2010/11/07 - 2010/11/08
2位(同エリア6件中)
エンリケさん
エジプト旅行5日目。
カイロ・イスラム地区の静寂に包まれた美しさをたたえるモスク群を見学した後は、カイロの中にあってキリスト教信仰の独特の空間を形成するオールドカイロへ向かいます。
オールドカイロでは聖ジョージ教会やムアッラカ教会、コプト博物館などを見学、イスラム教徒が多数を占めるカイロにあっては異空間ながら、流派は違えどキリスト教に慣れている自分にとっては安心できる空間でもあったり。
そして、飛行機の時間を迎え、5日間の日程を終えて帰国の途へ就きます。
<旅程表>
2010年
11月3日(水) 成田→関空→
11月4日(木) ドーハ→ルクソール
11月5日(金) ルクソール→(夜行列車)
11月6日(土) →ギザ、カイロ
○11月7日(日) ギザ、カイロ→ドーハ
○11月8日(月) ドーハ→関空→成田
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 2.0
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
11月7日(日)
旅行5日目。
早朝からカイロ・イスラム地区の個性的なモスク(ガーマ)群を見学した後、10時30分、今度はコプト教をはじめとするキリスト教の寺院群が残るオールドカイロへ向かいます。
地図を見ると、現在いるガーマ・スルタン・ハサンからは5kmほどで、とても歩いては行けません。
公共交通も整備されていないため結局タクシー頼り。
早速通りかかるタクシーを捕まえ、値段交渉しようとしますが、珍しく英語の通じない、優しい顔のおじいさんドライバーでした。
“オールドカイロ”では通じないので、最寄り駅名の“マル・ギルギス”と指示。
10£E(150円)では手を横に振られたため15£E(225円)と言ってみたところ、メーターを見ろとジェスチャーしてきたので乗車。
運転は顔や年齢に似合わずかっとばされます(笑)。
乗車中もこんな壮麗なミナレット(尖塔)やドームを持つ土色のモスクが見え、思わずパチリ。 -
相変わらず街中に信号はほとんどありません。
横断歩道は一応こんなふうにあるのですが、みんな車道の真ん中とか、違うところを思うさま歩いています。
右の歩道の端では若いお兄ちゃんが派手な色のスカーフを巻いた若い女性たちになにやら声をかけています。
もしかしてナンパ!? -
10時40分、オールドカイロ入口に到着です。
この日は日曜(キリスト教徒の休日)だからか、それとも単に観光道路だからか、自動車は進入禁止となっています。
タクシーのメーターを見ると、11.6£E。
先に15£Eと言ってしまったので、チップと思ってそのままの額を支払います。
エジプトでタクシーに乗るときは、ドライバーと余計な交渉はせず、何も言わずにメーターを動かさせるのがいいかも。
メーターがついているのに動かさない輩も多いですが。
タクシーを降りてオールドカイロの大通りであるマル・ギルギス通りを進みます。
途中、検問所も設けられており、白い制服を着たツーリストポリスもたくさんいました。 -
マル・ギルギス通りの左側には壁が続きます。
壁の向こうには屋根のてっぺんに十字架を掲げた建物のようなものが見えます。
ガイドブックを見ると、この辺り一帯は“キリスト教徒(ギリシャ正教)の墓地”。
そういえばギリシャっぽいドームの形をしていますね。 -
マル・ギルギス通りの右側にはおみやげ屋が軒を並べています。
先ほど歩いていたイスラム地区と比べて、道路がきれいで整然としており、緑も多い感じで、観光客向けに整備されているといった印象ですね。
実際、先ほどのイスラム地区には観光客がほとんどいなかったのに対し、ここは欧米系の観光客が非常に多く、日本人の団体客にも会いました。 -
マル・ギルギス通りの左側は壁が続いていたのですが、しばらく行くと下へ降りる階段が現れました。
階段をたどって降りてみると・・・こんな掘割の道が姿を現しました。
