![タイ南部最大の都市ナコンシータンマラート。<br />ここは江戸時代にアユタヤに渡って活躍した山田長政の終焉の地でもあります。<br /><br />マレー半島中部の中心都市として古くから栄えたこの地にかねてから興味がありましたが、ようやく訪れることができました。<br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/56/02/650x_10560208.jpg?updated_at=1329644523)
2010/12/31 - 2011/01/11
3位(同エリア18件中)
あいあ〜るさん
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タイ南部最大の都市ナコンシータンマラート。
ここは江戸時代にアユタヤに渡って活躍した山田長政の終焉の地でもあります。
マレー半島中部の中心都市として古くから栄えたこの地にかねてから興味がありましたが、ようやく訪れることができました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 航空会社
- ANA タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ナコンシータンマラートの中心から鉄道駅を眺めたところです。
正面の赤い屋根の建物がナコンシータンマラート駅舎。 -
今回は中心部にあるタイホテルに泊まってみました。
ナコンシータンマラートの地図を見ていた時に、国名と同じ名前のホテルがあることに気付き、どんなホテルなのか気になっていました。
タイの地方都市にある普通のホテルですが、立派なホテルの少ないナコンシータンマラートでは良い方だと思います。
立地も町の中心で駅からも歩けますし。
ちなみにすぐ近くにサヤームホテルもあったのですが、こちらは旅社でした。 -
タイホテルは客室の設備によってランクが分けられているようです。
ホテルで必ず欲しい設備は人それぞれあると思いますが、私の場合タイのホテルで欠かせないのは温水です。
バスタブ無しでシャワーだけでも良いので、熱湯ではなく温くても大丈夫なのですが、タイの田舎で冷水を浴びるのには耐えられません。
したがって温水付きで最も安い420バーツの部屋にしました。
温水があればテレビや冷房は無くても大丈夫なのですが、温水付きの部屋にはテレビも冷房ももれなく付いてきます。
この料金表を見るとタイ人にとっての必要度はテレビ>冷房>温水>冷蔵庫のようですね。 -
こちらがテレビ・冷房・温水付きの部屋。
と言っても、部屋の造り自体は他のタイプもさほど変わらないだろうと思いますが。 -
タイ南部の文化の中心であるナコンシータンマラートですので、みどころはたくさんあって、とても今回全て回ることはできません。
ですから今回は山田長政に関するものだけは全て見て行くことにしました。(それほどないはずなので)
ホテルから歩ける距離にテーッサバーンナコンの役所があったので、まずは役所で聞き込みです。
入口にあったカウンターで「ヤマダナガマサに関係する場所を教えて」と言っただけで、ちゃんと説明してくれました。
やはり山田長政はナコンシータンマラートでは有名なようです。
せっかくなのでshinさん路線で庁舎を撮ってみました。 -
テーッサバーンナコンの役所を出ると、はす向かいにナコンシータンマラート県庁がありました。
こちらもついでに撮影。
shinさん式にはこれで“ナコンシータンマラート県制覇”ということになりますね。
まあ、私は訪問基準は郡単位なので、県は特に意識していませんが。
と言っても、全郡完訪なんてことは考えていませんのであしからず。 -
地図を見てみると、歩いて行かれる場所にサーンラックムアンを発見。
今度はブヒブヒさん路線でサーンラックムアンに寄ってみました。 -
こちらがナコンシータンマラートのラックムアンです。
-
サーンラックムアンの向かいは広々とした芝生の公園になっていて、屋台も並んでいます。
夜になると賑わうのでしょうか?
ふと公園の隅の建物を見ると、トートートー(タイ国政府観光庁)の事務所のようなので覗いてみました。 -
ただでさえナコンシータンマラートの滞在時間は少ないのに、職員の人達と小一時間も長話しをしてしまいました。
そして日本でナコンシータンマラートを宣伝するために、ポスターを貰ってくることに。
安請け合いしたはいいけど、日本に戻るまでこのポスターをずっと持ち歩くことになってしまいました。
このポスターは山田長政の出身地である静岡に持って行って、静岡で行われる「日タイ交流フェスティバル」か「長政まつり」でナコンシータンマラートの宣伝のために使って貰おうと思います。 -
この日を含めて残された時間は4日間。
4日でナコンシータンマラートの他にラノーンにも行きたいので、バスターミナルへ行ってラノーンへの交通手段を確認します。
バスターミナルは市内から少し離れているので、黒いソーンテオに乗って。
ナコンシータンマラートからラノーンへのバスは7:30発の1本のみ。
山田長政関係の施設だけなら今から急いで回れば今日中に行けないこともありませんが、あいにくの天気なので翌朝7:30発は断念しました。 -
ナコンシータンマラートからは日本人にお馴染みのサムイ島へのバスもあるようです。
上の看板はスンガイコーロック〜サムイ間のバスにナコンシータンマラートで乗降できるようです。
ただしスンガイコーロック始発なので、ここからでは時間があまり良くありませんね。
15:00発と01:30発。
下の看板はナコンシータンマラート発なのでしょうか?
