2010/07/11 - 2010/07/11
648位(同エリア783件中)
まみさん
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2010/07/11日 リガ観光2日目
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<トロリーバスを乗り間違えてしまい、旧市街に歩いて戻る>
・ブリーヴィーバス大通りとゲルトルーデス通りの交差点近くの教会見学
・救世主生誕大聖堂(ロシア正教会)見学
・大聖堂は12時〜14時までミサのために入れず
・聖母受難教会見学
・英国教会見学
・国立歴史博物館見学&写真撮影
・聖ヤコブ教会見学
・リーガの歴史と海運の博物館見学&写真撮影
・大聖堂オルガンとチェロ・コンサート鑑賞
・聖ペテロ教会前のブレーメンの音楽隊の像を見に行く
・ガレリヤ・セントゥルス(デパート)を見に行く(食品売り場でミネラルウォーターを買うついで)
【リガ泊:ホテル・イリーナ(Iriena)】
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本日のリガ市内観光で1番楽しみにしていたのは国立歴史博物館での見学&撮影です。
ヴィリニュスの国立歴史博物館などでもバルト民族らしい、ヨーロッピアン・エキゾチズムなフォークロアに触れてられてとてもよかったのですが、写真に撮っておけないのが非常に残念でした。
写真がないと、日本でおいそれと見られるものではないから、旅行が終わってしばらくしたら記憶が薄れてしまいます。
でも、ここリガの国立歴史博物館では、ヴィリニュスで撮れなかった写真が撮れました、バンザーイ@
関連の旅行記
「2010年バルト3国旅行第8日目(2)リガ:国立歴史博物館でバルト民族の文化に触れる&おもちゃコレクション」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10540940
それはいいのですが、本当はこのハイライトを本日1番に観光しようと思ったのに、実際に見学し終わったところで、すでにもう15時。
今朝、観光を始めるときに、徒歩でも十分なのにトロリーバスを試してみて、乗り間違えてしまって郊外に行ってしまったという思わぬ誤算で時間を食ったせい。
そんなわけで市内観光の出足が遅くなってしまったため、リガにはいくつも魅力的な博物館があるのに、どれも閉館時間が17時のところばかりなので、いくつもはしごできそうにありません。
でも、国立歴史博物館の見学が終わった時点での最大の誤算は、「地球の歩き方」には修復のため閉館中となっていた工芸美術館が再開していたのに気付かなかったこと。
昨日、空港で手に入れたIn Your Pocketに開館情報が載っていたのに、ちゃんとチェックしていませんでした。
国立歴史博物館見学後、急げば間に合ったかもしれないのに。
バルト民族の古代のアクセサリーやフォークロアの民芸品などがもっとたくさん見られたかもしれないのに。
つくづく残念です。
ともあれ、本日もう一つくらい博物館を見学したいと思ったのですが、国立歴史博物館と同じ建物内にある海外美術館にはどうにも惹かれなくて、昼間、ミサで入れなかった大聖堂に再び行ってみたら、今度は夜のオルガン・コンサートのリハーサルのために通常よりも早く閉まっていて、またしても入れませんでした……。
がっかりして大聖堂前をうろうろしていたとき、私にとって優先順位が低かった「リーガの歴史と海運の博物館」が目に入りました。
このまま離れたところにある他の博物館に向かって見学時間が少なくなるよりもいいと思って、入ってみることにしました。
正直言って、この博物館のことは、国立歴史博物館の亜流のような展示だろうかとあまり期待していませんでした。
でも、歴史はリガに絞られているため、ラトヴィア全体の国立歴史博物館とは当然ながらアプローチが違いました。
勢力図が絶えず変わっていたラトヴィア通史よりも、リガの町の発展だけに着目されていて、いまいる町の昔の姿だと思うと、より興味が持てました。
19世紀くらいのリガの社会や市民生活を偲ばせる展示では、日本でいうなら大正浪漫への憧れのような、自分では経験がないくせに妙にノスタルジィを感じました。
さらに面白かったのは、中世以前のジャンルの展示品に、実際に過去に使われた発掘品や遺物だけでなく、むしろそれを補うようにして、ダンボールで造った城の模型や中世の人の衣装を画用紙を使って壁に貼り絵をしたりなど、とても温かみを感じられる手作りのものが随所にあったことです。
入口を入ってすぐの階段に展示されていた紋章も、実際にあったものを復元したというよりは創作したものに見えました。
ひょっとしたら子供たちが作ったのではないかと思える微笑ましさがありました。
子供の作品とは思えないほど洗練されていたようにも見えましたが、子供も大人顔負けの作品を作ることがあるし、どこか無邪気な遊び心が感じられたのです。
また、海運博物館としては、たくさんあった船の模型が面白かったです。