両側を壁に囲まれた細い路地で、地元の人や観光客がたくさん歩いています。
しばらく歩くと道の右側におみやげ屋も現れます。 -
掘割の道はここオールドカイロにあるたくさんの寺院とつながっています。
まず最初に現れたのが聖ジョージ女子修道院。
聖ジョージの“ジョージ”とはカッパドキアの竜退治伝説で有名なキリスト教の聖人ゲオルギウスの英語読みです。
この修道院の庭にも聖ゲオルギウスの絵や像が飾ってあり、いまだ信仰が篤い様子が見て取れます。
先ほどの、偶像を描くことすら認めないイスラム教の世界から一転して、偶像があふれるキリスト教の世界になってしまいました。
そんな信仰形式が180度違うような宗教が共存しているのは、エジプトは憲法で信教の自由を保障しているとはいえ、やはり大変なことなのだと感じます。
・・・この聖ジョージ女子修道院は今も関係者が使っているようで、内部は見学できなそうな雰囲気だったので、外観の写真だけ撮ってあとにします。 -
掘割の道をさらに奥へと進んで聖セルジウス教会の入口にやってきました。
この教会は303年に殉教したローマ帝国の役人である聖セルジウスと聖バッカスのために捧げられたもので、5世紀に聖家族(イエスの家族)がエジプトに避難していた時に過ごした洞窟の上に建てられました。
その後何度も焼失しては再建され、12世紀のファーティマ朝の時代に現在のバシリカ様式の建物が建てられたとのことです。 -
欧米からの団体旅行者に続いて入口の門を入ると、右側はみやげ物屋になっていて“コプト織”と呼ばれる伝統工芸品が飾られています。
この後奥にある階段を降りて行って教会の中に入りますが(拝観料は無料)、内部はこじんまりとした感じでやや狭く、この日見学(礼拝?)に来ていたスカーフを巻いた地元の女学生でいっぱいで、落ち着いて見学できませんでした。
また、内部は撮影禁止のため写真も残せませんでした。 -
さらに道を奥へと進んでいくと、こんな廃墟のようなところに出てしまいました。
ガイドブックを見ると、どうやら“キリスト教徒の墓地”のようで、お墓には十字架やイエス・天使の像が掲げられています。
と、ここで写真を撮っていたら、地元の男性が何か言いながら近づいてきます。
“ここで写真を撮るな”と怒られるのかなと思っていたら、“向こうの壁はローマ時代のものだからちゃんと写真を撮れ”と。
言われるままに写真を撮って去ろうとすると、案の定バクシーシを要求してきました。
いい大人の男性がわざわざ遠くから駆けつけてバクシーシをせびる行為にあきれましたが(しかもキリスト教地区で)、1£E(15円)あげてその場を後にしました。 -
掘割の道ではほかに聖バーバラ教会やベン・エズラ・シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)を巡って、マル・ギルギス通りに戻ってきました。
ちなみにベン・エズラ・シナゴーグではツーリストポリスに荷物検査をされ、そのときに見つけられたボールペンを要求されました。
噂に聞いていた通りの悪徳ツーリストポリスに出会えてちょっと感激したりして(笑)思わずボールペンを渡してしまいました。
みなさんは真似せずこういう悪い奴らには要求されても何も渡さないようにしましょう。
案外気が弱そうで断固とした態度で臨めば断れると思います。
さて、次はこの通りや駅の名前にもなっている聖ジョージ教会(マル・ギルギス教会)へ向かいます。 -
門をくぐり、聖ジョージ教会の敷地へ。
キリスト教ということで安心できるからでしょうか、欧米や日本人の団体観光客がたくさんいました。
また、これまでのイスラム教のモスクではあまり見られませんでしたが、ここでは大きな木が影をつくっていて、気分を和ませる自然と調和した雰囲気が作られています。
そういうことも旅行者が集まってくる理由なのかもしれません。 -
階段を昇って聖ジョージ教会の内部へ向かいます。
正面中央には竜を退治する聖ゲオルギウスのレリーフが飾られています。
右側にギリシャの旗が掲げられているように、ここはコプト教ではなくギリシャ正教の教会となっています。
