2010/07/11 - 2010/07/11
734位(同エリア839件中)
まみさん
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2010/07/11日 リガ観光2日目
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<トロリーバスを乗り間違えてしまい、旧市街に歩いて戻る>
・ブリーヴィーバス大通りとゲルトルーデス通りの交差点近くの教会見学
・救世主生誕大聖堂(ロシア正教会)見学
・大聖堂は12時〜14時までミサのために入れず
・聖母受難教会見学
・英国教会見学
・国立歴史博物館見学&写真撮影
・聖ヤコブ教会見学
・リーガの歴史と海運の博物館見学&写真撮影
・大聖堂オルガンとチェロ・コンサート鑑賞
・聖ペテロ教会前のブレーメンの音楽隊の像を見に行く
・ガレリヤ・セントゥルス(デパート)を見に行く(食品売り場でミネラルウォーターを買うついで)
【リガ泊:ホテル・イリーナ(Iriena)】
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北欧に近いバルト3国は夏でも涼しい印象があったのですが、リガに到着した今回の旅行の後半からは猛暑となり、日向だと、立っているだけでオーブンで焼かれている気分になりました。
日本よりずっと湿気が低い分、じわじわっとした息苦しさは少ないのですが、代わりに適度な湿気で遮断されない直射日光は、肌に突き刺さるようで、非常にきつかったです。
でもリガ市内では、旧市街は高い建物が多く、日陰を選んで歩きやすかったおかげで、だいぶラクでした。
碁盤目でなく入り組んだ旧市街。
曲がっていなくても曲がっている道。
道の向こうにどんな景色が待っているのか楽しみな反面、方向音痴の私には道に迷いやすいのですが、通りの名の標識が分かりやすかったおかげで、地図で居場所をいちいち確認できたので迷わずにすみました。
リガには、新市街のアールヌーヴォーの建物だけでなく、旧市街にも見ておくべき建物があります。
ただ、例えばネコの家や三兄弟の家など、リガ旅行記となると必ずといってもいいくらい出てくるので、有名すぎて、かえって自分の目で見なくてもいいかなと思ったりもしました。
でも、現在位置から目と鼻の先にあるとなったら、わざと見に行かないのも変なので、とりあえずその2点は自分の目でも見て写真を撮りました。半ば証拠写真のつもりで。
それから、ブレーメンの音楽隊の像も。
こちらは、リガの旅行記となると必ず出てくるというほどではない気がしたので、写真の撮り甲斐がありました。
リガの観光案内所は、「地球の歩き方」によると市庁舎広場に1つとドゥァマ広場の近くの2ヶ所あり、それぞれ開館時間が19時と18時。
なので、先に17時までしか入れない博物館めぐりをすませました。
そのあとで、明日のスィグルダ行きの情報を確認したくて、ラトヴィア全土の観光情報を提供しているというドゥァマ広場のインフォメーションに向かったのですが、「地球の歩き方」にある住所にあった建物は、中身がからっぽで売り家状態でした。
仕方がないので市庁舎広場に戻り、「歩き方」よると主にリガ市内の観光情報を提供しているというインフォメーションに行ったのですが、提供する観光情報がリガ中心だからか、スィグルダ行きについてはガイドブック以上の情報は得られませんでした。
バスターミナルから1時間おきにバスが出ている、と言われただけです。時刻表を検索したりもしてくれませんでした。
でも、長距離バスの切符は市内バスと違ってドライバーから買えると確認できたことだけでも有意義だったといえるかな。
ドライバーに行き先を言って切符を買うならば、今朝のトロリーバスみたいに違う行き先のバスに間違えて乗ってしまう心配がありません。
リガの郊外の野外博物館行きについては詳しく教えてもらいました。バスの番号や、下りる停留所名のラトヴィア語、下りる目印など。
その後、中世のイメージで統一されたレストランで夕食をとり、夕方19時からの大聖堂のオルガンとチェロ・コンサートを聴きました。
ただ、コンサートに行きたいなら、その時間に間に合わせるため、夕食は軽くすませるべきでした。
なのに、しっかりとしたレストランに入ってしまったものだから、時間がなくて食べきれずに残すという失敗をしてしまいました。
その詳しい話とレストランと食事の写真はこちらのハイライト旅行記にまとめました。