正午前後の出発で時間帯が良さそうです。 -
待機中のトゥンソン行きのバス。
県内路線なのにこんな大型車両でビックリです。 -
バスターミナルからバイクタクシーに乗って、山田長政が住んでいたと言われている場所に向かいます。
その場所には何も残っていませんが、その前の通りは「ナーンガーム通り」と名付けられています。
ナーンガーム通りは山田長政に由来して命名されたと言われています。
当時山田長政が現地の人達から「ナーガーマーサー」と呼ばれていたとも思えないので、私は100%信用ができないのですが、この僅か100mほどの1区画だけに名付けられているということは、やはりそうなのかも。 -
この場所が、山田長政が住んでいた屋敷があったと言われている場所です。
当時を偲ばせるようなものは何もありません。
役所で「今はラーンアーハーン(レストラン)になっている。」と言われたので、行けば判るだろうと思って来てみたら、この一角にはいくつものレストランが集まっていて、どのレストランなのかわかりません。
ナコンシータンマラートの日本語のパンフレットにタイ日友好協会のチャオさんの電話番号が載っていたので、チャオさんに電話してどの店なのか聞いてみました。
するとチャオさんは、わざわざ翌日時間を作って、私を案内してくれることになりました。 -
お腹が空いたので、山田長政居住地跡地のレストランでカーオマンカイを食べました。
そう言えばバンコクで社長を案内していた時は、3食ちゃんとしたものを食べていましたが、この前日はお粥とバミーナームのみ、この日も列車内でカイヤーンを食べたのみでした。
私はグルメではないので、旅行に出掛けると観光優先で1人ならほとんど食事をしません。
現地での貴重な時間を費やすのがもったいないので、言わば生きるために仕方なく食べているようなものです。
もしも空腹を感じず、行動に支障がなかったら、おそらく全く食事をしないだろうと思います。 -
もう時間も少ないし天気も悪いので、屋内で見られる施設に行こうと思い、ナンタルン(影絵人形劇)の博物館に行くことにしました。
ナーンガーム通りの入口から青いソーンテオに乗車。
詳細はクチコミに投稿してありますが、ナンコンシータンマラート観光はこの青いソーンテオさえ使えれば、自力でもほぼ可能です。 -
ソーンテオに乗ったは良いが、降りる場所が判りません。
地図を見るとワットサリアンの脇を入って行くといいみたい。
一緒に乗っている人達にワットサリアンの近くで降りたいと言うと、みんなで「ここです」と教えてくれました。
地図に載っているくらいだし、地元の人達が知っているのは不思議ではないと思っていましたが、降りてみるとこんな小さなお寺でした。 -
ワットサリアンの前でソーンテオを降りてナンタルン(影絵人形劇)博物館に行こうと思っていたのですが、前方を見ると大きなお寺があります。
この日は時間的にお寺めぐりは考えてなかったので全く気にしていなかったのですが、ナコンシータンマラート最大のお寺ワットプラマハータートでした。
せっかくすぐ前まで来たので見に行ってみます。 -
境内に入ると、突然雨が激しくなりました。
お土産屋の軒先に避難したのですが、目の前に案内所らしき小屋があったので、そちらに行ってみました。
小屋の中にいたのは全員中学生。
チャラッピッチャーコン学校の生徒で、日本で言えば部活動のようなものでしょうか。学校が終わった後にメンバーが交代でここで案内をしているそうです。
生徒達と話しているうちにお寺の拝観時間が終わってしまい、結局見学しませんでした。 -
ナンタルン博物館に来ると、入口はこんな大きな水たまり。
靴と靴下を脱いで裸足で突破しました。
タイ人はスリッパを履いているか、靴を履いているような人は当然自動車で来ますので、この程度の水たまりで困る人なんていないでしょう。 -
ナンタルン博物館に着くと、ちょうど何かの取材をしていました。
彼女が影絵師(って言うのかな?)にインタビューしてくれるので、こちらはそれを聞いているだけで色々と判ります。 -
こちらが展示室です。
影絵師(?)のおばちゃんがここに案内してくれる時に、「私の父です。」とかなり老齢のお爺さんを普通に紹介されました。
その時は特に何も考えずに話の相手をして別れてきました。
しかし後で気付いたのですが、もしかしたら人間国宝のスチャート・サブシン氏だったのでは? -
展示されている影絵人形の数々です。
ここでは影絵の公演も行われているらしいのですが、この日は元々予定になかったのか来場者が少ないからか、公演は無いようです。
公演は有料ですが、博物館の見学だけなら無料です。 -
展示室から入口方面を見たところ。
一帯は完全に水浸しです。 -
翌日はタイ日友好協会のチャオさんが時間を作ってくれて、午前中案内をしてくれました。
最初に訪れたのはテーッサバーンナコンが運営する博物館。
このジオラマは昔のリゴール(現ナコンシータンマラート)の様子です。 -
こちらはナコンシータンマラートのシンボルとも言えるワットプラマハータートのコーナーですが、仏塔の先端には巨大な宝石が埋められているそうです。
-
地元の小学生が社会見学に来ていました。
-
これは何だと思いますか?
