![<br />2010年10月16日(土)<br /><br />ハイデルベルク城のテラスから、街を展望して、中世を頭に描きながら、城の最後の見どころ地下の酒蔵に降りた。<br /><br />酒蔵は「大樽棟」と呼ばれ、王のサロン・宴会場に接している。<br /><br />その中心に置かれた位置から、昔の宮廷生活でワインの占めたウェイトの重さが見えて来る。<br /><br /><br />大樽は、時代と共に更新され、更新されるたびに大きくなった。<br /><br />ヨハン・カジミール樽 (1591年)、カール・ルートヴィヒ樽 (1664年)、カール・フィリップ樽( 1728年)、カール・テオドール樽 (1751年)。<br />いずれも交換したときの選帝侯の名前が付いているが、73年、64年、23年と、次第に交換が早くなっている。<br /><br />何故そのようになったのか、いろいろな理由が考えられるが、面白そうな問題だ。<br /><br />樽の大きさは、単なる必要性から生まれたものではなくて、権力の大きさ、あるいは技術レベルの高さを誇示する目的もあったのかも知れない。<br /><br /><br />樽の大きさは、最初のヨハン・カジミール樽はほぼ127,000リットルであったが、代を追うごとに大きくなって、現在のカール・テオドール樽は 221,726リットルに造られた。<br /><br />ただし乾燥と共に幾分小さくなって行き、現在の容量は219,000リットルとされている。<br /><br />樽の脇に、宮廷道化師「ペルケオ」の」像が立っている。<br /><br />宮廷道化師とは、宮廷内の日常を盛り上げるための存在で、おかしい仕草やセリフで皆を笑わせたらしい。<br /><br />私も、フランスのグルノーブル近くの宮殿ホテルに泊まった時、サロンや食堂に現われて、ひょうきんな仕草や可笑しな語りで、ホテル中の雰囲気を明るくしようとする人がいた。<br /><br />これは中世の宮廷を演出しているのだった。<br /><br /><br />「ペルケオ」は、カール・フィリップのお気に入りで、彼が以前に勤めていたチロルのインスブルックから連れて来た。<br /><br />ワインを唯一の飲み物として、子供のころから飲み続けていて、一日15本のワインを飲んだと伝えられる。<br /><br />歳をとり、初めて病気になったとき、医者がワインの代わりに水を飲めと指示し、彼はそれに従ったのだが、翌日死んだと伝えられる。<br /><br /><br />パリに住んでいたとき、子供が下痢をして医者に診せたところ「上質のビフテキを食べて赤ワインを飲み寝ていろ」と言われたことを思い出す。<br /><br /><br />(片瀬貴文 2011.02.03)<br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/54/27/650x_10542751.jpg?updated_at=1296692286)
2010/10/16 - 2010/10/16
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ソフィさん
2010年10月16日(土)
ハイデルベルク城のテラスから、街を展望して、中世を頭に描きながら、城の最後の見どころ地下の酒蔵に降りた。
酒蔵は「大樽棟」と呼ばれ、王のサロン・宴会場に接している。
その中心に置かれた位置から、昔の宮廷生活でワインの占めたウェイトの重さが見えて来る。
大樽は、時代と共に更新され、更新されるたびに大きくなった。
ヨハン・カジミール樽 (1591年)、カール・ルートヴィヒ樽 (1664年)、カール・フィリップ樽( 1728年)、カール・テオドール樽 (1751年)。
いずれも交換したときの選帝侯の名前が付いているが、73年、64年、23年と、次第に交換が早くなっている。
何故そのようになったのか、いろいろな理由が考えられるが、面白そうな問題だ。
樽の大きさは、単なる必要性から生まれたものではなくて、権力の大きさ、あるいは技術レベルの高さを誇示する目的もあったのかも知れない。
樽の大きさは、最初のヨハン・カジミール樽はほぼ127,000リットルであったが、代を追うごとに大きくなって、現在のカール・テオドール樽は 221,726リットルに造られた。
ただし乾燥と共に幾分小さくなって行き、現在の容量は219,000リットルとされている。
樽の脇に、宮廷道化師「ペルケオ」の」像が立っている。
宮廷道化師とは、宮廷内の日常を盛り上げるための存在で、おかしい仕草やセリフで皆を笑わせたらしい。
私も、フランスのグルノーブル近くの宮殿ホテルに泊まった時、サロンや食堂に現われて、ひょうきんな仕草や可笑しな語りで、ホテル中の雰囲気を明るくしようとする人がいた。
これは中世の宮廷を演出しているのだった。
「ペルケオ」は、カール・フィリップのお気に入りで、彼が以前に勤めていたチロルのインスブルックから連れて来た。
ワインを唯一の飲み物として、子供のころから飲み続けていて、一日15本のワインを飲んだと伝えられる。
歳をとり、初めて病気になったとき、医者がワインの代わりに水を飲めと指示し、彼はそれに従ったのだが、翌日死んだと伝えられる。
パリに住んでいたとき、子供が下痢をして医者に診せたところ「上質のビフテキを食べて赤ワインを飲み寝ていろ」と言われたことを思い出す。
(片瀬貴文 2011.02.03)
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