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**********************<br />2010/07/10土 Air Blaticでリガ(ラトヴィアの首都)へ<br />**********************<br />・自由記念碑前のブリーヴィーバス大通りのパレード見学<br />・聖ペテロ教会見学<br />・聖ヨハネ教会(入れず)<br />・市庁舎広場の市庁舎とブラックヘッド会館(いずれも外観のみ)<br />・マーケットでバルティック・シルバー・ジュエリーのショッピング<br />午後:ルンダーレ宮殿ツアー参加(参加者たった一人!)<br />・ルンダーレ宮殿見学<br />・庭園散策<br />・バウスカ城跡(外観のみ)<br />・メゾットネ宮殿(外観のみ)<br />【リガ泊:ホテル・イリーナ(Iriena)】<br />**********************<br /><br />油断したら立ったままでも居眠りしてしまいそうで、少なくともぼーっとしてしまいそうで、意識して身を引き締めました。<br />リトアニアのパランガから8時45分発のラトヴィアのリガへ飛ぶのに、フライト時間はたったの40分ですが、一応、国際線なので、一時間半前にはチェックインをしなければなりません。<br />そのため今朝は5時起きでした。<br />ホテルを通じて予約したタクシーは、同じく空港に向かう別の宿泊客とシェアすることができたので、送迎と早朝料金込みの40.00リトアニア・リタスが半額になりました。<br />(旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00リトアニア・リタス(Lt)=31.32円)<br />機内の自分に座席に着いたとたん、ぱったりと眠り込んでしまい、ふっと気付いたら機体はもうリガ空港への着陸態勢に入っていました。<br />眠くて眠くて我慢していたので、なんの感慨もなくリトアニアを去り、ラトヴィアに入りました。<br /><br />さすがに、自力で空港から市内に出ようというときになったら、パッチリ目が覚めました。<br />当然ながらリトアニアとは通貨も言葉も違うから、頭を切り替えなくてはなりません。<br />リトアニアのお札や硬貨と物価感覚、そして「こんにちわ」「ありがとう」程度のひとことの挨拶言葉にやっと慣れたというのに、もうそれが使えなくなります。早くラトヴィア版に慣れなくては。<br />ここ数年、2〜3週間かけてひとつの国を旅行することを繰り返していたので、2週間半で3ヶ国も回るのは、こういう点でとてもめまぐるしく感じてしまいます。<br /><br />リガ空港から市内への移動を含めたラトヴィアでの公共交通機関による移動については、こちらのハイライト旅行記にまとめました。<br />「2010年バルト3国旅行ハイライトその2:移動と市内交通編<ラトヴィア>」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10483387/<br /><br />ラトヴィアは、リガ4泊のみです。つまり、観光拠点はリガのみです。<br />ラトヴィアの中でもリガは圧倒的に見どころが集中している上に、写真撮影がOKな魅力的な博物館が多いので、市内観光に2日は割くつもりです。<br />あとは日帰りの地方旅行や、リトアニアでは行くことが叶わなかった民族野外博物館に出かけることにしています。<br />地方旅行でどうしても外したくないのは、ラトヴィアのヴェルサイユと呼ばれているルンダーレ宮殿です。<br />ただ、ラトヴィアのヴェルサイユは、パリにある本家本元のヴェルサイユ同様、なにもないド田舎にぽつんと建てられた宮殿で、現在もその周辺にはのどかな田園が広がっています。<br />宮殿最寄りに向かうバスは本数が少ない上に、最寄りといってもさほど宮殿のそばではなく、田舎道をテクテクと歩かなくてはならないようです。<br />それしか手段がないのなら、甘んじてそうしましょう。<br />でも、さすがにルンダーレ宮殿ともなれば、観光ハイシーズンの7月には、現地の観光ツアーがありました。<br />ホテルの部屋の中にルンダーレ宮殿ツアー・パンフレットが2社分ありました。<br />部屋にはチェックイン後にすぐに案内してもらえたので、リガ観光に出かける前に、レセプションで早速、本日午後のツアーの予約をしてしまいました。<br />ヴィリニュス観光初日の午後一番にトゥラカイ城行きのツアーを入れたのと、同じパターンです@<br /><br />これで本日の午後の予定が埋まったので、ツアーガイドが迎えに来る15時までに余裕をもってホテルに戻って来られる範囲で旧市街を観光することにしました。<br />リガのホテル・イリーナは旧市街のほぼすぐ外にあって、少し歩けば旧市街の中心の市庁舎広場にまで出られます。<br />そこに行くまで、ガイドブックを読んで訪れるのが楽しみになった教会がいくつもあります。<br /><br />ところが、最初の教会に向かっている途中、民族衣装を着て手に花を持った、高校生くらいの女の子たちが数人、足早にどこかに向かうのを見かけました。<br /><br />実は空港から市内にやってきたバスの車窓からも、リガ市内に到着したとき、小学校低学年くらいの、色鮮やかな制服っぽい可愛らしい服装をした子供たちが2〜3クラスほど、やはり手に花を持ちながら、大人に引率されてぞろぞろと歩いているのを見かけました。<br />おそろいの服を着た子供たちは非常に可愛らしくて、できるものなら車窓から写真を撮りたいと思ったくらいです。<br /><br />今日はリガで何かお祭りでもあるのかしら、と思って、ふらふらと女子学生たちの後をついて行ったら、ブリーヴィーバス大通りで、民族衣装やちょっとした正装/仮装の若者たちによるパレードをやっていました。<br /><br />バルト3国それぞれでユネスコ無形遺産に登録されている、かの有名な「歌と踊りの祭典」は5年ごとに開催されますが、今年2010年度は開催年度ではないことは知っていました。<br />でも、その合間に若者による「歌と踊りの祭典」が行われることを、帰国後に知りました。<br />私が見たのはまさにそれでした。<br />予定はすっかり狂ってしまいましたが、おかげでいいものが見られました。たくさん写真も撮れました。<br />リトアニアの首都ヴィリニュスに引き続いてラトヴィアの首都リガでも民族衣装を身につけた人たちがたくさん登場するフェスティバルが見られたなんて、今回の旅行はなんてラッキーなんでしょう。<br />あのまま真っ直ぐ教会に向かっていたら、同じ旧市街内のすぐ近くにいたとしても、パレードをやっていることにひょっとしたら気付かなかったかもしれません。<br /><br />その若者による歌と踊りの祭典のパレードの写真はこちらのハイライト旅行記にまとめました。<br />「2010年バルト3国旅行ハイライトその14:フェスティバルとセレモニー編<「若人による歌と踊りの祭典」のリガ市内パレード>」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488474/<br /><br />パレードを見学していたのは30分ほどで、12時頃からリガ市内観光を開始することができました。<br />聖ペテロ教会では、エレベーターに乗るまで少し並んだものの、首尾よく展望台に昇って赤レンガ屋根が続くリガの旧市街を見下ろすことができました。<br /><br />でもその後は、聖ヨハネ教会も聖ゲオルギ教会も見学できず、残りの時間では行けないだろうと思っていた市庁舎広場まで出てしまいました。<br />旧市街って思ったより狭いかも、と拍子抜けすると同時に、ホテルから十分徒歩で回り切れる自信が改めてわきました。<br />ただ、リガでは、新市街のユーゲントスティール(アールヌーヴォー)の建物を見て回るというのも魅力の一つなのですが、それは思ったよりあちこちに点在していて、4日間のリガ滞在では時間が足りそうにないのであきらめました。<br /><br />ちなみに、市庁舎広場に出る途中で、ラトヴィアではぜひ買いたいと思っていた古代バルト民族のデザインをモチーフにしたシルバーのペンダントやリングを買ってしまいました。<br />ちょうど屋台が並ぶ市場にそういうアクセサリーを扱う店があったんですもの。<br />また、すぐそばの琥珀アクセサリーの店で半額セールをしていたので、またまた琥珀のアクセサリーを買ってしまいました。ヴィリニュスでも買ったのに。<br />観光初日に、ろくに観光を開始しないうち先に買い物をしてしまったところも、ヴィリニュスのときと同じことをしてしまったことになります。<br /><br />買ったものと買った場所の写真はこちらのハイライト旅行記にまとめてあります。<br />「2010年バルト3国旅行ハイライトその16:ゲットしたものゲットしたところなど(完)」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488479/<br /><br />実は、フェスティバルこそ遭遇しなかったとはいえ、この先、エストニアの首都タリンでも同じことをしています。<br />初日の午後に早速ツアーの予定を入れて、午前中の旧市街観光中に気になっていた買い物を先にしてしまったこと。<br />フェスティバルにセレモニーも含まれると広く解釈すれば、タリン初日には新婚カップルが街中の景観スポットを回って記念写真を撮るセレモニーや、大統領官邸前の衛兵交代式が見られたところも共通しているといえます。<br /><br />関連の旅行記<br />「2010年バルト3国旅行ハイライトその13:フェスティバルとセレモニー編<ヴィリニュスのヴィータウタス大公戴冠記念日>」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488159/<br />「2010年バルト3国旅行ハイライトその15:フェスティバルとセレモニー編<エストニアにて>」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488476<br /><br />2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。<br />簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/<br />詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」<br />http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html<br /><br />「約70万の人口を抱えるラトヴィアの首都リーガは、バルト三国では抜きん出た大都市。タリンの古風な雰囲気やヴィリニュスののどかさはないが、より開放的な都会の空気が感じられる。地理的にもほぼバルト3国の中心に位置し、経済的にもほかの都市をリードする存在だ。<br /> リーガの町が“歴史”に登場するのは1201年、ブレーメンの僧正アルベルトがここに上陸し、要塞を築いたことに始まる。その際彼らは住民たちに牛の皮1枚で囲める土地を要求し、同意が得られるとそれを紐にして広大な土地を領有してしまったと伝えられている。すぐに彼らは帯剣騎士団(=ドイツ騎士団、あるいはチュートン騎士団)を組織し、リーガはドイツ人によるバルト地方征服の根拠地となった。<br /> 13世紀末にはハンザ同盟に加盟し、町は急速に発展していく。教会や商家など、旧市街を彩る建築はこの頃に建てられたものが多い。その後16世紀から19世紀にかけてリーガはポーランド、スウェーデン、帝政ロシアの支配下に入り、特に帝政ロシア期には「ヨーロッパへの窓」としてペトログラード、モスクワに次ぐ大都市に成長する。新市街にはユーゲントシュティール様式の優雅な建築が次々と建てられた。<br /> かつて“バルトのパリ”と呼ばれた町並みもソ連時代には手荒く扱われ、ついには“零落した貴婦人”とまでいわれた。しかし独立後の復興はめざましく、修復され美しい微笑みを取り戻した建築も少なくない。中世からのときを刻む旧市街もその魅力を失ってはおらず、ハンザ商人たちの活躍した舞台へと観光客を誘い続けている。」<br />(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)<br />