「2010年バルト3国旅行ハイライトその7:食事とレストラン編<ラトヴィア>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10485245/
この旅行記では、終日リガ観光に当てた本日撮った写真のうち、教会と博物館以外の町中写真を集めました。
朝、乗るトロリーバスを間違えたせいで、行くつもりのなかった郊外で撮った写真もちょっとだけありますが、リガの旧市街観光としておさえておくべき建物やスポットを意識的に回ったわけではないので、写真を撮り損ねたところはたくさん残ってしまいました。
パステルカラーのクラシカルで可愛い、5〜6階建ての建物が並ぶリガの旧市街。海のそばのリガ。
ここのところ訪れた東欧の首都はたいてい内陸にあったので、カモメの声がひっきりなしに聞えてきたのは、とても不思議な気がしました。
2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/
詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html
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ブリーヴィーバス大通りのロータリーにて
今朝、観光を始める前に、先にトロリーバスでリガ城付近まで行って歩く距離を減らそうと思ったのに、トロリーバスを乗り間違えてしまい、旧市街まで徒歩で戻るはめになりました。
そのときに撮った写真の一枚です。
このロータリーから旧市街はもう目の前でした。 -
リガ旧市街の道ばたのあちこちに、黄色くペイントされた自転車のオブジェ
それも、完全な形をしている自転車はほとんどなくて、一見ガラクタでした。 -
ライニャ大通りのお城のような建物
旗があるけれど、外観からしてホテルっぽくなかったので、なにかオフィシャルな建物だろうと思います。 -
旧市街のリーヴ広場にて
ステーキ・レストランの看板!? -
旧市街の必見の一つ!?───猫の家
猫は、建物に比べてそう大きくないので、地図で場所の見当をつけた上で探さないとうっかり見逃しそうでした。
でも、上ばかり見て歩いていれば大丈夫かも!?
「“猫の家”
リーヴ広場の北側に、屋根の上で伸びをする猫が見える。この猫は以前は反対の方角を向いていたという。なぜなら……
かつてこの家には裕福なラトヴィア商人が住んでいた。彼は大ギルドに加わりたいと思った。しかしその十分な資格を持っていたにもかかわらず、ラトヴィア人ということでドイツ人が支配的なギルドの加入を拒否された。怒った彼は大ギルドの会館に尻を向けた猫を屋根に取り付けてそれにこたえた。ギルドは激怒したが、彼はこう答えたという。
「あなたがたは規則を持っているのにそれを守らない。私の猫は規則など持っていないのだから、どう振る舞おうと勝手じゃないか」。
その後大ギルドの会館はコンサートホールに変わり、猫は音楽に誘われて向きを変えたとのことだ。」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より) -
猫ちゃんにズーム
屋根の窓と大きさを比較すると、このネコはほぼ実物のネコの大きさか、少し大きめなくらいでしょうか。
「猫の家
(前略)グレートギルドの建物の向かいには猫で有名な家があったりもする。この黄色の5階建ての猫の家はかつてはラトヴィア商人の家だった。ラとヴィァ人はギルドの会員になれなかったので、彼はその腹いせにギルド会館に尻を向けた猫を屋根の上に配置した。これが物議をかもして裁判沙汰となり、ラトヴィア人は敗訴して猫の向く方向を反対にしたとう。これは観光案内にもでている話だが、それとは違う話もある。隣人と仲が悪かったので猫の尻をその隣人の方に向けたが、隣人はその仕返しに自分の家の屋根に犬を乗せたというのだ。その犬の家はシュチニュ(Skunu)通りの12、14番地にある。
こうした裕福な商人の家はかつてリーガには150軒あったが、現存するのは24軒だけである。」
(「バルト三国歴史紀行 ラトヴィア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用) -
猫の家の1階は、今はクラブらしい
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お洒落なアマトゥ通りの家
猫の家のほぼ向かいの街並みです。 -
リーヴ広場で見つけた、ほのぼの石像!?
