2011/02/15 - 2011/02/15
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ソフィさん
2011年2月15日(火)
マカオの初日が明けた。
一面に霧がかかったような空で、雨粒も微かに落ちている感じがする。
しかし決してうっとうしくはない。
暑くもなければ寒くもなく、むしろ吹く風が、爽やかにさえ感じる。
最初に訪ねたのは、マカオの名前が生まれたと言われる、「媽閣廟」だった。
「媽閣廟」は現地の発音で「マァコッミュウ」と呼ぶようだ。
あるいはこの廟の祭神「阿媽」(アーマー)の湾(アマガオ)が、「マカオ」の名の始まりと言う。
いずれにせよ「マカオ」は、ここにやって来たポルトガル人の付けた名前で、現地の以前からの呼び名「澳門(オウムン)」とは無関係である。
「媽閣廟」の建つ丘には四つのお堂があり、うち下の三つは「阿媽」と道教の神が、一番上には仏教の観音が祀られている。
様々な宗教が同時に存在するのは、中国の特徴と聞く。
「阿媽」は福建からやって来た女神で、航海の安全の神様らしい。
この辺りの海は荒れることが多く、海の遭難が住民にとって大きな問題なのだ。
いわゆる「大航海時代」で、スペインは西に進み、ポルトガル人は東に進む。
ポルトガル人がアフリカの南端に達したのは1488年。
ヨーロッパからアフリカの南端まで、アフリカの西岸を一歩一歩固めたわけだが、ほぼ70年間を費やした。
それからインドのゴアに基地を固め(1510年)、中国にやって来たのは1513年だった。
東に航路を求めてから、ほぼ100年を掛けたことになる。
中国の許可のもと、ポルトガル人がマカオに定住しはじめるのは1557年だから、中国に来始めてからマカオに定住するまで、さらに40年掛かっている。
当時は、船の性能や航海技術が未熟で、ヨーロッパからアジアに達するには2〜3年を要し、さらに半数近くは遭難のため達することさえできなかった。
この厳しい環境で、100年以上も掛けながら、1万キロを超える航路を開いた彼らには、学ぶべき点は多い。
なお逆のアジアから西に向けての船は、明の鄭和による大遠征があり、ポルトガルの中国到来の100年ほども前に、アフリカの東岸に達している。
鄭和の遠征は7回(1405年〜1433年)行われ、第7回には61隻、2万7千人以上と言う大規模なものだった。
もっと遡れば、この航路はイスラム教徒がそれ以前から開いていたと推測される。
鄭和はイスラム教徒だった。
(2011.2.25 片瀬貴文)
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス タクシー
- 航空会社
- マカオ航空
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