2010年バルト3国旅行第7日目(1)リガ初日観光:若人による歌と踊りの祭典パレード見学後(聖ペテロ教会の塔の展望台と市庁舎広場)

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2010/07/10 - 2010/07/10

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まみ

まみさん

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2010/07/10土 Air Blaticでリガ(ラトヴィアの首都)へ
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・自由記念碑前のブリーヴィーバス大通りのパレード見学
・聖ペテロ教会見学
・聖ヨハネ教会(入れず)
・市庁舎広場の市庁舎とブラックヘッド会館(いずれも外観のみ)
・マーケットでバルティック・シルバー・ジュエリーのショッピング
午後:ルンダーレ宮殿ツアー参加(参加者たった一人!)
・ルンダーレ宮殿見学
・庭園散策
・バウスカ城跡(外観のみ)
・メゾットネ宮殿(外観のみ)
【リガ泊:ホテル・イリーナ(Iriena)】
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油断したら立ったままでも居眠りしてしまいそうで、少なくともぼーっとしてしまいそうで、意識して身を引き締めました。
リトアニアのパランガから8時45分発のラトヴィアのリガへ飛ぶのに、フライト時間はたったの40分ですが、一応、国際線なので、一時間半前にはチェックインをしなければなりません。
そのため今朝は5時起きでした。
ホテルを通じて予約したタクシーは、同じく空港に向かう別の宿泊客とシェアすることができたので、送迎と早朝料金込みの40.00リトアニア・リタスが半額になりました。
(旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00リトアニア・リタス(Lt)=31.32円)
機内の自分に座席に着いたとたん、ぱったりと眠り込んでしまい、ふっと気付いたら機体はもうリガ空港への着陸態勢に入っていました。
眠くて眠くて我慢していたので、なんの感慨もなくリトアニアを去り、ラトヴィアに入りました。

