2011/05/22 - 2011/05/22
230位(同エリア5174件中)
エンリケさん
北京の休日3日目。
この日は地下鉄と徒歩で北京市内を観光。
まずは故宮博物院(紫禁城)に行き、景山公園、北海公園を経て頤和園へ。
夜は朝陽劇場で雑技を観賞。
この日はちょうど日曜日で中国人の観光客も多く、現地の人々とともに北京の歴史を満喫した一日でした。
<旅程表>
2011年
5月20日(金) 羽田→北京(円明園→東直門内鬼街)
5月21日(土) 北京(明十三陵→万里の長城→牛街礼拝寺
→湖広会館→天安門)
○5月22日(日) 北京(故宮→景山公園→北海公園→頤和園
→朝陽劇場)
5月23日(月) 北京(天壇→雍和宮)→羽田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
5月22日(日)
前日に引き続き、北京は見事な青空。
服装もシャツ1枚で大丈夫と気温もちょうどいい感じですが、日本と違ってからっと乾燥しているので唇がかさかさ、喉がからからになります。
この日は故宮(故宮博物院)を見ると決めていたのですが、日曜の故宮は激混みとの前日のガイドのアドバイスに従い、チケットを早めに入手すべく、開館前の朝8時に地下鉄に乗って天安門へやってきました。
天安門の前は花がきれいに植えられており、いかめしいというよりはどことなく優しい印象です。 -
天安門を正面からパチリ。
朝早くから観光客が記念撮影に興じています。
もともとは明の永楽帝時代の1417年に建てられた承天門がこの門の起源ですが、その後明滅亡時の李自成の乱で焼失し、清の順治帝時代の1651年に名を天安門と改め再建されました。
その後の辛亥革命、日中戦争、国共内戦を経て、1949年10月1日にこの門の上で毛沢東によって中華人民共和国の建国宣言が行われたのは周知のとおりです。
毛沢東の肖像画が飾られている天安門の真ん中は、現在も一般人は通れないようになっています。 -
天安門の向かって右側の門から入場し、門を抜けるとまた門が。
端門です。 -
端門を抜けるとまたまた門があります。
午門(南門)といい、故宮の正門となっています。
この右側にチケット売り場があり、窓口に沿って行列が4列できていました。
まだ行列は短かったのですぐさま並び、8時30分、チケット販売開始から間もなくチケットを購入(60元=780円)。
このとき、故宮の地図を別に売り子が10元で売っていたので、記念になると思いあわせて購入。中国人もけっこう買っている人が多かったです。
チケット購入後は午門右側の入口から中へ。
検査機による荷物検査があるのですが、中国人の団体客のおばさんたちに割り込まれました(笑)。 -
午門を抜けると視界が開け、青い空の下、黄色い瑠璃瓦のきりりとした建物が姿を現します。
太和門です。
この故宮が紫禁城と呼ばれていた明の永楽帝時代の1420年に創建され、現在の建物は清の光緒帝時代の1889年に再建されたものです。
その後、北京オリンピックが開催された2008年に修復工事が完了し、現在はとても100年以上前に建てられたとは思えない美しい姿を観光客に披露しています。
しかしここまで来るのに門が連続で4つ・・・。
なかなか正殿にはたどりつきません。 -
太和門をくぐったところです。
柱や天井もできたばかりのように修復され、鮮やかな色を呈しています。
それにしても観光客だらけ・・・。 -
太和門を抜けると、かつての紫禁城の正殿であった太和殿が姿を現しました。
青い空の下、黄色い瑠璃瓦を冠した雄々しい姿を観光客の前にさらしています。
この太和殿は政治や儀式の中心としての位置を占め、皇帝の即位や婚礼、祝日の祭典、詔書の頒布など、あらゆる重要な国家行事がここで行われていました。