中央の空間に自分が入って記念撮影をするためのものです。
肌の色や宗教が違ってもみんな仲間だという意味で作ったそうです。 -
こちらは山田長政像。
博物館内に1コーナー設けられていました。
山田長政繋がりでナコンシータンマラート県は静岡県と交流したがっているのですが、どうやってパイプを広げようか、私も日々悩む毎日です。 -
大東亜戦争のコーナーでは日本軍の足跡も展示されていました。
イギリス植民地のシンガポール攻略を目指した日本軍は開戦と同時にマレー半島に上陸しましたが、ここナコンシータンマラートも日本軍の上陸地の1つでした。
まだ日本軍の領土通過を認めていなかったタイ軍との間で戦闘も行われています。
写真はタイへの上陸地点を示したもの。
上陸地点は上からサムットプラーカーン、プラチュアップキーリーカン、チュンポン、スラーッターニー、ナコンシータンマラート、ソンクラー、パッタニー。 -
続いて公園の片隅に行きました。
立派な看板が出ていますが、今は記念碑と庭園のみ。
将来は建物を建てたいそうですが。 -
ここが日本庭園。
う〜ん。
確かに周りと比べると日本っぽいけど、そう言われないと気付かない程度。
まあ、気候が違うから仕方ないですね。 -
「山田長政この地に眠る」の碑。
この地とはナコンシータンマラートと言うことで、山田長政がここで死んだり墓があるという訳ではありません。 -
山田長政記念碑の説明板。
この記念碑の建立には石川県タイ友好協会が協力しています。
山田長政と石川県タイ友好協会は全く関係ありません。
当時は山田長政の出身地である静岡の静岡日タイ協会は休眠中であり、タイ日協会のチャオ会長が金沢大学に留学していた時の関係で石川県タイ友好協会が関わることになりました。
今ではナコンシータンマラートから静岡に留学生を派遣するなど、両県は関係を深めつつあります。 -
記念碑の周りには訪問者の手形が埋められていました。
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こちらはナコンシータンマラート自治行政区長による説明板です。
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次に向かったのはここ。タイを愛する日本人としては、ナコンシータンマラートに来てここをお参りしない訳にはいきません。
ウィーラタイ記念碑(アヌサーワリーウィーラタイ)。
シンガポールなどマレー半島のイギリス植民地を目指す日本軍は、昭和16年12月8日にナコンシータンマラートにも上陸しました。
当時中立だったタイはこの地でも日本と交戦しました。 -
記念碑の裏側にはタイ軍の犠牲者の名前が刻まれています。
-
ウィーラタイ記念碑からラーチャダムヌン通りを北上すると、小さな橋に当たります。
ここが日本軍の上陸地点。 -
前夜に船でここまでやって来た日本軍は、左側にあるお寺で一晩過ごしたそうです。
-
そしてこの道を南下して行きました。
-
見学が終わった後はこの店で昼食を食べました。
-
ナコンシータンマラートにたくさんある有名寺院もまだ見学していないので、もう1泊しようか迷いましたが、チャオさんがバスターミナルまで送ってくれると言うので、バスでスラーッターニーへと移動しました。
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この旅行記へのコメント (20)
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- ナーボンさん 2013/01/16 22:49:00
- ターペーのお寺で一晩過ごした話について。
- こんにちは
始めまして私はナコンシータマラに住むナーボンと申します。 宜しくお願いいたします。 あいあーるさんの旅行記 2011年1月/タイ/No.09 - 山田長政が眠る町ナコンシータンマラート を4travel.co.jp から見ましたが ターぺー寺の話を読んでびっくりしました。 そこであいあーるさんにお聞きたいことがあります。 "前夜に船でここまでやって来た日本軍は、左側にあるお寺で一晩過ごしたそうです。" 私は長年日本軍隊がタイの南に上陸した話に興味を持っていろいろな戦記や記録を読んできましたが、ナコンシータマラートに上陸した日本軍部隊の戦記は一つも見つけたことがありません。多分この部隊はタイからビルマに送られて、そこで全滅したか.戦後もし生き残って日本に戻れても戦記や記録を残さないで亡くなったかもしれないとも思いました。 シンゴラ (ソンクラ)やコタバルに上陸した部隊の戦記はまだ見たこともあります。ナコンシータマラートでおきた上陸戦 タイ軍隊側の話は読んだこともありますが、日本側の話は聞いた事がありません。上陸した歩兵は多くが韓国や中国兵で上官だけが日本兵とも読んだことがあります(タイ側の情報)だから記録が残っていなかも。あいあーるさんは日本軍部隊がそのお寺で一晩過ごした情報はどちらから見たのですか? 本で読みましたらどちらの本か教えて下さい。お願い致します。