さすがに、自力で空港から市内に出ようというときになったら、パッチリ目が覚めました。
当然ながらリトアニアとは通貨も言葉も違うから、頭を切り替えなくてはなりません。
リトアニアのお札や硬貨と物価感覚、そして「こんにちわ」「ありがとう」程度のひとことの挨拶言葉にやっと慣れたというのに、もうそれが使えなくなります。早くラトヴィア版に慣れなくては。
ここ数年、2〜3週間かけてひとつの国を旅行することを繰り返していたので、2週間半で3ヶ国も回るのは、こういう点でとてもめまぐるしく感じてしまいます。

リガ空港から市内への移動を含めたラトヴィアでの公共交通機関による移動については、こちらのハイライト旅行記にまとめました。
「2010年バルト3国旅行ハイライトその2:移動と市内交通編<ラトヴィア>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10483387/

ラトヴィアは、リガ4泊のみです。つまり、観光拠点はリガのみです。
ラトヴィアの中でもリガは圧倒的に見どころが集中している上に、写真撮影がOKな魅力的な博物館が多いので、市内観光に2日は割くつもりです。
あとは日帰りの地方旅行や、リトアニアでは行くことが叶わなかった民族野外博物館に出かけることにしています。
地方旅行でどうしても外したくないのは、ラトヴィアのヴェルサイユと呼ばれているルンダーレ宮殿です。
ただ、ラトヴィアのヴェルサイユは、パリにある本家本元のヴェルサイユ同様、なにもないド田舎にぽつんと建てられた宮殿で、現在もその周辺にはのどかな田園が広がっています。
宮殿最寄りに向かうバスは本数が少ない上に、最寄りといってもさほど宮殿のそばではなく、田舎道をテクテクと歩かなくてはならないようです。
それしか手段がないのなら、甘んじてそうしましょう。
でも、さすがにルンダーレ宮殿ともなれば、観光ハイシーズンの7月には、現地の観光ツアーがありました。
ホテルの部屋の中にルンダーレ宮殿ツアー・パンフレットが2社分ありました。
部屋にはチェックイン後にすぐに案内してもらえたので、リガ観光に出かける前に、レセプションで早速、本日午後のツアーの予約をしてしまいました。
ヴィリニュス観光初日の午後一番にトゥラカイ城行きのツアーを入れたのと、同じパターンです@

これで本日の午後の予定が埋まったので、ツアーガイドが迎えに来る15時までに余裕をもってホテルに戻って来られる範囲で旧市街を観光することにしました。
リガのホテル・イリーナは旧市街のほぼすぐ外にあって、少し歩けば旧市街の中心の市庁舎広場にまで出られます。
そこに行くまで、ガイドブックを読んで訪れるのが楽しみになった教会がいくつもあります。

ところが、最初の教会に向かっている途中、民族衣装を着て手に花を持った、高校生くらいの女の子たちが数人、足早にどこかに向かうのを見かけました。

実は空港から市内にやってきたバスの車窓からも、リガ市内に到着したとき、小学校低学年くらいの、色鮮やかな制服っぽい可愛らしい服装をした子供たちが2〜3クラスほど、やはり手に花を持ちながら、大人に引率されてぞろぞろと歩いているのを見かけました。
おそろいの服を着た子供たちは非常に可愛らしくて、できるものなら車窓から写真を撮りたいと思ったくらいです。

今日はリガで何かお祭りでもあるのかしら、と思って、ふらふらと女子学生たちの後をついて行ったら、ブリーヴィーバス大通りで、民族衣装やちょっとした正装/仮装の若者たちによるパレードをやっていました。

バルト3国それぞれでユネスコ無形遺産に登録されている、かの有名な「歌と踊りの祭典」は5年ごとに開催されますが、今年2010年度は開催年度ではないことは知っていました。
でも、その合間に若者による「歌と踊りの祭典」が行われることを、帰国後に知りました。
私が見たのはまさにそれでした。
予定はすっかり狂ってしまいましたが、おかげでいいものが見られました。たくさん写真も撮れました。
リトアニアの首都ヴィリニュスに引き続いてラトヴィアの首都リガでも民族衣装を身につけた人たちがたくさん登場するフェスティバルが見られたなんて、今回の旅行はなんてラッキーなんでしょう。
あのまま真っ直ぐ教会に向かっていたら、同じ旧市街内のすぐ近くにいたとしても、パレードをやっていることにひょっとしたら気付かなかったかもしれません。

その若者による歌と踊りの祭典のパレードの写真はこちらのハイライト旅行記にまとめました。
「2010年バルト3国旅行ハイライトその14:フェスティバルとセレモニー編<「若人による歌と踊りの祭典」のリガ市内パレード>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488474/

パレードを見学していたのは30分ほどで、12時頃からリガ市内観光を開始することができました。
聖ペテロ教会では、エレベーターに乗るまで少し並んだものの、首尾よく展望台に昇って赤レンガ屋根が続くリガの旧市街を見下ろすことができました。

でもその後は、聖ヨハネ教会も聖ゲオルギ教会も見学できず、残りの時間では行けないだろうと思っていた市庁舎広場まで出てしまいました。
旧市街って思ったより狭いかも、と拍子抜けすると同時に、ホテルから十分徒歩で回り切れる自信が改めてわきました。
ただ、リガでは、新市街のユーゲントスティール(アールヌーヴォー)の建物を見て回るというのも魅力の一つなのですが、それは思ったよりあちこちに点在していて、4日間のリガ滞在では時間が足りそうにないのであきらめました。

