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北京の休日4日目。<br />今回の旅行も最終日です。<br />早朝は天壇公園に行き、続いて雍和宮へ。そして羽田へ。<br />天壇では世界遺産とともにお気に入りのことをしながら人生を過ごす老北京人の平和な日常を、雍和宮ではチベット仏教の寺院にお参りする中国人の意外な一面を見ることができました。<br />こうしてアップしてみると、なんだか取材旅行のようになってしまいましたが、メディアでは伝わってこない中国のいろいろな実情を知ることができ、これからもこの国と末永くつきあっていく上で非常に有意義な経験ができた旅でした。<br /><br /><旅程表><br /> 2011年<br /> 5月20日(金) 羽田→北京(円明園→東直門内鬼街)<br /> 5月21日(土) 北京(明十三陵→万里の長城→牛街礼拝寺<br />           →湖広会館→天安門)<br /> 5月22日(日) 北京(故宮→景山公園→北海公園→頤和園<br />           →朝陽劇場)<br />○5月23日(月) 北京(天壇→雍和宮)→羽田

北京の休日(4) 蒼穹の下の天壇と老北京の平和な日常

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2011/05/23 - 2011/05/23

418位(同エリア5334件中)

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エンリケ

エンリケさん

北京の休日4日目。
今回の旅行も最終日です。
早朝は天壇公園に行き、続いて雍和宮へ。そして羽田へ。
天壇では世界遺産とともにお気に入りのことをしながら人生を過ごす老北京人の平和な日常を、雍和宮ではチベット仏教の寺院にお参りする中国人の意外な一面を見ることができました。
こうしてアップしてみると、なんだか取材旅行のようになってしまいましたが、メディアでは伝わってこない中国のいろいろな実情を知ることができ、これからもこの国と末永くつきあっていく上で非常に有意義な経験ができた旅でした。

<旅程表>
 2011年
 5月20日(金) 羽田→北京(円明園→東直門内鬼街)
 5月21日(土) 北京(明十三陵→万里の長城→牛街礼拝寺
           →湖広会館→天安門)
 5月22日(日) 北京(故宮→景山公園→北海公園→頤和園
           →朝陽劇場)
○5月23日(月) 北京(天壇→雍和宮)→羽田

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.0
グルメ
2.0
ショッピング
3.0
交通
4.0
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
鉄道 徒歩
航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配
  • 5月23日(月)<br />今回の北京旅行もこの日が最終日です。<br /><br />日本への飛行機は15時45分発なので、午前中たっぷり観光できます。<br />やっぱり北京は近いです。<br /><br />ホテルで朝食をとり、地下鉄で天壇東門駅へ。<br /><br />8時に到着。東門で通しのチケット(35元=約450円)を買って天壇公園へ入ります。<br /><br />公園内ではテレビでよく見る風景、太極拳をする一団に出会えました。

    5月23日(月)
    今回の北京旅行もこの日が最終日です。

    日本への飛行機は15時45分発なので、午前中たっぷり観光できます。
    やっぱり北京は近いです。

    ホテルで朝食をとり、地下鉄で天壇東門駅へ。

    8時に到着。東門で通しのチケット(35元=約450円)を買って天壇公園へ入ります。

    公園内ではテレビでよく見る風景、太極拳をする一団に出会えました。

  • 東門から中心部に向かって歩いて行くと、前日の頤和園でもあったような長廊が出現しました。<br /><br />この長廊は柱と柱の間が72あることから七十二長廊と呼ばれています。<br /><br />七十二長廊では朝早くから男女問わず地元の老人たちが集まり、おしゃべりなどに興じています。<br /><br />そしてその向こうには、この天壇公園を代表する建物、祈年殿がうっすらと見えてきました。