故宮があまりにも広大なせいかビルなど周りの建物が見えないところが、かつての清の時代にタイムスリップしたような気にさせてくれます。 -
太和殿に上がってもと来た太和門を眺めます。
太和殿へ昇る階段に挟まれた中央の石の部分には細かな彫刻が施されており、思わず目を引きます。
門と太和殿との間には広大な空間が広がっており、これなら数々の大規模な国家行事が実施できそうです。 -
また振り返って太和殿近景。
太陽の光を反射している黄色の瑠璃瓦が鮮やかです。
この黄色は“老中黄”と呼ばれ、皇帝以外は使うことを許されない最も高貴な種類の色だったのだそうです -
太和殿を抜けると次は中和殿。
太和殿での公式行事に赴く皇帝がその前に休息を取った場所です。
これも鮮やかな老中黄の瑠璃瓦です。 -
中和殿の内部です。
黄と赤を基調としており、皇帝の玉座が見えます。
たくさんの観光客が入口に群がり、押し合うように(といっても暴力的な割り込みはありませんでしたが)写真を撮っていました。 -
続いて皇帝一家の居住スペースである“内廷”に入ります。
これまでの公式行事等が行われるスペースである“外朝”と区別されます。
まずは乾清門をくぐって乾清宮へ。
この乾清宮は明代から清の康熙帝までは皇帝の実際の寝宮として使われていましたが、雍正帝以降は寝宮は養心殿に移され、乾清宮は皇帝の政務の場所として使われるようになったのだそうです。 -
乾清宮内の皇帝の玉座です。
後ろには龍の彫刻とともに、清の三代皇帝で明の滅亡後満州から万里の長城以南に進出した順治帝の筆による“正大光明”の額が掲げられています。 -
9時30分、故宮の中央部分を見終わり、今度は東側にある珍宝館エリア(外東路)へ。
ここは別料金10元(130円)が必要です。
チケットを買って最初にあるのは九龍壁。
長さ29.4m、高さ3.5mの瑠璃装飾の壁で、乾隆帝時代の1763年に完成し、9匹の龍が描かれていることからこの名がつきました。 -
続いて皇極殿へ。
この皇極殿が“珍宝館”となっており、清の時代の宝物が展示されています。
展示物はそう多くなく、“ミニ博物館”といった感です。
写真は玉でつくった十二支の置物。
殷の青銅器や唐・宋の書画、宋の磁器など、中国四千年の歴史を実感できる主要な宝物は日中戦争や国共内戦を経て国民党が台北へ持ち去ってしまい、こちらの故宮には比較的新しいものしか残っていないのが残念。
いつか台北の故宮博物院にも行ってみたいものです。 -
次は養性殿へ。
こちらもミニ博物館となっており、同治帝時代の金の香炉など、清王朝時代の金を使った宝物が展示されています。
中国の歴代王朝の遺産で金製のものはあまり思い浮かびませんが、清は皇帝の姓が“愛新(=金)覚羅”でもあるように、金が好きだったようです。 -
こちらは暢音閣。
乾隆帝時代の1776年に完成した京劇用の舞台です。
建物は高さ20mの三層構造で、福禄寿にあやかり上層は福台、中層は禄台、下層は寿台と呼ばれています。
劇は主に下層の寿台で演じられましたが、三層は天井に穴があってつながっており、役者や大小の道具が行き来する大がかりな演出も行われていました。
寿台下部には、せり上がり用の穴や噴水用の貯水槽もあるそうです。
皇帝一家はこの北側にある閲是楼からここで演じられる京劇を観て楽しんだのだそうです。 -
暢音閣の周囲の壁には当時演じられた京劇の様子が描かれていました。
写真は“群英会”。
三国志演義より、赤壁の戦い前の呉の大都督“美周郎”周瑜の活躍を描いたものです。 -
続いて乾隆帝時代の1776年に建てられた頤和軒も内部はミニ博物館になっていました。
写真は乾隆帝時代に作られた金嵌宝石釈迦牟尼像。
清王朝は金や仏像が好きなようです。 -
景祺閣にある珍妃井。
