2010/11/07 - 2010/11/07
93位(同エリア1591件中)
エンリケさん
エジプト旅行5日目。
今回のエジプト紀行も実質最終日です。
この日は帰国便の時間までフリー。
その間、カイロ市内をさらに巡るプランと、ギザ近郊のサッカーラ、ダフシュール、メンフィスといった古代エジプト古王国時代の遺跡を巡るプランとどちらにしようか迷ったのですが、結局、イスラム教の建築物に魅力を感じていたので、カイロ市内巡りを選択。
まずはイスラム教のモスク(ガーマ)が立ち並ぶイスラム地区を見て回ることにしました。
ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンやガーマ・スルタン・ハサン、ガーマ・リファーイーを巡りますが、特にガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンでは、喧騒のカイロの中にあってまるで異次元空間に引き込まれたような静謐な感覚に包まれ、今回のエジプト紀行の中でもルクソールの熱気球と同じくらい印象深い時間を過ごすことができました。
<旅程表>
2010年
11月3日(水) 成田→関空→
11月4日(木) ドーハ→ルクソール
11月5日(金) ルクソール→(夜行列車)
11月6日(土) →ギザ、カイロ
○11月7日(日) ギザ、カイロ→ドーハ
11月8日(月) ドーハ→関空→成田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 2.0
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
11月7日(日)
エジプト旅行5日目。この日が実質最終日です。
朝5時半起床、宿泊したギザのホテル“デルタ・ピラミッド”の10階の部屋から窓の外を眺めると、昨日はスモッグで見られなかった朝焼けが広がっています。 -
右手を見ると・・・今朝はピラミッドもくっきり。
ギザの街のかすかなライトアップが残る中での朝のピラミッド。カイロから遠く離れた交通不便な宿でしたが、この光景を見られただけで、宿泊してよかったと感じました。 -
ピラミッドをズームイン。
頂上に元の高さを示す避雷針のような棒が建てられている左のものがクフ王、頂上に化粧石が残っている右のものがカフラ王のピラミッドです。
今日も世界中から何千人という観光客がここを訪れることでしょう。 -
6時にホテルの食堂で朝食をとります。ほかにまだ客はなくがらんとしています。
この日は17時25分の飛行機で日本に帰るのですが、現地旅行会社によると、3時間前にチェックインしなくちゃならないとかで、13時30分までにホテルに戻ってくるよう指示されました。
(実際、1時間前には飛行機の搭乗が始まりました。カイロでは搭乗手続きが他の空港より早いのかもしれません。)
なので早めに朝食をとってカイロの街へくりだします。
目的はイスラム地区のモスク(ガーマ)群とオールドカイロのコプト教寺院群。
この朝食もスパイスが効いていておかわりするほどおいしかったです。
他の旅行記を見るとエジプトでお腹をこわすかたも多いようですが、水道水や氷の入ったものは飲まず、食事は火を通したものを選び生モノはとらないよう心がけていたので、旅行中そして帰国後もお腹をこわすことなく済みました。 -
朝食後、ホテルの屋上に上がって、朝日を浴びるピラミッドをパチリ。
カイロに行かずここでしばらくのんびりとすごしていたくなるくらい、素晴らしい眺めです。 -
屋上から下を見ると、車がせわしなく通り、カイロへ向かう人などで朝の通勤ラッシュが始まっています。
(イスラム世界では金曜日(一部土曜日も)が週休日で日曜日は休日ではありません。)
ギザやカイロの人々にとってはピラミッドはごく当たり前の日常の景色に過ぎないんですね。 -
7時30分、ホテルをチェックアウトし荷物を預けます。
荷物置き場に案内されると、ほんとにホテルのスタッフなのか疑わしい怪しいおじさんが出てきてチップを求めてきました。
ツタンカーメンの図柄が入った1£Eコイン(15円)を渡そうとすると、“盗まれるぞ〜”と揺さぶりをかけてきます。
しかたないので5£E(75円)渡すと、“帰りは何時になるね?それまでちゃんと見張ってるぞ〜”とうってかわって親切な態度に・・・。もうあきれて何も言えません。
(お昼にホテルに戻った時、見張ってるといいながら結局このおじさんはいませんでした。荷物は無事でしたが。)