ナーボン
- あいあ〜るさん からの返信 2013/02/08 12:22:55
- RE: ターペーのお寺で一晩過ごした話について。
- ナーボンさん、こんにちは。
投稿ありがとうございます。あまりアクセスしないので遅くなりまして申し訳ありません。
寺に泊ったと言う話は、タイ日協会のチャオさんから聞きました。
別の件でチャオさんに電話したら、彼が車で案内していただけることになりまして、タイを愛する日本人としてはナコンシータンマラートへ行ったらアヌサーワリーウィーラタイには必ずお参りしなければならないと行ったのですが、その後この橋に連れて行かれて寺に泊ったとの説明を受けました。
ただ、わざわざ敵国に前夜に上陸して泊るだろうかと、その話が真実なのかどうかは私にはわかりません。
もしかしたら少数の先発部隊だけが偵察のために上陸していたのかもしれませんし。
もっとも部隊は7日の夜にはタイと合意済みだと思って行動しているでしょうから、翌日早朝から行動開始するために上陸していた可能性はありえなくはないとも思います。
インターネットで少し探してみましたが、このサイトではマサオ・セト率いる日本軍が12月8日にターペーに上陸したと書かれていますね。
http://www.gotonakhon.com/?p=9078
こちらのサイトでは戦闘の様子が時系列で書かれていますが、第1陣のターペー上陸は6時30分になっています。
http://www.tungsong.com/NakhonSri/Nakhon_slogan/History/history_war.html
ナコンシータンマラートに上陸した第143歩兵連隊は徳島で編成された部隊のようですね。
その後ビルマに侵攻して9割近く戦死されているようなので、帰還して語るかたも少ないのかもしれません。
私も研究している訳ではないので、あいにくこれ以上のことは判りません。
ナコンシータンマラートにはまだ行きたい場所がたくさんありますし、ナコンシータンマラート県と静岡県の提携も何とか進めたいと思っているので、再訪したい場所です。
-
- ナームさん 2011/05/14 08:44:15
- 投票有り難う御座います
- あいあ〜る さんへ
投票を頂き有り難う御座います。
あいあ〜るさんタイの色んな所を歩いているのですね。私なんか最近は、いつも友達の所で終わりと言う旅です。
5月31日から1ヶ月ほど、Air Aisaでクアラルンプールに旅たちますので、陸路タイに行きます。
今度こそは南タイを廻ってバンコク行こうと思っています。
ナコンシータマラートも行ってみます。ラノーンも行こうと思いつつもまだです。
旅行記これからじっくり読ましてもらいます。
- あいあ〜るさん からの返信 2011/05/16 09:32:02
- RE: 投票有り難う御座います
- ナームさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
私は普段タイに行く時はほとんどが1泊2日か2泊4日なのでバンコク以外はあまり行かれませんが、そのため逆に少しでも時間があれば地方に行きたいという気になるので、少し無理して回っています。
来月も3日ほどバンコクに行こうかと計画中ですが、バンコクで用事があるので(と言うよりそれに合わせて行くので)バンコクから出られなさそうです。
1ヶ月でマレーシア&タイ旅行なら、色々な所に行かれそうですね。
私もタイ南部は興味がある未訪の地だらけなので、ナームさんの旅行記を楽しみにしています。
-
- ゲストさん 2011/04/24 14:45:34
- 待ってました
- ついにナコン編ですね。
後半の完成も待ち遠しい・・・
やはり歴史の息吹を感じさせてくれそうな町ですね。
古くから交易で栄えた南部最大の都。
そして、山田長政終焉の地・・・
さすがに役人クラスは山田長政を知っているようですが、関連する史跡も無いようですし、あまり一般には知られていないような感じですね。
映画「ヤマダ・アユタヤの侍」は題名どおりアユタヤが舞台のようですが、ナコンでの晩年は描かれていたのでしょうか?
