2011/02/12 - 2011/02/12
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tijanさん
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熊本市の旧市街を散策しました。
熊本の城下町は西南戦争でほどんどが消失してしまったそうでそれからの建物が太平洋戦争の被害をまぬがれて残っているそうです。
西南戦争って熊本城も焼け落ちるし激しい戦いだったんだと改めて知りました。(それに鹿児島だけのことじゃなかったんですね。)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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熊本駅の意外なこじんまり感が腑に落ちないまま1階におりてみるとやはりこじんまりした構内です。新幹線口への通路とかまだ見れないのかな?構内では新幹線がらみの工事とかその気配を感じられずあれっ?って感じで不思議な感覚。(在来線口の反対側に近代的な立派な新幹線口があります。在来線の東口からは見れないのかな?)
そして1階の在来線改札口は写真の観光案内所の奥にあるのがそうらしい。
熊本駅の構内図
http://www.jrkyushu.co.jp/pdf/kumamoto_st_kounai.pdf
(これから熊本駅は大きく変わるらしいので工事完了後が楽しみですね。) -
外に出ると駅前はまさに工事の真っ最中といった感じでした。大きな陸橋があるので上がろうとしたらまだ完成してなかった。
駅前には巨大な丸いテーブルのような屋根があってその下に市電乗り場がありました。さっそく乗り込んでホテルに向かいます。 -
乗った瞬間古さに驚いた。床が板だ。
そして水色の塗装がなんとも素敵なレトロ感を醸し出しています。 -
熊本駅から辛島町までの車窓は天気のせいかひっそりと感じました。
古い小さな家が静かに立ち並ぶ通りもありました。
壮麗な熊本城と賑やかな町を想像していたのでこれまた意外な感じです。
どうやらこの辺りが熊本城下の町人町だった所のようです。
駅から繁華街は離れているようです。熊本城はいづこに? -
辛島町で降りてホテルに荷物を置きさっそく街歩きに出てみます。
昔の建物が多く残る古町新町界隈を歩いてみました。
この階段状の外観が目を引く建物は練兵町にある早野ビルです。
熊本で最初の貸しビルとして大正期に建てられたそうです。
登録有形文化財です。 -
地図を見ると、呉服町、米屋町、魚屋町、細工町、古桶屋町、古大工町、上鍛冶屋町、紺屋町、唐人町、船場町… 昔の町人・職人町を彷彿とさせる町名がたくさん書かれています。どうやらこの辺り一帯を総称して「古町」というみたいです。戦前までは古町界隈が繁華街だったそうです。
古い町名が残っているって誇らしいことですね。 -
川が現れました!地図を見ると坪井川とあります。
町の中に川があるっていいなぁ。 -
冨重写真館です。創業者の冨重利平が上野彦馬に写真技術を学び熊本で初めて開いた写真館だそうです。こちらも登録有形文化財に指定されています。
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なんか心が安らぎます。雑踏は疲れるしこういう古い町並みを歩くとほっとします。
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と思ってたら案外車も多く走ってたりします。
熊本の名石工、橋本勘五郎が明治十年に手がけた明十橋(めいじゅうばし)は車道と化しててびっくり。
明十橋のそばにあるこの建物は旧第一銀行熊本支店で、熊本市内最初の鉄筋コンクリート造りの建物だそうです。こちらも登録有形文化財です。 -
もう一枚
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こちらは鍛冶屋町にある森本表具店です。
屋根の高さが段々になってておもしろい。 -
正面にまわってみます。
黒漆喰に格子、古い瓦が歴史を感じさせます。(明治19年築)
折りたたみ式の縁台(ばったり床机)が見えます。
熊本市の景観形成建造物に指定されています。 -
明十橋の一つむこうにある新呉服橋です。
この橋は車の通りも少なくゆっくり渡れます。
そして撮影ポイントです! -
新呉服橋から明十橋方面を見渡してみます。
奥にかかる橋が明十橋です。車がひっきりなしに通っています。 -
そして反対側です。奥の橋は明八橋(めいはちばし)です。
明十橋と同じく橋本勘五郎により明治八年に架けられました。
やはり橋は横から眺めるのがいいですね。 -
明八橋方面、川のそばに大きなレンガ塀が見えます。
隣り合ってた家の跡がくっきり。 -
西唐人町にある西村邸です。(大正6年)
家の形に添って防火壁が設けられています。
もともとは油商だったそうです。
景観重要建造物指定。 -
家をはさむようにレンガ防火壁があります。すごい!