ホテルの外に出るとこれまたおせっかいな別のスタッフが“タクシー呼ぶぞ”とからんできますが、高い料金とチップをとられそうだったので、しばらく歩き、アフラーム通りへ出てから流しのタクシーを捕まえます。
ドライバーは話好きなおじさんでしたが昨晩と同じく50£E(750円)で交渉成立。
カイロのイスラム地区にあるガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンへ向かいます。
この写真はカイロへ向かうアフラーム通りの風景。
右側の歩道には通学中の女学生でしょうか、同じ色のスカーフを巻いた女性たちが並んで歩いています。 -
これもタクシー乗車中の一コマ。
左側のバスには人があふれんばかりに乗車しています。
このときのドライバーは話好きで、日本車の性能の話題(韓国製や中国製に比べて壊れにくいとか、TOYOTAのランドクルーザーに乗りたいとか)やカイロの地下鉄建設に日本企業が携わっているといった話など、日本のことをいろいろほめたてられました。
(このタクシーはHYUNDAIでしたが。)
チップ要求のためなのかな〜と勘繰りつつも、会話を楽しめました。
お互い英語が片言同士だとよく通じるものですね。 -
8時30分、ギザから1時間近くかかってガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンに到着。
途中、通勤途中のたくさんのスカーフを巻いた女性を目撃し、イスラム世界でもたくさんの女性が労働力になってるんだな〜と自らの偏見を改めました。
ドライバーも、女性でも当たり前のように働いているというようなことを言っていました。
ドライバーからは話好きだった割にはチップ要求もなく、“見学が終わるまで待ってようか?”と言ってくれるなど、いい感じのおじさんでした。
ガーマに常駐しているツーリスト・ポリスが見ていたからかもしれませんが・・・。
さて、城壁のような堅牢そうな外壁の門をくぐってガーマ(モスク)の中に入ります。
このガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンの外壁は二重になっていて、このような堅牢なつくりになっているのも、“外の世界から仕切られた礼拝のための静謐な空間”を作り出すためという意図からのようです。
モスクはそれ自体が神聖なものではなく、あくまでメッカに向かってお祈りを捧げる“礼拝の場”であって、いかに礼拝に適した空間であるか、ということがモスクの建築にあたっての条件であると言えます。 -
中に入ると、先にフランス人の団体客が来ていて、おじさんに靴カバーをかけてもらっているところでした。
写真の女性はスカーフを着けていますが、モスクに入るときは異教徒でもスカーフを着用しなければなりません。
このあと、自分もカバーをかけてもらいました。
バクシーシを要求されたので、地球の歩き方に書いてあったとおり50pt.(7.5円)を払ったところ、おじさんは特に表情を変えもせず、何も言わずに通してくれました。
満足だったのかどうか・・・。 -
中を進んでいくと、アーチの向こうに土色をしたレンガ造りのドームが見えてきました。
青い空に土色のシンプルなドームが映えていて、均整のとれた、静かな美しさを感じます。
このガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンは、9世紀にバグダッドのアッバース朝から派遣されてエジプトを統治していた総督(アミール)アフマド・イブン・トゥールーンが独立してトゥールーン朝(868-905年)を興した際に創建したもので、彼の名が冠されています。
建築時期は876〜879年とのことで、一度焼失して13世紀に再建されましたが、エジプトに現存する最古のモスクであると言われています。
当時はまだカイロという町は建設されておらず、アフマド・イブン・トゥールーンは現在のオールドカイロ(当時フスタートの北まで拡大し、アッバース朝によってアスカルという町が築かれていた。)の北にアル・カターイーという町を建設し、政治の中心にするとともにこのモスクも建設しました。 -
イチオシ
中庭に出てみました。
ドームの向こう、アーチの形をした回廊の上には螺旋状のミナレットがそびえていて、青い空と土色の均整のとれた建築物しか見えない静謐な空間が広がっています。
中庭に建つドームは実は泉亭(ホウズ)で、礼拝の前に体を清めるための泉が湧いていたそうです(現在は水は枯れてしまっています。)。
現在あるのは13世紀末の再建で、ドーム状の2階建構造になっているのは、上階がミナレットの役割も果たしていたためだとか。 -