先ほどの聖セルジウス教会と同様、聖家族が身を寄せていた場所に建てられたもので、最古のものは4〜7世紀頃建設され、ローマ時代建設のバビロン城館の中でもっとも美しいものとされていたそうです。
現在の建物は、1904年の火災の後、ローマ時代の市壁の上に、ローマ時代の円形平面の塔を基礎として1909年に建てられたものです。
したがって、教会自身の形もこのような円形平面になっているとのこと。
また、この教会堂の所有者は、コプト教徒かギリシア正教徒かを繰り返してきたそうですが、15世紀からはギリシア正教徒の所有になっているそうです。 -
教会の中へ入ってみました。
窓は小さく少し薄暗い感じで、中央に吊り下げられている大きなシャンデリアが印象的です。 -
いかにもキリスト教という感じの、イエスやマリア、聖人の像が描かれた祭壇です。
まるでヨーロッパのどこかの国のようで、ここがカイロであることを忘れてしまいそうです。 -
ドームの裏側にも、いかにもギリシャ正教といった感じのイエスのイコンが描かれていました。
-
11時30分、飛行機の時間を考えるとゆっくりもしていられないので、聖ジョージ教会を後にして今度はコプト教の遺物の残るコプト博物館へ向かいます。
コプト博物館は聖ジョージ教会のすぐ隣、地下鉄マル・ギルギス駅の正面にあります。
入口の向こうにはバビロンの塔やコプト教の教会であるムアッラカ教会も見えます。 -
コプト博物館入口にあるバビロンの塔です。
円形の塔の形がそのまま残っています。
この塔は、ローマ帝国のディオクレティアヌス帝の時代(3〜4世紀頃)に、ナイル川に築かれたローマ帝国の港を守る要塞として建てられたものだそうです。
このカイロの街はローマ帝国時代の要塞から発展していったんですね。
ちなみにこの“バビロン”という名称は、メソポタミア地方にあった古代王国“バビロニア”とは全く関係がないそうです。
【参考:ナイルストーリーHP】
http://www.nilestory.co.jp/ssisekioldcai.html -
バビロンの塔にはちゃんと英語の解説文も書かれていました。
-
入口にある建物で入館料(50£E=750円)を払い、カメラを預けて博物館の中へ。
博物館内は残念ながら撮影禁止となっています。
受付の建物を出たところからは逆光にならずに聖ジョージ教会がよく見えます。
土色をしているところがカイロっぽさを感じさせます。
さて、博物館の中は意外と広く、聖書の物語を主題としたフレスコ画や彫刻、モザイク画、イコン、タペストリー、コプト織をはじめとする伝統工芸品などが展示されており、丁寧に見ていけば1、2時間は優にかかります。
自分はもったいないながらも30分程度で主なものだけ見て出てしまいました。
エジプトは古代ローマ帝国時代末期にはアレクサンドリアに総主教座があったように、キリスト教の一大中心地でもあり、ヨーロッパ世界と同様にキリスト教の歴史を共有していたのかと、改めて認識させられます。
写真がないと時間が経つにつれどうしても記憶が薄くなっていまい、撮影禁止だったのがつくづく惜しまれます。 -
コプト博物館の正面です。
館内を見学した後はカメラを戻され、敷地内の撮影が許されます。
博物館はキリスト教を象徴する十字やコプト文字などで飾られてはいますが、入口はモスクのミフラーブを思わせるつくりであったり、左右の壁にはマシュラビーヤの格子窓があったり、どことなくアラビアチックな建物になっています。 -
博物館の側面の壁にもマシュラビーヤの凝った格子窓が取り付けられていますね。
-
最後に、現在でも日常の礼拝の場として使われているコプト教の教会、ムアッラカ教会を訪れます。
コプト博物館のすぐ南隣となっています。
教会の出入口の門には細密紋様に混じってコプト文字が刻まれており、やはりアラビアチックな様式になっています。 -
ムアッラカ教会の門をくぐってみると、そこは中庭のようになっていて、サボテンやソテツ、ヤシなど熱帯性の植物が植えられていました。