ほとんど映画の影響も無さそうですが・・・
やはり、ご当地と言っても山田長政の認知度は低いみたいですね。
P・S
他トラベラー方の路線が県庁舎や市の柱・・・
あいあ〜るさんの場合はタイ文化からイベント・応援と多岐にわたっていますね。
私は何かな?(女でしょ!という突っ込みは無しという方向で・・・)
う〜ん・・・これと言って有りませんね〜
まあ、シリーズ物じゃないし目的も無い適当な旅ですからね。
- あいあ〜るさん からの返信 2011/04/24 21:44:03
- RE: 待ってました
- 房州ロッカーさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
投稿が遅くて申し訳ありません。
GW中には仕上げる予定ですが、今回は時間的な都合で行っただけという程度で終わってしまいました。
今日ちょうど日タイ協会の会議で映画を少しだけ観ました。
最初の3分くらいと最後だけなのでストーリーは全く判りませんが、とりあえず言えることは主人公が山田長政という日本人なだけで、史実とは全く関係のない内容ですね。
テーマが女だったら、それは最も深いじゃないですか!(笑)
ぜひシリーズ化を期待したいです。
- ゲストさん からの返信 2011/04/25 01:02:57
- RE: RE: 待ってました
- ついにGW中に完結ですか。
今回の旅は今までない位の長期滞在。
やはり、旅行記も長編になり中身も濃い。
思えば正月のバンコク九ヶ所詣からですものね。
私も動画サイトなんかで断片的に見ました。
ナレスワン大王の配下とかムエタイ修行とか、かなり脚色されていて我々が知っている伝承とは異なった荒唐無稽なストーリーになっているようですね。
残念ながらタイ側の勘違いというより日本側の伝承が無視されているような感じです。
一応、歴史上の人物ということになっていますので、タイの方々に正しく理解してもらう為にも可能な限り伝承に添った内容にして欲しかったですね。
まあ、単純にアクション娯楽作品として楽しめそうですが・・・
私の場合、テーマなんか無い方が気楽ですね。
そんなもの邪魔なだけ。自由放埒の旅で何かに拘泥して縛られるなんて真っ平御免です。
旅情のおもむくままドえらく自分を解放するのみ。
その代わり、脳天気で馬鹿っぽい旅になっちゃいますけどね・・・
- あいあ〜るさん からの返信 2011/04/25 12:49:47
- RE: RE: RE: 待ってました
- 房州ロッカーさん、こんにちは。
すみません。この旅行記はGW中に完結させる予定ですが、全編ではあと3本あるので、最後の旅行記の投稿が恐らく5月29日になると思います。
もしもこの間に名古屋のソンクラーンの報告を投稿することなったら、更に遅れますが。
私も歴史は好きな方ですので、映画はなるべく史実に基いた内容の方がいいです。
今回はもちろん監督が正しい歴史を知らなかった訳ではなく、山田長政にあえて人気のあるナレースワン大王を組み合わせて、タイ日協力のストーリーを作り上げたようです。
でも山田長政と日本人集団は敵対している設定のようなんですよね。
評論などでは「日タイ友好の…」なんて書いてあるのですが、その設定ではアユタヤ朝と山田長政は日タイ友好かもしれませんが、その他大勢の日本人は悪役じゃないのかと思うのですが。
その辺りがどうなっているのかが気になります。
さすが房州ロッカーさんはスルドイですね。
中国とブラジルが放映権を買ったらしいのですが、中国はアクション物が好きだからというのが理由っぽいです。
- ゲストさん からの返信 2011/04/26 15:17:45
- RE: RE: RE: RE: 待ってました
- 旅行記を見直すとNo6が欠番ですね。これはバンコク編かな?
