2010/11/14 - 2010/11/14
1946位(同エリア11695件中)
熱帯魚さん
多倫路からさらに歩いて、今度は日本人が
多く住んでいたという山陰路へ。
路地裏を歩いたり、魯迅故居を見学したり、
当時の日本人に思いを馳せながらの
充実した旧日本租界散歩でした。
この日の散歩前半はこちら↓
上海★秋の旧日本租界散歩~多倫路文化名人街
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10520442/
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
多倫路出のお散歩を終え、四川北路を通って山陰路へ向かいます。
顔みたいな窓発見。 -
美容院の看板…どんな髪型にされてしまうのでしょうか。
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イチオシ
四川北路のまちかどで…
照りつやがとても良かったです… -
イチオシ
○ 内山書店址
(プレートの説明より)
内山書店は、日本の有名な社会活動家である内山完造が1917年に創立した書店である。最初の住所は四川北路の魏盛里にあり、1929年に現在の住所に引っ越した。1930年代の内山書店は上海左翼進歩系の主な売店であり、中日の進歩的文化人の集まった場所でもあった。魯迅、郭沫若、田漢、郁達夫、塚本助太郎、昇屋治三郎、石井政吉などの中日の有名な文化人はこの書店とのつながりが深かった。同時に内山書店は、中国共産党と進歩した人々との連絡場所でもあり、魯迅、許広平などの愛国的文化人を救助したことがある。
中高生の時は、よく神保町の内山書店や東方書店に中国語の本を買いに行っていた私…魯迅の本もそこで買った思い出があります。今は面影はありませんが、中国の内山書店に来られて感無量。 -
山陰路に入りました。
-
イチオシ
長山路という脇道がいい味出していたので、思わず路地裏散歩。
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住宅街に迷い込んでみました。
こんなことだからいつまで経っても目的に地到着できないのかもしれません… -
ここをまっすぐ行くと、山陰路に抜けられるのですが、途中で配線工事みたいなことをしていて、危なそうだったので、長山路に一旦戻って山陰路へ。
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気になる小道が沢山ありすぎて、なかなか前に進めません…
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再び山陰路。
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○ 恒豊里、新恒豊里
1920年頃に建てられた。大部分は新式の里弄建築だが、22号と23号は花園住宅となっている。 -
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小学校の近くの駄菓子屋さんの黒板。
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魯迅故居にやってきました。
○ 魯迅故居
所在地:山陰路132弄9号 -
山陰路132弄
この並びに魯迅故居があります。 -
こちらが132弄9号、魯迅故居です。隣の建物で8元でチケットを購入し、説明員とともに魯迅故居に入ります。
○ 魯迅故居
魯迅故居は上海に3箇所あるが、開放されているのはこの場所のみ。ここは、魯迅が1933年4年11日に妻子と移り住み、1936年10月19日午前5時25分に息を引き取った場所。
魯迅故居内に置かれている家具のほとんどが、もともと魯迅家族が使用していたもの。魯迅の死後、魯迅の夫人、許広平が息子海嬰を連れて大陸新村を去った際、家具は淮海路の淮海坊に一時的に保管されたが、1950年魯迅故居を復原する際、許広平によって寄付された。
1950年10月、許広平がもとの配置をもとに、魯迅故居を復原させた。1951年1月7日より対外的に開放されている。 -
名前が日本っぽいかな〜と思って気になった里弄。
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○ 瞿秋白故居付近
魯迅と親しかった瞿秋白は、魯迅の住居のすぐ近くに自らの住居を構えました。
後記:故居はこの建物ではなく、この建物のある里弄の中にあります。(133弄12号)
注:Jingshangさんにご指摘頂きました。謝謝! -
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○ 山陰路145号
もとは花園里と呼ばれていた。1927年に建てられた、木骨レンガ造り建築。新式の里弄建築である。
入り口が低い!!! -
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○ 千愛里、大陸新村、文化別荘
新式里弄建築。
千愛里(内山完造が2弄3号に住んでいた。2050号の内山書店の裏口と斜め向かい)は日本東亜興業株式会社が1928年に建てた、木骨レンガ造り建築。
大陸新村は(132弄6号が魯迅故居、9号が茅盾寓所)大陸銀行上海信託部が1932年に竣工した木骨レンガ造り建築。
文化別荘は1932年に建てられた木骨レンガ造り建築。 -
ここらへんから素敵な建物が並びます。
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なんか懐かしい、