この教会はそもそも、聖母マリアに捧げるため4世紀にバビロンの要塞の地に建てられたコプト教会で、このオールドカイロで最古の教会となっています。
現在の教会の建物は9世紀に再建されたもので、14世紀まで総主教座として機能していたそうです。 -
建物の内部に入ってみました。
この教会は天井や柱などから一目で分かるように木造で、建築当時の意匠を残す文化的にも貴重な建築物となっています。
壁やアーチはアラビアチックな細密紋様や木彫り、象眼細工で装飾されており、ヨーロッパで見られる一般的な教会とは似ているようで異なる独特の雰囲気を醸し出しています。
天井はあたかも舟底のように木が組まれていますが、これはノアの箱舟をイメージしたものだそうです。
中央に見える説教壇は1100年頃に大理石を使ってつくられたもので、その先に見える祭壇は全部で3つあり、真ん中がイコンに表されているように聖母マリアの祭壇となっています。 -
横からもパチリ。
ヨーロッパでよく見られる石造の教会と比較して、木造の教会だと明るい装飾も相まって、何となく温かみが感じられますね。 -
こんなイコンもあり、まさにキリスト教の雰囲気。
ちなみにコプト教とは、エジプトを中心とした原始キリスト教の一派で、もともとエジプトには紀元40年頃から福音書を書いた聖マルコによりアレクサンドリアを中心として宣教が始められていました。
2世紀頃にはほぼエジプト全土に広まり、古代ローマ帝国末期には、アレクサンドリアはローマ、コンスタンティノープル、イェルサレム、アンティオキアと並ぶ五大総主教座の位置を占めていたのですが、451年のカルケドン公会議でアレクサンドリア総主教座はキリスト単性論者(イエスの人性よりも神性を尊重する)であったため両性論の立場から異端の宣告を受け、独自の道を歩むことになりました。
これが現在のコプト教につながっていったのです。 -
こちらの壁にも数々のイコンが飾られています。
壁の上部などにある模様も一種類のみでなく何種類もあり、凝ったつくりになっています。
エジプトでは7世紀のアラブ軍によるエジプト征服後、イスラム教への改宗者が相次ぎ、次第にコプト教徒の勢力が衰えていきました。
現在ではコプト教徒の割合は人口の5〜10%程度とのことです。 -
先ほどのモスク(エジプト紀行(6)参照)は観光客がほとんどいなかったのに、このムアッラカ教会では入れ替わり立ち替わりたくさんの欧米系の観光客が訪ねてきます。
根が同じものに対する好奇心と、やっぱり自分たちに近いことで安心できるからなんでしょうね。 -
内部の見学が終わり、中庭に出てきました。
社会科見学でしょうか、白いスカーフをまいた女学生がたくさんいます。
中には大胆にもスカーフを脱いでいる娘もいて・・・ということはコプト教徒なんでしょうか。
彼女らはアジア人が珍しいのか、そもそもよそ者や男性には厳しいのか、硬い顔つきでおそるおそる“ハ〜ロ〜”と声をかけてきます。
そんな顔されたらこちらも表情が崩れず、硬いままハローと返してしまいますよ(笑)。 -
中庭の壁にはモザイク画が描かれており、アラビア語とともにコプト語も刻まれています。
コプト語は現代エジプト語とも呼ばれ、古代エジプト民族の言葉に最も近いと言われているそうです。
表記については、イスラム化以前にエジプトを支配していた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代の公用語であるギリシャ語の影響を受けたアルファベットになっています。
現在では、コプト語は教会などのわずかな儀礼で用いられているほかは、日常生活で用いている家庭はほとんどなくなっているそうです。 -
ムアッラカ教会を出てマル・ギルギス通りに戻ってきました。
短い時間でしたが、コプト教についていろいろ勉強になりました。
イスラム教徒が人口の90%以上という多数を占めるエジプト社会にあって、コプト教徒もこうして共存しているのはすごいことだと感じました。
エジプトは憲法上は信教の自由を保障しており、基本的にはイスラム教徒とコプト教徒の間で差別はないことになっています。
