2013/08/12 - 2013/08/15
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彷徨人MUさん
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1).旅の始めに
送り火に 孤愁の風も 愚図りけり
明治から大正期の日本の美しさや、日本人の美を欧米に紹介したポルトガルの外交官「ヴェンセスラオ・デ・モラエス」の「評伝」を読み終えるや、彼が海軍軍人として勤務した「澳門」(マカオ)へ、向かった。この「評伝」は、「新田次郎」の未完成の絶筆を、息子「藤原正彦」が、30年後に完成させたものであった。
「モラエス」(1854年~1929年)は、ポルトガル領であった「澳門」で、海軍士官として勤務し、その後、外交官として来日後、日本人妻を娶り、日本で生涯を終えている。この評伝では、ポルトガル語の「サウダーデ」を、「孤愁」と訳されているが、ポルトガル語の「サウダーデ」とは、過ぎ去った幸せへの追慕や郷愁のことの様で、例え希望がなくても、「サウダーデ」によって生きて行くことが出来るようである。モラエスは、日本で、「サウダーデ」により、生き続け、徳島県で75歳で亡くなっている。
2).「澳門」(マカオ)へ
「澳門」は、中国大陸の半島と、周辺の島で構成されているが、順次埋め立てられ、今では、25.4平方キロの面積になっている。
この日、ホテルのコンシェルジェに、『佛笑楼餐庁』(澳門料理)の、夕食の席を予約をしてもらった。「福隆新街」にあるこの店の狭い階段を2階に上がり、室内全体が見透せる席に案内された。この店は、「ポルトガル・マカオ料理」であり、ボーイが料理を運んでくる度に、刺激的な香辛料の香りが、室内に漂ってきた。
最初の料理の「薯蓉青菜湯」(緑のスープ)は、中身は、じゃが芋に青菜、味は、オリーブオイルの効いた葡(ポルトガル)式のスープであった。その後、香辛料がしっかりの「アフリカチキン」、葡式の「浅利のガーリックソテー」も出され、やがて、メインディシュの「カリーハイ」(蟹のカレー炒め)が、運ばれてきた。
3).ギアの丘へ
当時、「澳門」の支配階層のポルトガル人は、中部から、南部に多く住んでいたが、モラエスは、島の北東部の「ギアの丘」の麓の、中国人地区に、西洋人との混血の中国人妻と子供達と住んでいた。『早朝、合歓の木が、眠りから覚め、一斉に葉を拡げる頃、「ギアの丘」から海を眺めると、薄靄がかりのヴエールを通して見る紅い海の表情は、一夜泣き明かした女の顔のようであった』と、著者は、海の情景を描いている。
その日、僕は、「ギアの丘」の粗雑な石段を登り、頂上へ向かった。今は、丘の上まで集合住宅が建っているが、ビルや木々の間から海を望むことは出来るものの、モラエスが眺めた「一夜泣き明かした女の顔のような海」を、僕には、想像さえも出来なかった。
4).「聖ポール天主堂跡」へ
徳川家康により、禁教令が出され、1614年日本から追放されたキリシタン達が、澳門で、「聖ポール天主堂」の建設に携わったことから、日本人観光客は、必ず見学に訪れるところである。僕も、「砲台跡」を見学後、「天主堂跡」に向かった。綺麗に整備された、この一帯は、今や澳門旅行での記念写真を撮るメッカであり、この日も、記念写真を撮るために、順番を待つ人で溢れていた。
5).「聖ヨセフ教会・修道院」に向かう
「日清戦争」が始まった1894年の9月に、モラエスは、兼務していた職を解かれ、「港務局副司令」の閑職だけが残った。同時に、この時総督から命を受け、「聖若瑟修院」(聖ヨセフ修道院)にあるセミナリヨ・リゼオ・デ・サン・ジョゼ高等学校の数学教師の職も引き受けている。「聖若瑟修院」と書かれた看板の前の石段を登り、バロック建築の教会を通り抜けると、神学校の修道院と教室の前に出た。
6). 「聖ローレンス教会」へ
ムーア風の「大殿堂」であるが、船乗りの家族たちが航海の無事を祈りに来たため、「風順堂」とも呼ばれていた。僕は、「大殿堂」の中で、宣教師「フランシスコ・ザビエル」の像を見つけた。「ヴェンセスラオ・デ・モラエス」の「評伝」の著者は、この教会の台帳から、中国人妻との間に生まれたモラエスの子供の洗礼記録を見つけている。
モラエスが愛した「フレンジー・バニー」(素馨)の花と、香りについては、「花は高さ3mの木に咲く直径10㎝ほどのカップ状の5弁の花で、弁は白く、中心は、鮮やかな黄色であり、高貴な芳香を漂わせていた」と、評伝に書かれていたが、目の前の花が、そうであろうと思い、写真に撮った。
素馨咲く 白き小花の 深き影
7). 「港務局」へ、向かう
モラエスは、「港務局」の副司令で、海軍を退官している。「港務局」は、澳門半島の南西方の海岸に近いペンニャの丘の西側麓近くにあるコロニアル風の瀟洒な低層の建物である。道路工事がされていたので、車を降り、假菩提樹の大木の並木が続く坂道を登って行った。やがて、店舗兼集合住宅などが密集した、最寄商店街に出たが、その先に、コロニアル風の瀟洒な建物の「港務局」があった。モラエスは、北東岸の「ギアの丘」の自宅から、街の中心を横切り、この「港務局」に、毎日通勤していたのである。(完)
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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澳門 マンダリン・オリエンタルホテル
宿泊した部屋からの風景(向かいの島はタイパ島) -
澳門 マンダリン・オリエンタルホテル
宿泊した部屋からの風景 -
澳門 マンダリン・オリエンタルホテル
宿泊した部屋からの風景(前の風景はタイパ島) -
佛笑楼餐庁(ポルトガル・マカオ料理)
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佛笑楼餐庁(ポルトガル・マカオ料理)
2階の客席の風景。漏れ聞こえる言葉から、どうやら、この階には日本人が多いのではないかと思う。 -
佛笑楼餐庁(ポルトガル・マカオ料理)
『薯蓉青菜湯』(緑のスープ)、
じゃが芋に、青菜、それにソウセージを入れ、オリーブを加えたスープであり、一見すると、日本の味噌汁に見える。
モラエスは日本のみそ汁を始めて見た時、ポルトガル北部の野菜スープを思い出したのかもしれない。 -
佛笑楼餐庁(ポルトガル・マカオ料理)
