2011/03/11 - 2011/03/15
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keithforestさん
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地震から4日目となって、どうやら東京では電池が買えないという話だし、家具の転倒防止用の金具や手回しラジオなんてのも入手できないらしいと聞いたので、捜そうかという話もありながら、今日はかねて予約済みの仙洞御所の庭を見られることが楽しみだったんです。
ところがそんなものは京都でも既に払底しているというんです。どういうことですかね、地震の影響なんてないだろうに。
そんなところにもってきて、その宮内庁が管轄する仙洞御所は外郭団体所属と覚しきガイドのオヤジが、とんでもない奴で、驚き呆れてしまい、京都に対するイメージがガラガラと大きな音と共に崩れ落ちた一日でした。
それでもそのあとは意外な場面が多くて、一生懸命自分を盛り返した一日でした。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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今日の朝ご飯は、ホテルから下ったところにある,昨日の夜カレーを喰ったマエダコーヒーでホットドッグです。これ、好きです、旨いです。
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ホテルのすぐ反対側にあるのが六角堂でございますよ。ここは池坊が貫首をしているというお堂ですから、この池坊のビルの表側からこんな風に六角堂がはまり込むように建てられたビルなんですよね。
こんなことやっちゃうんですね、お金を集めた方々というのは。
ここのトイレ、気持ち良いですよぉ〜!(そこかよ!) -
ほうらぁ、ご覧下さいまし。こうなっているわけで、いろいろなお寺さんをお伺いしておりますが、貫首の名前がこんなに大きく書かれているところは存じ上げておりませんなぁ。
確か奥様は天皇さんの再従妹さんで、公明党の国会議員でいらっしゃいますよねぇ。公明党ってことは・・・・?あ、この話題、止めた、止めた! -
朝一番の六角堂は綺麗にお掃除をされている方がおられて、忙しく歩き回る人がいるわけでもないので、とても落ち着いて、気分のよいところですねぇ。
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さて、三条の通りをどんどん東に向かって歩いて参りましょう。ここの通りは面白い建物がたくさん残っておりますから、カメラを持って歩く楽しみがあります。
もし、細かいことをお知りになりたい向きのためにはそれなりの書籍(建築MAP京都等)が出ておりますので、そちらを参考にして戴いた方が楽しいかも知れません。 -
そんなに古いものでなくても、近頃の日本各地ではどんどんそんなものがなくなってしまいますから、今のうちに写真を撮っておかないとすぐになくなります。
東京の丸ノ内ビルなんて三菱地所の持ち物だからどう料理しようと勝手だろう的な再開発になってしまいました。日比谷の三信ビルなんて、あっという間に周囲の反対をよそに解体してしまい、跡地には何も建っておりませんよ。「文化」という言葉を理解していないということでしょうねぇ。 -
この足袋の分銅屋さんの建物はもう既に何度も写真にしておりますが、150年経つんだそうです。
とてもそうは見えないのは、表の引き戸やウィンドウを直しておられるからでしょうけれど、こんなにうまい具合にフィットする建具が出来合いであるんでしょうかねぇ。 -
こちらはイノダコーヒーの三条店でございますな。なぁに、本店からだって大して離れちゃおりません。
今朝はまだ歩き出したばかりでございますから、素通りでございます。 -
日本生命のビルですが、大体こうしたビルというのは銀行か保険やさんと相場が決まっておりますな。
こちらはどうやらメンテに手間がかかるのはかなわんとお考えのようで、屋根は良く見ると銅販が緑青を吹いているのではなくて、最初からその色に塗ってあるというもののようですな。ちょと色気がない。 -
SACRAビル(旧不動貯金銀行京都支店)国登録有形文化財 約百年ほどの歴史。
1945年5月に「日本貯蓄銀行」に統合され、1948年に普通銀行に転換され、協和銀行となったんだそうです。→埼玉協和銀行→あさひ銀行→大和銀行と合併して今の「りそな銀行」へと至るわけですが、このビルは今や単なるテナントビルです。
