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 京都市の南西に位置する西京の地は、北の愛宕山を背に、南に古戦場である天王山を望み、東に桂川、西に酒呑童子で知られる老ノ坂などの西山山麓に抱かれた地域です。まず始めに、西芳寺(通称、苔寺)へ、正式には臨済宗(天龍寺派)洪隠山西芳寺といいます。ご本尊は行基菩薩の自刻と伝えられる阿弥陀如来で、みどりを敷き詰めたような苔の庭で一般に知れれるようになり、庭園は国指定特別名勝となっています。<br /> 西芳寺から南へ下った所に、京都市洛西竹林公園があります。洛西ニュータウン開発の際、記念事業の一つとして昭和56年6月に開園されました。園内は、全国各地から多くの竹類を収集して約5000㎡の和風庭園をイメージした「生態園」(周遊公園)と、竹の良さ、素晴らしさ、不思議さなど広く再認識するための資料などを展示した「竹の資料館」で構成されています。そこから西へ大原野神社へ、桓武天皇が都を奈良から長岡京に遷されたとき、天皇はしばしば大原野に遊んで鷹を放たれました。藤原氏や多くの伴奉の人達はこの美しい風景を賞でて氏神春日大社の分霊を遷し祀ることにしたのが当神社の起こりです。最後は大原野神社の南西隣の勝持寺を訪れた。白鳳8年(680年)天武天皇の勅によって役行者が創建したのが始まりで、延暦元年(791年)桓武天皇の勅により伝教大師が堂塔伽蘭を再建、薬師瑠梨光如来を本尊としました。平安末期に西行法師がこの寺で出家し、庵を結び、一本の桜を植えて吟愛していた。これが世にいう「西行桜」です。

洛西の苔の庭と西行が歩いた道/京都市西京区・松尾谷~大原野

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2011/06/26 - 2011/06/26

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ひま人

ひま人さん

 京都市の南西に位置する西京の地は、北の愛宕山を背に、南に古戦場である天王山を望み、東に桂川、西に酒呑童子で知られる老ノ坂などの西山山麓に抱かれた地域です。まず始めに、西芳寺(通称、苔寺)へ、正式には臨済宗(天龍寺派)洪隠山西芳寺といいます。ご本尊は行基菩薩の自刻と伝えられる阿弥陀如来で、みどりを敷き詰めたような苔の庭で一般に知れれるようになり、庭園は国指定特別名勝となっています。
 西芳寺から南へ下った所に、京都市洛西竹林公園があります。洛西ニュータウン開発の際、記念事業の一つとして昭和56年6月に開園されました。園内は、全国各地から多くの竹類を収集して約5000㎡の和風庭園をイメージした「生態園」(周遊公園)と、竹の良さ、素晴らしさ、不思議さなど広く再認識するための資料などを展示した「竹の資料館」で構成されています。そこから西へ大原野神社へ、桓武天皇が都を奈良から長岡京に遷されたとき、天皇はしばしば大原野に遊んで鷹を放たれました。藤原氏や多くの伴奉の人達はこの美しい風景を賞でて氏神春日大社の分霊を遷し祀ることにしたのが当神社の起こりです。最後は大原野神社の南西隣の勝持寺を訪れた。白鳳8年(680年)天武天皇の勅によって役行者が創建したのが始まりで、延暦元年(791年)桓武天皇の勅により伝教大師が堂塔伽蘭を再建、薬師瑠梨光如来を本尊としました。平安末期に西行法師がこの寺で出家し、庵を結び、一本の桜を植えて吟愛していた。これが世にいう「西行桜」です。

同行者
友人
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
観光バス JRローカル 私鉄 徒歩

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  •  西芳寺(苔寺)、本尊は阿弥陀如来、開山は行基、中興開山は夢窓礎石です。寺伝によれば、西芳寺のある場所は聖徳太子の別荘であったものを、奈良時代の僧・行基が寺にしたものです。<br /> 西芳寺は応仁の乱(1467〜1477年)で焼失、江戸時代には2度にわたって洪水にも見舞われ荒廃した。元は枯山水であった荒廃した庭園が苔で覆われるのは江戸時代末期に入ってからのようである。すぐそばに川が流れる谷間、という地理的要因が大きいとされる。<br /> かつては誰でも参観できる観光寺院であったが、1977年からは一般の拝観を中止し、往復ハガキによる事前申し込み制となっている。単なる観光や見学ではなく写経やなどの宗教行事に参加することが条件となっている。

     西芳寺(苔寺)、本尊は阿弥陀如来、開山は行基、中興開山は夢窓礎石です。寺伝によれば、西芳寺のある場所は聖徳太子の別荘であったものを、奈良時代の僧・行基が寺にしたものです。
     西芳寺は応仁の乱(1467〜1477年)で焼失、江戸時代には2度にわたって洪水にも見舞われ荒廃した。元は枯山水であった荒廃した庭園が苔で覆われるのは江戸時代末期に入ってからのようである。すぐそばに川が流れる谷間、という地理的要因が大きいとされる。
     かつては誰でも参観できる観光寺院であったが、1977年からは一般の拝観を中止し、往復ハガキによる事前申し込み制となっている。単なる観光や見学ではなく写経やなどの宗教行事に参加することが条件となっている。