ちなみに、市庁舎広場に出る途中で、ラトヴィアではぜひ買いたいと思っていた古代バルト民族のデザインをモチーフにしたシルバーのペンダントやリングを買ってしまいました。
ちょうど屋台が並ぶ市場にそういうアクセサリーを扱う店があったんですもの。
また、すぐそばの琥珀アクセサリーの店で半額セールをしていたので、またまた琥珀のアクセサリーを買ってしまいました。ヴィリニュスでも買ったのに。
観光初日に、ろくに観光を開始しないうち先に買い物をしてしまったところも、ヴィリニュスのときと同じことをしてしまったことになります。

買ったものと買った場所の写真はこちらのハイライト旅行記にまとめてあります。
「2010年バルト3国旅行ハイライトその16:ゲットしたものゲットしたところなど(完)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488479/

実は、フェスティバルこそ遭遇しなかったとはいえ、この先、エストニアの首都タリンでも同じことをしています。
初日の午後に早速ツアーの予定を入れて、午前中の旧市街観光中に気になっていた買い物を先にしてしまったこと。
フェスティバルにセレモニーも含まれると広く解釈すれば、タリン初日には新婚カップルが街中の景観スポットを回って記念写真を撮るセレモニーや、大統領官邸前の衛兵交代式が見られたところも共通しているといえます。

関連の旅行記
「2010年バルト3国旅行ハイライトその13:フェスティバルとセレモニー編<ヴィリニュスのヴィータウタス大公戴冠記念日>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488159/
「2010年バルト3国旅行ハイライトその15:フェスティバルとセレモニー編<エストニアにて>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488476

2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/
詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html

「約70万の人口を抱えるラトヴィアの首都リーガは、バルト三国では抜きん出た大都市。タリンの古風な雰囲気やヴィリニュスののどかさはないが、より開放的な都会の空気が感じられる。地理的にもほぼバルト3国の中心に位置し、経済的にもほかの都市をリードする存在だ。
 リーガの町が“歴史”に登場するのは1201年、ブレーメンの僧正アルベルトがここに上陸し、要塞を築いたことに始まる。その際彼らは住民たちに牛の皮1枚で囲める土地を要求し、同意が得られるとそれを紐にして広大な土地を領有してしまったと伝えられている。すぐに彼らは帯剣騎士団(=ドイツ騎士団、あるいはチュートン騎士団)を組織し、リーガはドイツ人によるバルト地方征服の根拠地となった。
 13世紀末にはハンザ同盟に加盟し、町は急速に発展していく。教会や商家など、旧市街を彩る建築はこの頃に建てられたものが多い。その後16世紀から19世紀にかけてリーガはポーランド、スウェーデン、帝政ロシアの支配下に入り、特に帝政ロシア期には「ヨーロッパへの窓」としてペトログラード、モスクワに次ぐ大都市に成長する。新市街にはユーゲントシュティール様式の優雅な建築が次々と建てられた。
 かつて“バルトのパリ”と呼ばれた町並みもソ連時代には手荒く扱われ、ついには“零落した貴婦人”とまでいわれた。しかし独立後の復興はめざましく、修復され美しい微笑みを取り戻した建築も少なくない。中世からのときを刻む旧市街もその魅力を失ってはおらず、ハンザ商人たちの活躍した舞台へと観光客を誘い続けている。」
(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

同行者
一人旅
交通手段
飛行機
旅行の手配内容
個別手配

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  • メルチェラ通りのクラシカルでファッショナブルな建物<br /><br />滞在ホテル・イリーナのほぼ向かいの建物です。<br />観光するためにホテルを一歩出たとたん、こういう建物に圧倒されました。<br />

    メルチェラ通りのクラシカルでファッショナブルな建物

    滞在ホテル・イリーナのほぼ向かいの建物です。
    観光するためにホテルを一歩出たとたん、こういう建物に圧倒されました。

  • 若人による歌と踊りの祭典のパレードが終わった後の自由記念碑前<br /><br />パレードの写真はこちらのハイライト旅行記にまとめました。<br />「2010年バルト3国旅行ハイライトその14:フェスティバルとセレモニー編<「若人による歌と踊りの祭典」のリガ市内パレード>」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488474/<br /><br />パレードは30分ほど見学し、とっても楽しかったですが、予定の教会を見学するのが遅くなってしまったので、この自由記念碑を近くでじっくり見学するのをすっかり忘れてしまいました。<br />台座のレリーフなど近くでじっくり見る甲斐はあったはずです。<br /><br />「自由記念碑<br /> 1935年にラトヴィアの独立を記念して建てられた高さ51mの記念碑。塔の上に立つ女性ミルダ(Milda)は、ラトヴィアの3つの地域(クルゼメ、ヴィゼメ、ラトガレ)の連合を表す星々を掲げている。デザインは公募されたなかから選ばれ、建築資金も寄付によってまかなわれた。碑の基部には「祖国と自由に(Tevzemei un Brivibai)」という文字が刻まれ、ラトヴィアの歴史や文化を象徴する彫刻で飾られている。<br /> ソ連時代にも壊されることはなかったが、反体制の象徴として近づくだけでシベリア送りと噂される、民族の悲劇を具現化したような記念碑であった。<br /> 現在昼の間、1時間ごとに最初の共和国時代の軍服を着た衛兵の交代が見られる。」<br />(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)<br /><br />「(前略)赤い花崗岩の台座には中央部に「祖国の自由のために」の文字が刻まれ、側面には「歌の祭典」と「兵士の行進」のレリーフがある。角の彫刻は「労働」「精神的平和」「家族」「祖国の防衛」を表現している。左が家族で生命と平和を与える母、右が労働者、漁師、農民である。その上の白い部分は石灰華。塔の上の緑の女性の立像は自由の象徴で国の主権を表現している。ラトヴィア人がミルダ(Milda)と呼ぶこの女性が頭上に掲げる金色の3つの星は、ラトヴィアの3つの地域、クルゼメ、ヴイゼメ、ラトガレが統合したことを意味している。ラトヴィアにはもう一つゼムガレがあるが、ゼムガレはクルゼメに包含されているから3つでいいらしい。ソ連当局はリトアニアの独立時代にできたこの記念碑の撤去を何度も試みたが、ラトヴィアの人はその都度、守り通したという。これはユネスコが文化財として指定したのでソ連としても壊すに壊せなかったということらしい。<br /> この場所にはかつてはピョートル大帝の銅像があった。ラトヴィアをロシアに併合したピョートル大帝の200年を記念して1910年に建てられたものだった。でも、第一次大戦のときにドイツ軍が撤去して、銅像そのものをエストニアに近い海中に投棄した。再設置の動きが1950年代にあった。だが、ラトヴィア人が動かなかったのでロシア人は忘れてしまったのだそうだ。海中のピョートル像はエストニア人が改修してロシアに返したというが、本当のところは知らない。(後略)」<br />(「バルト三国歴史紀行 ラトヴィア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)<br />