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近寄って見るとレンガといってもなかなか凝ってます。
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家の前の通りは広くて整然としています。電線がないからかな?
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西村邸の向かいにある清永本店です。
すごく年期を感じるたたずまいです。 -
「いたや」と屋号が書いてあります。
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明八橋です。(翌日撮影)
あまり古さは感じません。 -
でもちょっとゆがんでるかな?
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橋の隣りには新明八橋ができてこちらがメインの通りになっています。
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明八橋から新呉服橋方面を眺めます。
家の裏側も川沿いに並ぶとなんだか味があっていいなぁ。
川沿いの昔の暮らしってどんなだっただろう?
タイムスリップしてみたいな〜 -
こちらは魚屋町にある鈴木邸(旧中村小児科医院)です。
大正3年頃の木造二階建です。
建物の随所に装飾が凝らされていて美しい洋館ですね。 -
もと医院だったからか結構大きな造りです。
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日本家屋付き洋館って感じです。
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呉服町電停の辺りです。
地図をみると市電の線路はこの辺りからカクカクと曲がっています。熊本城の城下町の区画は碁盤の目状になっていてそれは今でも引き継がれているそうです。市電の線路もそれに沿って走っているそうです。 -
熊本も路線バスの数が多いみたい。
旅行者にも助かります。 -
魚屋町にある三井住友銀行熊本支店です。(昭和9年築)
全然古さは感じませんね。 -
明十橋を渡りまっすぐ行って洗馬橋電停近くの船場橋を渡ります。(ややこしい)
船場町のすみもと歯科医院です。ぱっと見古さは感じないけど角のとれた丸い外観とそれに沿った窓がおもしろいです。 -
「あんたがたどこさ」の碑とたぬきの像を見たかったんだけど何やら工事をしてたのでそばにいけなかった。
洗馬橋電停から新町方面を見ると踏切が見えたので歩いて行ってみました。
ちょうど遮断機が降りて上熊本方面からの市電がやってくるところでした。 -
奥が洗馬橋電停。
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紫の市電がやってきた!
この踏切を渡って左に曲がってまっすぐ行くと新町電停に着きます。 -
新町電停です。やっぱ線路って美しいな〜
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新町電停で市電はぐいーんと曲がります。
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この辺りは道も広く交通量も多いです。
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にぎやかそうな通りです。
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そばにある長崎次郎書店です。(大正13年築)
洋風のような和風のような特徴的な外観です。
登録有形文化財です。
新町は古町より新しくできた商人・職人の町で、隈本城の侍町の名残もあるそうです。 -
市電に沿ってまっすぐ歩いていくと吉田松花堂の長〜い土塀が見えて来ます。
明治初期の古い町家です。景観形成建造物に指定されています。 -
看板にある諸毒消丸は現在も製造販売されているそうです。
小さな小さな丸い丸薬おばあちゃんが飲んでたな〜 -
とっても大きな敷地です。
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ここが玄関だろうか?普通に入って薬かえるの??(入りませんでしたが。)
格式高くて入るのに勇気いります。 -
「免許諸毒消丸」
ムムムム…すごい。 -
蔵もあります。通りを入った道はそんなに広くなかったです。
町の印象としては古町の方がどっちかというと開けてるのかなって感じでした。 -
蔚山(うるさん)町電停まで歩いてきました。
電停は簡単な造りながら街灯がオシャレです。 -
さて、日もだいぶ暮れてきたので少し引き返して「くすり湯」という銭湯を目指します。
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迷うかなっと思ってたけど案外簡単に辿り着けました。
と言っても通りに面しておらず小さな看板があるだけなのでわかりにくいです。
私は事前に他の方の旅行記とかで確認していたのですぐに気づけました。 -
看板の所の路地を奥に入っていくとくすり湯はあります。