1900年の義和団事件(排外運動を起こした義和団を利用して西太后が欧米列強に宣戦した事件)で、西太后が紫禁城に迫る8か国連合軍から逃げる際、折り合いの悪かった光緒帝妃の珍妃を突き落として溺死させた井戸です。
近現代史だけに生々しいですね。
外東路もこれで終わりです。 -
10時30分、再び故宮の中央に戻ってきて緑の多い御花園で休憩。
観光客の少なかった外東路と打って変わってこちらは観光客であふれかえっています。
売店でペットボトルの紅茶(4元=52円)を買って乾いた喉を潤します。
写真は堆秀山の上に建つ御景亭。
こてこての太湖石でできており、旧暦9月9日の重陽節に皇帝が登って酒を飲んだと伝えられています。 -
同じく御花園にある萬春亭です。
たくさんの緑に囲まれて安心できる空間です。 -
御花園で少し休んだ後は西側にある皇帝一家の暮らしの場所、内西路へ。
通路には、映画“ラストエンペラー”でも出てきたような赤い壁が続きます。
故宮の敷地はあまりにも広大で、こういった通路もちょっとした街のようです。 -
路地からまず入ったのが翊坤宮。
後宮として使われたそうで、西太后も貴妃の身分の時ここに住んでいたとのこと。 -
次は麗景軒。
こちらも後宮として使われ、西太后も嬪の身分の時に暮らしていたそうですが、1911年の辛亥革命後退位した宣統帝溥儀がここで暮らしていたことでも有名な建物です。 -
麗景軒の内部には溥儀が使用したという調度類が復元されていました。
退位後の質素な暮らしぶりを思わせる空間です。 -
溥儀の写真や当時の小物類も展示されていました。
このあたりになると現代史の世界ですね。 -
内西路は非公開地区も多く、麗景軒を観たらもう観るべき場所もないようです。
そして故宮の北の門である順貞門から外へ。
時計を見ると11時15分。
8時30分に入場してから3時間近く故宮の中にいたことになります。
けっこう早回りで観たはずなのですが、やはり故宮は広い・・・。
ここまでで足が相当くたびれました。。 -
順貞門の北にはもうひとつ門が。
神武門で、ここが故宮の本当の北の出口です。
“故宮博物院”という郭沫若の筆による額も掲げられています。 -
神武門を抜けると目の前にはこんもり盛り上がった景山公園が。
まさに、登れといわんばかりの景色(笑)。
当初は故宮を出た後すぐに頤和園に行こうと思っていたのですが、この景色を見せられたら寄らないわけにはいきません。 -
景山公園の入園料は2元(26円)とかなり低く設定されています。
円明園や天壇公園と違って無料地区がなく、市民の憩いの場所でもあるので、安くなっているのでしょう。
早速階段を登って山頂の萬春亭へ。 -
萬春亭から見た故宮の眺望。
黄色の瑠璃瓦が太陽の光の下で輝き、まるでいにしえの紫禁城がよみがえったかのような壮大な景色です。
この景山公園は12世紀の金の時代にはすでにあったようで、歴世の王朝の禁苑(皇室の庭園)として受け継がれてきたそうです。
現代は誰でもこの素晴らしい眺めを楽しめ、若い小皇帝と小皇后のカップルたちも記念撮影に興じています。
・・・平和で平等な時代になったものだとつくづく感じます。 -
12時になりました。
この日はほんとに青空が広がるいい天気です。
頤和園に行こうと地下鉄西四駅へ向かいますが、通り道にある北海公園にもついでに寄ることにしました。
入場料10元(130円)を払って公園の中へ。
北海の小島(瓊華島)にそびえるチベット式仏塔の白塔が印象的な公園です。 -
小島の周りの北海ではたくさんのボートが浮かび、市民や観光客が水遊びを楽しんでいます。
-
橋を渡っていると大五郎カットの双子が。
一人っ子政策でもさすがに双子の場合は許されるようです。 -
お尻の割れた服のお子ちゃまも。
家族連れも青空の下、公園での休日を楽しんでいます。 -
