2000/01/01 - 2010/11/28
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A_KASAIさん
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故郷へ帰るのは旅というのだろうか? 移動とか旅行とか・・そんな言い方にしかならないか。
ふるさとも移動の目的地であり、そこがまた名だたる観光地であって他所からなだれ込む観光客に京都を故郷と言える人間は京都をどう見るのか。普段住んでいないから所謂京都人とは違った見方言い方ができるのではないかと思う。
還暦を過ぎるとなぜか故郷に帰りたくなる。やはり生まれ育ったところが良い。そんなことを考えながら京都を見てみる。
(北山通 松ヶ崎から霊峰比叡を望む)
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
同窓会で母校を訪ねる。郷土歴史資料室があって「昔の修学院」などと写真説明がある。自分が卒業した後の写真。もう昔と言われるのか??!!
大正なんて古い昔と思っていたが、今現在から見る昭和とそれほど変わらないのだ。
学校の建物はすべて新しくなってしまった。木造校舎が思い出される。
(修学院小学校では6年次の転校生だった) -
修学院にはまだ生産用緑地という名で田んぼが残る。
一面に田んぼが広がる風景は私の京都 原風景である。 -
ずいぶんたくさんの住宅が畑を田圃を侵食してきた。
それにつれて日本も日本人も変わって行った。もちろん京都も変わってしまった。 -
懐かしい構えの家がまだ残る。
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かすむ離宮。離宮と比叡山は常にそばにあった。
毎日見る景色だった。(大刈込) -
正月はお地蔵様にも。こういったお世話をする風習はいつまでも残ってほしい。町内のお地蔵様はみんなを見ていてくれる。
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雪のお正月(2011年) (禅華院)
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手水の竹の青々とした清々しさが初詣を張り詰めた気分にさせる
(鷺の森神社) -
高野川の桜が満開になるころ。京都は人であふれかえる。
有名どころに人は集まるが、高野川畔を散策しようなどという人は少ない。
花しかないからだろうか? 花を愛でるにはそれが良いのだが。 -
桜は何処にも春を運んでくれる。わざわざ人の込み合う中に行かなくとも。
(曼殊院前) -
春の花が咲きそろう。
植物園を散歩する。 -
道端にも小さな畑があり作物が育つ。
小学校のころはまだ、菜の花の畑があちこちにあり、菜の花を摘む景色が見えた。漬物にするには咲く寸前に摘むので一面黄色に染まることはまれだったように記憶する。 -
新緑のころは大好きな季節。(鷺の森神社)
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もみじの新芽、花 初夏の訪れ。
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もうすぐお祭り。仕出し屋に鯖寿司の案内が出る。
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御旅所に御神輿が来た。
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朝は赤山へ参詣する。
産土の神も外来の泰山府君を表敬する。日本人古来の宗教観を見る。
これから、御旅所に戻り山端の御旅所をめぐって鷺の森にお帰りになる。
その間「サンヨーレ」を唱える。
氏子、地域の子供たちも行列に参加する。 -
この人も里帰りして参加する。鉾差しがいなくなったのは寂しいが剣鉾は京都のお祭りには欠かせない。
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御旅所で舞が奉納される。衣装が新調されたかな?(2011年)
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足元は近代的である。このほうが安全・・・。だけどなんとなく。
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隣の八大神社にはまだ鉾を差せる人が残っている。また育成もしているようだ。
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舞が奉納される。舞の教室も開かれているようで、子供たちが舞う。
奏楽がラジカセなのはちょっと可哀想だが・・・。(2010年) -
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僕も私もお祭りに参加する。
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お祭り犬。
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一乗寺のひいらぎ会館 小さな神社(祠)があったような気がする。
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初夏の一乗寺。ちょっとした空き地があり花が咲く。
用途のはっきりしない少しの空間は町にゆとりをもたらす。 -
農家も農機具小屋も残っている。
子供のころ農家がまだたくさんあった。田圃も畑もどんどん宅地になり、家やアパートだらけになってしまった。そこへ日本の産業は車を売り込んだ。
道路は自動車であふれ返り溝も小川も埋められ、車のため利便のためなら何でも許されると考えるやからが増えた。 -
一乗寺も昔から学生下宿や学生向けのアパートがあった。
私が学生だったときも東京の田舎町で似たようなアパート暮らしをした。
遊び心を住まいに持ち込む。歴代ウルトラマンが郵便を新聞を守る。 -
葉山の馬頭観音。由緒あり且つ地元の農耕文化とも関わり深い観音様である。
堂宇も痛みが激しいが、静かで心安らぐ寺である。
間近まで住宅が迫り、開けてきたが守ってほしい環境である。 -
この場所にこんな無粋な自販機をおく必要があったのか?
