2010/12/25 - 2011/01/05
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スタリモストさん
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□4日目(12/28)(廈門から永定へ、土楼見学)
湖濱長距離バスターミナルから「湖坑行」(9:10発)で永定土楼にむかう
途中「承啓楼」前で下車(12:30)
客引きに導かれ承啓楼(40元)4階に部屋(70元)を得る
近くの山に登り、高頭・東北エリアを鳥瞰する
3時に来たバス(3元)で「土楼民俗村( 70元)」に移動し、界隈散策
4:40分のバスで承啓楼にもどる。
「承啓楼」泊(70元)
□5日目(12/29)(永定から泉州へ)
午前中、高北土楼界隈散歩
12:45承啓楼前でバスに乗車(50元)し、廈門にもどる。
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輪渡から10路のバスで湖濱長距離バスターミナルに行き9時10分発の「湖坑行」に乗った。郊外に出ると、バナナが道路際の空き地に所狭しと植えられていた。その後、山に入り斜面に茶畑が現れると、山間の景色の中にぽつりぽつりと土楼が見え始めた。
「土楼まであと、※キロ」と表示された新しい道路標識が規則的に立っていたが、その終着点は、大掛かりな工事が進められている土楼観光基地のようだ。 -
バスの車掌に「承啓楼で降ろして」と言っておいたが、しきりに「振成楼がイイヨ。土楼村まで行けば・・。」と勧められた。岡田健太郎氏著の「客家土楼」の中にも、地元民の「承啓楼VS振成楼」の下りが紹介されていたが、女性車掌の出自は振成楼なのだろうか。
「承啓楼」で下車して熱烈歓迎してくれたのは、バイタクの運ちゃんと、承啓楼の身分証をさげた中年女性。運ちゃんには早々にお引き取り願い、女性と交渉することに。
どうやら、承啓楼に部屋を持つ人のようで、自分の所に泊まらないかと勧めてくる。承啓楼ガイド並びに宿泊と食事提供を生業とする「五娘(ウ・ニャン)」さんで、ナカナカ元気でバイタリティー溢れる女性だ。旦那は、承啓楼一族の「江(ジャン)」だと言っていた。 -
まず、部屋を見せて貰おうと、入場券をチケットブースで買い求め(50元と表記されていたが40元に値引きされる)、正面の門から入って左に折れ一つ目の階段を4階にあがって右に3つ目の部屋だった。部屋は至ってシンプルで、無論水なしトイレなし。それ覚悟で泊まるつもりでいたが、値段を聞いたらなんと「100元」という。その時の五娘さんの顔ときたら、ハラハラドキドキしていて強ばっていた。「この客OKだしてくれるかな」と期待と不安で緊張していたのだろう。スタリモストが2007年に泊まった時は、一人30元だったので、今回は2人だから「70元」で手をうつことにした。
下の階から掛け布団を持って上がってくれたが、周りがにわかにざわついてきたかと思うと、4階からは誰もいなくなっていった。五娘さんもバタバタしている。「香港行政長官"曽蔭権"来参現」と言う。「部屋に閉じこもってじっとしているか、下に降りて欲しい」と要請された。道理で公安が沢山来ていると思った。 -
荷物を部屋においてひとまず外に出て、近くの小高い山に登った。空は晴れ渡り、頂上に着いたときは汗ばむ程、爽やかな風が頬を撫で心地よかった。眼下に円楼の王「承啓楼」など高北土楼群が鳥瞰される。バームクーヘンに屋根瓦を乗せたような実に奇っ怪な建物でユニーク極まりない。近くでは土手に腰掛け大学のデザイン科の学生たちがスケッチに励んでいた。こうした所に長逗留し、気ままに絵を描いたりするのもいいだろうなあ。
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山から下りた。曽蔭権氏はすでに去り観光客でにぎわっていた。
承啓楼の両隣、
「僑福楼」と -
「世澤楼」の中に入った。
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時刻は午後2時50分、たまたま五娘さんと出会ったので、「民俗村」に行くためにバイタクの手配を頼もうとしたが、あと5分したら、バスが来るという。ラッキーなことに話の途中で永定と高頭を結ぶローカルバス(1日往復8本)がやって来たので、早速乗り込んで(3元)土楼民俗村に向かった。道路がめくられて工事中であり大変な悪路と化していたので、乗っている時間は10分程度だったが、もしバイクだったら60近い小生とすればやや危険が伴ったろう。
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ゲートをくぐり入場料(70元)をはらい、洪坑民俗文化村に入村した。夕方にかかっていたせいか、村には観光客が少なく、ゆったりした気分で散歩を楽しんだ。
観光地化がバリバリに進んでいて、遊歩道には水車が造られ古城の雰囲気を醸し、 -
振成楼1階回廊はおみやげ屋さんの数珠繋ぎ。
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しかし、欄干に野菜が乾された村の奥の橋を渡って、
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川向こうに見た福裕楼は夕焼けに際だち羽根を広げた鶴のように美しくため息がもれた。
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民族村の入口にもどった時、ちょうどバスがむこうからやって来たので、早々に乗り込んだ。
なんとも運が良いまわりだ。
程なく承啓楼にもどった。 -
承啓楼の住人は、お店の片づけの最中。観光客は去り、静けさを取り戻していた。
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暮れなずむ一時を、4階の部屋の前の収納庫の上に腰掛けてビールを傾けた。
小1時間、外がまっ暗になるまでそこにいた。 -
□5日目(12/29)(午前・高南村を歩く、午後・泉州へ移動)
朝、鶏が鳴き声で目覚めた。歯ブラシとタオルを持って1階に降りようとしたら、隣の部屋の前にカワイイスリッパが並んでいた。後ほどわかったことなのだが、この土楼に住む新婚さんの部屋だった。 -
入り口では通いの肉屋さんが開業していて、ほとんど完売、
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祖祠では祖先に線香が手向けられていた。
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支度をして散歩をした。
道路の向こう側、高南村に入った。
小学校では男子が先生とバスケに興じ、
女子たちが話しで盛り上がり、
近所の女性が立ち食いをし、
その下におこぼれを頂こうと鶏が待機していた。 -
春暉楼に入った。
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この土楼の子孫が1910年に台北で生まれた作曲家「江文也」のようで、 彼の系譜や写真が飾られていた。日本でも音楽を学び活躍したが、文革時にはそのことで様々な辛苦をなめさせられたと言う。
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ここに住む男性が、我々が日本人だとわかると、にこやかな顔つきとなり色々と説明してくれた。
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朝日に浮かびあがる承啓楼をむこうに、老人がこちら側に歩いてきた。
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「おはようございます。お元気そうですね」
「いや、ワシはもう94歳だ。歳じゃよ、耳も遠なった」
「私たち日本から来ました」
「え、なんと・・・・、よく来てくれたなあ。」
短い会話だったが、気持ちが通じ合った。 -
北振楼近くのため池ではアヒルが泳ぎ、
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傷みが激しい五雲楼の祠堂では線香の煙がたなびき、
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そこに祀られている始祖のご夫婦像は、なかなか良い味を出していた。
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承啓楼にもどると、左隣の住人が部屋を見せてくれた。コンパクトに必要なものが並べられ合理的な居住空間が作られていた。
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五娘さんとも別れの挨拶をかわし、12時30分のバスで廈門にもどった。(7時30分にも廈門行きあり)
承啓楼は、観光客で溢れていた。
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