    東門から中心部に向かって歩いて行くと、前日の頤和園でもあったような長廊が出現しました。

    この長廊は柱と柱の間が72あることから七十二長廊と呼ばれています。

    七十二長廊では朝早くから男女問わず地元の老人たちが集まり、おしゃべりなどに興じています。

    そしてその向こうには、この天壇公園を代表する建物、祈年殿がうっすらと見えてきました。

  • 祈年殿に到着です。<br /><br />三層の円い屋根のシルエットはありそうでなかなかない建物ですね。<br /><br />ここで中国人の若い女性4人組から写真を撮ってと中国語で声をかけられました。<br />“イ〜、アール、サン”と祈年殿をバックに小皇后らしくビシッとポーズを決めた写真を撮ってあげた後、“どこから来たの?”と聞かれたので“日本から”と答えると“あ〜”とちょっと残念そうな(?)反応。<br /><br />日本は中国人にあまりよく思われてないのか、それとも別の意味でしょうかね。

    祈年殿に到着です。

    三層の円い屋根のシルエットはありそうでなかなかない建物ですね。

    ここで中国人の若い女性4人組から写真を撮ってと中国語で声をかけられました。
    “イ〜、アール、サン”と祈年殿をバックに小皇后らしくビシッとポーズを決めた写真を撮ってあげた後、“どこから来たの?”と聞かれたので“日本から”と答えると“あ〜”とちょっと残念そうな(?)反応。

    日本は中国人にあまりよく思われてないのか、それとも別の意味でしょうかね。

  • 祈年殿の中をのぞいてみます。<br /><br />奥に皇帝の玉座が見えます。<br /><br />建物を支える柱は全部で28本あり、うち金色の龍が描かれている中央の4本の柱(龍井柱)は四季を、周りの12本の金柱は12か月を、そのほかの12の柱は12の時刻を表していると言われています。<br /><br /><br />そもそも天壇とは、この祈年殿、そして皇穹宇、圜丘をあわせた総称で、明・清二朝の皇帝が天を祀り五穀豊穣を祈った祭祀のための建築群です。<br /><br />祈年殿は明の永楽帝時代の1420年に創建されましたが、現在の建物は1889年に落雷により焼失した後に復元されたものだそうです。<br /><br />皇帝は毎年正月に、ここで帝国の豊作を願ったと伝えられています。

    祈年殿の中をのぞいてみます。

    奥に皇帝の玉座が見えます。

    建物を支える柱は全部で28本あり、うち金色の龍が描かれている中央の4本の柱(龍井柱)は四季を、周りの12本の金柱は12か月を、そのほかの12の柱は12の時刻を表していると言われています。


    そもそも天壇とは、この祈年殿、そして皇穹宇、圜丘をあわせた総称で、明・清二朝の皇帝が天を祀り五穀豊穣を祈った祭祀のための建築群です。

    祈年殿は明の永楽帝時代の1420年に創建されましたが、現在の建物は1889年に落雷により焼失した後に復元されたものだそうです。

    皇帝は毎年正月に、ここで帝国の豊作を願ったと伝えられています。

  • 祈年殿の北には青い瑠璃瓦が鮮やかな皇乾殿がありました。<br /><br />祈年殿に祀られた神の供養を行った場所で、神を祀る際に用いた古代楽器などの安置場所としても利用されていました。<br /><br />創設当初は天庫と呼ばれていましたが、1545年に改装され皇乾殿と改名したそうです。<br />

    祈年殿の北には青い瑠璃瓦が鮮やかな皇乾殿がありました。

    祈年殿に祀られた神の供養を行った場所で、神を祀る際に用いた古代楽器などの安置場所としても利用されていました。

    創設当初は天庫と呼ばれていましたが、1545年に改装され皇乾殿と改名したそうです。

  • 祈年殿を壇の下からパチリ。<br /><br />通路の中央には、紫禁城と同様に石のレリーフが彫られています。

    祈年殿を壇の下からパチリ。

    通路の中央には、紫禁城と同様に石のレリーフが彫られています。

  • 祈年殿の周りにはいつの間にかこんなに観光客が集まってきていました。<br /><br />北京市内の世界遺産はどこも人気です。

    祈年殿の周りにはいつの間にかこんなに観光客が集まってきていました。

    北京市内の世界遺産はどこも人気です。

  • さて、次は祈年殿から陸橋である丹陛橋を渡って真っ直ぐ南へ。<br /><br />天壇第二の建物である皇穹宇を目指します。

    さて、次は祈年殿から陸橋である丹陛橋を渡って真っ直ぐ南へ。

    天壇第二の建物である皇穹宇を目指します。

  • 丹陛橋の南端にある成貞門をくぐってぐるっとまわりこめば皇穹宇です。<br /><br /><br />とここで、先ほど祈年殿で写真を撮ってあげた小皇后四人組と再会。<br /><br />“また写真?”と聞くと、早速成貞門をバックにポーズを取り始めます(笑)。<br /><br />それぞれ別の決めポーズの写真を2枚撮ってあげると、“謝謝!”とうれしそうに去って行きました。<br /><br />少しは日本のイメージアップに貢献できたかな(笑)。