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ズィルグ通りの一角に、なぜか子供の馬の絵が展示
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ピルス通りで見かけた、イタリア・ルネサンス風の窓
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聖母受難教会前、城(ピルス)広場
聖母受難教会の写真はこちらの旅行記にて。
「2010年バルト3国旅行第8日目(1)リガ:新旧市街の教会めぐり」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10540939/
リガ城内の国立歴史博物館で撮った写真はこちらの旅行記にて。
「2010年バルト3国旅行第8日目(2)リガ:国立歴史博物館でバルト民族の文化に触れる&おもちゃコレクション」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10540940/ -
旧市街の必見の一つ!?───三人兄弟の家
向かって右の白が1番古い兄貴格です。
建物の前のスペースが限られているので、3つの建物を撮るアングルは限られてしまい、なかなか撮りづらかったです。
きっと誰が撮っても同じような写真になると思います。
「三人兄弟
本当に兄弟のように肩をよせあって建っている中世の住宅。外観は建てられた当時の姿をほぼ保っていて、3つそれぞれのその時代を反映した特徴を備えている。
兄弟の兄貴格は15世紀に建てられたマザー・ピルス(Maza Pils)通り17番地の建物。一般住宅としてはリーガで最も古く、パン屋としての記録も残っている。この住宅が建てられた当時、まだリーガの土地問題はそれほど深刻でなかったようで、石のベンチで玄関を飾る余裕も見られる。しかし弟たちの時代になるとそうはいかず、21番地の末っ子などはかなり窮屈な思いをしている。その代わり、“窓税”がなくなったため、兄さんに比べてハンサムな顔立ちとなったようだ。
現在建築博物館となっている内部に入ると、大きな炉辺がある中世の住宅の構造がよくわかる。雰囲気のある中庭と、そこから見える不思議な階段も見学しておこう。」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)
「建築様式のサンプル“三人兄弟”
マザー・ピルス(Maza Pils)通りの17、19、21番地には15世紀、17世紀と異なる時代に建てられた中世リーガの石造りの家が、隣家に壁を密着させて並んでいる。名前から兄弟が住んでいたと想像する人もいるが、そうではない。単に中世の庶民の家が3軒並んでいることでの命名である。右側の白っぽい家が最も旧く、ドイツ・ルネッサンス様式の15世紀の住居とみなされている。真ん中のクリーム色の建物は外観が1646年に仕上げられ、玄関部が1746年に改造されている。左のグリーンの建物は17世紀の場付く様式である。リーガでの建築が時代によって違うのが分かるサンプルである。」
(「バルト三国歴史紀行 ラトヴィア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用) -
大聖堂前の家と光る緑のコントラストに惹かれて
国立歴史博物館を見学した後に、大聖堂を見学しようとやってきたときです。
あいにく大聖堂は、夜のオルガンとチェロ・コンサートのリハーサルのためか、通常の閉館時間よりもずっと前に閉まっていて、入れませんでした。
がっかりしたけれど、ふと目に入ったこの景色をパチリ。転んでもただでは起きません!? -
市庁舎広場、再び
旧市街でもやはりここがダントツ1番に華やかです。
観光案内所によるためにやって来ました。
リガ初日に撮った市庁舎広場のブラックヘッド会館と聖ローランド像の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/21245229/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/21245230/
関連の旅行記
「2010年バルト3国旅行第7日目(1)リガ初日観光:若人による歌と踊りの祭典パレード見学後(聖ペテロ教会の塔の展望台と市庁舎広場)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10536480/