ちょっと秘密めいてておもしろいです。 -
女湯の入口です。
「こどもひなんの家」のステッカーが貼ってあります。
こんな奥まった所避難しにくいわ〜 -
番台はおじいさんでした。(^^)
脱衣場は薄暗くて昔の家のお風呂に来たって感じ。
男湯と女湯を隔ててる壁一面にガラスがあって、写る自分の姿が向こうに人がいるようで何回もドキッとした。
お風呂には数人の常連さんが入っていました。
ここのお湯も熱かった。決まった時間におばあさんがくすりを入れにくるようでドバドバッと湯船に流して行きました。硫黄のような匂いが充満してます。
隣りでつかってるおばさんと少し話をさせてもらいました。昔ここの掃除をしていたのだそうです。歴史のある銭湯で兵隊さんも入っていったそうです。
ここの銭湯もみなさん静かに入っています。話はしてるんだけどそれが他の人の入浴をじゃましないというかとても居心地いいんですよね。ぶしつけに人をじろじろ見ないからかな? -
体が温まった所で銭湯を出ると外はだいぶ暗くなっていました。
まだ夕暮れの明るさが少し残っていて安心したけどしばらく歩くとやっぱりすぐ道に迷った。(><) -
迷ってるうちにすっかり日も暮れ、自分がどこにいるのやらさっぱりわからなくなって、とりあえずケータイのナビを頼りに新町の電停を探して歩きます。日の暮れた城下町をさまよってるうちになんとか電停まで辿り着けた。街灯もたくさんあるし車の通りもあって少しにぎやかになった。
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素直にこのまま市電に乗って帰ればいいのに道沿いの街灯がきれいでなんだかもう少し歩いてみたくなったのでした。昼間来た道を辿って歩いて帰ることにします。(って、すでにどう来たかわからなくなってます。)
暗い中地図を見るのも億劫で相変わらず迷っていると、すれちがった家族連れの方に道を尋ねられる。(これが翌日につながるキムさん一家との最初の出会いでした。)韓国から観光に来ていて下通のドンキホーテを探しているらしい。地図を見ると全然方角が違っていて、どんだけ歩いてここまできたんだと思って私も迷っている分際ではありましたが、とりあえず新町電停まで案内することにしました。 -
キムさんは案内してくれるの?とうれしそう。市電に乗る?歩く?とジェスチャーまじりに尋ねると乗らないと言うので私も迷ってる身だしどうやって行こうと思い、近くの店に入って「この辺にドンキホーテありますか?」と聞いてみる。私もなんで「この辺」なんて言っちゃったのかほんとにアホです。店のおばさんは上熊本駅まで行けば降りてすぐだと教えてくれる。この時点で下通と上熊本駅は方角が真反対なのでおかしいと気づけばよかったのに私も舞い上がってて素直に納得したのでした。(><) キムさんにもう一度市電に乗るか尋ねるとNONOと言うのでやっぱり徒歩で向かう。(これはもう今から思うとなんと無謀で愚かな判断だったことか!)私はキムさん一家の先頭にたって迷っていた(><) このままではキムさん一家を路頭に迷わせてしまう。そんな時2人連れの高校生くらいの青年とすれ違う。もうこの人たちにすがるしかない!と思った私は彼らをひきとめ図々しくもドンキホーテまでの案内を頼む!最初少し躊躇してたけどすぐ同じ方向だし…とひきうけてくれた。よかった〜(泣)
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道に迷ってる者が下手におせっかいをやくと余計事態を悪くすると深く反省。キムさん一家に謝るととんでもないと手をふるので少しほっとした。二人の青年に道案内をまかせてしまうのは申し訳ないので私もそのまま彼らに従う。(っていうか私も迷子だ)こうして青年2人とキムさん一家と私の変な一団ができあがったのでした。申し訳ない私の気持ちとは裏腹にキムさん一家(キムさん奥さん娘さん二人)は案外平気そうだ。私の後ろで楽しげな韓国語が聞こえてくる。キムさんは韓国人らしく陽気でおおらかそうな人だ。先頭の青年たちも突然の予定変更に困っただろうに嫌な顔ひとつせず飄々と案内してくれる。どこをどう歩いたのかわかんなかったけどけっこう歩いた感じがしました。今思うとYMCA辺りから法華坂、行幸坂を通って交通センターのあたりに出たのだと思います。青年たちがここですと教えてくれた時はほんとにうれしかった。キムさんもここ!と喜んでいた。案内してくれた二人にお礼を言い彼らはまた飄々と去っていった。ここでキムさん一家ともお別れ。アーケードにでかでかとつるされたドンキホーテの看板がまぶしいわ〜。熊本のドンキホーテ一生忘れないだろう(泣)
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なんかクラクラしてきて繁華街が妙にきらびやかに感じました。
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クリスマスな感じで妙にきらびやかに感じました。タクシーもたくさん走ってた。
場違いな感じがして早々に立ち去ります。 -
こむらさきで熊本ラーメンを食べてホテルに帰りました。
今日も長い一日だった。うれしいような悲しいような妙は気分で就寝したのでした。
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