どれがどんな歴史を背負った船か、というのはさっぱり分からなかったのですが、精巧な模型を見ているだけでもワクワクしました。
展示に込められた歴史の意味が分かればもっともっと有意義に過ごせたでしょうけど、バルト3国についてはほぼ白紙状態から旅行のためににわかか勉強したに過ぎないので、仕方がありません。
でも、カラスが光るものを嬉しがるように、私なりに楽しむことができました。
2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/
詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html
「リーガ大聖堂の修道院を利用した、創業200年以上になる博物館。リーガの創設“前”から近代までの歴史を、さまざまな資料から一覧できるようになっている。ハンザ都市リーガの歴史は、つまり海運の歴史。船の模型や豊富な絵図からは、中世の繁栄ぶりがうかがえる。かつてダウガヴァ川の河岸に立っていた木製2.4mのクリストファー像は、皆に愛されている。」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)
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リーガ大聖堂の修道院を利用した、リーガの歴史と海運の博物館
入場料2.00ラトヴィア・ラッツ+撮影代3.00ラトヴィア・ラッツでした。
(旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00ラトビィア・ラッツ(Ls)=152.47円)
見学時間16時から17時。
さくっと見学して30〜40分くらいで終わるかと思ったのですが、コレクションが豊富でバラエティに富み、結果的には思ったより時間をかけていました。
閉館時間ぎりぎりまでねばるはめに。 -
修道院の建物らしい、博物館の入口
「聖堂に併設された1773年に建てられた修道院には「リーガの歴史と海運の博物館」が入っている。展示品は50万点あって、紀元前9000年から1200年までのダウガワ川河口時代や12世紀から17世紀までのリーガの歴史を語っている。ハンザ同盟の船の模型や1638年のリーガの地図、市参事会が1769年にロシアのエカチェリーナ2世に贈った市の鍵の模型などが展示されている。」
(「バルト三国歴史紀行 ラトヴィア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用) -
入ってすぐに目に飛び込んできた、階段にずらりと飾られた紋章
あどけない図柄は、子供のもの?
このすぐそばにチケット売り場があり、順路は最上階の3階から開始です。
チケット売り場にはリーフレットやポストカードや書籍が販売されていました。
展示を見終わって気に入ったらそういうのを物色しようかと思ったのですが、閉館時間までめいいっぱい見学していたので、戻ってきたときにはすでに品物は片付けられ、レジも閉められていました。
本当に物色したかったら、閉館30分以上前でなくてはダメなんですよね。 -
さまざまなオリジナルの紋章
別に子供の作品ではないかもしれません。大人の作品かも。
いや、子供かな。 -
踊り場にも展示されていた、ステキな紋章デザイン
これらはごく一部です。 -
最上階3階の最初の展示室に入る前に飾られていたリーガ市のタピストリー
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中世の装身具コレクションとその身につけ方と発掘当時のイラスト
上着を肩で留めるピンが素敵です。
こういう服装だと、こういうピンは、単なるアクセサリーというより、服飾の中の重要なアイテムでしょう。 -
バルティックな中世の装身具コレクション
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金メッキのチョーカー
と思ったけれど、むしろ頭につけていたようです。 -
中世の装身具コレクションと身につけ方のイラスト
頭の輪にピアスのように装飾をじゃらじゃらつけていたようです。
両耳の上あたりが特に華やかです。 -
聖クリストファー像のオリジナル
かつてダウガヴァ川の河岸に立っていた木製2.4mのクリストファー像です。
子供のキリストを肩に乗せていますが、キリストは世界を背負っているので、おんぶお化けのようにどんどん重くなった……というエピソードがあります。
こんな書き方をしたらミもフタもないけれど(苦笑)。
このようなエピソードを持つことから聖クリストファーは「キリストを背負う者」と呼ばれ、旅人や乗り物に乗る人を守護する聖人、さらには水難や嵐などから守護してくれる聖人となっています。
ダウガヴァ川の河岸に立っていたのも、さもありなん。 -
かつてリガ市の教会にあったオリジナルの黄金祭壇レリーフ
聖母の死の場面です。 -
手作りのリガ城の模型
なかなか味のある作品で気に入りました。 -
壁には、中世のさまざまな階層のリガ市民
これもいかにも手作りな展示で気に入りました。