回廊を歩いてみます。
天井から吊り下げられているランプが、静謐さをいっそう際立たせます。
柱にはイスラム的な細密紋様(アラベスク)が刻まれ、細かいところでも凝ったつくりになっています。
なお、この回廊のアーチを支える柱は、当時のイスラム世界の中心地アッバース朝の首都バグダッドのあるメソポタミア地方の影響を受けたレンガ造りのため、太い角柱(ピア)になっています。
石造りの文化が浸透した後のムハンマド・アリ・モスク(エジプト紀行(5)参照)やスペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿のアーチを形成する細い円柱と比較すると、その違いがはっきり見て取れます。 -
アラベスクは柱ごとにそれぞれ違ったものになっています。
ほんとに凝ってますね。
このガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンは観光客も少なく、空がぽっかり開いているのに外からの喧騒も聞こえず、カイロの中にあって不思議ともいえるほどの静謐な空間を作り出しており、異次元の中に迷い込んでしまったような錯覚をおぼえます。
それほど礼拝に適した完璧なモスクということでしょう。
イスラム教徒ではない自分も、何だか敬虔な気持ちになってきます。 -
回廊をぐるっとまわってこの位置から泉亭を見ると、向こうにムハンマド・アリ・モスクのシルエットが浮かび上がってきます。
まさにイスラム都市カイロ。
ムハンマド・アリ・モスク(19世紀創建)の設計者もきっとこれを計算してつくったんでしょうね。 -
さらに回廊をぐるっと回って南側へ戻ってきました。
この位置からだとこのモスク自身の泉亭とミナレットだけでなく、このモスクに付随するサルガトミシュのマドラサ(イスラーム法学者を養成する高等教育機関)のドームやミナレットも視界に現れ、イスラミックな世界がいっそう演出されます。 -
回廊の南東側にはメッカの方向を示すミフラーブと説教壇であるミンバルもありました。
この時間にモスクを訪れているのはわたしとフランス人の団体観光客だけで、ほかに礼拝をする人はいませんでした。 -
ミフラーブの上には木製のドームが。
一見シンプルに見えますが、凝ったつくりになっています。 -
細密紋様の窓からは朝の太陽の光が差し込み、柱にその紋様を浮かび上がらせています。
-
こちらの柱にも細密紋様が・・・と思って良く見ると、アラビア語が彫られていました。
偶像崇拝をもたないイスラム教にとっては、日本の書道のように文字も芸術の役割を果たしているんですね。 -
回廊のアーチを通して眺めるミナレット。
まるで中世のイスラム世界に迷い込んだようです。 -
泉亭を中心に回廊とミナレットをパチリ。
観光客の少ないときに訪れることができて、本当にこのモスク独特の静謐な雰囲気を味わうことができました。
おそらくこの感覚は写真を見ているだけでは伝わらないと思いますので、カイロを訪れる予定のある方はぜひこのモスクに行ってみてください。
最近はやりの“パワースポット”とくくることはどうかと思いますが、自分の精神を高められそうな、訪れて絶対に損はないところだと思います。 -
内部の見学を終わって外に出ると、右側(南東側)にはアンダースン博物館があります。
マシュラビーヤ(木の棒を縦横斜めに組み合わせて作ったアラブ世界独特の格子窓。風や光の通しをよくするとともに、外から中が見えないようになっており、プライバシー保護の役割も果たしている。)が印象的な、このモスクに隣接する建物です。
1930年代に英国人の美術収集家アンダースンがオスマン朝時代の2軒の邸宅をひとつに改装し、家具などの調度品や美術工芸品を集めてオスマン朝時代の裕福な商人の暮らしぶりを再現したブルジョワ博物館となっています。
少し興味はありましたが、時間がないので省略することにしました。 -
ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンの内壁と外壁の間、アンダースン博物館の反対側には、螺旋状のミナレットへと続く道があります。
モスクの中であのミナレットにはどうやって昇るのかいろいろ入口を探したのですが扉には鍵がかけられていて通れず、あきらめて出ようとしたときに気づきました。
なんだか秘密の通路を見つけたような、ドラクエっぽい感覚です(笑)。 -
内壁と外壁の間をつたっていって角を曲がると・・・螺旋状のミナレットへの入口が目の前にありました!