そして、No13がラノーン後編でNo14が帰国前編という流れみたいですね。
お多忙の中、大変ですが頑張ってください。
楽しみにしています。
やはり、タイでの山田長政の認知度は相当低いようですね。
まあ、日本でも知名度が高いとはいえませんが・・・
当時のアユタヤは日本や明国は元よりスペインにオランダやアラビアといった国々とも交流していました。
確かに日本人がアユタヤで一勢力となり日本人の傭兵部隊が存在したようですし、功績により頭領格が高級武官として重用されたのも事実のようです。
その人物が「山田長政」だというのが定説ですね。
しかし、当時のアユタヤには日本人以外の外国人も他の分野で重用されていたようですから「山田長政」だけが特別な存在ではなく、所詮は渡来していた外国人の一人に過ぎなかったと思います。
つまり、タイの歴史では特筆すべき程の存在では無かったということでしょうね。
そもそも、タイとオランダの資料には官職名のみが記録されていて「山田長政」という名前は何処にも記録されておらず、日本の資料にのみ名前が記されているというのが現実のようです
タイでは忘れ去られた歴史の断片が、近代になり「海外に雄飛した人物」として日本で脚光を浴びるようになりました。
タイと友好関係を結んでいた日本は、タイで活躍したと伝承される「山田長政」を両国友好の象徴として最適と考えたのではないでしょうか。
おそらく、日本側からタイ側に「山田長政」を売り込み再認識させたような気がします。
実際、「山田長政」はタイ側からすれば善悪定まらない微妙な存在と言えます。
おまけに、当時は陰謀渦巻くドロドロの御家騒動の繰り返しだったようですし・・・・
史実に則って作ったら大変なことになってしまうでしょう。
まあ、日タイ友好が目的なら良しとしますか・・・
私が好きなK1王者のブアカーオはじめムエタイ界の猛者達が出演していますし、日本人が活躍するアクション映画として見れば単純に楽しめるでしょう。
実際、タイのアクションはハリウッドや香港を凌駕していると思います。
- あいあ〜るさん からの返信 2011/04/28 09:14:43
- RE: RE: RE: RE: RE: 待ってました
- 房州ロッカーさん、こんにちは。
私の旅行記の推測までしていただいて恐縮です。
山田長政は役人のトップに近い位置まで登った人物ですので、数多くいる外国人の中でも有名な部類だとは思いますが、それでも国民に広く知られているというほどではないのではないでしょうか?
一応タイでは歴史の授業に出てくるらしいので、「そう言えば聞いたことがある」程度には知られているのかもしれませんが、普段から関心を持っているような人は少ないと思います。
そもそもタイでは歴史はあまり盛んではないようですし。
日本では戦争の時に軍部に祭り上げられたみたいですね。
大東亜共栄圏構想を進める際の象徴のような形で。
それ以前は全く重要視されていなかったらしいですが。
タイでは善悪定まらないのはおっしゃる通りで、アユタヤ朝は世襲制ではないので、後の為政者によって善悪はいくらでも変えられますからね。
支持した側が権力争いに敗れたため、最終的には敵対側の高官となって終わった訳ですから、極悪人として伝承されていたとしてもおかしくはないのですが、それでも今の立場にあるのは日タイ友好の賜物かもしれませんね。
日本側からタイに売り込んだというのは、戦前戦中はともかく、日本側の状態を見ている限りは現代はおそらく無いと思います。
静岡県は山田長政を軸にして静岡とタイの交流を増やそうと頑張っていますが、政府は無関心ですから。
来年は山田長政が渡航したと伝えられている1612年からちょうど400年なので、それをPRできるように頑張っています。
ですからこれから日本でも何らかの動きがあるかもしれません。
静岡では400年記念イベントをやりたいという方向で進んでいますので、もし良い案がありましたら教えてください。
- ゲストさん からの返信 2011/04/29 01:11:05
- RE: RE: RE: RE: RE: RE: 待ってました
- 戦前の政策で宣伝材料になったというのは同感です。
戦後は、その反動から腫れ物に触るような微妙な扱いなったのかもしれませんね。
しかし、私がタイを知ったのは子供の頃(40年前位)に読んだ児童向け伝記本が最初なんですよ。
静岡では毎年「長政祭り」が開催されタイフェスタみたいな事もしているようですね。
渡泰400年の記念イベントですか。
ウ〜ン???アユタヤと姉妹都市締結なんか最適と思いますが・・・
既に締結済なのでしょうかね?