「(前略)かつてこの広場は小さな市場だった。それを1334年に市参事会が集会や祭りなどの行事を行うために拡大したのだ。広場では役人が法令を読み上げ、犯罪者がさらし台に乗せられ、処刑がなされた。1579年には暴動の首謀者として市の有力者が断頭されたりした。ポーランド時代の新旧キリスト教が争っていたときである。
広場が拡大された1334年にドイツのルネッサンス調の建物ができた。その建物の2階を外国人の独身商人団体であるブラックヘッドが1477年に借り、1713年には建物全体を自前の持ち物とした。豪華な装いを整えたその建物は第二次大戦でナチスの爆撃で1941年に破壊された。そして、黒ずんだ建物の骨格だけが残った。ソ連はその残滓もドイツの退廃的な建物だという理由で1948年に完全に撤去してしまった。
今回の再建は1995年に始まり、350万リタス(約7億円)の経費をかけて2001年に完成した。(後略)」
(「バルト三国歴史紀行 ラトヴィア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用) -
ブラックヘッド会館とドラゴンを退治する聖ジョージ像
リーガの歴史と海運の博物館見学後で、すでに18時近かったからか、中には入れませんでした。 -
ブラックヘッドの守護聖人の黒いマリティウスの漆喰像と聖母子のレリーフの門
「(前略)中世の建物は古色蒼然としているのが通常だ。だから、中世の街での新しい建物には違和感を覚える。奈良の薬師寺に再建立された朱色の金堂や西塔と同様である。でも、本来の建物はこんな感じだったのだろうから、決しておかしくないのだ。中世に身をおいて眺めたら、光り輝くこの建物こそがその当時の姿だったのだ。
ここでもまたもや民族の誇りということを考えてしまう。どうして市の建設800年を祝いために大金を費やしてこの建物を再建したのだろうか。ブラックヘッドはラトヴィア人とは無関係のドイツ人など外国人が所属した組織ではないか。中世の面影が濃いリーガの街は立派であり、その街を一層、華やかにこの建物がしているのは確かである。だが、リーガは支配者が建設した街であり、ブラックヘッドも支配者の一員だったのだ。(後略)」
(「バルト三国歴史紀行 ラトヴィア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用) -
聖ピーター教会前のブレーメンの音楽隊
大聖堂のオルガンとチェロ・コンサートの帰り道に、これを見るために少しだけ寄り道しました。
なぜリガにブレーメンの音楽隊の銅像があるのかというと、アルベルト司教の出身地がブレーメンなので、それにちなんでのブレーメン市からの贈り物のようです。
アルベルト司教は、1201年、キリスト宣教のためにやって来てリガの創設のきっかけの要塞を造った司教。
ラトヴィア人を含む先住の民族からしたら、当時の宣教師は半ば征服者も同然だったろうと思いますけどね。 -
結構、不細工(苦笑)
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ハンザ同盟時代の家かも
突き出した揚重機あらしきものを見つけて、旅行前に予習した原翔さんの「バルト三国歴史紀行 ラトヴィア」の記述を思い出しました。
「リーガはハンザ同盟で繁栄したドイツ商人の街である。彼らの倉庫はヴァツピルセータス通りやアルクスナーヤ(Alksnaja)通りに残っている。倉庫は13世紀から建てられ、17世紀以降は専門化した商品を扱うものになっている。こうした家は2階や4階建ての屋根裏部屋のある尖った屋根の家で、上部には突き出した小さな屋根と揚重機がある特殊な形をしている。建築が続いた最盛期の18世紀にはリーガには166棟ものこの種の倉庫があったが、現存するのは23軒だけである。ヴァツピルセータス通りの8、10番地、アルクスナーヤ通りの7、8A、10/12、11番地がそれらの倉庫である。」
(「バルト三国歴史紀行 ラトヴィア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用) -
22時まで営業しているツェントゥルス百貨店
といっても22時まで営業しているのは食料品売り場くらいで、ほとんどのショップの閉店時間は18〜19時くらいでしたので、もうみんな閉まっていました。
でも、食料品売り場で、ミネラルウォーターの1.5リットルボトルの買っておくことできました。
残念ながらリガ滞在中の私のホテルの部屋には冷蔵庫がないので、冷やすことはできないのですが、日中の観光でどのくらい日光を浴びたかによって、それから扇風機しかないホテルの部屋が夜中にどのくらいの気温か次第で、夜中にとても喉が渇くので、ミネラルウォーターの買い置きは必要でした。
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