    丹陛橋の南端にある成貞門をくぐってぐるっとまわりこめば皇穹宇です。


    とここで、先ほど祈年殿で写真を撮ってあげた小皇后四人組と再会。

    “また写真?”と聞くと、早速成貞門をバックにポーズを取り始めます(笑)。

    それぞれ別の決めポーズの写真を2枚撮ってあげると、“謝謝!”とうれしそうに去って行きました。

    少しは日本のイメージアップに貢献できたかな(笑)。

  • 成貞門から南側にまわりこんで皇穹宇の入口にやってきました。<br /><br />皇穹宇は“回音壁”と呼ばれる円形の塀で囲まれていて、中に入らないと姿が見えません。<br /><br />ちなみにこの回音壁は、中で壁に向かって何かささやくと、その声が180度対極にいる人に伝わるという、音の反射を利用した特殊な構造になっているそうです。

    成貞門から南側にまわりこんで皇穹宇の入口にやってきました。

    皇穹宇は“回音壁”と呼ばれる円形の塀で囲まれていて、中に入らないと姿が見えません。

    ちなみにこの回音壁は、中で壁に向かって何かささやくと、その声が180度対極にいる人に伝わるという、音の反射を利用した特殊な構造になっているそうです。

  • 中に入ると円い敷地の中に皇穹宇が姿を現しました。<br /><br />先ほどの祈年殿の一層版というようなかたちですが、シルエット的にはこちらの方がスタイリッシュな感じがします。<br />まるで満州族の帽子のようでもあります。<br /><br />ただし、この皇穹宇は明の嘉靖帝時代の1530年に築かれたもので、祭祀の際に皇帝の位牌が置かれたそうです。<br /><br />この皇穹宇にしても祈年殿にしても、紫禁城の黄色とは異なり鮮やかな青色の瑠璃瓦をしています。<br />青色は蒼穹の天を象徴しているそうです。

    中に入ると円い敷地の中に皇穹宇が姿を現しました。

    先ほどの祈年殿の一層版というようなかたちですが、シルエット的にはこちらの方がスタイリッシュな感じがします。
    まるで満州族の帽子のようでもあります。

    ただし、この皇穹宇は明の嘉靖帝時代の1530年に築かれたもので、祭祀の際に皇帝の位牌が置かれたそうです。

    この皇穹宇にしても祈年殿にしても、紫禁城の黄色とは異なり鮮やかな青色の瑠璃瓦をしています。
    青色は蒼穹の天を象徴しているそうです。

  • 皇穹宇のさらに南には圜丘があります。<br /><br />圜丘は白石三層の壇のみの構造となっており、建物はありません。<br /><br />かつての皇帝は毎年冬至の日にここに登り、天にその一年の報告をしていたそうです。<br /><br />雰囲気的には、なんだか、オスロのヴィーゲラン公園(ノルウェー〜デンマーク紀行(2)参照)を思い起こさせます。<br />圜丘の方が由来は古いですが・・・。<br /><br />なお、この圜丘は階段や欄干、敷石の数が層ごとに9の倍数になっていることも特徴のひとつです。<br />中国古来の陰陽五行説では奇数を“天数”(偶数は“地数”)と呼んでいましたが、なかでも“9”は天数の中で最大であり、皇帝を指すものとして尊ばれたことに由来するそうです。