エジプトの大ムフティ(高位のイスラム法学者、指導者)であるアリ・ゴマー師も、「イスラム教徒は自由に改宗することができる」とするファトワ(宗教令)を2007年に出しています。
しかし実際には、イスラム教よりも古い宗教への改宗を禁じるイスラム法(シャリーア)がまだまだ根拠とされ、コプト教からイスラム教への改宗はできるけれども、その逆は難しい状況が続いているようです。
【2008年9月13日AFPBBニュース 改宗は長くつらい道のり、エジプトのあるキリスト教徒の苦闘】
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2515496/3316304
2011年1月1日にはイスラム原理主義組織によるものとみられるアレクサンドリアのコプト教会を狙った爆弾テロ事件もありましたし・・・宗教対立の問題は根が深いですね。 -
さて、12時を過ぎてしまったので、そろそろホテルに戻らなければなりません。
流しのタクシーを探しますが、こういう時に限ってなかなかやって来ません。
・・・そうこうしているうちに、マル・ギルギス通りを北へ向かってスーク・フスタートまで歩いてきてしまいました。
通りを急ぐスカーフ美人と一緒にパチリ。
このスーク・フスタートとこの裏にある陶器センターは、オールドカイロ再開発プロジェクトの一環として陶芸やガラス職人を集め、中世のスークを模したショッピングセンターとして“第二のハーン・ハリーリ”を目指しているそうです。
ちなみにフスタートとはテントという意味で、641年にアムル将軍率いるアラブ軍がビザンツ帝国のバビロン要塞を攻める際にここにテントを構えたことからこの名がつきました。
そしてその翌年にエジプト征服を完了した後、この地はミスル(軍事都市)・アル・フスタートと名付けられ、エジプト地方の政治経済の中心地として発展していくことになります。
このスーク・フスタートの裏には、十字軍によって設立されたエルサレム王国の部隊が1168年にエジプトに迫った際、この地が占領・要塞化されることをおそれた当時のファーティマ朝によって焼き払われた都市の廃墟もあります。 -
なかなかタクシーが見つからないのでスーク・フスタートの北にあるガーマ・アムルへも来てしまいました。
ガーマ・アムルの名は、641年にこの地を征服したアラブ軍の総司令官アムル・イブン・アル・アースに由来しており、ここに軍事都市フスタートを築いた際、あわせてつくられたアフリカで最初のモスクということになっています。
現在の建物は13世紀以降に再建されたもので、初期アラブ型の多柱モスク(ただしエジプト伝統の石造り文化に回帰し、レンガ造りの角柱ではなく石造りの円柱)となっており、“エジプトに現存する最古のモスク”の座は、先ほど見学したガーマ・アフマド・イブン・トゥールーン(エジプト紀行(6)参照)に譲っています。
ここでようやくタクシーを捕まえ、ギザのホテルへ戻ります。 -
オールドカイロから約40分、13時前にホテルに到着。
タクシー代は交渉で決めた40£E(600円)。
ドライバーは無口な若者で、ちゃんとメーターもまわしてくれていて、メーターの額はこれよりも少なかったですが、端数はチップと思って交渉で決めた額をそのまま渡しました。
なので、それ以上のチップ要求もありませんでした。
時間に余裕があったので、宿泊した記念にホテル・デルタ・ピラミッドをパチリ。
この形、イスラム建築を見た後ではムカルナス(イスラム建築特有の鍾乳石や蜂の巣の形をした有機的な襞状の装飾)を意識してつくったのかなと思えてしまいます。 -
散々悩まされたタクシーも記念にパチリ。
白地に市松模様のラインの入ったカイロで最もよく見かけるこのタクシーは、車種としてはHYUNDAIが多いようです。
ドライバーは“MADE IN JAPAN , VERY GOOD!”とよく日本人をおだてるのに(笑)。 -