真ん中の道化以外は、みんな聖職者だと思います。 -
中世のさまざまな階層のリガ市民
ピンクの婦人用のドレスと黒い男性用の衣装は、裕福な市民のものでしょうか。
なんとなく身分が高そうなので、中世のリガを支配していたドイツ人の支配層かもしれません。
テーブルの上にはダンボールで出来たお城の模型。 -
中世のさまざまな階層のリガ市民
商人階級くらいだと思います。 -
17世紀のリガ、スウェーデン領になった頃
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17世紀くらいのリガにまつわる展示
1番目立っていた、鼓笛隊の男性像@ -
白の広間の手前のポスター
リガの建築家クリストファー・ハバーランド(Haberland)が設計した白の広間(英語解説では「Column Hall」)で、その設計家と同時代の人の手による建築にまつわる特別企画展のようでした。
2階のギャラリー(テラスのある吹き抜けの周囲)に展示されていて、ここだけは撮影禁止でした。
修復の様子の写真などの展示がありました。 -
クリストファー・ハバーランドによって1778年から1783年にかけて設計されたColumn Hall
18世紀の中産階級向けの古典様式で、もとは市の図書館として建てられたホールだそうです。
列柱は人造大理石、すなわち大理石っぽいのは描かれた模様です。
壁の漆喰装飾は、1710年にリガが帝政ロシア領となったことに関係する様々な寓意が描かれているようです。
このホールでは、ピョートル大帝はリガの征服者であると同時に、芸術と科学のパトロンとして扱われています。
天井の楕円形の漆喰装飾はアテネに扮したエカテリーナ2世の肖像です。
18世紀末からこのホールはリガ市立博物館の展示スペースとして使われ、1891年に市庁舎の図書館となりました。その後にセレモニーホールとして建て直されています。
リーガの歴史と海運の博物館の一部となったのは第二次世界大戦後です。とはいえ、1984年から2001年まで修復作業のために閉鎖されていました。
現在は18世紀から19世紀前半のリガ市の歴史にまつわるものが展示されています。
(壁の英語による説明解説からの要約) -
奥にロシアのピョートル大帝の肖像画
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アテネに扮したエカテリーナ2世を描いた天井のレリーフ
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キューピットに囲まれた、ピョートル大帝の肖像画
リガの芸術と科学のパトロンとしての姿でしょうか。 -
ピョートル大帝くらいの時代の男性貴族の衣装
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女性のドレスに負けず劣らぬ豪華なぼたんと刺繍
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男性服もかなり乙女チック@
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銀器コレクションルームにあった、儀式・装飾用の銀のゴブレット
中世リガで最初に結成されたギルド(同業者組合)は金細工師のギルドで、リガでこのような装飾用の銀器が作られるようになった伝統にも関係しているようです。
同時に、教会の宗教儀式用の銀器も関係しているようです。 -
別の、儀式・装飾用の銀のゴブレットの細部のみ
リガ市800年祭のときに作られた銀器の一部です。
全体では50センチ、2キロの作品でした。
全体も見事でしたが、細かい作りこみをじっくり眺めていると、楽しくなってきます。 -
銀杯「21世紀ルネサンス」
925銀、35.37キロ、大きさは120センチ×65センチ×75センチ。
2010年制作。
さすが、制作されて間もないので、ピッカピカ@
聖書によく登場するブドウのモチーフが多用され、リガの新しいライフスタイルを象徴する銀杯のようです。 -
銀杯の細部
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帝政ロシア時代のリガ
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堀に囲まれたかつてのリガ城の図面
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かつてのリガ城の図面や、リガの写真
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博物館が最近手にいれたコレクションより、新市街のアールヌーヴォーの建物にまつわる展示
1999年から2004年にかけて、個人のコレクション等が博物館に寄贈されて合計で2万点以上ものコレクションが加わったようです。 -
軍服
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アールヌーヴォーの花瓶