興ざめもいいところである。
この寺には池が2つあって、子供のころ下の池は魚も釣れたし氷が張ればスケートもできた。走り回るのも木に登るのも自由だった。何時の頃か池の傍に建物が建ち、結界がめぐらされ立入禁止札が立てられた。小学校PTAの名で危険だから遊ぶな!というものまで立てられた。
その頃から「都七福神」だの「もみじ」だのが知られるようになり、大型バスまで乗り込んできた。寺は荒れ寺を脱したようだが、子供たちが自然を相手にできる遊び場は失われた。 -
結婚式を産土の社で挙げる。
昔は皆そうだったのだろうが、今では珍しい。
結婚ショーや若者の馬鹿騒ぎを見せられる同窓会結婚式よりはずっと意義が深かろう。
(本殿に上がれず撮影終了を待っていたら、引出物を頂いた。ありがとうございました) -
母校(中学校)の辺りは染工場がたくさんあった。
京都は近代工業が発生した地でもある。工場は少なくなりその跡地はマンション業者に売られた。
高野川でも友禅を洗う風景が見られたが、今はもう見られない。
人間の欲望は、自然の浄化能力をも上回ってしまった。 -
山端の街道沿いになまず料理を供する店があった。
ずいぶん以前、女将が雑誌に鯰を手に入れることが難しくなったこと、税制のせいで敷地屋敷を維持し末代に伝えることが難しいことを述べておられた。
今は例のごとくマンションになってしまった。 -
上高野で往年は企業の後ろ楯もあり、精進料理でも有名だった寺院である。
無住になって久しいが何とか寺院の形態を保っている。
比叡山も望め荒れたとはいえ庭園もある。何時廃寺になりマンションになるかも知れない。
逆に、料理旅館が突然寺になり観光書に登場したりするのだから解らぬ世の中である。 -
仏様はそのような世をどのように見ていらっしゃるのだろうか?
日本の行政はわかっているのかいないのか?このままほおって置けば日本の文化やその歴史、いしづえともいえる自然はどうなるのか?
自分のことしか考えぬ政党や政治家では到底手には負えぬだろう。
経済発展だけが国のためではないはずだが。 -
それぞれの集落にあった商店も店を閉じ、自動販売機だけがその代わりを演じている。中には空々しく礼を言う奴もいたりするが、機械に礼等言われたくない。
店で交わされていた会話は失われ、マニュアル通りの受け答えしかしないアルバイトがいるだけの何でもやだけになった。それもこの辺りではConvenienseといえるほどの数はない。 -
北山通りは京都の中でも新しい道である。
京都を離れた頃、白川通りの別当町以北と同じくして開けてきた。
洒落た通りになるかと思われたが、白川通りも同じように雑多な店が並ぶみちになってしまった。 -
母校(高校)では知らぬ者がいない喫茶店だった。
今はない。
「あの頃の高校生は良かった。」と店のおばさんは言った。「もう閉めるほかないね」とも言っていた。
人も時代も変わる。仕方なかろう。 -
紅葉の頃、京都は人であふれる。しかしここまで来る人は少ない。
数百メートル隔てたところには有名な寺院がありもみじを見るのか人を見るのか、になる。少し離れてみれば驚くほど静かで自分だけの紅葉を見つけることが可能だ。 -
周りと同じでなければ安心できない日本人だ。誰もが行くからワシも行く。
ケアンズに行ったといえばグレートバリアリーフはどうだった?と聞かれる。
そこは目的地ではないから、というと「信じられない」といわれる。
こんな状況になっていても、来る人は来る。人が少なく物事の無常を感じるには適した時期だが。 -
紅葉は自分で探すべし。
わざわざ人の込み合うところに行くことはない。
ご近所が良い。
(鷺の森社) -
ひとつでも綺麗だな・・と思えるものがあれば、自分の秋を物にできる。
(鷺の森社) -
禅華院
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2010年 比叡山を初め、東山が季節はずれの紅葉に見舞われた。
楢枯れの被害が出ている。
山の植生は変わっていく。東山は以前は松の山だったことが私の記憶の中にもうっすらとあるし、銀閣寺道にある蕎麦・菓舗に掲げられた絵(席の背中にも以前は絵があったのだが磨り減ってきている)でも理解できる。
次はどのような木々が育つのだろうか。人の手も大きな役割を果たさねばならないだろう。(研究しよく考えて) -
紅葉より先に京都の秋を感じる。
京都洛北は田の風情が残る。かろうじてかもしれない。
何時までも残ってほしい。故郷の原点。 -
農家も新しく建て替えられるが、意匠を残してくれていると嬉しい。
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宝ヶ池は子供の頃から親しんだ公園。元は灌漑用のため池だが、今日と市民で行ったことのない人は少ないだろう。
近くにカントリーミュージックをやるハウスがある。
乗馬クラブの中にあって、ウェスタンの雰囲気は充分。 -
合衆国という戦勝国は決して好きではないが、そこで発生した音楽は嫌いではない。
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岩倉の墓地から西方を望む。夕日が沈む方角である
西方浄土からの光が墓地を照らし出す。 -
そのうちここで眠ることになるだろうと思う。
その先はわからない。 そのうち我が家の古い墓もそうなったように無縁にされてしまうかもしれない。
平和を願おう。そして少しでも私が京都だと思いこんでいる故郷の景色や風習が残り文化が続いてくれることを願おう。
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