約束通り、現地の旅行会社のアシスタントが空港への送迎のためホテルに迎えに来てくれましたが、まだ少し時間があったので、最後にホテルの屋上に昇ってピラミッドの姿を目に焼き付けました。
改めて見てもきれいな三角形です。
空港に行くのにわざわざ反対側のギザのホテルまで戻ってきて、時間的にはかなりのロスでしたが、この景色を見られただけよしとしましょう。 -
13時30分、空港へ出発です。
名残惜しくも車窓から最後のピラミッドをパチリ。 -
車は郊外の道路をとばしていきます。
こんな土色の荒野ですが、向こうでは何やら家を建設しているようです。
既存の市街地ではもう土地がないからこんなところも開発してしまうんですね。
まさに本当の意味での宅地造成事業です。
砂漠の民はこんなふうにして土地を開拓してきたのかと改めてその力、執念に恐れ入ります。 -
宅地造成している箇所のすぐ近くにはTOYOTAやHONDAの販売所がありました。
こんな郊外に宅地をつくって仕事はどうするんだろうと思っていたら、働き口もこんなふうに郊外に進出しているんですね。 -
14時30分、カイロ国際空港に到着。
手続きに時間がかかりながらもチェックインを済ませ、空港内でショッピングでも・・・と思ったのですが、魅力的なお店がありません。。
仕方ないので2階にあるマクドナルドで最後のマック・アラビーヤ(40£E=600円)を食べながら搭乗を待ちます。
そして16時30分に搭乗開始。離陸の1時間も前に搭乗が始まるなんて初めて。
搭乗後の16時45分、飛行機の窓から沈みゆく太陽をパチリ。 -
カイロの空は砂塵や排気ガスで汚れているため夕焼けは赤くなりにくく、紫っぽい色になるようです。
・・・オレンジに染まった太陽が紫色の空に落ちていきます。 -
17時25分、カタール航空QR515便は定刻通りカイロ国際空港を離陸。
太陽は今日もまた、ナイル川の西の彼方、ネクロポリスに沈んで行きました。
この後、21時30分ドーハ着、翌1時10分発QR802便で関空を経由し、19時30分、成田に到着。今回の旅が終わりました。
ドーハからはリビアやアルジェリアなど砂漠の国を旅した方々と隣同士になり、旅の思い出話をしていたらあっという間に成田に着いてしまいました。
季節外れの旅は、本当に旅行好きの方と出会う機会が多く、こんなところでも楽しむことができます。
今回は旅慣れたヨーロッパから打って変わって初めてイスラム教国を旅し、ぼったくりやチップ攻めに遭うなど最初は嫌な思いをすることもありましたが、慣れてしまえば物価は安いし、人々は味があるし、また魅力的なイスラム建築も多くて、おもしろいと感じられるようになりました。
そういう意味でも、旅の原点“異文化体験”のできた有意義な旅でした。
これからもますますイスラム教国を巡る旅にはまっていきそうです。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- うふふ♪♪さん 2016/10/08 00:45:24
- 初めまして!! うふふ♪♪と申します!
- エンリケさん♪
初めまして!
うふふ♪♪と申します♪
此の度は、私の花火大会の旅行記に、ご訪問&投票をありがとうございます♪
まだ7冊しかありませんので、是非、他の旅行記も読んでみて下さい!!
海外旅行(そもそも旅行がない・・)は1つもありませんが・・・
(今年になって、海外旅行が4つと国内旅行が1つ飛んでしまいました・・。これほど旅行に行かない1年も珍しいです・・・
エンリケさんのような大ベテランさんが行くようなところは行っていませんが・・汗・・)
<エジプト旅行記>
エジプト旅行記、拝見しました。
ざっとで申し訳無いですが、感想を書かせて下さい♪
やっぱりナイルすごいですね〜。
砂漠にあの青い水!! 空は水色で、何とも言えない印象的な風景です。
ナイルの夕日、とても美しいです♪
ファルーカ、乗りたいけど、自力無理そう(汗・交渉が出来ないタイプです。)。
神殿のライトアップも美しいですね。
それ以前に巨大な神殿・遺跡に圧倒されます。
たくさんのヒエログリフ・彫刻・壁画etc・・・
気球、良さそう!!