思わず「!」を使ってしまうような喜びです(笑)。
早速昇ってみることにします。 -
まずはミナレットを途中まで昇って回廊の上へ。
ぐるっとひとまわりしてみます。
このモスクの中を歩いているのは自分一人。
人口1,100万人の喧騒渦巻くカイロの中にあって、唯一と言っていいほど静謐なこの空間を独占しているようで、なんとも贅沢な気分です。 -
はるか向こうにはシタデルにそびえるムハンマド・アリ・モスク(右)とガーマ・スルタン・ハサン、ガーマ・リファーイー(左)が見えます。
-
回廊の上を一周してミナレットに戻ってきました。
さらに上に昇ってみます。
この高さ40mの螺旋状のミナレットは、創建者のアフマド・イブン・トゥールーンが青春時代を過ごしたイラクのサーマッラーにあるアッバース朝第10代カリフ、アル・ムタワッキルのモスク(西洋人の描くバベルの塔のモデルとされる)を真似たものです。
エジプトは古代以来、ピラミッドやルクソールの神殿に見られるように石造りの文化があったのですが、メソポタミア風(土の文化)のレンガ造りになっているのも特徴のひとつです。
ただし、現在あるのは1296年に再建されたもので、焼失したオリジナルのミナレットはサーマッラーのものにより形が近く、位置も現在のようにやや右よりではなく、より中心にそびえていたそうです。
【サーマッラーのモスク(849-852年)〜wikipediaより】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88 -
螺旋階段を昇って、展望台までやってきました。
このモスクに付随するサルガトミシュのマドラサのミナレットを中心に土色のカイロの街並みが見渡せる絶景です。
しばし時を忘れます。
こんな景色をみていると、半径20mエメラルドスプラッシュを思い出します(笑)。
時計台はありませんが・・・。
(ジョジョネタですみません。) -
こちら側にもシタデルやガーマ・スルタン・ハサンを中心としたカイロのパノラマが。
-
太陽の光を受けて影になった泉亭と回廊、静かに光を受ける中庭。
・・・ここから見えるモスクもまた静謐。 -
さらに内部に螺旋階段があったので、上に昇ってみます。
-
ミナレットの最頂部に出ました。
ここからも土色のカイロの絶景をパチリ。
こんなパノラマも楽しめて、ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンは本当におすすめの場所です。 -
8時30分から1時間もいたガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンを後にし、旧市街の狭いサルビーヤ通り(シャイフ通り)を歩いてガーマ・スルタン・ハサンとガーマ・リファーイーへ。
ガーマ・スルタン・ハサンは14世紀、ガーマ・リファーイーは20世紀とそれぞれ建築時期は異なりますが、まるで一対の建物のように並んで建っています。 -
左側のガーマ・スルタン・ハサンです。
マムルーク朝時代(1250-1517年)の1356年から1363年にかけてスルタン・ハサンが建てたもので、マムルーク建築の傑作といわれているそうです。
建物の石材はギザのピラミッドのものを使っているとも。
なお、このモスクには先ほどのガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンよりも高い90mのミナレットがそびえていますが、安全上の問題から現在は昇ることを禁止されています。
こちらからのパノラマも楽しみだったのに、残念。 -
そして右側のガーマ・リファーイー。
イスラム神秘主義(スーフィズム)の一派であるリファーイー教団の創始者、シャイフ(長老)・リファーイーのザーウィエ(聖者の墓)の跡地に20世紀に入ってから造られた新しいモスクです(建築期間は1869-1912年)。
モスク内には、シャイフ・リファーイーの墓のほか、ムハンマド・アリ朝の完全独立後の初代国王フアード1世(在位1917-36年)や、イラン最後のシャー(王)でイラン革命後エジプト亡命中に亡くなったモハンマド・レザー・シャー・パフラヴィー(在位1941-79年)の墓もあります。 -
まずガーマ・スルタン・ハサンに入ってみます。
チケットは入口手前のチケット売り場で25£E(375円)で購入。
