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本編は第2日目です。<br />大阪から夜行列車に乗り、高松から日和佐まで行きました。<br />初めての四国上陸でした。<br /><br /><br />1965年春。<br />高校1年の春休みに、親友に誘われて東京から関西、四国、山陰を回って12日間の旅行に出た。<br />切符は、同じ駅を通らない国鉄の片道切符で出発地の東京まで戻ってきた。<br />当時の写真、ネガフィルムから、もう一度旅行をなぞってみた。<br />青春片道切符として何時までも記憶に留めておきたい。<br /><br />【日程】<br />0日目(3/22) 出発 東京→ 車中泊<br />1日目(3/23) →名古屋→奈良、興福寺、大仏殿、薬師寺、法隆寺、大阪→車中泊<br />2日目(3/24) →香川、栗林公園、屋島、日和佐(泊)<br />3日目(3/25) 日和佐(泊)<br />4日目(3/26) 室戸岬、高知(泊)<br />5日目(3/27) 龍河洞、池田、高知(泊)<br />6日目(3/28) 高知、高知城→宇和島(泊)<br />7日目(3/29) 移動、宇和島→下関(泊)<br />8日目(3/30) 下関(泊)<br />9日目(3/31) 下関→出雲大社、松江→(京都) 車中泊<br />10日目(4/1) 京都→(昇仙峡) 車中泊<br />11日目(4/2) 昇仙峡、帰宅<br /><br />

思い出の 青春片道切符 1965年 (2) 2日目 香川、栗林公園、屋島、日和佐

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1965/03/24 - 1965/03/24

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TAKEおじ

TAKEおじさん

本編は第2日目です。
大阪から夜行列車に乗り、高松から日和佐まで行きました。
初めての四国上陸でした。


1965年春。
高校1年の春休みに、親友に誘われて東京から関西、四国、山陰を回って12日間の旅行に出た。
切符は、同じ駅を通らない国鉄の片道切符で出発地の東京まで戻ってきた。
当時の写真、ネガフィルムから、もう一度旅行をなぞってみた。
青春片道切符として何時までも記憶に留めておきたい。

【日程】
0日目(3/22) 出発 東京→ 車中泊
1日目(3/23) →名古屋→奈良、興福寺、大仏殿、薬師寺、法隆寺、大阪→車中泊
2日目(3/24) →香川、栗林公園、屋島、日和佐(泊)
3日目(3/25) 日和佐(泊)
4日目(3/26) 室戸岬、高知(泊)
5日目(3/27) 龍河洞、池田、高知(泊)
6日目(3/28) 高知、高知城→宇和島(泊)
7日目(3/29) 移動、宇和島→下関(泊)
8日目(3/30) 下関(泊)
9日目(3/31) 下関→出雲大社、松江→(京都) 車中泊
10日目(4/1) 京都→(昇仙峡) 車中泊
11日目(4/2) 昇仙峡、帰宅

同行者
友人
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル
旅行の手配内容
個別手配

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  • 大移動(大阪→宇野→高松→日和佐) <br /><br />大阪から夜行に乗って岡山宇野へ。四国へは勿論「宇高連絡船」である。<br />しかし、この10年前の1955年5月11日に、紫雲丸と第三宇高丸が衝突して前者が沈没し168人死亡する事故が発生した。以前は、電車ごとフェリーに乗り込んだが、この後、客車の乗客は電車から降ろされて船に乗った。

    大移動(大阪→宇野→高松→日和佐) 

    大阪から夜行に乗って岡山宇野へ。四国へは勿論「宇高連絡船」である。
    しかし、この10年前の1955年5月11日に、紫雲丸と第三宇高丸が衝突して前者が沈没し168人死亡する事故が発生した。以前は、電車ごとフェリーに乗り込んだが、この後、客車の乗客は電車から降ろされて船に乗った。

  • 高松へは宇高連絡船で<br /><br />私達が乗ったのは(たぶん)讃岐丸(初代)で、全長78メートル、1,800トンの車両も搭載する大型船だった。高松には明け方に着き、町に出てもシーンと静まり返っていた。朝早くやっているお蕎麦屋さんを見つけて、お蕎麦で腹ごしらえした。

    高松へは宇高連絡船で

    私達が乗ったのは(たぶん)讃岐丸(初代)で、全長78メートル、1,800トンの車両も搭載する大型船だった。高松には明け方に着き、町に出てもシーンと静まり返っていた。朝早くやっているお蕎麦屋さんを見つけて、お蕎麦で腹ごしらえした。

    宇野港 乗り物

  • 栗林公園は朝靄の中<br /><br />しとしと雨も降る、人通りも無い中、歩いて栗林公園に向かった。ところが、なんと栗林公園は工事中で池の水を全部出していた。<br />これにはがっかりするが、それでも雨の公園をぶらついた。

    栗林公園は朝靄の中

    しとしと雨も降る、人通りも無い中、歩いて栗林公園に向かった。ところが、なんと栗林公園は工事中で池の水を全部出していた。
    これにはがっかりするが、それでも雨の公園をぶらついた。

