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総本山金剛峯寺という場合、高野山全体を指します。普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内といいますが、高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのです。<br /><br />「では、本堂はどこ?」という疑問がわいてくるでしょう。高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂になります。高野山の重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われます。<br /><br />山内に点在するお寺は、塔頭寺院(たっちゅうじいん)といいます。お大師さまの徳を慕い、高野山全体を大寺(だいじ 総本山金剛峯寺)に見立て、山内に建てられた小院のことです。現在では117ヶ寺が存在し、そのうち53ヶ寺は宿坊として、高野山を訪れる参詣者へ宿を提供しています。<br /><br />

和歌山・世界遺産紀行!②真言密教の聖地・高野山(総本山金剛峯寺)

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2010/10/08 - 2010/10/11

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風遊

風遊さん

総本山金剛峯寺という場合、高野山全体を指します。普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内といいますが、高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのです。

「では、本堂はどこ?」という疑問がわいてくるでしょう。高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂になります。高野山の重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われます。

山内に点在するお寺は、塔頭寺院(たっちゅうじいん)といいます。お大師さまの徳を慕い、高野山全体を大寺(だいじ 総本山金剛峯寺)に見立て、山内に建てられた小院のことです。現在では117ヶ寺が存在し、そのうち53ヶ寺は宿坊として、高野山を訪れる参詣者へ宿を提供しています。

同行者
友人
交通手段
自家用車
  • 壇上伽藍を後にして総本山金ピ三時へ向かいます。

    壇上伽藍を後にして総本山金ピ三時へ向かいます。

  • 今日の小雨は、しっとりとしたイイ感じです

    今日の小雨は、しっとりとしたイイ感じです

  • 正門<br />最初にくぐられる門を正門といい、金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日まで建っています。<br /><br />右のほうを見ますと小さな入り口があります。このくぐり戸は一般の僧侶がもっぱら使用しています。昔はこの門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけでした。一般参拝の方はあまり関係のない話ですが、高野山では門の出入り一つでも、厳しいルールが存在したのです。<br /><br />

    正門
    最初にくぐられる門を正門といい、金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日まで建っています。

    右のほうを見ますと小さな入り口があります。このくぐり戸は一般の僧侶がもっぱら使用しています。昔はこの門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけでした。一般参拝の方はあまり関係のない話ですが、高野山では門の出入り一つでも、厳しいルールが存在したのです。

  • もんをくぐると正面建物の屋根に樽のようなものが。<br /><br />

    もんをくぐると正面建物の屋根に樽のようなものが。

  • 天水桶(てんすいおけ)<br />金剛峯寺の屋根は檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺(ひわだぶき)になっています。その屋根の上に、桶が置かれています。これを天水桶といいます。<br /><br />これは普段から雨水を溜めておき、火災が発生したときに、火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割を果たしました。<br /><br />

    天水桶(てんすいおけ)
    金剛峯寺の屋根は檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺(ひわだぶき)になっています。その屋根の上に、桶が置かれています。これを天水桶といいます。

    これは普段から雨水を溜めておき、火災が発生したときに、火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割を果たしました。

  • 総本山金剛峯寺<br /><br />大玄関<br />金剛峯寺の表玄関にあたるところで大玄関といいます。この玄関は天皇・皇族や高野山重職だけが出入りされました。<br /><br />

    総本山金剛峯寺

    大玄関
    金剛峯寺の表玄関にあたるところで大玄関といいます。この玄関は天皇・皇族や高野山重職だけが出入りされました。

  • 大玄関の屋根には素晴らしい彫刻が!

    大玄関の屋根には素晴らしい彫刻が!

  • 金剛峯寺入り口にて、<br /><br />このお方は、四国48ヶ所を回り最後に高野山に来たそうです。

    金剛峯寺入り口にて、

    このお方は、四国48ヶ所を回り最後に高野山に来たそうです。

  • 大広間は重要な儀式・法要が執り行われる処で、2月の常楽会(じょうらくえ 涅槃会)や4月の仏生会(花祭り)等がここで行われています。襖には群鶴(ぐんかく)の絵、松の絵が描かれ、狩野法眼元信(かのうほうがんもとのぶ 1476年〜1559年)の筆と伝えられています。<br /><br />

    大広間は重要な儀式・法要が執り行われる処で、2月の常楽会(じょうらくえ 涅槃会)や4月の仏生会(花祭り)等がここで行われています。襖には群鶴(ぐんかく)の絵、松の絵が描かれ、狩野法眼元信(かのうほうがんもとのぶ 1476年〜1559年)の筆と伝えられています。

  • 珍しい梁です。

    珍しい梁です。

  • 大広間

    大広間

  • 柳の間(やなぎのま)<br />山本探斉(やまもとたんさい)による柳鷺図(りゅうろず)が描かれていることから柳の間と呼ばれています。この座敷は、文禄4年(1595年)に豊臣秀次(ひでつぐ 二代目関白)が自害したことから「秀次自刃(じじん)の間」ともいわれています。<br /><br />

    柳の間(やなぎのま)
    山本探斉(やまもとたんさい)による柳鷺図(りゅうろず)が描かれていることから柳の間と呼ばれています。この座敷は、文禄4年(1595年)に豊臣秀次(ひでつぐ 二代目関白)が自害したことから「秀次自刃(じじん)の間」ともいわれています。