入口からして左右均整のとれた細密紋様が刻み込まれ、壮麗さを感じさせます。
上の方にはスペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿の“二姉妹の間”を思い起こさせる、鍾乳石や蜂の巣のようなアーチ状の有機的な襞をもったくぼみ(ムカルナス)が彫られています。 -
このモスクには靴を脱いで上がります。
入口で靴を預けて中へ進みます。
内部はガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンとはまた一味違った静かな空間が続いています。 -
薄暗い通路を進んでいくと明るい中庭が見えてきました。
先に欧米系の団体観光客が来ていたようです。 -
中庭に出てみました。
天井は吹き抜けになっており、中央には巨大な泉亭が置かれています。
そして中庭の周りには巨大なイーワーン(一方が完全に開き、三方が壁で囲まれ、天井がアーチ状となっている空間。もともとイスラム化以前のササン朝ペルシャ(226-651年)の土の文化に根ざした伝統建築であった。)があり、四方を取り囲んでいます。
イーワーンの中でもこのように中庭の中心軸上に四つのイーワーンを設ける様式をチャハール・イーワーンといい、12世紀のセルジューク朝の時代にイーワーンが建てられたイスファハンの金曜モスクなど、中世ペルシャを中心としたモスクの一様式となっています。
このイーワーン建築は12〜14世紀にインドからエジプトまで大流行したそうで、隊商・商船貿易の発展やモンゴル帝国の拡大などで東西の交流が活発になったことを表しているのでしょう。
モロッコのタンジェ出身で“三大陸周遊記”を著した旅行家イブン・バットゥータ(1304-68年)もこのころ活躍していますよね。
西洋史で言えばヴェネツィア商人のマルコ・ポーロ(1254-1324年)も。 -
イーワーンのひとつにはモスクに必須のミフラーブとミンバルもありました。
さすがにマムルーク建築の傑作と言われる通り、ミフラーブは金色をほどこしたアラビア語の細密紋様で豪華に彩られています。
なお、このガーマ・スルタン・ハサンはマドラサとの複合体をなしており、イーワーンとイーワーンの間のそれぞれの角、すなわち中庭の四隅には、それぞれスンナ派の四法学派に割り当てられた数階建のマドラサに続く扉口があります(上の写真の泉亭の柱の陰にちらっと見えています。)。
このマドラサは、それぞれ四つの法学派ごとに独自の教室や100人の学生を収容する部屋を擁しているとのことで、ほとんどのマドラサが一つか二つの法学派だけに奉じられているのに対し、このようにスンナ派の四法学派すべてに捧げられたマドラサというのはイスラム世界の中でも珍しいそうです。 -
豪華な中庭の見学を終え、薄暗い通路を逆戻り。
天井を見上げると、こんなムカルナスの凝った彫刻がほどこされています。
これもやはりアルハンブラ宮殿の“二姉妹の間”を思い起こさせますね。
・・・イスラム建築というとどうしても先入観としてアルハンブラ宮殿を思い浮かべてしまいます。欧米本位の価値観ですね〜。 -
出口に着くと、行きにはいなかった黒い子猫がちょこんと座っていて静かに外を眺めていました。
何か雰囲気的に神の使いのように感じられますね。
・・・帰りがけに靴の預かり料としておじさんからバクシーシを要求されます。
1£E(15円)渡したところ、ニコッと笑ってくれました。 -
続いて、隣にそびえるガーマ・リファーイーへ。
こちらもチケットは25£E(375円)です。
入口はガーマ・スルタン・ハサンと同様、高いアーチを備えています。 -
靴を脱いで中に入ると、いきなり緑色の壮麗な空間が出現します。
態様からしてリファーイー教団の創始者、シャイフ・リファーイーの墓でしょうか。 -
緑色の光で照らされるお墓。
こうしてみると、緑色がイスラム教にとって神聖な色であることがよく分かります。 -
さらに先に進むと、天井の高い、アーチ型の巨大な空間が広がっていました。
やはり柱や壁には規則的な細密紋様が描かれています。
ここでも観光客はほかに数人しかおらず、この巨大で静かな空間を独占しているようで、ぜいたくな時間を過ごせました。 -
お決まりのミフラーブとミンバルもありました。
20世紀になって建てられたモスクらしく、これまでのイスラム技術を結集したような非常に凝ったつくりになっています。
