2010/08/23 - 2010/09/01
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etretatさん
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アルマ橋は、クリミア戦争(1853年〜56年)のアルマの戦いに
ちなんで命名された。
アルマ橋とアンバリッド橋は、パリ万国博を目指してほぼ同時期に
完成している。
しかしアルマ橋のほうだけが、絶えず注目されてきた。
上流側に立つアルジェリア歩兵の全身像は、セーヌの水位を図る目安
になってきた。
水位がアルジェリア兵の足まで来ているとセーヌの堤の道路は水没
してしまっていて通行できない。
水位がズワヴの腿まで来ているとセーヌ川は航行できない。
1910年の大洪水の時には、水位はアルジェリア兵のあご髭まで
達していた。
サンルイ島の川岸には、1910年の洪水の水位を知らせるプレートが付けられている。
洪水から100年後の昨年、マレ地区で「Paris Inondé 1910(水浸しのパリ 1910年)」展が開催され、沢山の人を集めたらしい。
ダイアナ元妃が1997年に交通事故で亡くなったトンネルは
アルマ橋の北側(右岸)にあった。
このモニュメントは1989年に、仏米友好関係の証しにアメリカからフランスに寄贈されたものだったが、この広場の真下のトンネルでダイアナ妃が亡くなってからはダイアナ記念碑ともなっている。
アルマ橋は1855年のパリ万国博覧会のため架橋されることが決定し、
1854年に工事を開始したものの万博には間にあわず、1856年に完成した。
3径間の石造アーチだったが、アンバリッド橋同様、間に合わなかった。
1974年に架け替えられ、新しい橋には非対称の2径間連続鋼箱桁が採用され、橋脚の上流側にアルジェリア歩兵が再び取り付けられた。
長さ136m、幅40mに拡幅された。
- 旅行の満足度
- 4.5
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アルジェリア兵はセーヌの水位をずっと見ている
-
視線はセーヌの左岸側に向いている
-
コインや石ころが見える
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このモニュメントは1989年にニューヨークの自由の女神の修復作業に対する感謝の記念に、アメリカよりフランスに贈られたものだったが、今やダイアナ元妃の記念碑として有名に
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新しい橋には非対称の2径間連続鋼箱桁が採用され、橋脚の上流側にアルジェリア歩兵が再び取り付けられた
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左端に見える塔は、アメリカン・ カテドラル(右)
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ジョルジュサンク通りに面した高さ84mもある大聖堂。
ここではJTBなどの挙式プランが用意されている。 -
アルマ橋の歩道に、次から次に観光客がやってくる
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広い歩道があり、もちろん後ろにエッフェル塔があるから
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