2010/09/22 - 2010/09/26
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korotamaさん
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備中松山城をあとにし、その城下町 高梁を少しだけ散策しました。
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ
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備中松山城がそびえる臥牛山の南側、高梁川沿いに城下町 高梁があります。
町を流れる紺屋川。備中松山城 名所・史跡
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のんびりと・・・
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街歩きの前に、軽く腹ごしらえ。
紺屋川沿いに建つ「つくしんぼ」。 -
魚定食と冷やしうどんをいただきました。
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紺屋川あたりは美観地区。
昔ながらの町屋が残ります。 -
土壁から瓦が出ている
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9代将軍家重の1746年、備中松山藩の学問所として創設された「有終館」。
現在は幼稚園になっています。 -
木造西洋建築の高梁キリスト教会。
現存する岡山県下最古の教会堂だそうです。
日本基督教団に属するプロテスタント教会。 -
町を南北に走るJR伯備線の線路。
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貨物列車がやって来ましたー。
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特急列車もやって来ましたー。
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こちらは「頼久寺」。
正式には「天柱山 安国頼久禅寺」。
臨済宗のお寺で、足利尊氏の頃にはすでにあったそうです。頼久寺 寺・神社・教会
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頼久寺 正門
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本堂
大きくて、カメラに納まりませんでした。 -
本堂
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愛宕山を借景とした蓬莱式枯山水庭園。
江戸時代のはじめ、備中松山藩の国奉行を務めた小堀遠州によるものだそうです。 -
奥に亀島、手前右に鶴島が配されています。
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白敷砂も見事。
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「暦応2年12月沙彌西念勧進」と刻まれた石灯籠。
暦応2年、1339年、南北朝時代からある、ということ? -
ひっそりとした裏庭。
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!
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戦国時代、毛利氏・宇喜多氏と戦って敗れた備中松山城主 三村元親(みむらもとちか)、一子勝法師丸、父家親公のお墓があります。
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お山の麓は城下町。
江戸時代には、藩主の居館や政庁、武家屋敷、神社仏閣がありました。 -
藩主の居館と備中松山藩の政庁を兼ねた旧御根小屋にほど近い石火矢町には、今も武家屋敷が残ります。
つきあたりがた旧御根小屋(現高梁高校)。
臥牛山のすそ野もちらりと。 -
公開されている屋敷の一つ、「旧折井家」。
江戸時代後期の天保年間(家斉、家慶の時代)に建てられた屋敷で、当時160石の馬回り役を勤めた武士が住んでいました。 -
書院造の母屋
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土塀が連なり、風情ある門構えが並ぶ石火矢町。
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