    皇穹宇のさらに南には圜丘があります。

    圜丘は白石三層の壇のみの構造となっており、建物はありません。

    かつての皇帝は毎年冬至の日にここに登り、天にその一年の報告をしていたそうです。

    雰囲気的には、なんだか、オスロのヴィーゲラン公園(ノルウェー〜デンマーク紀行(2)参照)を思い起こさせます。
    圜丘の方が由来は古いですが・・・。

    なお、この圜丘は階段や欄干、敷石の数が層ごとに9の倍数になっていることも特徴のひとつです。
    中国古来の陰陽五行説では奇数を“天数”(偶数は“地数”)と呼んでいましたが、なかでも“9”は天数の中で最大であり、皇帝を指すものとして尊ばれたことに由来するそうです。

  • 壇の中心には漢白玉石(真っ白な大理石)でできた円形の“天心石”があり、かつての皇帝は、ここで五穀豊穣を願って天と言葉を交わしたのだそうです。<br /><br />現在では外国人までも小皇帝のようになって絶好の撮影スポットとなっています。

    壇の中心には漢白玉石(真っ白な大理石)でできた円形の“天心石”があり、かつての皇帝は、ここで五穀豊穣を願って天と言葉を交わしたのだそうです。

    現在では外国人までも小皇帝のようになって絶好の撮影スポットとなっています。

  • 圜丘の南にはすぐ南門が見えます。<br /><br />本当は南門から入って、圜丘、皇穹宇、祈年殿と真っ直ぐ北へ進んでいくルートが正しいそうなのですが、南門は駅から遠いため逆ルートを辿ることになってしまいました・・・。

    圜丘の南にはすぐ南門が見えます。

    本当は南門から入って、圜丘、皇穹宇、祈年殿と真っ直ぐ北へ進んでいくルートが正しいそうなのですが、南門は駅から遠いため逆ルートを辿ることになってしまいました・・・。

  • さて、時計を見ると9時。<br />公園に入ってからちょうど一時間が経過しました。<br /><br />天壇東門駅に戻るため、圜丘から北の皇穹宇へ、元来た道を引き返します。<br /><br /><br />天壇公園は中央の圜丘、皇穹宇、祈年殿や園路の周りにはたくさんの植栽がほどこされ、緑に包まれた公園といった印象です。

    さて、時計を見ると9時。
    公園に入ってからちょうど一時間が経過しました。

    天壇東門駅に戻るため、圜丘から北の皇穹宇へ、元来た道を引き返します。


    天壇公園は中央の圜丘、皇穹宇、祈年殿や園路の周りにはたくさんの植栽がほどこされ、緑に包まれた公園といった印象です。

  • 途中、“世界ふれあい街歩き”でよく見るような水をつけた筆で書道をするおじさんも。

    途中、“世界ふれあい街歩き”でよく見るような水をつけた筆で書道をするおじさんも。

  • 9時20分、園路をぶらぶら歩きながら、祈年殿近くの七十二長廊まで戻ってきました。<br /><br />早朝よりも地元の老人が増えたようで、長廊はたくさんの人で賑わっていました。

    9時20分、園路をぶらぶら歩きながら、祈年殿近くの七十二長廊まで戻ってきました。

    早朝よりも地元の老人が増えたようで、長廊はたくさんの人で賑わっていました。

  • 欄干でトランプに興じる老人たち。

    欄干でトランプに興じる老人たち。

  • ほかにも中国将棋や編み物など、女性も混じって思い思いのことをして過ごしていました。<br /><br />あまり日本では、公の場で老人が集まって何か娯楽に興じるというのを見ない気がします。<br /><br />北京は都市としての歴史でいえば遥か紀元前、春秋戦国の燕の時代に遡りますが、こういう市民の余暇の過ごし方も都市の培ってきた文化でしょうかね。

    ほかにも中国将棋や編み物など、女性も混じって思い思いのことをして過ごしていました。

    あまり日本では、公の場で老人が集まって何か娯楽に興じるというのを見ない気がします。

    北京は都市としての歴史でいえば遥か紀元前、春秋戦国の燕の時代に遡りますが、こういう市民の余暇の過ごし方も都市の培ってきた文化でしょうかね。

  • 天壇公園の次は地下鉄に乗って雍和宮駅へ。<br /><br />天壇東門駅からなら地下鉄5号線で乗り換えなしで済みます。<br /><br />駅からは意外に歩き、仏像や線香などの仏教グッズを売っているみやげ屋を通りぬけて10時、雍和宮入口に到着。<br /><br />入場料金は25元(約330円)です。