    若人による歌と踊りの祭典のパレードが終わった後の自由記念碑前

    パレードの写真はこちらのハイライト旅行記にまとめました。
    「2010年バルト3国旅行ハイライトその14:フェスティバルとセレモニー編<「若人による歌と踊りの祭典」のリガ市内パレード>」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488474/

    パレードは30分ほど見学し、とっても楽しかったですが、予定の教会を見学するのが遅くなってしまったので、この自由記念碑を近くでじっくり見学するのをすっかり忘れてしまいました。
    台座のレリーフなど近くでじっくり見る甲斐はあったはずです。

    「自由記念碑
     1935年にラトヴィアの独立を記念して建てられた高さ51mの記念碑。塔の上に立つ女性ミルダ(Milda)は、ラトヴィアの3つの地域(クルゼメ、ヴィゼメ、ラトガレ)の連合を表す星々を掲げている。デザインは公募されたなかから選ばれ、建築資金も寄付によってまかなわれた。碑の基部には「祖国と自由に(Tevzemei un Brivibai)」という文字が刻まれ、ラトヴィアの歴史や文化を象徴する彫刻で飾られている。
     ソ連時代にも壊されることはなかったが、反体制の象徴として近づくだけでシベリア送りと噂される、民族の悲劇を具現化したような記念碑であった。
     現在昼の間、1時間ごとに最初の共和国時代の軍服を着た衛兵の交代が見られる。」
    (「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

    「(前略)赤い花崗岩の台座には中央部に「祖国の自由のために」の文字が刻まれ、側面には「歌の祭典」と「兵士の行進」のレリーフがある。角の彫刻は「労働」「精神的平和」「家族」「祖国の防衛」を表現している。左が家族で生命と平和を与える母、右が労働者、漁師、農民である。その上の白い部分は石灰華。塔の上の緑の女性の立像は自由の象徴で国の主権を表現している。ラトヴィア人がミルダ(Milda)と呼ぶこの女性が頭上に掲げる金色の3つの星は、ラトヴィアの3つの地域、クルゼメ、ヴイゼメ、ラトガレが統合したことを意味している。ラトヴィアにはもう一つゼムガレがあるが、ゼムガレはクルゼメに包含されているから3つでいいらしい。ソ連当局はリトアニアの独立時代にできたこの記念碑の撤去を何度も試みたが、ラトヴィアの人はその都度、守り通したという。これはユネスコが文化財として指定したのでソ連としても壊すに壊せなかったということらしい。
     この場所にはかつてはピョートル大帝の銅像があった。ラトヴィアをロシアに併合したピョートル大帝の200年を記念して1910年に建てられたものだった。でも、第一次大戦のときにドイツ軍が撤去して、銅像そのものをエストニアに近い海中に投棄した。再設置の動きが1950年代にあった。だが、ラトヴィア人が動かなかったのでロシア人は忘れてしまったのだそうだ。海中のピョートル像はエストニア人が改修してロシアに返したというが、本当のところは知らない。(後略)」
    (「バルト三国歴史紀行 ラトヴィア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

  • おしゃれなリーヴ広場・その1

    イチオシ

    おしゃれなリーヴ広場・その1

  • おしゃれなリーヴ広場・その2<br /><br />リガの旧市街の中心の市庁舎広場に近付きつつあります。<br />高層の建物はぐっと少なくなりましたが、ちょっと歩くだけでオレンジの屋根にパステルカラーの建物が続く、ほんとうにおしゃれな街並みでした。<br />

    おしゃれなリーヴ広場・その2

    リガの旧市街の中心の市庁舎広場に近付きつつあります。
    高層の建物はぐっと少なくなりましたが、ちょっと歩くだけでオレンジの屋根にパステルカラーの建物が続く、ほんとうにおしゃれな街並みでした。

  • 強烈な日差しの下の聖ペテロ教会と観光バス<br /><br />逆光なので、空は真っ白になってしまいました。<br />リガは前日までは、夏といっても気温もまだ穏やかだったようです。<br />私がリガに到着したこの日からいきなり、リガ市民にとっても異常な猛暑となってしまいました。<br /><br />「聖ペテロ(ペーテラ)教会<br /> スカールニュ通りの反対側の19番地にある高くそびえる123.25メートルの尖塔があるのがルター派の聖ペーテラ教会である。バルト三国で最高のゴシック様式の建物といわれるこの教会は、1209年に木造の小さな教会としてその歴史を始める。この年に教会の広場でセーリ人のエルスィカ王がアルベルト司教に降伏して封臣となる儀式をおこなっているから、その時点でもっとも権威がある教会だったのだろう。(後略)」<br />(「バルト三国歴史紀行 ラトヴィア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)<br />

    強烈な日差しの下の聖ペテロ教会と観光バス

    逆光なので、空は真っ白になってしまいました。
    リガは前日までは、夏といっても気温もまだ穏やかだったようです。
    私がリガに到着したこの日からいきなり、リガ市民にとっても異常な猛暑となってしまいました。

    「聖ペテロ(ペーテラ)教会
     スカールニュ通りの反対側の19番地にある高くそびえる123.25メートルの尖塔があるのがルター派の聖ペーテラ教会である。バルト三国で最高のゴシック様式の建物といわれるこの教会は、1209年に木造の小さな教会としてその歴史を始める。この年に教会の広場でセーリ人のエルスィカ王がアルベルト司教に降伏して封臣となる儀式をおこなっているから、その時点でもっとも権威がある教会だったのだろう。(後略)」
    (「バルト三国歴史紀行 ラトヴィア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

