとしゃきしゃきと歩いていたからそう感じたのかもしれません。
あるいはマクドナルドの前に、まるで大学のランチ時のカフェテリアみたいに若者がたくさんいたのが印象に残っているせい?
アラブの香りをどことなく残したまま、予算を惜しみなく使って仕上げたと思われる現代エリアの新市街の中心。
電光装飾もたくさんあって、夜景はさぞかし映えるだろうなぁと思いました。
当初の予定どおりカスピ海臨海公園も回りたくなったので、ニザーミー通りを端まで歩ききらず、途中で海岸の方に向かいましたが、新市街の写真は次の旅行記にも続きます。
「バクーとはロシア語での呼び方で、アゼルバイジャン語ではバキュ。帝政ロシア支配下の19世紀後半、周辺で大規模な油田が見つかるや、世界中から人と資本が集中。小さな港町は、一気に地域最大の都会へと変貌した。新たに出現した欧風の街には様々な民族が暮らし、共通語はロシア語。1950年代あたりまで、アゼルバイジャン系は全住民の半数に満たなかった。近年は100年ぶりのオイルブームに沸き、建設ラッシュもその頃と同じ。しかし今回は石油富豪が好んだ世紀末様式の豪邸ではなく、トルコの業者による高層マンション。百貨店や劇場の代わりに、郊外型スーパーとマクドナルド。独立前後の混乱でアルメニア系などの住民が街を去る一方、難民や地方の人々の流入で、人口は増加している。既にその数は200万を超えるとさえ言われるほど。良くも悪くも、「バクー」はアゼルバイジャン人の町「バキュ」に変わりつつある。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)
※2011年コーカサス3カ国旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2011年コーカサス3カ国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10584724
詳細版「2011年コーカサス3カ国旅行の詳細旅程(写真付き)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/07/2011-1ab0.html
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旧市街の城壁の見張り台からワヒド公園を見下ろす
それまで見学していたシルヴァン・シャー宮殿のそばの地下門を見過ごしてしまい、城壁沿いに歩いて行けば新市街に出られるはずだと歩いたのはいいのですが、なかなか出口にたどり着けなくてあせっていたときの写真です。 -
やっと出られたワヒド公園と噴水
ワヒド公園はとてもきれいに整備されていて、予想以上に美しい公園でした。
そして公園沿いのイスティグラーリエット通りの両側に見えた豪華な建物は、みんなソ連期のオイルリッチが建てた建物に違いありません。
「第一次石油ブーム期の建築物
19世紀後半〜20世紀初頭の最初の石油ブームの際、石油富豪たちはその財力でロシアや欧州の建築家を雇い、当時の最新流行を取り込んだ豪奢な邸宅や公共施設を建てさせた。代表的なものは、旧市街の周囲にあるムスリム慈善教会に寄贈された旧イスマイリエ宮殿(現在は科学アカデミー)や、イスラーム世界初の女子教育機関となった旧アレクサンドラ・フョードロヴナ記念女子学校(現在は古写本研究所)、そのそばの旧ムフタロフ邸(現在は結婚宮殿)など。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より) -
城壁の時計と恋人たちのシルエット
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羊が描かれた岩と城壁
さきほど私が旧市街からワヒド公園を見下ろしたのは、たぶんあのあたり。 -
おしゃれな噴水のある一角
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風が強くて水が曲がってしまう噴水
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松と城壁の見張り塔のある公園の一角
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ワヒド公園沿いのイスティグラーリエット通りの建物とバス停
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国立コンサートホール(Azerbaijan State Flarmony)・その1
クリーム色の美しい建物でした。
マリア・テレジア・イエローを連想してしまいました。 -
国立コンサートホール(Azerbaijan State Flarmony)・その2
Flarmonyってフィルハーモニー? -
ポストカードの写真より:このアングルだったら全貌が撮れたはずの国立コンサートホール(Azerbaijan State Flarmony)