ただ、今まで見てきたモスクと決定的に違うのは“中庭がない”というところでしょうか。
神秘的な宗教儀式場であり薄暗い空間に光の演出を必要とするキリスト教の教会に対し、イスラム教のモスクにおいては、“礼拝所作のための実用的な空間”として光のふりそそぐ明るく広い空間である中庭が多く見られるのですが、このガーマ・リファーイーにはそれがありません。
どちらかというとキリスト教の教会に近い印象を受けます。
それは時代の流行りというよりは、このモスクを建設したリファーイー教団の掲げる“イスラム神秘主義”(スーフィズム)の思想が色濃く出ているせいなのかもしれません。
(スーフィズムは精神的な探求を志向していく過程でユダヤ教やキリスト教など他宗教の影響を受けてきたとする説があります。)
ちなみにスーフィーの修行僧のことを“ダルヴィッシュ”と言い、日本ハムのダルビッシュ有投手の名前もこれにあやかっているそうです。 -
細密紋様とランプの光で彩られた厳かな空間が続きます。
このほかにも亡命したイランのレザー・シャー・パフラヴィー国王の墓なども見て、見学を終えました。
出がけに靴の預かり料として1£E(15円)を待っていたおじさんに払い、ガーマ・リファーイーを後にしました。
カイロは“千のミナレットの街”と呼ばれるように、時代の異なる多種多様の魅力的なモスクがあり、イスラム建築に興味がある方にはまさにお薦めのスポットです。
わたしもこれらのモスクを見学してイスラム建築にはまり、帰国してから絶好の入門書である深見奈緒子著“世界のイスラーム建築”(講談社現代新書、2005年)を読み、この旅行記を書くにあたっても大いに参考にさせていただきました。 -
両モスクを出たところにあるサラーフッディーン・アイユービー広場からはシタデルにそびえるムハンマド・アリ・モスクがよく見えます。
さて、もう10時30分。
まだまだイスラム地区にはたくさんの個性的なモスクが残っているのですが、飛行機の時間もあるのでこのくらいにして、タクシーを拾ってコプト教(エジプトを中心とする原始キリスト教の一派)寺院の残るオールドカイロに向かうことにします。
・・・今回でエジプト紀行を終わりにする予定だったのですが、ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンをはじめとする、あまりにも静かで美しいイスラム建築の紹介だけで旅行記がいっぱいになってしまいました。。
→TO BE CONTINUED...
(オールドカイロ観光に続く。)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- kumさん 2011/02/21 02:07:07
- 本日の一枚!
- エンリケさん、日にちが変わってしまいましたが
本日の一枚おめでとうございます♪
選ばれた写真の旅行記は以前お邪魔してたので
こちらに書き込みさせていただいております。
本日の一枚の写真のモスクもそうですが
こちらの旅行記にでてくるモスクも
ほんと重厚感があってステキですね。
古代エジプトばかり注目されるけど
イスラム世界で長年重要な地位を占めてきた都市なだけあり
イスラム建築も見事としか言いようがないですね。
kum
- エンリケさん からの返信 2011/02/24 00:47:43
- RE: 本日の一枚!
- kumさん
こんばんは。
うれしいコメントどうもありがとうございます。
モスクなどのイスラム建築は、イスラム教において偶像崇拝が禁止されている分、なんとか美的センスを磨いて人々の視覚に訴えようと、規則性ある空間の演出や幾何学的な装飾に凝ったりして、見れば見るほどおもしろいです。
今回初めてイスラム教国を旅してイスラム建築にはまり、これからもっといろんなイスラム建築を見ようと北アフリカから中東あたりの旅の計画を練っていたのですが、チュニジアやエジプトをはじめ、アラブ各国でデモや暴動が起き、旅行なんてとんでもない事態になってしまいました・・・。
各国の政情が一日も早く安定化し、我々外国人を含め人々が安全に観光できる、そして地元の人々と平和に交流できる日が戻ってくることを願ってやみません。
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