『葡式炒蜆』(アサリのガリックソテー)
僕は、食べながら、日本のニンニク入りの「アサリの酒蒸し」を、思い出していた。 -
佛笑楼餐庁(ポルトガル・マカオ料理)
『コッアッファーン』(ダック・ライス) -
佛笑楼餐庁(ポルトガル・マカオ料理)
『葡式カレー蟹』(蟹のカレー炒め)
蟹を玉ねぎと一緒にカレー風味で炒めた澳門料理 -
佛笑楼餐庁(ポルトガル・マカオ料理)
『菲州雛』(アフリカチキン)
各種香辛料とココナツミルクのソース使ったチキン料理 -
佛笑楼餐庁(ポルトガル・マカオ料理)
デザート -
佛笑楼餐庁(ポルトガル・マカオ料理)
デザート -
セナド広場(議事亭前地)
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新馬路付近の夜景
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聖ドミニコ教会〇瑰堂
聖ドミニコ広場 -
グランド・リスボア・カジノ
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葡京路界隈の噴水のショウ
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葡京路界隈の噴水のショウ
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葡京路界隈の噴水のショウ
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ギア教会とギア灯台があるギア要塞(東望洋砲台)①
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ギア教会とギア灯台があるギア要塞(東望洋砲台)②
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ギア教会とギア灯台があるギア要塞(東望洋砲台)③
モラエスは、澳門で、中国系女性(白人と中国人の混血)と結婚し、中国人の多く住んでいたギア灯台の麓に住んでいた。当時海軍軍人であったモラエスは、早朝に、裏山のようなこのギア灯台に登り、珠江が運ぶ赤色に染まる潮の流れを眺めていたのだろう。 -
ギア教会とギア灯台があるギア要塞(東望洋砲台)④
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ギア教会とギア灯台があるギア要塞(東望洋砲台)⑤
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慕拉士大馬路(モラエス大通り)①
澳門の北東部の商業地域を、東から、北西に向かって走る道路に、「モラエス」の名前が付けられていた。何故この道路に、「モラエス」の名前が付けられたのか、分からないのだが。 -
慕拉士大馬路(モラエス大通り)②
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カモンエス公園(白鴿巣公園)①
澳門を限りなく愛した詩人ルイス・カモンエスの名を付けた公園である。 -
カモンエス公園(白鴿巣公園)②
モラレスの愛読した詩人ルイス・カモンエスの名を付けた公園である。
僕が訪れた時には、地元の人がカモンエスの像がある洞の周りで体操をしていた。地元の人の憩いの場所であろう -
カモンエス公園(白鴿巣公園)③
祠の中には、モラレスの愛読した詩人ルイス・カモンエスの像がある。 -
モンテの砦(大砲台)①
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モンテの砦(大砲台)②
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モンテの砦③
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モンテの砦④
『モンテの砦』から見た、聖ポール天主堂跡。 -
聖ローレンス教会①
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聖ローレンス教会②
フランシスコ ザビエル像 -
聖ローレンス教会③
教会内部 -
聖ヨセフ教会・修道院①
モラエスは、港務局副司令のまま、聖ヨセフ修道院にあるセミナリヨ・リゼオ・デ・サン・ジョゼ高等学校の数学教師の職を引き受けている。
入口には,「聖若瑟修院」と書かれた看板があり、その背後の石段を登るとバロック建築の教会がある。 -
聖ヨセフ教会②
バロック建築の教会、その背後に、モラエスが一時数学を教えていた神学校の修道院と教室が広がっている。 -
澳門総督府①
1884年から1999年までは「澳門総督府」であったが、中国に返還されてから、「政府総部」となっている。 -
澳門総督府②
1884年から1999年までは「澳門総督府」であったが、中国に返還されてから、「政府総部」となっている。 -
港務局①
モラエスは、澳門では海軍士官(退官時階級は中佐)として、この港務局の副司令であった。1898年6日8日に公報部付きの辞令(退官予告)を受けている -
港務局②
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港務局③
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港務局④
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港務局界隈の街並み①
假菩提樹の大木の並木が続くこの道を、港務局副司令のモラエスは、ギアの丘の麓の自宅から人力車で出勤していたのであろうか。 -
港務局界隈の街並み②
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香港 フオーシーズン・ホテル①
松茸と、きぬがさ茸入りスープ -
香港 フオーシーズン・ホテル②
ハタの蒸し物(清蒸)(表題写真) -
香港
皮蛋魚片粥
台風の朝、香港のホテル近くの粥専門店での朝食。
久しぶりに、好きなピータン入りのお粥を堪能した。
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