  • 見事な石庭です。

    見事な石庭です。

  • この庭の景観は素晴らしいです。<br /><br />

    この庭の景観は素晴らしいです。

  • ここの大広間で、茶菓子の接対を頂き、又お若いでしたがお坊さんの有難いお話も聞く事が出来、感謝・感謝です。

    ここの大広間で、茶菓子の接対を頂き、又お若いでしたがお坊さんの有難いお話も聞く事が出来、感謝・感謝です。

  • 蟠龍庭(ばんりゅうてい)<br />新別殿と同じく、弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の際に造園されました。2,340平方メートルの石庭は、国内で最大級を誇っています。<br /><br />この石庭では、雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されています。<br /><br />龍を表す石は、お大師さまご誕生の地である四国の花崗岩が、雲海を表す白川砂は京都のものが使われています。<br /><br />

    蟠龍庭(ばんりゅうてい)
    新別殿と同じく、弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の際に造園されました。2,340平方メートルの石庭は、国内で最大級を誇っています。

    この石庭では、雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されています。

    龍を表す石は、お大師さまご誕生の地である四国の花崗岩が、雲海を表す白川砂は京都のものが使われています。

  • 蟠龍庭

    蟠龍庭

  • 蟠龍庭

    蟠龍庭

  • 蟠龍庭

    蟠龍庭

  • 別殿(べつでん)<br />昭和9年(1934年)、弘法大師御入定(ごにゅうじょう)1100年・御遠忌大法会の際に建てられた桃山様式の建築で、昭和58年までは一般信徒の休憩所として使用されていました。<br /><br />この大広間は以前まで宗団・本山の主要会議の際に使われた建物で、南北に長く西側が庭に面した方形の平面で、西・東両側に各四つの部屋が並んでいます。襖絵は守屋多々志画伯の作で、西側には花の間の連続で四季の花鳥が描かれ、東側には弘法大師入唐から高野山草創までの風景が描かれています。<br /><br />

    別殿(べつでん)
    昭和9年(1934年)、弘法大師御入定(ごにゅうじょう)1100年・御遠忌大法会の際に建てられた桃山様式の建築で、昭和58年までは一般信徒の休憩所として使用されていました。

    この大広間は以前まで宗団・本山の主要会議の際に使われた建物で、南北に長く西側が庭に面した方形の平面で、西・東両側に各四つの部屋が並んでいます。襖絵は守屋多々志画伯の作で、西側には花の間の連続で四季の花鳥が描かれ、東側には弘法大師入唐から高野山草創までの風景が描かれています。

  • 別殿(べつでん)<br />昭和9年(1934年)、弘法大師御入定(ごにゅうじょう)1100年・御遠忌大法会の際に建てられた桃山様式の建築で、昭和58年までは一般信徒の休憩所として使用されていました。<br /><br />この大広間は以前まで宗団・本山の主要会議の際に使われた建物で、南北に長く西側が庭に面した方形の平面で、西・東両側に各四つの部屋が並んでいます。襖絵は守屋多々志画伯の作で、西側には花の間の連続で四季の花鳥が描かれ、東側には弘法大師入唐から高野山草創までの風景が描かれています。<br /><br />

    別殿(べつでん)
    昭和9年(1934年)、弘法大師御入定(ごにゅうじょう)1100年・御遠忌大法会の際に建てられた桃山様式の建築で、昭和58年までは一般信徒の休憩所として使用されていました。

    この大広間は以前まで宗団・本山の主要会議の際に使われた建物で、南北に長く西側が庭に面した方形の平面で、西・東両側に各四つの部屋が並んでいます。襖絵は守屋多々志画伯の作で、西側には花の間の連続で四季の花鳥が描かれ、東側には弘法大師入唐から高野山草創までの風景が描かれています。

  • 真然廟<br />真然(しんぜん、延暦23年(804年)- 寛平3年9月11日(891年10月21日))は、平安時代前期の真言宗の僧。俗姓は佐伯氏。讃岐国多度郡の出身。中院僧正・後僧正とも称される。空海の甥と伝えられている。<br /><br />出家後奈良大安寺に住し、真雅に師事して真言密教を学び、空海の没後の高野山の経営に尽力した。836年(承和3年)に真済とともに唐へ渡ろうしたが失敗している。874年(貞観16年)権律師に任じられ、その後僧正まで昇任した。884年(元慶8年)東寺長者に任じられ、891年(寛平3年)に没するまで在職した。この間、東寺の真雅から借りていた「三十帖冊子」を高野山に持ち出したことは、その後東寺と高野山との紛争の原因となった。(資料参照)<br /><br />

    真然廟
    真然(しんぜん、延暦23年(804年)- 寛平3年9月11日(891年10月21日))は、平安時代前期の真言宗の僧。俗姓は佐伯氏。讃岐国多度郡の出身。中院僧正・後僧正とも称される。空海の甥と伝えられている。

    出家後奈良大安寺に住し、真雅に師事して真言密教を学び、空海の没後の高野山の経営に尽力した。836年(承和3年)に真済とともに唐へ渡ろうしたが失敗している。874年(貞観16年)権律師に任じられ、その後僧正まで昇任した。884年(元慶8年)東寺長者に任じられ、891年(寛平3年)に没するまで在職した。この間、東寺の真雅から借りていた「三十帖冊子」を高野山に持ち出したことは、その後東寺と高野山との紛争の原因となった。(資料参照)

  • 庫裡や

    庫裡や

  • 大玄関<br />金剛峯寺の表玄関にあたるところで大玄関といいます。この玄関は天皇・皇族や高野山重職だけが出入りされました。<br /><br />

    大玄関
    金剛峯寺の表玄関にあたるところで大玄関といいます。この玄関は天皇・皇族や高野山重職だけが出入りされました。

  • 三度目にして初めて入った総本山金剛峯寺。<br /><br />大変いいものを見させて頂きました。

    三度目にして初めて入った総本山金剛峯寺。

    大変いいものを見させて頂きました。

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