一緒に写っているのは、スワロスキー・クリスタル・ペンダントのエリオットくんです。
今回のコーカサス旅行の往路のアエロフロートの機内販売で買いました。 -
イスティグラーリエット通りの建物・その1
小ロシアと呼ばれたウクライナのキエフや、去年(2010年)の秋に旅行した極東ロシアのウラジオストクあたりを思い出させる美しい建物でした。
ウラジオストクのこのへんの旅行記のはじめの方にアップした写真の街並みを思い出しました。
「2010年秋ふらっと極東ロシアへ4泊3日の旅第2日目(2)ウラジオストク:ホテルを出発してスヴェトランスカヤ通りまで散策」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10510791/ -
イスティグラーリエット通りの建物・その2
同じ建物を正面から撮ったものです。 -
イスティグラーリエット通りに合流するシェイフ・シャーミル通りの渋滞
本当はイスティグラーリエット通りの渋滞ぶりの方を撮りたかったのですが、イスティグラーリエット通りに向かって下り坂になっていたこの通りの方が撮りやすかったのです。
イスティグラーリエット通りの渋滞ぶりもこんなかんじ。
冷静に考えれば、東京の一番ひどいところよりはずっとましだったかもしれません。 -
ひょっとして……ひょっとしなくても、バクー市庁舎
行政の建物の写真は撮って良かったか怪しかったので、用心のために写真を撮るのはやめようと思っていたのですが、すてきな建物だなぁと何も考えずに写真を撮ってしまい、その後に位置的に市庁舎の可能性があると気付きました。
ホントですよ。 -
ポストカードの写真より:バクー市庁舎の全貌
旅行人のガイドブック「シルクロード〉によると、旧バクー市ドゥーマ(帝政ロシア時代の議会/1904年)だそうです。 -
イスティグラーリエット通りに合流するアディ・ババイェフ通りの建物
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アディ・ババイェフ通りの向こうに建築ラッシュが垣間見える@
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フセイン・ハヴィッドという方のホーム・ミュージーアムの入口
フセイン・ハヴィッドなる方は知らないけれど、科学アカデミーに関わった学者さんの家が見られるのかもしれないと興味がわきました。
扉が開いているので、ひょっとしたら休館のはずの月曜日でも乙女の塔みたいに入れるのかも、と淡い期待をしたけど、ダメでした(苦笑)。 -
フセイン・ハヴィッドという方のホーム・ミュージーアムのロビー
チケット売り場はどこかな〜とうろうろしかけたら、警備員さんに今日は休みだと言われて追い払われてしまいました。
その前にゲットしていた一枚@ -
ヨシフ・マンマダリイェフ像と科学アカデミー
勉強不足で、あいにくマンマダリイェフさんってどなたか知りません。
名前が分かったのは、単に台座を読んだだけ。 -
旧イスマイリエ宮殿の科学アカデミーとマンマダリイェフ像
星のマークがどうにもソ連を連想させるのは、考えすぎ? -
どのアングルから見てもお城みたいな科学アカデミー
午前中や午後一番の旧市街めぐりでも、まずこの科学アカデミーに目をつけています。
位置的に滞在ホテルに近かったせいもあります。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/22962241/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/22962243/
関連の旅行記
「2011年コーカサス3カ国旅行第2日目(1)バクー:朝の旧市街散策〜久しぶりのイスラムの町にハイテンション!」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10595447 -
彫刻があって、窓には著名人らしき人の絵が飾られていた、アラビックな美しい建物
ニザーミー記念文学博物館でした。
「二ザーミー記念文学博物館
1860年建設の旧ホテル・メトロポールの建物を利用した博物館。西側の彫刻群はアゼルバイジャン文学史の偉人達。その内の一人、M. アフンドフ(1812-78)などが19世紀にアゼルバイジャン語の口語での近代文学を創始するまで、文芸の世界ではペルシャ語が優勢だった。二ザーミー(1141-1209)もガンジャ(現ゲンジェ)の生まれながら、その作品は全てペルシャ語。そうした歴史にまつわる古写本や、文学作品を題材にした細密画などを展示している。(後略)」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より) -
ガンジャーヴィー銅像のあるニザーミー記念文学博物館前の公園
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歩行者天国に差しかかった!