もし、未締結となれば行政も巻き込んだビッグイベントになりそうですね。
残念ながら参考になりそうなアイディアは浮かびません・・・
以前、あいあ〜るさんに言われたように私も侍スタイルで訪タイしPRしてみましょうかね。
- あいあ〜るさん からの返信 2011/05/02 09:14:40
- RE: RE: RE: RE: RE: RE: RE: 待ってました
- 房州ロッカーさん、こんにちは。
私がタイを知ったのはいつ頃だったのかな?
第2次大戦でタイが日本の同盟国だったことを知ったのが22〜23歳くらいの時だったので、あまり偉そうなこと言えませんね。
長政祭りは今年も10月に行われると思いますが、昨年から始まった日タイ交流フェスティバルは今年は8月6・7日に決定しました。
もしお時間がありましたら、ぜひ静岡までいらっしゃってください。
日本とタイの姉妹都市は、確か5つくらいしかなかったと思います。
何が理由なのか知りませんが、両国間の交流の多さからすると、かなり少ないような感じがしますね。
静岡県にプラナコンシーアユッタヤー県かナコンシータンマラート県と提携しないかって、持ち掛けてみようかな。
-
- botaさん 2011/04/22 21:56:46
- 納得しました
- あいあ〜るさん こんばんか
納得しました、ナコンシータンマラートやはり歩いて見たんだ、
ナコンシータンマラート着いたらすぐ、ラノーンへ行くため、スラーターニ?
ラノーン スラーターニ 聞いた事有るけどどこだっけ、
ナコンシータンマラートまで来たのだから行くのは当前南か西、
ガイドブックの地図で探すが西も南も載って無い、タイの道路地図を見ても解らない、
まさか北上するなんて、スラーターニって今年行く予定の町ではないか、
痴呆が益々進んで居るbotaです。
アユタヤへ行った時、山田長政の名前初めて知ったけど、タイでは有名なんですね。
ナコンシータンマラートにも縁が有るなんて、知りませんでした。
ホテル420バーツならお得ですね、でも海辺の方が良いかな。
教えてくれたカオソクのサイト良いですね、色々なサイト覗いて見たけど、
一番でした。
五月のオフ会、ホテルはBossotel Innを取りましたが、このホテル中央郵便局の少し南、
ニュウロード沿いですよね、ホテルの近くでチャオプラヤー川を見ながら、
オフ会をするような所、知りませんか。
ニュウロードやタイ南部、あいあ〜るさんの足跡を追いかけているような気がしてきた botaです。
- あいあ〜るさん からの返信 2011/04/23 13:11:09
- RE: 納得しました
- botaさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
スラーッターニーは通過地点でしたが、ナコンシータンマラートとラノーンは目的地なので、一応観光してきました。
見所が多い場所なので、1日だけでは充分ではありませんが、それでも今まで気になっていたナコンシータンマラートに行かれただけでも今回はヨシとします。
まだ市内のお寺も見ていませんし、キーリーウォン村や海沿いのリゾートにも行きたいです。
トゥンソンやパークパナンもどんな町なのか興味がありますし、いずれ再訪しなければなりません。
山田長政はタイ全土でそれほど有名ではないと思いますが、ナコンシータンマラートは山田長政が死んだ場所なので、少しは有名みたいです。
一般の人達にはどれくらい認知されているのか判りませんが。
カオソックを紹介したサイトはたくさんありますが、とりあえず写真が多いものを紹介させていただきました。
私も興味がある場所なのですが、まだ行ったことがないので、botaさんの旅行記を楽しみにしています。
ボソテルって確かソーイ44か46くらいでしたでしょうか?
チャオプラヤー川を眺めながらでしたら、やはりオリエンタルホテルの…。
って、男だけで行ってもアレですね。
-
- keng-kengさん 2011/04/21 14:56:12
- てっきり「美人通り」かと思ってましたわ!
- あいあ〜るさん、こんにちは。
旅行記の作成、順調に進んでるようで何よりです。
さっき午前中にこの写真を見たらまだコメントがついてなかったんで、てっきりถนนนางงาม(タノンナーンンガーム)=「美しい娘通り」かと思って、美人揃いの通りを想像してました。
しかし山田長政が住んでいたと言われる場所の前の通りの名前やったら、やっぱり「ナーガーマーサー」がなまって「ナーンンガーム」になったんでしょうか?あるいは逆に、美しい娘さんがいっぱいいる通り沿いに家を構えてたってことで、「ナーンンガーム」っていうあだ名をつけられて、それがなまって「ナーガーマーサー」になって、最終的に「長政」として定着したんでしょうか?