    四国フェリー(株) 乗り物

  • 栗林公園は工事中だったが<br /><br />初めての四国観光は不運だったが、水が無くても広大な日本庭園は美しく満足した。

    栗林公園は工事中だったが

    初めての四国観光は不運だったが、水が無くても広大な日本庭園は美しく満足した。

    花園亭 グルメ・レストラン

  • 屋島ケーブルで登る<br /><br />高松に来たからには屋島に登ろうと屋島ケーブル(屋島登山鉄道)で登る。このケーブルは2005年に廃止された。この頃は大人気の屋島だったが、今は観光客が激減しているようだ。

    屋島ケーブルで登る

    高松に来たからには屋島に登ろうと屋島ケーブル(屋島登山鉄道)で登る。このケーブルは2005年に廃止された。この頃は大人気の屋島だったが、今は観光客が激減しているようだ。

    琴電屋島駅

  • 屋島も雨<br /><br />屋島に登ったのは良いが、瀬戸内海の素晴らしい眺めは生憎の雨模様の視界ゼロでがっかり。

    屋島も雨

    屋島に登ったのは良いが、瀬戸内海の素晴らしい眺めは生憎の雨模様の視界ゼロでがっかり。

    屋島寺 寺・神社・教会

  • SLで高松から徳島へ<br /><br />高松から徳島まで汽車に乗って行った(と思う)。四国は1960年代の終わりまでSLが多数現役で走っていた。それでこの旅行の四国内の移動は、SLに乗っての移動と成ったと思われる。2010年に成ってもこの路線は電化されていないから驚く。<br /><br />68692形は?

    SLで高松から徳島へ

    高松から徳島まで汽車に乗って行った(と思う)。四国は1960年代の終わりまでSLが多数現役で走っていた。それでこの旅行の四国内の移動は、SLに乗っての移動と成ったと思われる。2010年に成ってもこの路線は電化されていないから驚く。

    68692形は?

  • 上記のSLは今も有った!!<br /><br />今は、徳島駅近くの徳島中央公園に保存されている。<br />昭和44年(1969年)7月22日に引退したそうだ。<br />上の写真は昭和40年だから4年後に引退。<br /><br />国鉄8620形蒸気機関車である。<br />68692号機は 大正12年日立製。随分と長い間走っていた。

    上記のSLは今も有った!!

    今は、徳島駅近くの徳島中央公園に保存されている。
    昭和44年(1969年)7月22日に引退したそうだ。
    上の写真は昭和40年だから4年後に引退。

    国鉄8620形蒸気機関車である。
    68692号機は 大正12年日立製。随分と長い間走っていた。

  • SLがいっぱい<br /><br />高徳本線の無煙化は1969年10月1日。全国的には1974年12月に北海道で無煙化は完了した。以後SL走行は記念行事で見られるだけ。SLでゆっくり走るのも旅の情緒が有って良い。トンネルに入ると一斉に窓を閉めたのが懐かしい。<br />

    SLがいっぱい

    高徳本線の無煙化は1969年10月1日。全国的には1974年12月に北海道で無煙化は完了した。以後SL走行は記念行事で見られるだけ。SLでゆっくり走るのも旅の情緒が有って良い。トンネルに入ると一斉に窓を閉めたのが懐かしい。

  • とくしま駅で乗り換え<br /> <br />徳島駅も雨に煙っている。徳島からは牟岐線でいよいよ日和佐へ。

    とくしま駅で乗り換え
     
    徳島駅も雨に煙っている。徳島からは牟岐線でいよいよ日和佐へ。

  • 日和佐への切符を買い足す<br /><br />手元の片道切符は佐古から徳島線で高知に行き日和佐を通らないので、佐古から日和佐の先の牟岐まで車内で買い足した。日和佐を通る片道切符は国鉄がその先と繋がっていないので買えなかった。

    日和佐への切符を買い足す

    手元の片道切符は佐古から徳島線で高知に行き日和佐を通らないので、佐古から日和佐の先の牟岐まで車内で買い足した。日和佐を通る片道切符は国鉄がその先と繋がっていないので買えなかった。

  • 日和佐の町<br /><br />日和佐はYAMAの父親の出身地でYAMAの父親の友達(TOMAさん)が居るのでお世話に成った。すぐに、息子さんの中学生のKOUSUKE君に町を案内してもらった。<br /><br />

    日和佐の町

    日和佐はYAMAの父親の出身地でYAMAの父親の友達(TOMAさん)が居るのでお世話に成った。すぐに、息子さんの中学生のKOUSUKE君に町を案内してもらった。

    日和佐駅

  • 人口1万人のちいさな町<br /><br />小高い丘の上から見た人口1万人のこぢんまりした日和佐の町は美しく一辺に気にいってしまった。<br /><br />