  • 聖ペテロ教会の後ろ姿<br /><br />「聖ペテロ(ペーテラ)教会<br /> 13世紀の初めに最初の教会が建てられ、18世紀にほぼ現在の姿に改築された。塔は第二次世界大戦後に改修されたもので、高さ123.25m、72mのところまでエレベーターで昇って、リーガの町を一望することができる。<br /> この塔はこれまで何度も火災に遭って倒れ、何度も建て直されてきた。17世紀には倒れた塔が近所の家を押しつぶし、8人の死者が出たこともあったという。その間、塔が建て直され雄鶏がその上に取り付けられると、建築責任者がその上にまたがってワインを飲み干し、グラスを投げ落とすという習慣が続けられた。落ちて割れたグラスには教会の未来を占う意味が託されていた。1746年にグラスが投げられた際、たまたま通りかかった荷馬車の上に落ち、グラスは一片が欠けただけで残ってしまった。割れた破片の数は塔が存続する年数を表すと信じられていたので、町の人々は皆青くなったという。実のところ、第二次世界大戦まで200年近く何事も起こらずに済んだのだが。<br /> ソ連時代に塔が直された際にもこの儀式は行われ、そのときはグラスも粉々に砕けて一堂安心したらしい。」<br />(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)<br />

    聖ペテロ教会の後ろ姿

    「聖ペテロ(ペーテラ)教会
     13世紀の初めに最初の教会が建てられ、18世紀にほぼ現在の姿に改築された。塔は第二次世界大戦後に改修されたもので、高さ123.25m、72mのところまでエレベーターで昇って、リーガの町を一望することができる。
     この塔はこれまで何度も火災に遭って倒れ、何度も建て直されてきた。17世紀には倒れた塔が近所の家を押しつぶし、8人の死者が出たこともあったという。その間、塔が建て直され雄鶏がその上に取り付けられると、建築責任者がその上にまたがってワインを飲み干し、グラスを投げ落とすという習慣が続けられた。落ちて割れたグラスには教会の未来を占う意味が託されていた。1746年にグラスが投げられた際、たまたま通りかかった荷馬車の上に落ち、グラスは一片が欠けただけで残ってしまった。割れた破片の数は塔が存続する年数を表すと信じられていたので、町の人々は皆青くなったという。実のところ、第二次世界大戦まで200年近く何事も起こらずに済んだのだが。
     ソ連時代に塔が直された際にもこの儀式は行われ、そのときはグラスも粉々に砕けて一堂安心したらしい。」
    (「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

  • 主廊下と説教台と、ルターの肖像画<br /><br />ルター派教会だからといって、ルターの肖像画があった教会はめったになかったような気がします。<br />教会内の一部は有料スペースとなっていました。<br />料金は1.00ラトヴィア・ラッツ。<br />その入場券は塔の入場券(5.00ラトヴィア・ラッツ)と合わせて買いました。<br />(旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00ラトビィア・ラッツ(Ls)=152.47円)<br /><br />有料スペースは塔から下りた後に見学しました。<br />現代アーティストの作品と、主祭壇の裏が見学できました。<br />残念ながらそこは撮影禁止でした。<br />

    主廊下と説教台と、ルターの肖像画

    ルター派教会だからといって、ルターの肖像画があった教会はめったになかったような気がします。
    教会内の一部は有料スペースとなっていました。
    料金は1.00ラトヴィア・ラッツ。
    その入場券は塔の入場券(5.00ラトヴィア・ラッツ)と合わせて買いました。
    (旅行前に調べた2010年6月30日現在の換算レート:1.00ラトビィア・ラッツ(Ls)=152.47円)

    有料スペースは塔から下りた後に見学しました。
    現代アーティストの作品と、主祭壇の裏が見学できました。
    残念ながらそこは撮影禁止でした。

  • 主廊とゴシック様式らしい美しい天井<br /><br />側廊には巨大な紋章が掲げられていて、なかなか興味深かったです。<br />でも先に、塔に上ってしまいましょう。<br />

    主廊とゴシック様式らしい美しい天井

    側廊には巨大な紋章が掲げられていて、なかなか興味深かったです。
    でも先に、塔に上ってしまいましょう。

  • 伝説の鉄の雄鶏の、おそらくオリジナル<br /><br />塔に上るエスカレーターの前まで階段があります。<br />階段に上る前から行列が待っていましたが、待ち時間はそれほど長くなかったです。<br />これはその階段前の展示で、階段の踊り場から見下ろして(見上げて?)撮りました。<br />

    伝説の鉄の雄鶏の、おそらくオリジナル

    塔に上るエスカレーターの前まで階段があります。
    階段に上る前から行列が待っていましたが、待ち時間はそれほど長くなかったです。
    これはその階段前の展示で、階段の踊り場から見下ろして(見上げて?)撮りました。

  • 聖ペテロ教会の塔から、隣の聖ヨハネ教会周辺を眺める

    聖ペテロ教会の塔から、隣の聖ヨハネ教会周辺を眺める

  • ダウガヴァ川と新旧市街<br /><br />川の彼方にあるのはテレビ塔でしょうか。<br />その手前に4つほど並んだかまぼこ型の体育館のような建物は、バスターミナル隣接の中央市場だと思います。<br />その左奥に、スターリン様式の科学アカデミーの建物が見られます。<br /><br />中央市場とスターリン様式の科学アカデミーの写真は、こちらのハイライト旅行記の最後に載せました。<br />「2010年バルト3国旅行ハイライトその2:移動と市内交通編<ラトヴィア>」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10483387/<br />

    ダウガヴァ川と新旧市街

    川の彼方にあるのはテレビ塔でしょうか。
    その手前に4つほど並んだかまぼこ型の体育館のような建物は、バスターミナル隣接の中央市場だと思います。
    その左奥に、スターリン様式の科学アカデミーの建物が見られます。