やはり高いものを見せられたら・・・ということで白塔へ登ります。
橋(永安橋)を渡ったところに永安寺というお寺があり、その裏に白塔へ続く急な階段があります。
この階段へは永安寺の建物の中を通って行くのですが、裏へ抜ける道は隠し通路のようになっているので、ちょっと気を付ける必要があります。
この後行った頤和園の建物も同じような構造になっており、中国の建物にはよくある構造なので、慣れればなんということはないのですが、最初はちょっと迷いました。 -
白塔からの眺めです。
青空の下、故宮の黄色に輝く瑠璃瓦や景山公園の築山が一望のもと見渡せます。 -
北海公園の見学を終え、ここでようやく頤和園に向かうべく、地下鉄西四駅へ。
やはり北京の街路は大きく、徒歩ではけっこうきつかったかも・・・。
途中、街路樹が心地よい木陰を作っていました。
本当に北京は緑化が進み、緑が多い印象です。 -
地下鉄4号線で北宮門駅まで行き、13時30分、頤和園到着。
入園料は蘇州街や仏香閣などに入れる通し券で60元(780円)。
北宮門から中に入ると故宮に勝るとも劣らないたくさんの観光客でいっぱいでした。
さすが世界遺産。
この公園は清の乾隆帝が1750年に母親の長寿を祝って造園した庭園が前身で、1860年のアロー号戦争で英仏連合軍に破壊された後、1888年に西太后が再建した際に今の名前が付けられました。
その後1900年の義和団事件で8か国連合軍に再び破壊されますが、1902年、西太后の手によりみたび再建されました。
このときのものが現在に伝わる頤和園の姿となっています。 -
北宮門を入ってすぐ橋の下にある蘇州街です。
名前の通り、江南地方の蘇州の水郷古鎮を模したテーマパークとなっています。
水のほとりでは若いカップルたちが記念撮影に興じており、わたしも中国語で撮影を頼まれました。
やはり日本人は中国人と区別がつかないようですね。 -
蘇州街より南は万寿山という山が横たわっており、その南の昆明湖に行くには山道を登り降りしなければなりません。
頤和園は円明園ほど大きくないですが、アップダウンがあって、移動にはかなり足をつかいます。 -
20分ほど歩いて昆明湖にたどり着きました。
とりあえず観光名所となっている清晏舫(石舫)をパチリ。
全長36mの石の船で、神仙世界の蓬莱島へ向かう宝船を表しているのだそうです。
この辺で昼食にしようと園内の眺めのよさそうな二階建てのお店に入ったのですが、新しい客がおらず、店員も中国語で何を言っているかさっぱり分からず・・・もう休憩時間なのかと思って結局あきらめました。 -
続いては昆明湖に沿って東西に延びる長廊へ。
木陰が涼やかです。 -
長廊を内側からパチリ。
梁には花鳥画や風景画、歴史画が鮮やかに描かれており、まさに贅を尽くした皇帝のプライベート空間でしたが、現在はこのように一般市民に開放されています。
みんな欄干に腰かけて休憩したり思い思いの時間を過ごしています。 -
長廊の真ん中を万寿山に向かって折れると、黄色い瑠璃瓦が鮮やかな拝雲殿の向こうにまたまた登れと言わんばかりの仏香閣が姿を現しました。
この八角三層の塔は、乾隆帝が杭州の六和塔を模して造ったものだそうです。
足はもう痛いくらいでしたが、しょうがないので登ります(笑)。 -
なんとか登って下を見降ろします。
黄色く輝く拝雲殿の瑠璃瓦と昆明湖のコントラストはなかなか壮観、これもかつては皇帝に独占されていた景色です。
・・・こうして今、写真だけを見ていると登ってよかったと思えますが、このときは足がもう痛くて大変でした(笑)。 -
仏香閣から万寿山の山道を下り、歩きに歩いて頤和園南東部の仁寿殿までやってきました。
この仁寿殿は西太后と光緒帝が外国公使を接見したりするのに使われたそうです。