    天壇公園の次は地下鉄に乗って雍和宮駅へ。

    天壇東門駅からなら地下鉄5号線で乗り換えなしで済みます。

    駅からは意外に歩き、仏像や線香などの仏教グッズを売っているみやげ屋を通りぬけて10時、雍和宮入口に到着。

    入場料金は25元(約330円)です。

  • 雍和宮の参道です。<br /><br />緑豊かで涼しい印象です。

    雍和宮の参道です。

    緑豊かで涼しい印象です。

  • 参道にはこんな龍のデザインをしたゴミ箱とリサイクルボックスがありました。<br /><br />表示も漢字で日本人には分かりやすいですが、欧米人には区別がつかないかな・・・。

    参道にはこんな龍のデザインをしたゴミ箱とリサイクルボックスがありました。

    表示も漢字で日本人には分かりやすいですが、欧米人には区別がつかないかな・・・。

  • 緑の道を抜けると昭奉門が姿を現します。<br /><br />故宮と同様に、南から入って中央の直線上にいくつもの門や建物が並ぶ構造になっています。

    緑の道を抜けると昭奉門が姿を現します。

    故宮と同様に、南から入って中央の直線上にいくつもの門や建物が並ぶ構造になっています。

  • 昭奉門の次は雍和門。<br /><br />参拝客は線香をあげ、膝をついて礼拝しています。<br /><br />そもそもこの雍和宮は清代に開かれた北京最大のチベット仏教寺院で、仏教は清=満州族が中国を支配する以前から伝統的に信仰していた宗教でもありました。<br /><br />“満州”という民族名も大乗仏教の崇拝の対象である“文殊菩薩”から取ったものと言われています。<br /><br />清の康熙帝の時代に当時親王の位にあった雍正帝の邸宅が置かれ、雍正帝の次の乾隆帝の時代にチベット仏教の寺院に改修されたことから雍和宮という名で呼ばれるようになりました。<br /><br />雍正帝は征服によりモンゴル諸族をその支配下に収め、モンゴルの後継者としてチベット仏教の保護者を自認したことから満州族にもチベット仏教を信仰する者が多くなっていったと言われています。

    昭奉門の次は雍和門。

    参拝客は線香をあげ、膝をついて礼拝しています。

    そもそもこの雍和宮は清代に開かれた北京最大のチベット仏教寺院で、仏教は清=満州族が中国を支配する以前から伝統的に信仰していた宗教でもありました。

    “満州”という民族名も大乗仏教の崇拝の対象である“文殊菩薩”から取ったものと言われています。

    清の康熙帝の時代に当時親王の位にあった雍正帝の邸宅が置かれ、雍正帝の次の乾隆帝の時代にチベット仏教の寺院に改修されたことから雍和宮という名で呼ばれるようになりました。

    雍正帝は征服によりモンゴル諸族をその支配下に収め、モンゴルの後継者としてチベット仏教の保護者を自認したことから満州族にもチベット仏教を信仰する者が多くなっていったと言われています。

  • 雍和宮の各建物の中には様々な仏像が安置されており、人々の参拝の対象となっているのですが、基本的に内部では信仰のための静謐さを維持するため撮影禁止。<br /><br />ちょっと外からズームアップして撮影してみました。<br /><br />日本でもおなじみ七福神の布袋様ですが、中国では弥勒菩薩として寺院の仏堂に安置されることが多いようです。

    雍和宮の各建物の中には様々な仏像が安置されており、人々の参拝の対象となっているのですが、基本的に内部では信仰のための静謐さを維持するため撮影禁止。

    ちょっと外からズームアップして撮影してみました。

    日本でもおなじみ七福神の布袋様ですが、中国では弥勒菩薩として寺院の仏堂に安置されることが多いようです。

  • 雍和門を通り抜けて雍和宮へ。<br /><br />ここはほかのどこよりも欧米系の観光客の割合が高いです。<br />やっぱり、はっきりと“宗教”を前面に出した施設の方が、キリスト教をバックボーンとする欧米系の観光客にとっては分かりやすいし観光しがいがあるのでしょうかね。<br /><br />清代に掲げられた雍和宮の扁額には、漢字のほか、チベット文字や満州文字、モンゴル文字でも建物の名前が描かれており、清はこれら諸民族を内包する他民族国家であったことをうかがわせます(今でも中国は他民族国家で、人民元には漢字のほかモンゴル語、ウイグル語、チベット語、チワン語の少数民族の諸文字で表記がされていますが)。