    中央市場とスターリン様式の科学アカデミーの写真は、こちらのハイライト旅行記の最後に載せました。
    「2010年バルト3国旅行ハイライトその2:移動と市内交通編<ラトヴィア>」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10483387/

  • ダウガヴァ川に架かるアクメンシュ橋(手前)とサリュ橋(奥)を見渡して

    ダウガヴァ川に架かるアクメンシュ橋(手前)とサリュ橋(奥)を見渡して

  • リガ大聖堂の塔とヴァンシュ橋と中洲のチープサラ地区

    リガ大聖堂の塔とヴァンシュ橋と中洲のチープサラ地区

  • 中央に塔がある市庁舎(右端の白い建物)と、市庁舎広場<br /><br />市庁舎の左側の茶色い建物は、地図からすると、リーガ技術大学だと思います。<br />

    中央に塔がある市庁舎(右端の白い建物)と、市庁舎広場

    市庁舎の左側の茶色い建物は、地図からすると、リーガ技術大学だと思います。

  • リガ大聖堂近くのマーケットが見える@<br /><br />実は聖ペテロ教会見学後、あそこのマーケットの屋台で、バルト古代民族風のアクセサリーを買いました。<br /><br />あのマーケットで買った、ラトヴィアの7つのシンボルの指輪の写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/20044412/<br />あのマーケットで買った、バルト古代民族風のシルバー・ペンダント・トップの写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/20044413/<br />関連の旅行記<br />「2010年バルト3国旅行ハイライトその16:ゲットしたものゲットしたところなど(完)」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488479/<br />

    リガ大聖堂近くのマーケットが見える@

    実は聖ペテロ教会見学後、あそこのマーケットの屋台で、バルト古代民族風のアクセサリーを買いました。

    あのマーケットで買った、ラトヴィアの7つのシンボルの指輪の写真
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/20044412/
    あのマーケットで買った、バルト古代民族風のシルバー・ペンダント・トップの写真
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/20044413/
    関連の旅行記
    「2010年バルト3国旅行ハイライトその16:ゲットしたものゲットしたところなど(完)」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488479/

  • 歴然と様子が違う、旧市街と新市街<br /><br />さきほど写真を撮ったリーヴ広場が見えます。<br /><br />「リーガの旧市街(Vecriga)は、ダウガヴァ川とかつての堀に囲まれた0.5平方キロメートルほどの地域。そこに、天を貫く塔の教会やハンザ商人の商家、19世紀の当時は超モダンだった建築などが混在し、ひしめくように立ち並んでいる。通りも、リーガが創設されて徐々に発展していった数世紀前のレイアウトがほぼそのまま残っているので、細く短く複雑に入り組んで簡単には概要がつかめない。(後略)」<br />(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)<br />

    歴然と様子が違う、旧市街と新市街

    さきほど写真を撮ったリーヴ広場が見えます。

    「リーガの旧市街(Vecriga)は、ダウガヴァ川とかつての堀に囲まれた0.5平方キロメートルほどの地域。そこに、天を貫く塔の教会やハンザ商人の商家、19世紀の当時は超モダンだった建築などが混在し、ひしめくように立ち並んでいる。通りも、リーガが創設されて徐々に発展していった数世紀前のレイアウトがほぼそのまま残っているので、細く短く複雑に入り組んで簡単には概要がつかめない。(後略)」
    (「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

  • 鉄道駅周辺と新市街

    鉄道駅周辺と新市街

  • 聖ペテロ教会に飾られた紋章・その1<br /><br />とてもアンティークでおしゃれです@<br />

    聖ペテロ教会に飾られた紋章・その1

    とてもアンティークでおしゃれです@

  • 聖ペテロ教会に飾られた紋章・その2<br /><br />ブタ?<br />

    聖ペテロ教会に飾られた紋章・その2

    ブタ?

  • 主祭壇<br /><br />残念ながらピントがあいまい。手前のランプに合わせたかったのですが。<br />

    主祭壇

    残念ながらピントがあいまい。手前のランプに合わせたかったのですが。

  • 結局リガ滞在中に見学できなかった、隣の聖ヨハネ教会

    結局リガ滞在中に見学できなかった、隣の聖ヨハネ教会

  • 市庁舎広場の巨大な造花のタワー

    イチオシ

    市庁舎広場の巨大な造花のタワー

  • 白亜の美しい市庁舎

    白亜の美しい市庁舎

  • 市庁舎の向かいの、リガのシンボル的な聖ローランドの像とブラックヘッドの会館(向かって右の建物)<br /><br />午後はこの向きは強烈な逆光(苦笑)。<br />この広場はリガ市内観光中に何度か通ることになりますが、ブラックヘッド会館の中を見学するチャンスはありませんでした。<br /><br />「ブラックヘッドの会館<br /> 基礎の発掘から4年後、リーガの創設800周年を記念して2000年に再建が完了した新名所。15世紀から、1941年にドイツ軍の空襲で破壊されるまで、数百年の時間をかけて獲得されてきた個性的な姿の建物がほぼ完全に再現されている。<br /> 彫金細工と彫刻で飾られた外観で目立つのが、月、日、時間と月例を刻む大時計。言い伝えによれば、その時計を造った職人は二度と同じものが造れないように目をくり抜かれてしまったという。時計の下には4つのハンザ都市、リーガ、ハンブルグ、リューベック、ブレーメンの紋章が浮き彫りにされ、ギリシャ神話の神々の像が置かれている。<br /> 未婚の貿易商人の友愛会であったブラックヘッドのメンバーによってコンサートやダンスパーティが盛大に行われていたホールなど、内部の様子も再現されている。<br /> 会館前の市庁舎広場(Ratslaukums)は中世には市場が立ち、祭りや市の条例の布告、魔女の火あぶりなどの刑罰も行われるリーガの中心地だった。現在広場の中央には再建されたリーガの守護神である聖ローランドの像が建ち、向かいの市庁舎も再建されている。」<br />(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)<br />

    市庁舎の向かいの、リガのシンボル的な聖ローランドの像とブラックヘッドの会館(向かって右の建物)