こちらは頤和園のもう一方の入口、東宮門のすぐ近くにあるため、やってきたばかりの観光客でいっぱいです。
東宮門の方が北宮門よりも駅から遠いですが、バス停が近くにあり、こちらの方が観光客にはメジャーなようです。 -
仁寿殿の南、昆明湖東岸にある文昌閣から、空を突き刺すようにそびえる万寿山の仏香閣と静かに水をたたえる昆明湖をパチリ。
ここからの眺めもまた秀逸。
手前の遊覧ボートがちょっと邪魔かな・・・。 -
頤和園の観光の最後に仁寿殿のすぐ北側にある徳和園へ。
徳和園は観劇のための建築群ですが、この三階建ての大戯楼がシンボル的存在です。
大戯楼は光緒帝時代の1891年に建設が開始され、5年の歳月をかけて完成しました。
ここは専ら西太后のための施設で、節句や皇帝、皇后の誕生日に京劇の名優が集められ、大観劇会が催されたそうです。 -
現代でも、頤和園に来る観光客のために1〜2時間ごとに京劇が催されます。
この日は白と黒の衣装を着た役者によるパントマイムのような劇で、動きも少なくそれほどおもしろくはありませんでした・・・。
観光客が数十人集まっていたので、もうちょっとがんばってほしいですねえ。 -
京劇に続いて古来の楽器による演奏会も行われました。
後ろの方には銅鐸のような楽器も。
こちらの方が観光客のウケもよく、ずっとよかったです。 -
さて、帰り道は万寿山を越えて北宮門へ行き、そこから地下鉄へ。
山の中は標識も少なく迷ってしまいましたが、なんとか出口へたどり着きました。
そして17時に頤和園を出て、ネットで予約していた雑技をみるべく朝陽劇場へ。
一度地下鉄を乗り換えて呼家楼駅へ行き、そのすぐ近くです。 -
席は中央前から4列目で280元(約3,600円)。
やや後ろ、劇場の中央にもっと高い席もありましたが、前の席でも近くて迫力ある劇が楽しめました。
19時15分、雑技開始。
筋骨たくましい若い男性が登場すると、前の席にいた日本人らしき女性が男性の裸の写真を撮りまくっていました(笑)。 -
こちらもたくましい背筋を見せつけるポーズ。
やはり前の席の女性は写真を撮りまくっていました(笑)。 -
雑技には男性だけでなく当然女性も登場します。
まるで棒に皿がくっついているような皿回し。
上に乗っている女性の足も下の女性の頭にくっついているかのよう・・・どういう仕掛けになっているのでしょうか。
静止画でみると技の凄さが極立ちますね。
こういった技の数々に、隣で観ていたアメリカ人の男性はまるで漫画のように“Oh , My God”とつぶやいていました(笑)。 -
20時30分、1時間あまりの技のオンパレードが終わり、団員が集合して大団円を迎えます。
次から次への連続技に驚かされてばかりで、終わってみるとまさにあっという間で楽しいショーでした。 -
雑技の後はおいしい料理にありつけると思い、前々日に行った東直門内鬼街を再訪。
ウイグル料理の店を見つけ、羊の串焼きや羊肉の煮込み、ウイグル風炒飯を注文(もちろんビールも)。
やはり一人では食べきれないほどでしたが、ピリッとしておいしかったです。
食後には新疆ミルクティーなるものを注文。
銀色のポットにいっぱい入っていて、こちらも飲みきれませんでしたがほっとする味でした。
お代は100元(1,300円)。ビールも飲んで腹いっぱい食べられたし、まあこんなものではないでしょうか。
・・・この旅行記を書いていて日本でもウイグル料理店に行ってみたくなりました(笑)。
(北京の休日四日目=最終日に続く。)
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この旅行記へのコメント (6)
-
- ざっちさん 2011/10/16 20:22:45
- はじめまして。北京旅行記くわしいです!