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今度はこちらの家邉徳時計店でございますが、なんと登録有形文化財でございます。明治23年の建築ですが、未だに実際に使われているというところがなんとも凄い。
建物の前にはこの建物の由来が書かれておりますからどうぞご覧を戴きたい。この界隈のご近所さんは私のような怪しいカメラを構えたおじさんには慣れておいででしょうから、さほど気後れする必要がなさそうです。 -
で、これがそのお隣さんでございましてね。こちらも一階を随分リフォームされましたけれど、良く見るとなかなかな貫禄でございますな。
貫禄がありすぎて入りにくいという感覚を持たせるという嫌いがなきにしもあらずですが。 -
こちらもその延長線上でございますが、半分は時計やさんのようでございますなぁ。近頃街中の時計やさんというものはどんどん減って来ておりますが。
なんということもない建物ですが、なんだか気になる、という奴です。二階の純和風が、懐かしい気分にさせるのはなんでですかねぇ。 -
なんだか前面の雰囲気が元学校みたいですが、1928年竣工、設計は武田五一、施工は大林組。 京都市登録有形文化財第2号。旧 毎日新聞京都支局だそうです。良く見ると一番上の窓が星形になっていて、あれは毎日新聞のマークじゃないですか?
中はどないなっているんでしょうね。様々なお店やホールになっているらしいので、ゆっくり入ってみたいです。 -
この純和風のお宅に歯科医の看板が掛かっているのは、どことなく違和感がありますね。
髷を結って、前掛けをした人がやっとこで歯を抜きにかかるような気がして。まさか、そんなことはないでしょうけれど。 -
さて、寺町の通りへと左折しました。
すると早速このお地蔵さんでございますが、この通り、お寺さんも何もかもアーケードに組み入れてしまっていますから、なんとも不思議な感じですね。お寺さんまでお店のような案配でございますな。 -
ゆっくり中を見物したい気がしたんですが、なにしろ仏教書ですからね。ちょっと縁がない。
604-8081 京都市中京区寺町通三条北
仏教書の書林 其中堂でございます。 -
あの鳩居堂さんでございますよ。始まりはこちらのお店で、あちらは東京鳩居堂、こちらは京都鳩居堂とお呼びのようでございますな。
1663年(寛文3年)熊谷直実から数えて20代目の熊谷直心(じきしん)が薬種商として創業されたんだそうで、それはそれは長い歴史を持つお宅のようですよ。一体いつ銀座の一等地を手に入れられたんだろうと思いましたら、はいはい、鳩居堂さんのサイトにちゃんと書かれております。
「1880年(明治13年)宮中の御用を勤める必要があって尾張町に出張所を開設」されたんだそうです。なんだ、ありゃ出張所か。 -
ところがウィンドウ・ディスプレイがこれでございますよ!笑えますねぇ、鳩居堂さん、してやったりではございませんか。
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京都市中京区寺町通御池下ル 下本能寺前町511
竹苞書楼(チクホウショロウ):
寛延年間創業。天明、元治の大火により店鋪消失。現在の建物はその直後に再建した江戸時代の建物だそうですが、看板に書いてある文字が難しくて読めないんですよ。
品出し中ですな。 -
へぇ〜、これがあの「本能寺」ですかぁ!?いやぁ、京都らしい扱われ方でございますねぇ。
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〒604-0916 京都府京都市中京区寺町二条上 電話075-231-1531
京都古梅園でございますよ。本店は奈良の墨やさんです。京都でも350年の歴史があるってんです。
これじゃ外国からでも見に来てもおかしくないですな。 -
というわけでとうとう御所までやって参りました。
集合時間の10分前です。集合場所の門に辿り着くのになかなか時間がかかりますな。見えてからが遠い。この細かい砂利が歩きにくい。 -
というわけでいよいよ今日のハイライトは仙洞御所のお庭拝見でございますよ。こちらはあんまり人気がないらしくて、参加人数も少ないようで、待合室も小さなもので、入りにくいので、外で待ちました。満を持しているという雰囲気です。
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修復されたばかりの部分というのは殆ど新築みたいなもので、なんちゅうありがたみもありませぬが、そんなありがたさを楽しみにしてどうするっちゅうんでありましょうね。
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事件はこの写真を撮ったところから始まりました。まだまだ歩き始めて10分も経たないところでございます。