    午後はこの向きは強烈な逆光(苦笑)。
    この広場はリガ市内観光中に何度か通ることになりますが、ブラックヘッド会館の中を見学するチャンスはありませんでした。

    「ブラックヘッドの会館
     基礎の発掘から4年後、リーガの創設800周年を記念して2000年に再建が完了した新名所。15世紀から、1941年にドイツ軍の空襲で破壊されるまで、数百年の時間をかけて獲得されてきた個性的な姿の建物がほぼ完全に再現されている。
     彫金細工と彫刻で飾られた外観で目立つのが、月、日、時間と月例を刻む大時計。言い伝えによれば、その時計を造った職人は二度と同じものが造れないように目をくり抜かれてしまったという。時計の下には4つのハンザ都市、リーガ、ハンブルグ、リューベック、ブレーメンの紋章が浮き彫りにされ、ギリシャ神話の神々の像が置かれている。
     未婚の貿易商人の友愛会であったブラックヘッドのメンバーによってコンサートやダンスパーティが盛大に行われていたホールなど、内部の様子も再現されている。
     会館前の市庁舎広場(Ratslaukums)は中世には市場が立ち、祭りや市の条例の布告、魔女の火あぶりなどの刑罰も行われるリーガの中心地だった。現在広場の中央には再建されたリーガの守護神である聖ローランドの像が建ち、向かいの市庁舎も再建されている。」
    (「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

  • 聖ローランドの像と市庁舎広場<br /><br />奥に、さっき上った聖ペテロ教会の塔が見えます。<br />

    イチオシ

    聖ローランドの像と市庁舎広場

    奥に、さっき上った聖ペテロ教会の塔が見えます。

  • 残念ながら見学するチャンスがなかった、ラトヴィア占領博物館<br /><br />今回のバルト3国旅行では、フェスティバルやセレモニーを見るチャンスには恵まれましたが、バルト3国の独立までの苦難の歴史を振り返るような博物館等は、ほとんど見学できませんでした。<br />それよりもっと古代のエキゾチックな側面(歴史博物館の中でも古代から中世・近代くらいまで)や、美しく復活した最盛期を偲ばせるもの(教会やそういう街並み)ばかり優先してしまったせいです。<br /><br />「ラトヴィア占領博物館<br /> 市庁舎広場にある博物館。第二次世界大戦からスターリンによる大量流刑まで、ラトヴィアにおける占領による被害の資料が大量に集められている。シベリアのラーゲリ(強制労働キャンプ)を再現した部屋もあり、苦難の連続だったバルト三国の近代史を知るためにもぜひ訪れたいところ。英語の解説もある。」<br />(「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)<br /><br />「ブラックヘッドのダウガウ川寄りにラトヴィア占領博物館がある。ここには第二次世界大戦以降のソ連時代にラトヴィアが被った被害の写真や資料が展示され、シベリアの強制収容所ラーゲリなども再現されている。表にライフル部隊の彫像がある。この博物館は以前はラトヴィア・ライフル部隊の博物館だった。革命で大きな役割を果たした功績を讃えるために設立された。それがいまでは趣旨が逆になっているのだ。きわめて複雑な感じがする。」<br />(「バルト三国歴史紀行 ラトヴィア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)<br />

    残念ながら見学するチャンスがなかった、ラトヴィア占領博物館

    今回のバルト3国旅行では、フェスティバルやセレモニーを見るチャンスには恵まれましたが、バルト3国の独立までの苦難の歴史を振り返るような博物館等は、ほとんど見学できませんでした。
    それよりもっと古代のエキゾチックな側面(歴史博物館の中でも古代から中世・近代くらいまで)や、美しく復活した最盛期を偲ばせるもの(教会やそういう街並み)ばかり優先してしまったせいです。

    「ラトヴィア占領博物館
     市庁舎広場にある博物館。第二次世界大戦からスターリンによる大量流刑まで、ラトヴィアにおける占領による被害の資料が大量に集められている。シベリアのラーゲリ(強制労働キャンプ)を再現した部屋もあり、苦難の連続だったバルト三国の近代史を知るためにもぜひ訪れたいところ。英語の解説もある。」
    (「‘09〜’10年版 地球の歩き方 バルトの国々 エストニア・ラトヴィア・リトアニア」より)

    「ブラックヘッドのダウガウ川寄りにラトヴィア占領博物館がある。ここには第二次世界大戦以降のソ連時代にラトヴィアが被った被害の写真や資料が展示され、シベリアの強制収容所ラーゲリなども再現されている。表にライフル部隊の彫像がある。この博物館は以前はラトヴィア・ライフル部隊の博物館だった。革命で大きな役割を果たした功績を讃えるために設立された。それがいまでは趣旨が逆になっているのだ。きわめて複雑な感じがする。」
    (「バルト三国歴史紀行 ラトヴィア」(原翔・著/彩流社/2007年発行)より引用)

  • 市庁舎広場から、聖ペテロ教会の正面<br /><br />14時を過ぎました。<br />15時からのルンダーレ宮殿ツアーを予約しているため、そろそろホテルに戻ることにしました。<br />

    市庁舎広場から、聖ペテロ教会の正面

    14時を過ぎました。
    15時からのルンダーレ宮殿ツアーを予約しているため、そろそろホテルに戻ることにしました。

  • リガ駅の時計塔とピルセータス運河<br /><br />15時からのルンダーレ宮殿ツアーのガイドと待ち合わせのためにホテルに戻る途中です。<br />滞在ホテル・イリーナはリガ駅の目の前にあります。<br /><br />「2010年バルト3国旅行第7日目(2)ラトヴィアのヴェルサイユと呼ばれる「ルンダーレ宮殿」とバウスカの半日ツアーに参加者は私一人だけ@」へとつづく。<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10536556<br />

    リガ駅の時計塔とピルセータス運河

    15時からのルンダーレ宮殿ツアーのガイドと待ち合わせのためにホテルに戻る途中です。
    滞在ホテル・イリーナはリガ駅の目の前にあります。

    「2010年バルト3国旅行第7日目(2)ラトヴィアのヴェルサイユと呼ばれる「ルンダーレ宮殿」とバウスカの半日ツアーに参加者は私一人だけ@」へとつづく。
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10536556

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