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中世の装身具
左にあるのはチュートン騎士団(ドイツ騎士団、あるいはリヴォニア騎士団とも)のものだと思います。 -
かつての市庁舎広場の様子
ルドルフ・リバーツ(Ludolf Liberts)画、1994年製作。
1941年の空爆で破壊される以前を描いたものだと思います。
現在では手前のブラックヘッドの会館などは復元されて、だいぶこの時代の姿を取り戻しています。 -
20世紀初頭くらいのレトロなキッチン
当然、使ったことはないけれど、妙になつかしく感じられました。 -
1934年リガ、塹壕の中、グルンデ(O. Grunde)画
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巨大な紋章
壁や建物についていた紋章だと思いますが、こうして地上に下ろされると、かなり大きく感じられました。 -
人間の鎖、リガ市の様子
人間の鎖。
1989年8月23日、まだソ連支配下にあったバルト3国で、リトアニアの首都ヴィリニュスからラトヴィアの首都リガ、そしてエストニアの首都タリンまで600キロ以上の距離を、人と人が手をつなぐ「人間の鎖」で結んだ、という、この独立と平和へデモンストレーションです。
リトアニアの首都ヴィリニュスのゲディミナスの丘の城博物館で撮ったこちらの解説写真のコメントに、ウィキペディアフリー百科事典からの引用を掲載しました。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/20427819/
関連の旅行記
「2010年バルト3国旅行第2日目(2)ヴィリニュス:旧市街散策(2)ゲディミナスの丘」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10502262
写真にとっておいた解説を和訳しようと思ったのですが、すでにこの2日目の旅行記作成段階で、旅行が終わってから随分時間がたっていたので、旅行記作成にかける時間をカットするために割愛@ -
昔のバイク@
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昔の自転車
座席が首近くにあります。
こんなの、乗れそうになーい! -
昔の博物館の看板など
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中世の帆船
ここから船の模型コレクションの写真です。
中世の帆船にはハンザ同盟の船もあったと思いますが、どれがどれやらさっぱり分からず、見た目にかっこいい模型の写真をパチパチやりました。 -
帆が降ろされた船
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帆にマルタ十字を掲げた、チュートン騎士団
舳先に見張りが立ちやすい構造になっています。 -
帆が風にたなびく!?
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船尾にドラゴンの旗とランプを掲げた帆船
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ピョートル1世の肖像画入りの飾り皿と一緒に展示されていた船
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たぶん19世紀くらいの船
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かなり大きな模型もあり
模型の前の「舵」は実物大ではないかと思います。 -
19〜20世紀の船
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こちらも19〜20世紀くらいの船
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スィグルダ(Sigulda)号
スィグルダは、チュートン騎士団が本拠地としたお城があった町の名と同じですが、この船の名前はその地名に関係するかどうか分かりません。
ちなみに、翌日、日帰りで訪れる町の名前と同じなので、親近感が!? -
かなり現代の船
第二次大戦くらいのものでしょうか。 -
船の模型と、実際に使われていたと思われる計器
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タンカーかな
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おそらく客船
「2010年バルト3国旅行第8日目(4)リガ:ホントはこれだけじゃないリガの新旧の街並みの魅力」へとつづく。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10540942
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