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と思ったら、
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思い出しました、
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私が子供の時住んでいた祖父の家が、こういう家だったのです。なんでも曽祖父がヨーロッパ視察に行った時、感銘を受けて、日本に戻ってきてからヨーロッパ風の家を建てたのだとか。この八角形の半分の形にせり出しているところなんかそっくり。
当時の上海在住の日本人もそういうヨーロッパ文化に憧れを持っていたのかもしれません。 -
お!山陰路の端に、周囲とはまた違った建物を発見。
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○ 積善里
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この建物にも引き寄せられて、路地裏散歩。
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中のそれぞれの門の上に4文字でおめでたい言葉や教訓なんかが彫られていました。字だけでなく、彫刻もそれぞれ違って、面白かったです。
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いいねえ。
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お!日本建築発見。日本に居るみたいですね。
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さあ、そろそろ魯迅記念館に向かいますか。
この路地から甜愛路に抜けられそうだったので、通ってみました。 -
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甜愛路に抜けることが出来ました。
そこから魯迅公園へ。
入り口で魯迅記念館の場所を聞いたら、「すぐそこだけど、小姐、残念!もう閉まっちゃったよ〜」と言われました。4時過ぎだったんですが、4時に閉館だそうです。前回来た時も開館時間に間に合わなかったので、魯迅記念館には2度振られています。次回こそは! -
最近の上海は気温がぐっとさがって、木々も色づいてきました。
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魯迅公園では、菊があちらこちらに植えられていました。10月1日から11月15日までと書いてあったので、終了間際ですね。
なぜかわかりませんがやたら眠くなってきたので、地下鉄に乗って帰宅しました。
おわり。
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この旅行記へのコメント (4)
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- JingShangさん 2010/11/19 12:13:57
- 瞿秋白故居
- いつぞや馬祖島のことでコメントしたJing Shangです。こんにちは。熱帯魚さんは相変わらずご活躍で感心します。
さて、この写真の建物には確かに「瞿秋白故居」の看板が架かっていますが、この写真の建物が瞿秋白の故居ではないと思います。この写真右手の小路を少し歩くと、右手に瞿秋白故居と表示がある建物があります。見学は不可です。それが瞿秋白の故居だと思います。この写真の看板は、この先、奥に瞿秋白故居がありますよと言いたいのでしょう。右向きの矢印でも書いおくとよいのにと思います。
- 熱帯魚さん からの返信 2010/11/19 12:28:06
- RE: 瞿秋白故居
- Jingshangさん
こんにちは!コメント有難うございます。
もちろん覚えていますよ〜
ちょちょいと中国雅虎で調べたところ、
おっしゃる通り、故居はこの建物ではなく、
この建物のある里弄の中にありました。
(133弄12号)
勉強になりました!有難うございます。
次回の虹口散歩に行く時に、
見に行ってみたいと思います。
本当に矢印必要ですね…笑
旅行記も訂正しまーす。
それでは!
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- luguさん 2010/11/16 21:44:13
- 路地裏
- 熱帯魚さん、ご無沙汰です。
私の住んでいる東京の下町は、古い趣のある建物はほぼ全滅しました。
このような建物は今となっては貴重な歴史的財産ですね。
変化の激しい上海のことですから、熱帯魚さんが撮っている写真も、
何年かしたら貴重な資料になっていることでしょうね。
lugu
- 熱帯魚さん からの返信 2010/11/18 01:34:15
- RE: 路地裏
- Luguさん
こんばんは!
コメント有難うございます。
そうですね、上海は日本よりももっとスピードが速いかもしれません。特に最近万博がありましたから、私が引っ越してきたばかりの時と今とはかなり様相が変わっています。浦東でももともと少なかった古い建築がいつのまにか取り壊されていたりして、ちょっぴり悲しい思いです。
今写真を撮っている場所も、何年か後にはすっかり変わってしまうのでしょうか…
それでは。
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