北の池を手前の樹木を入れて、撮った瞬間に、案内の爺さんが私に向かって「写真を撮るなら、一番後ろにいけ!」と怒鳴ったのですよ。
確かに、私はこの庭を見るのにお金を払ったわけでもないから彼にとっては客でもなくて、宮内庁の施設を乞い願って見学に参上したわけですから、なんといわれても構いませんけれど、なんじゃ、こりゃ!?というわけでございます。 -
そこから先はもう呆れかえって、私は心穏やかに庭を楽しむどころではありませんでしてね、ムッとしていると、この爺は私の行動をあぁでもないこうでもないといちゃもんをつけるんでございます。
もう二度とここには足は運ばないつもりです。この爺さんガイドは自分がご案内役だとは思っていなくて、自分が下々に見物を許した、権力者だと思っている様で、言いたい放題です。
どうも調べてみると彼は宮内庁の人間ではなくて、外郭団体に所属することになる様です。
宮内庁京都事務所は気がついちゃおりますまい。 -
嫌な思いを吹っ切るように清和院御門を出て細長い梨木神社を通り抜けて寺町通りにまた出て北上します。
紫式部の邸宅跡であるという看板が掛かっております、盧山天台講寺というお寺さんが寺町通りに面しております。尤も寺町通りもここまで来ますと、静かな裏道です。 -
さて、河原町・今出川まで出て参りますと、賑やかな通りでございますよ。ようやくさっきのクソ爺のことが忘れられるようになってきたなと思ったら、お腹が減りました。
かの有名なるお菓子の「出町ふたば」の手前にこんなお店を見付けたら「家庭料理・BAR」と書いてあるのに、「海鮮丼」なる表示を見付けたので入ります。 -
「食べもん屋 かんから 出町店」
京都市上京区河原町今出川上ル青龍町249
075-255-5112
11:30〜14:30 17:00〜23:30
休みはないらしいですよ。
この海鮮丼が秀逸で、こりゃ安い!もうすっかりさっきのクソ爺のことは忘れました(ッてかいているってことでまだ許しちゃいないな)。 -
人気沸騰の「出町ふたば」の前にやってきますと、なんとこの人手でございますよ。豆もちを食後のデザートにと思っていたんでありますが、こりゃ当然あきらめでございますなぁ。
翌日、他の用事で朝一番に通りかかりましたので、行ってみたら朝が早すぎました。 -
さて、お次はと申しますと河合神社でございます。
正式名称は鴨河合坐小社宅(かものかわいにいますおこそべ)神社てんですが、なんです、これは?
下鴨神社神社の摂社ってんですから支店みたいなもんですか?
祀ってある祭神は神武天皇の御母神で、日本婦人の鑑とも仰がれており、安産、育児、縁結び、学業、延命長寿の守護神。 -
お祀りしているのが日本婦人の鑑でございますから、婦人の神社ですよ。この提灯をご覧いただきたい。おちょぼ口で微笑んでいるように見えるじゃないですか。決して「ガハハハ!」じゃないんでござる。
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そんなわけで、ここでは絵馬ではないんであります。おしゃもじなんであります。それも皆さん手を入れておいででございます。
それにしても、私達ここでどなたにもお逢いしないんですが、どうしちゃったでござるか。 -
極めつけはこちらでございました。
「大日本婦人会綱領」でございます。そうだったのか、戦争はまだ終わってなかったんでござるな。私の一年は365日であるけれど、ひょっとしてここの一年は6000日くらいなのかも知れないでござる。だからまだ昭和20年が来てないでござるか。 -
さて、いよいよ下鴨神社の境内に向かう参道でございます。さすがに行き交う人びとも増えて参りましたけれど、それでも平日の午後でございますから、こんなもんでございますな。
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こちらでお清めをいただきますが、この長大な石、そのまま船に入っておりまする。
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ご立派な門でございます。一歩中に入りますとそこで結婚したカップルが記念撮影をしておいででございました。
こんな時は、近寄っていって「綺麗ねぇ」とお愛想のひとつもいうのが礼儀でございますが、大分疲れてきておりまして、知らん顔をしてしまいました。 -
こちらの神社には珍しいことに干支ごとの小さな社があって、そこにお参りをするという具合になっております。こんなの初めて見ましたね。それにしても、なんで亥と牛が一緒の社で、あの小さな鼠が単独なんざしょう?