- 先日は私の旅行記に訪問と投票をいただきありがとうございました。
こちらの旅行記は海外の国々を回られているのがとても素敵ですね。中国の北京の旅行記、こちらも写真がきれいですね。近いですがなかなか家族で行くのには遠いです。ですのでエンリケさんの旅行記でたのしませていただきますね。
そして写真だけではなく解説も詳細で読んでいて楽しいです。
また寄せていただきますね。
ざっちより。
- エンリケさん からの返信 2011/10/20 00:06:10
- ご訪問ありがとうございます。
- ざっちさん
こんばんは。ご訪問&ご投票ありがとうございます。
ざっちさんの楽しい国内旅行記、うらやましく拝見しております。
わたしの方は比較的自由な時間があるものですから、旅行というと思い切って海外へ行くことが多くなっています。
どちらかというと“修行の旅”という感じですかね(笑)。
北京の旅行記、もともと中国史が好きだったので、つい解説も凝ってしまいます。
中国史は帝室のドロドロした人間ドラマが面白く、人間の本質について考えさせられますよね。
そんな解説も楽しんでいただけて光栄です。
ぜひまた遊びにきてください!
-
- がりさん 2011/07/13 23:57:02
- 見どころ豊富な北京
- エンリケさん、こんばんは!
北京旅行記、楽しく拝見しています。
エンリケさんは中国の歴史にも詳しいようで、読んでると、そうだったんだぁ…と感じること多いです。
それにしても、北京は見どころ豊富な街ですよね〜。
僕はすぐに北京を出発してしまったので、なんか見逃したのがいっぱいある気がします。
僕は南京で明孝陵へ行ったのですが、北京の明十三陵、なんだかそっくりです!
建物の感じも、神獣の像の並ぶ参道も、石碑を支える亀みたいなのも。
やっぱり同じ明の陵墓、似てるんですかね。
頤和園もまた巨大ですね〜。
ほんとに北京はあまりに規模が大きくて、街歩きが大変でした。
地図で見ると大したことないように思えても、実際歩くとめちゃくちゃ遠かったりして…(笑)。
エンリケさんも、晴天に恵まれてよかったですね♪
抜けるような青空、北京の街によく似合います〜。
- エンリケさん からの返信 2011/07/27 23:52:29
- ご訪問ありがとうございます!
- がりさん
こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます。
がりさんの南京〜蘇州旅行記、拝見しました。
明孝陵は北京の明十三陵のさきがけだけあってそっくりですね〜。
そしてその近くに日中友好の桜園があるなんて驚きです。
こういうのを見つけると、旅行して本当によかったと感じられますよね。
北京はおっしゃるとおり見所満載の巨大都市で、歩いて回るには相当な体力が必要だと実感しました。
やはり中国の都市はスケールがでかいです。
それでも、まだまだ中国のいろんな都市を巡ってその壮大な歴史に思いを馳せてみたいですね。
がりさんの中国縦断グラフィティの続きも楽しみにしています!
-
- 川岸 町子さん 2011/06/29 22:22:14
- 完走しました
- エンリケさま
初めて拝見した時、あまりのすばらしい旅行記に感動しました。少しずつ進めていき、ついに完走しました。拝見させて頂き、本当にありがとうございます。
よく、たとえで「〜のよう」と言いますが、エンリケさんのお写真は「一枚の絵画」のようです。美しい絵を沢山見せて頂いた事になります。
また、穏やかで落ち着いた文章もわかりやすくて、私も行ってみたいという気にさせられました。
私はインドを2回連続で旅しました。強烈なんだけど、とっても楽しくて、その次はどこにしようかと悩みます・・・。拝見したエジプトの気球にぐっとひかれました!
いったん完走したものの、これからも拝見させて下さい。
どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。
川岸 町子
- エンリケさん からの返信 2011/07/03 17:09:37
- ありがとうございます!
- 川岸町子さん
こんにちは。
旅行記全部見ていただいたんですか!
お褒めの言葉までいただき、どうもありがとうございます。
写真はたまたま素材がいいだけで(笑)まだまだカメラ初心者ですので、もっともっといい写真を撮りたいと常に心がけているところです。
それでも、そういうお言葉をいただくとたいへん励みになります。
川岸さんのインド旅行記、ものすごく充実してますね〜。
大好きな様子が伝わってきます。
とても一度では読み切れないので、ゆっくり拝見させていただきます。
これからもよろしくお願いします!
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