2011/02/15 - 2011/02/15
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ソフィさん
2011年2月15日(火)
1557年、ポルトガルが租借し、マカオに居住権を得た時代、マカオの範囲は大陸から突き出た小さな半島部分だけだった。
現在マカオ行政区の範囲には、半島の南に、タイパ、コロアンの二島が含まれている。
これはポルトガル人の居住圏が時と共に次第にこれらの島に及んでいた実態があり、南京条約(1842年)、天津条約(1858年)、北京条約(1860年)など一連のヨーロッパ諸国の動きに同調しながら、最終的に1887年、ポルトガルの勢力範囲に組み込まれたようだ。
すなわちイギリスの1842年香港島獲得を機に、1845年ポルトガルは「マカオ自由港」成立を宣言、清の税関吏を追い出して軍により二島を占領し、1887年に正式に統治権を得た。
現在はさらにタイパ、コロアン二島の間が埋め立てられつつあり、この埋め立て地は両島の頭文字をとって「コタイ」と呼ばれている。
私が泊まっているグランド・ハイヤット・マカオも、ヴェネチャン・マカオ・リゾートもそのコタイにあり、当面マカオ開発の核のような存在だ。
すなわち、マカオは、中国珠海市と陸続きの半島と、タイパ-コタイ-コロアンが一体となった島部と大きく別れており、その間は南北の三つの大きな橋で結ばれている
さて、今朝はホテルからタイパ・マカオ・コーズウェーを北に進み、マカオ・ジョッキー・クラブをかすめて、三本あるマカオ半島行きの橋の一番西に位置する西湾(サイヴァン)大橋を渡って、「媽閣廟」にやって来た。
バス駐車場はほぼいっぱいで、韓国ブランドが目立つ。
ホテルの二台のテレビも、韓国ブランドだった。
ここで「媽閣廟」を見てから、バスの通れないほどの細い道を歩いて、世界遺産の宝庫を巡る。
「媽閣廟」の前に、火炎樹が目立つ。
やはり熱帯に来ているのだ。
この建物はやや内陸の丘の麓にあるが、建てられたころ、海に面していたと聞く。
(2011.03.02 片瀬貴文)
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