こちらの神社では大炊殿が重要文化財でございまして、それを拝観するにはお金が入り用でございます。今回はご辞退申し上げ候。 -
同志社大のアーモスト館:新島襄の母校・アーモスト大学と同志社大学との交流のシンボルとして建てられたそうで、なんとW.M.ヴォーリズの設計ですよ。1932(昭和7)年竣工。
やっぱり一度はヴォーリスを巡る旅を企画しないといけませんねぇ。 -
同志社大学の間を抜けて、相国寺へとやって参ります。あんまり草臥れたので境内でちょっとお休みさせて戴いて、気を取り直してから、大光明寺の石庭を拝見。
だぁれもおられないんでございますよ。まっこと申しわけがございませんなぁ。
相国寺だって、近所の中学生がランニングをしにきたのと、珍しく新潟からの修学旅行で来た中学生がやってきたくらいでございましたなぁ。 -
また例によって特別公開のお寺さんを3カ所巡ってスタンプを貰うと一服できるという奴で、今年は上立売通りと烏丸にある俵屋吉富でございます。お抹茶と雲龍でございますよ。もちろんこちらは東京にもお店を出しておいででございますから、何もここでありがたがらなくたって良さそうなものですが、そこはそれ、美味しくいただきました。なんたって、ただです。
しかし、そこが小心者の悲しさでございまして、結局お店で雲龍を二種類いただいてしまいました。(黒糖雲龍はちょっと駄目だったなぁ)。 -
私は同志社大学とはなんの繋がりもございませんが、いつだったかここを通りかかったときにはこんな空間が空いていた記憶がないのですが、なんだかとても広い面積を同志社大学は何かを建てる工事をしておいでですよ。
どんなものが建つのか楽しみでございます。(それにしても今時こんなところにこんなに広い土地をまだまだもっていた大学は羨ましいですねぇ)。 -
ホテルへ戻る道すがら、なんといっても烏丸の通りはバスがありません。(本当はあるけれど一時間に一本くらい)。地下鉄に乗ればいいじゃないかとお思いでしょうが、私共、バスの一日券をもっております。バス利用のために、堀川まで出ます。
その間、暇に任せて、上立売を西へ西へと歩きますが、この通りはなかなか味のある建物が残っております。 -
こんな具合の建物がもし、東京に残っていたら、きっと何か商売やさんだろうなぁと思うんですよね。
しかし、こういう建物をメンテナンスしていくだけの職人さんがまだまだおられるということなんでしょうが、それだけの財力も備えていなくてはならないわけで、それが経済力の基礎がかなりしっかりしているということになるのでしょうか。 -
どういう方がお住まいなのか、知りたくなります。
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これはもうどこだったか全く思い出せないのですが、一体これはなに?と立ち止まったのです。
ガスのメーターを見るためののぞき穴でございました。まいったなぁ・・・。 -
京都の駅ビルまでバスでやってきまして、ビックカメラで電池や防災グッズを買おうとしたら、もう払底しておりまして、がっかりしながら夕飯でございます。
いつだったか、こちらの美々卯でご飯を食べました。今回は「葵茶屋」というところでこれをいただきました。可もなし、不可もなし。 -
何となく震災をよそに京都の町を巡っている後ろめたさと、疲れでもって京都の夜が寂しく見えます。
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