去年の12月に観たタイ映画「ヤーマーダー サームーライ アヨーッタヤー」では、女のコから「ナーカーオ(白い顔)」っていうあだ名を付けられる場面が描かれてましたが。。。
続きを楽しみにしてます!
- あいあ〜るさん からの返信 2011/04/22 12:20:14
- RE: てっきり「美人通り」かと思ってましたわ!
- keng-kengさん、こんにちは。
書き込みどうもありがとうございます。
私はkeng-kengさん案に1票ですわ!
山田長政が現地の人達から本名で呼ばれていたとは思えませんからね。
おそらく役職名で呼ばれていたと思います。
山田長政はナコンシータンマラートへはアユタヤ軍の総大将のような立場で行っています。
今で言えば県知事のような感じですから、山田長政の屋敷があったということは周りに他の偉いさんの家や国の政治に関わるような建物もあったかもしれません。
それらの建物に仕える国内選りすぐりの美女達がこの通りを往来していたとしても不思議ではありませんからね。
「ナーカーオ」って呼んでいた女の子って、どんな身分設定だったのでしょうか?
とても気になります。
村には日本人がたくさんいますし、宮中にはヨーロッパ人もいますから、山田長政が特別色白という状況が想像し難いのですが。
山田長政が日本人の中でも特に色白だったのか、あるいはその女の子が国王に近い(タイ人の中に山田長政だけという状況で会える)特別な身分だったのか?
- keng-kengさん からの返信 2011/04/22 13:17:33
- やっぱり「美人通り」ですか!
- なるほど、山田長政以外にも他にエラい人が何人もこの通り沿いに屋敷を構えてたんやったら、「美人通り」になっても不思議はないですね〜!
例の映画の中では、基本的に「若き日の山田長政」っていう視点で描かれてます。
最初は日本からアヨーッタヤーに流れて来た若者やったけど、日本人村の盆踊り大会の夜に帰り道で同じ日本人の暗殺団(忍者装束でした!)に襲われ、命からがら逃げて来たこの若者を助けたのが、たまたまナレースエン王の警備隊長の妹やった。で、この妹の家で傷の手当を受けるんですが、手当を手伝った近所の女のコが最初にこの若者を見てつけたあだ名が「ナーカーオ」でした。これはほぼ間違いなく、死にそうな真っ青な顔してたからでしょうね〜。。。
あいあ〜るさんが書かれてるように、当時のアヨーッタヤーは白人もぎょうさんいる大規模な国際都市として描かれてましたんで、単なる「白い顔」やなくって「死にそうな真っ青な顔」って意味やと思います。
- あいあ〜るさん からの返信 2011/04/23 12:58:07
- RE: やっぱり「美人通り」ですか!
- keng-kengさん、こんにちは。
真実はどうなのか判りませんが、「美人通り」の方が夢があるので、そちらだと思いたいです。
あっ、普通の人にとっては山田長政の方が夢があるのかな?(笑)
そう言えばタイ語では顔色が悪い時は何色って言うんですかね?
「青くなる」ってそのままタイ語にしても通じなさそうな。
明日は静岡で日タイ協会の総会があるので、ナコンシータンマラートのポスターを託してきます。
- keng-kengさん からの返信 2011/04/23 21:12:38
- 「美人通り」の方がロマンを感じますね〜
- あいあ〜るさん、こんばんは。
「美人通り」の方が、全盛期のアヨーッタヤーを生き生きと思い描けるような気がしますが
確かに少数派かもしれませんね〜。僕は少数派でぜんぜん構いませんが、はは。
> そう言えばタイ語では顔色が悪い時は何色って言うんですかね?
> 「青くなる」ってそのままタイ語にしても通じなさそうな。
顔色はสีหน้าとして、この間チェンマイで買うた本「お医者さんに何て言う?」に記載されてます。
恐らく、สีหน้าเป็นไม่ดี、みたいな感じかな〜って思います。
あいあ〜るさんのポスターのおかげで、静岡を含む日本からナコンシータンマラートへの訪問者が増えればええですね〜!
- あいあ〜るさん からの返信 2011/04/25 12:33:10
- RE: 「美人通り」の方がロマンを感じますね〜
- keng-kengさん、こんにちは。
昨日映画を少しだけ観ました。
最初の3分くらいと最後だけしか観ていませんが、ストーリーは史実と全く関係ない完全なフィクションですね。
一致しているのは主人公の日本人の名前が山田長政であるのと舞台がアユタヤであることくらいでしょうか。
冷静に考えてみたら、山田長政の時代はもうアユッタヤーになっているので、タイトルが既にフィクションだと物語っていました。(笑)
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