    人口1万人のちいさな町

    小高い丘の上から見た人口1万人のこぢんまりした日和佐の町は美しく一辺に気にいってしまった。

  • 日和佐は美波町 「ウェルかめ」の舞台に<br /><br />日和佐は海がめで有名で、平成18年3月31日、日和佐町と由岐町が合併して美波町と名前を変えた。NHKの朝の連ドラ「ウェルかめ」の舞台に成って一躍有名になったところである。美波町も美しい名前だが、私には日和佐が良い。

    日和佐は美波町 「ウェルかめ」の舞台に

    日和佐は海がめで有名で、平成18年3月31日、日和佐町と由岐町が合併して美波町と名前を変えた。NHKの朝の連ドラ「ウェルかめ」の舞台に成って一躍有名になったところである。美波町も美しい名前だが、私には日和佐が良い。

  • 日和佐高校(YAMAのお父さんの母校)<br /><br />YAMAのお父さんの母校にも案内してもらった。春休み中も有って静かな佇まいの学校だった。

    日和佐高校(YAMAのお父さんの母校)

    YAMAのお父さんの母校にも案内してもらった。春休み中も有って静かな佇まいの学校だった。

  • 日和佐高校は徳島県立海部高等学校(2004年4月開校)に<br /><br />この日和佐高校は、徳島県立海南高等学校、徳島県立宍喰商業高等学校と統合され徳島県立海部高等学校(2004年4月開校)となり、2006年3月で閉校となった。<br />日和佐の名前が少しづつ消えていくのは寂しい限りだ。<br />

    日和佐高校は徳島県立海部高等学校(2004年4月開校)に

    この日和佐高校は、徳島県立海南高等学校、徳島県立宍喰商業高等学校と統合され徳島県立海部高等学校(2004年4月開校)となり、2006年3月で閉校となった。
    日和佐の名前が少しづつ消えていくのは寂しい限りだ。

  • 薬王寺はランドマーク <br /><br />日和佐の町を一望できる小高い丘の上に、町のランドマークの薬王寺が有る。四国88ヶ所第23番札所の寺で、815年に弘法大師が42歳の厄除け祈願のため薬師如来座像を刻んで安置したとされる。

    薬王寺はランドマーク

    日和佐の町を一望できる小高い丘の上に、町のランドマークの薬王寺が有る。四国88ヶ所第23番札所の寺で、815年に弘法大師が42歳の厄除け祈願のため薬師如来座像を刻んで安置したとされる。

  • 薬王寺 瑜祇塔(ゆぎとう)<br /><br />瑜祇塔(ゆぎとう)は、小野小町の盛哀を描いた「九想図巻考証」など、国宝級の宝物が展示されている。こんな立派なものが展示されているとは知らなかった。この当時は見た記憶が無いが。<br />

    薬王寺 瑜祇塔(ゆぎとう)

    瑜祇塔(ゆぎとう)は、小野小町の盛哀を描いた「九想図巻考証」など、国宝級の宝物が展示されている。こんな立派なものが展示されているとは知らなかった。この当時は見た記憶が無いが。

  • 薬王寺から日和佐の町<br /><br />薬王寺から鐘楼の向こうに日和佐の町が良く見える。<br />日和佐に着いたばかりだが、町のあちらこちらを案内してもらい、一辺にこの町が気に入ってしまった。<br /><br />夜は、TOMAさん宅にお世話に成った。<br />2日間夜行が続いたので、ぐっすり眠れた。<br /><br />続きは<br />http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10542990<br /><br />この旅行記は以下の続きです。<br />http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10542278/

    薬王寺から日和佐の町

    薬王寺から鐘楼の向こうに日和佐の町が良く見える。
    日和佐に着いたばかりだが、町のあちらこちらを案内してもらい、一辺にこの町が気に入ってしまった。

    夜は、TOMAさん宅にお世話に成った。
    2日間夜行が続いたので、ぐっすり眠れた。

    続きは
    http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10542990

    この旅行記は以下の続きです。
    http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10542278/

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この旅行記へのコメント (2)

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  • かっちんさん 2011/03/20 10:35:45
    屋島ケーブル 知ってます!
    懐かしい写真です。
    1980年頃、四国を訪れた際にこの屋島ケーブルに乗ったことがあります。
    すでに廃止されてしまったんですね。
     
    別の写真にあったSLは"86"(ハチロク)と呼ばれている機関車です。
    99号機までは8699、100号機以降は18600と名付けています。

    TAKEおじ

    TAKEおじさん からの返信 2011/03/20 17:38:37
    RE: 屋島ケーブル 知ってます!
    かっちんさん

    私は屋島ケーブル、ほとんど覚えていません。
    写真が残っているので、何とか思い出そうとしました。

    偶然撮った、SLが今でも展示されているのには驚きました。
    ネットで探しましたが、見つけたときは嬉しかったですね。
    機会が有れば、訪問したいです。
    "86"(ハチロク)と云うのですね。
    100号機以降は18600と云うのは、予定以上に作られたのですかね。

                          TAKEおじ

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