  •  西芳寺庭園、特別名勝及び史跡。夢窓礎石の作庭で、上段の枯山水と、下段の池泉回遊式庭園の二つからなっている。

     西芳寺庭園、特別名勝及び史跡。夢窓礎石の作庭で、上段の枯山水と、下段の池泉回遊式庭園の二つからなっている。

  •  西芳寺庭園、池には朝日島、夕日島、霧島と呼ぶ3つの島があり、島には白砂が敷かれ松が植えられている。池の周囲を埋め尽くす100種類以上といわれる苔は夢窓礎石の時代からあったものではなく、今のような苔庭になったのは江戸末期のことといわれる。

     西芳寺庭園、池には朝日島、夕日島、霧島と呼ぶ3つの島があり、島には白砂が敷かれ松が植えられている。池の周囲を埋め尽くす100種類以上といわれる苔は夢窓礎石の時代からあったものではなく、今のような苔庭になったのは江戸末期のことといわれる。

  •  西芳寺庭園。

     西芳寺庭園。

  •  西芳寺庭園、ビロードのような苔が隆起している。

     西芳寺庭園、ビロードのような苔が隆起している。

  •  西芳寺庭園、苔で覆われている。

     西芳寺庭園、苔で覆われている。

  •  西芳寺、湘南亭(重要文化財)、夢窓礎石の時代に建てられ、その後荒廃していたが、千利休の次男・千小庵によって再興されたと伝えられる茶室。幕末には岩倉具視がここにかくまわれていたことで知られる。

     西芳寺、湘南亭(重要文化財)、夢窓礎石の時代に建てられ、その後荒廃していたが、千利休の次男・千小庵によって再興されたと伝えられる茶室。幕末には岩倉具視がここにかくまわれていたことで知られる。

  •  西芳寺、湘南亭、板張りの露台(バルコニー)をもち、柿葺き、L字形の間取りで、池に面して広縁を設ける。

     西芳寺、湘南亭、板張りの露台(バルコニー)をもち、柿葺き、L字形の間取りで、池に面して広縁を設ける。

  •  西芳寺庭園、上段の枯山水庭園。

     西芳寺庭園、上段の枯山水庭園。

  •  京都市洛西竹林公園、竹の資料館。館内は京銘竹、エジソン電球、竹の生理・生態を説明するパネル、京都の伝統的竹製品などが展示されています。

     京都市洛西竹林公園、竹の資料館。館内は京銘竹、エジソン電球、竹の生理・生態を説明するパネル、京都の伝統的竹製品などが展示されています。

  •  竹の資料館、京銘竹とは、京都で生産される建築用や装飾品用などに用いられる竹材で、角竹、角紋竹、すす竹、白竹、ゴマ竹、亀甲竹、雲紋竹などが展示されています。

     竹の資料館、京銘竹とは、京都で生産される建築用や装飾品用などに用いられる竹材で、角竹、角紋竹、すす竹、白竹、ゴマ竹、亀甲竹、雲紋竹などが展示されています。

  •  竹の資料館、各種竹の展示。

     竹の資料館、各種竹の展示。

  •  竹林公園、生態園は回遊式和風庭園で竹や笹の生態を観察出来るようになっている。この洛西竹林公園は国内は言ううに及ばず、現在では世界的にも名高い竹林公園です。

     竹林公園、生態園は回遊式和風庭園で竹や笹の生態を観察出来るようになっている。この洛西竹林公園は国内は言ううに及ばず、現在では世界的にも名高い竹林公園です。

  •  大原野神社本殿、延暦3年(784年)藤原氏の氏神である春日大社の分霊を祀ったのが創建の起源とされています。その後、60年を経た嘉祥3年(850年)、文徳天皇が壮麗な社殿を造営しました。

     大原野神社本殿、延暦3年(784年)藤原氏の氏神である春日大社の分霊を祀ったのが創建の起源とされています。その後、60年を経た嘉祥3年(850年)、文徳天皇が壮麗な社殿を造営しました。

  •  大原野神社、狛犬ならぬ狛鹿(牡)が本殿右に鎮座。

     大原野神社、狛犬ならぬ狛鹿(牡)が本殿右に鎮座。

  •  大原野神社、本殿前左に鎮座している狛鹿(牝)

     大原野神社、本殿前左に鎮座している狛鹿(牝)

  •  天台宗、勝持寺南門。

     天台宗、勝持寺南門。

  •  勝持寺本堂、白鳳8年(680年)天武天皇の勅によって役行者が創建したのが始まりと伝えられています。

     勝持寺本堂、白鳳8年(680年)天武天皇の勅によって役行者が創建したのが始まりと伝えられています。

  •  勝持寺、西行桜。平安末期に西行法師がこの寺で出家し、庵を結び、1本の桜を植えて吟愛していたと伝わっています。これが世に言う「西行桜」で ”花見にとむれつつ人のくるのみぞ あたら桜のとがにはありける”と詠んだとか・・・

     勝持寺、西行桜。平安末期に西行法師がこの寺で出家し、庵を結び、1本の桜を植えて吟愛していたと伝わっています。これが世に言う「西行桜」で ”花見にとむれつつ人のくるのみぞ あたら桜のとがにはありける”と詠んだとか・・・

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