噴水広場はもうすぐでしょう。
足元の模様を意識して撮りました。 -
あれが噴水広場の噴水かな
さほど暑くなかったせいか、噴水の水が止められていました。 -
噴水広場のメリーゴーランドと、巨大イカが乗っかったチケット売り場
シュールです(笑)。 -
遊び心のある噴水広場
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顔ベンチ@
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渦巻きのオブジェ?
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これもきっとソ連期のオイルリッチの建物
バクーの旧市街で買ったポストカードの中にこの建物の写真がありました。
ヘイダル・アリエフ財団の建物だそうです。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/22850972/
関連の旅行記
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその14:ゲットしたものゲットしたところ」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10591863/ -
旧アルメニア教会
アルメニアに見られる教会ってきっとこういうかんじなのだろうと、旅程最後に訪れるアルメニアに期待を抱くことができました。
それ以前に、この地にアルメニア教会が残っていること、今は教会として機能していないことの意味と背景を考えるべきでしたけどね。
でも、教会めぐりは海外旅行の重要な要素なんですもの。
だけど、アルメニアの教会はあまり装飾がなく、シンプルで構造美だと聞いていたので、ミーハーな私には物足りなく感じたらどうしようかと思っていたものですから。
いやいや、そんな心配はまったくの杞憂で、構造美とシンプル美にしっかりみほれました。 -
旧アルメニア教会、アングルを変えて
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新旧両方の香りがした、ギャラリーと本屋のある建物
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本屋の店先の本の彫刻
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噴水のある広場
こっちがホントの噴水広場かもしれません。 -
新市街の中心のニザーミー通りへ向かう
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若者がぎっしりたむろっていたマクドナルド前
そりゃあもう、これから何か見世物でも始まるのでは、と思ったくらいでした@
この写真ではさほどぎっしり集まっているようには見えないかもしれないですが。 -
夜はさぞかし電飾で華やかに
今の日本と違って節電無縁のアゼルバイジャンは、半年ほど前の冬のイルミネーションの東京の夜のような夜景を想像させました。
バクーに到着したのは今朝の夜中すぎですが、空港から市内へ向かうとき、車窓の外の景色は、ライトアップがとてもきれいだったのが今でも印象に残っています。
市内はもちろん、市内に至る前の、空き地が続いていたと思われる郊外のハイウェイでも、アラブチックな塀があちこちで美しくライトアップされていて、なかなか幻想的でした。
さすがオイルリッチの首都だと感心したものです。
いつも夜の到着のときの東欧の郊外のハイウェイは、車のテールランプと街灯以外は真っ暗で、大きな月が見られたものでしたが、むしろ月が出ていたかどうかの方が記憶に残っていません。 -
天井に町のイラストがあったアーケード
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華やかな城門と、とんがり靴のアラブチックな男
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天井に町のイラストのあるアーケードはまだまだ続く
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近世くらいのバクーとアラブ一家かな
おやじの帽子の後ろに見えるのは乙女の塔に違いありません。 -
乙女の塔に象徴される旧市街のバクーと、山高帽とステッキの男が似合うモダーンな新市街のバクー
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ロシア帝国の影響を感じさせる近代の街並みのバクー
でも、アゼルバイジャンの国旗が翻っています。 -
きっと少し前ではバクーの旧市街でよく見られたシーン!?
「2011年コーカサス3カ国旅行第2日目(4)バクー:被写体尽きない新市街からカスピ海臨海公園へ」へとつづく。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10596596
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