    雍和門を通り抜けて雍和宮へ。

    ここはほかのどこよりも欧米系の観光客の割合が高いです。
    やっぱり、はっきりと“宗教”を前面に出した施設の方が、キリスト教をバックボーンとする欧米系の観光客にとっては分かりやすいし観光しがいがあるのでしょうかね。

    清代に掲げられた雍和宮の扁額には、漢字のほか、チベット文字や満州文字、モンゴル文字でも建物の名前が描かれており、清はこれら諸民族を内包する他民族国家であったことをうかがわせます(今でも中国は他民族国家で、人民元には漢字のほかモンゴル語、ウイグル語、チベット語、チワン語の少数民族の諸文字で表記がされていますが)。

  • 続いては永佑殿。<br /><br />ここでも線香を焚いて礼拝している中国人を多く見かけました。<br /><br />これは本当にチベット仏教を信仰しているのか、それとも観光のしきたりなのか・・・。<br /><br />いずれにせよ、チベット問題とも言われる民族問題を抱える中国にとって、異文化を認めるスポットがあるのはとてもよいことだと思います。<br /><br />雍和宮のチベット仏教自体が本場チベット自治区のチベット仏教とは違うものなのかもしれませんが・・・。<br /><br />いつかチベットにも行って確かめてきたいものです。

    続いては永佑殿。

    ここでも線香を焚いて礼拝している中国人を多く見かけました。

    これは本当にチベット仏教を信仰しているのか、それとも観光のしきたりなのか・・・。

    いずれにせよ、チベット問題とも言われる民族問題を抱える中国にとって、異文化を認めるスポットがあるのはとてもよいことだと思います。

    雍和宮のチベット仏教自体が本場チベット自治区のチベット仏教とは違うものなのかもしれませんが・・・。

    いつかチベットにも行って確かめてきたいものです。

  • 広大な雍和宮の敷地のいちばん奥、最北のところに、萬福閣という雍和宮最大の建築物がありました。<br /><br />この中には、高さ26m(地上18m、地下8m)、直径8mの巨大な木造の弥勒菩薩像が収められています。<br /><br />菩薩像は金箔が貼られていて顔はかなり高い位置にあり、暗いこともあって表情がよく分かりませんでした。<br /><br />観光客がみな上を向いている中、信者らしき人々は膝をつきながら熱心に祈りをささげていました。

    広大な雍和宮の敷地のいちばん奥、最北のところに、萬福閣という雍和宮最大の建築物がありました。

    この中には、高さ26m(地上18m、地下8m)、直径8mの巨大な木造の弥勒菩薩像が収められています。

    菩薩像は金箔が貼られていて顔はかなり高い位置にあり、暗いこともあって表情がよく分かりませんでした。

    観光客がみな上を向いている中、信者らしき人々は膝をつきながら熱心に祈りをささげていました。

  • 萬福閣の内部はやはり撮影禁止。<br /><br />外から礼拝をする人々の様子を撮影するにとどめます。

    萬福閣の内部はやはり撮影禁止。

    外から礼拝をする人々の様子を撮影するにとどめます。

  • 時計を見ると10時40分。<br /><br />そろそろホテルへ戻り、荷物をまとめて空港に急ぎます。<br /><br />もと来たみやげ屋街を通って地下鉄雍和宮駅へ。<br /><br />11時30分、ホテルへ戻り12時チェックアウト。<br /><br />そして機上快軌で北京首都国際空港第三ターミナルへ。