砂漠の上を鮮やかな気球が幾つも浮かんでいるのは、とても美しいです。
砂漠のイメージが強いエジプトですけど、こうして緑も豊かなのですね。
ハトシェプスト女王の葬祭殿!!
子供の頃、従姉のお姉ちゃんの本で読んで、白黒の写真だったけど、妙に印象の深い場所です。
こんなにも大きいんですね。
エジプトで夜行列車! 想い出になりそうですね♪
エンリケさんはたくさんの国で色んな経験をなさっているようですから、
このくらいは普通でしょうか??
ピラミッドにスフィンクス!!
人が一緒に写ると如何に巨大なものかがわかりますよね。
ムハンマド・アリ・モスク、美しい!
ブルー・モスクに確かに似てます。 内部も美しいですね。天井もシャンデリアも壁もステンドグラスも素晴らしく美しいです。
ガーマ・アズハルも美しい。
カイロ、都会なんですね。 夜景が美しいです。
ピラミッドと朝焼けがきれい。
ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンとムハンマド・アリ・モスクが一緒に写っているのがいいですね。
遺跡のイメージと全く違うイスラム圏のエジプトですね。
突然、全然違う国に行ったみたいですね。
ガ―マ・リファーイーの緑がとても印象的です。美しいですね。
そもそも宗教施設は美しいものなのかもしれませんが。
聖ジョージ教会、良かったです。
なにか、心があたたかくなるような教会でした。
エジプトは私達の国日本と違って、長い歴史のあいだに様々な文化が入ってきているのですね。
ムアラッカ教会もすごいです。
色んな方のエジプト旅行記、拝見しましたし、
私も2度計画を立てました。流れちゃいましたが(涙)。
でも、大方、遺蹟メインで、このように、イスラムやコプト教会まで見たのは初めてです。
多面性を持ったエジプトを垣間見ることが出来てとても良かったです。
ありがとうございます。
長々失礼しました!
またエンリケさんの旅行記、訪れますネ!
読み応え十二分です!!
おやすみなさい♪
うふふ♪♪
- エンリケさん からの返信 2016/10/08 23:06:36
- エジプト旅行記にご訪問ありがとうございます。
- うふふ♪♪さん
こんばんは。エジプト旅行記にご訪問、そして丁寧な感想をありがとうございます。
わたしが訪れたのはもう6年も前ですが、その間にエジプトでは革命が起こったりISが暗躍したりと、昔ほど安全に旅行ができる国ではなくなってしまいました・・・。
あの頃のエジプトは観光が基幹産業で、誰もみな観光客にたかってチップをかせぐという嫌な国民性がまかり通っていた時代でしたが、今はどうなっていることでしょう。
ムバラクという強権的な大統領の下、抑圧的ではありましたが、一通りの平和が保たれていたわけで・・・。
今の中国もそうかもしれませんが、ちょっとした“自由”を要求することが何人もの人間の命にかかわってくることを思うと、日本人が当たり前のように思っている“自由”というのは、それこそ英仏などの市民革命の時代から、何万人、何十万人という人々が命をかけて時の権力者たちと戦って獲得した、本当に貴重なものなんだなというのを実感します。
・・・旅行記の感想から離れてそんな話になってしまいましたが、海外旅行をすると、我々の身の回りのちょっとしたことでも深く考えさせられて、大いに人生の勉強になりますね。
うふふ♪♪さんも海外旅行がお好きなご様子。
これからもぜひ、刺激的な旅を続けていってください。
今後ともよろしくお願いします。
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