    時計を見ると10時40分。

    そろそろホテルへ戻り、荷物をまとめて空港に急ぎます。

    もと来たみやげ屋街を通って地下鉄雍和宮駅へ。

    11時30分、ホテルへ戻り12時チェックアウト。

    そして機上快軌で北京首都国際空港第三ターミナルへ。

  • 空港へはスムーズに着いたのですが、出発予定便ににANAの表示がない・・・。<br /><br />受付のお姉さんに聞いたらちゃんとチェックインカウンターを教えてくれ、無事にチェックインできました。<br /><br />それにしても日本への便が表示されていないのはなぜ・・・やっぱり中国と日本の微妙な間柄を示しているのでしょうか。<br /><br />早めに空港に着いたので、昼食でもとろうと中華料理か飲茶のお店を探しますが・・・これがまったくありません。<br /><br />最後の料理はおいしい中華でもと思っていたのに残念。<br />日本料理や西洋料理はあるのに中華がないなんて・・・案外需要がないのでしょうかね。<br /><br />しかたないのでファストフードのお店に入って麻婆豆腐や炒飯など、かろうじて中国っぽいものを頼みますが、所詮ファストフードの域を出ない味・・・。<br /><br />お茶も甘くて最初は意外な感じで楽しめたのですが、途中から飽きてしまいました。

    空港へはスムーズに着いたのですが、出発予定便ににANAの表示がない・・・。

    受付のお姉さんに聞いたらちゃんとチェックインカウンターを教えてくれ、無事にチェックインできました。

    それにしても日本への便が表示されていないのはなぜ・・・やっぱり中国と日本の微妙な間柄を示しているのでしょうか。

    早めに空港に着いたので、昼食でもとろうと中華料理か飲茶のお店を探しますが・・・これがまったくありません。

    最後の料理はおいしい中華でもと思っていたのに残念。
    日本料理や西洋料理はあるのに中華がないなんて・・・案外需要がないのでしょうかね。

    しかたないのでファストフードのお店に入って麻婆豆腐や炒飯など、かろうじて中国っぽいものを頼みますが、所詮ファストフードの域を出ない味・・・。

    お茶も甘くて最初は意外な感じで楽しめたのですが、途中から飽きてしまいました。

  • 15時45分、NH1256便は定刻どおり北京を離陸。<br /><br />そして20時15分、羽田へ到着。<br />夜の到着でも羽田なら心細くはありません。<br /><br />今回の北京旅行は中国旅行としては3回目でしたが、初の自由旅行とあって、現地の人々と触れ合える機会も多くいろいろな発見ができ、有意義な旅でした。<br /><br />また、北京は首都だけあって、ウイグルやチベットに関連するスポットもあり、その文化の片鱗にも触れることができました。<br /><br />次はそういったところや中央アジアなど、文明の交差するユーラシア奥地の旅をしてみたいものですね。

    15時45分、NH1256便は定刻どおり北京を離陸。

    そして20時15分、羽田へ到着。
    夜の到着でも羽田なら心細くはありません。

    今回の北京旅行は中国旅行としては3回目でしたが、初の自由旅行とあって、現地の人々と触れ合える機会も多くいろいろな発見ができ、有意義な旅でした。

    また、北京は首都だけあって、ウイグルやチベットに関連するスポットもあり、その文化の片鱗にも触れることができました。

    次はそういったところや中央アジアなど、文明の交差するユーラシア奥地の旅をしてみたいものですね。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • もれもれさん 2011/07/03 18:45:59
    別の意味でしょう
    エンリケ様

    はじめまして
    総じて人民個人は親切ですので、相手方に何らかの期待→あら日本人→中国語不得手とか話しが合わないとか、相手方が身構えたのじゃないですか?
    ひょっとすると放射能のことが頭をよぎったのかも知れませんね。

    これからもよろしくお願いします。

    もれもれ

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2011/07/09 19:38:18
    コメントありがとうございます。
    もれもれさん

    コメントありがとうございます。

    北京の女性は積極的で、地下鉄などでもよく話しかけられました。
    観光中は現地の方と何人か話す機会がありましたが、優しい感じの人ばかりで、マスコミでよく取り上げられるような反日感情むき出しの人とかまずいないですよね。

    現実に中国を旅してみることが両国の理解と友好のためにも必要ですね。

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