2006/10/07 - 2006/10/07
276位(同エリア399件中)
くじさん
アウシュビッツ強制収容所 第二収容所ビルケナウ
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
第2クレマトリウムいわゆるガス室・焼却炉の後です。
ソ連軍進行に伴って撤退するSSによって破壊されました。
ビルケナウに作られた第2〜第5までのクレマトリウムは全てこのように破壊されています。 -
如何に当時の破壊されたままの状態を保存するかが重要だそうです。
普通の建築物の保存よりはるかに難しそうです・・・。 -
こちらが入り口になります。半地下構造になっており、手前が脱衣所、奥がガス室、そして焼却場です。
貨車から降ろされ、「選別」されここに並ばされた人々は、不安を感じながら奥へ進むしかなかったわけです。 -
焼却炉のキャパがオーバーしだすと、このような人目につかない野原で死体を山積みにして焼却したそうです。
-
脱衣所横方向。
屋根が崩れ落ちてます。
暗いこの中にすし詰め状態におしこまれて服を脱がされる・・・恐怖です。
希望を持たせるために、脱いだ服の場所を覚えておけと言われることもあったそうです。ただのシャワーだと思わせるために・・・。 -
ガス室跡です。
天井に上ったSS隊員が通機構の穴からチクロンBと言われる殺鼠剤の粒を投入します。
するとガス室内で気化し、呼吸機能をじわじわ奪いながら死に至らしめます。
中からは絶叫とうめき声が聞こえ・・・数十分後、排気の終わった中に死体処理班が入ると、空気を求めるように少しでも上に行こうとした死体が山積み状になっていたそうです。 -
脱衣場後です。
こちらも屋根が崩れ落ちています。こういったものを保存していくのは大変な労力がかかりそうです。
基本的にアウシュビッツは再現や人の手を加えるようなことはできるだけせず、当時のままの状態をできる限り維持することに注力するそうです。 -
焼却場横方向から。
死体の回収、焼却作業など、SS隊員がやりたがらない仕事は特命労働隊(ゾンダーコマンド)と呼ばれる収容者自身が作業に当たりました。
彼らは他の収容者より優遇されましたが、情報が漏れないように数ヶ月ごとに彼らも処分され入れ替えされていたと言います。 -
こういった池はいくつかあって、死体を燃やした後の灰を捨てていたようです。
引込み線を跨いで反対側には「死の池」とよばれる、もっとおおきなものがあります。 -
クレマトリウムの慰霊碑。
各国語ごとに碑が建てられています。左から2番目が英語。
意味的には「ナチの大量殺戮の犠牲になった男女、そして子供たちのことを忘れないよう。 ここには、彼らの灰があります。 彼らの御霊が安からに眠りますように。」といった感じでした。 -
B?bブロックと呼ばれる場所です。
初期のころに作られたレンガ造りの収容棟。
1943年までは男性用、以降は女性用として使用されました。
引込み線の向こう側(木製バラック群)がB?ブロック、さらにその向こうが建造中だったB?ブロック(通称メキシコ)だそうです。 -
どこまでも続くバラック群。
いったいどれだけの人間が生活していたのか・・・正直想像もつきません。 -
収容棟の入り口です。
位置的には死の門を手前に見て左奥のB−?bブロックになります。ここに200人程度の人々がただ死ぬ以外の未来しかない状況で生活していたかと思うと、恐ろしいものを感じます。 -
腐った藁を敷いただけの木製ベッドに、ひとつ当たり2人ずつ押し込まれたそうです。
まだ、この写真のベッドはましな状態ですが、木製バラックの方などはもっと粗末なものだったそうです。およそ人間らしい生活とは無縁です。 -
現在は綺麗に清掃され、ある程度ましに見えます。
また、この収容棟は初期の頃のまだ収容人数に余裕のあった頃に立てられたものだそうですので、レンガ造りでしっかりしています。
しかし、それも全体から見れば一部で、大半は木製の粗末なバラックでした。
暖炉はあれど、隙間風で寒い冬のポーランドではほとんど役にはたたず、床はなく地面むき出しだったため、湿気が多く衛生状態は劣悪でした。 -
B−?区域を歩きます。
手前3棟が収容棟で、奥の少し離れたところにたっているのがトイレです。1棟あたり200人として、B−?a・b区画それぞれ27棟、それだけで約1万人になります。
引込み線の反対側はさらに広大で木製のバラックが大量にあったので、その人数は想像外です。 -
トイレ棟です。
第一収容所はまだまともなトイレでしたが、こちらはそんなレベルではありません。 -
ご覧の通り、溝の上に便器代わりのふたをかぶせただけの造りです。このトイレ棟は映画のワンシーンにも使われていたので、見たことのある人も多いと思います。
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煙突のあるこの棟は、収容者の食事を作るためのものでした。
食事といっても、労働させるために最低限生きられるだけのものだそうですが。 -
食事や材料を運ぶためのものでしょうか・・・?
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B−?区域のバラック跡です。
収容人数が増えてくるとレンガ造りでは追いつかないので、木製のバラックに変わっていきました。
木材は戦後、燃料用に周囲の住民などに使用されたため、レンガ製の暖炉跡だけが残っています。
現在では数棟だけ木製バラックも復元されていますが、9割以上はこういった状態だそうです。 -
B−?b区画、B−?a区画と戻ってきて、外周を取り巻く有刺鉄線の間に作られた出入り口から外に出ました。
ただの通路となった今の時代と、生死を分ける境界だった当時と、時代の違いを痛感します。 -
こういったところを素通りできるだけで、なんとなくじーんとしてしまうのは、気にしすぎ?
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再び「死の門」に戻ってきました。
中谷さんのガイドはここで終わり。
午後からツアー客のガイドがあるそうで、足早にアウシュビッツへ自分の車で戻られました。
ちなみに今日だけに限らず、こうやってガイドさんに案内してもらうと時間の関係で、省略する場所も多く、きっちり隅から隅まで見たい人は、あえてガイドを頼まずまる1日かけて見学するそうです。
私も機会があれば、次回はそうしたいと思ってます。
一回では見回りきれませんっ!! -
「死の門」から続く線路はオシフェンチム駅へと続いています。
オシフェンチムは鉄道の便がよく、ヨーロッパ各地から鉄道で収容者を輸送するのに適していたのもこの地に収容所が作られた要因のひとつだったそうです。
ちなみにアウシュビッツはポーランド占領後にナチスドイツがつけた地名で、もともとはオシフェンチムという名です。
ビルケナウも同様にポーランドではブジェジンカという地名です。 -
今では金網でふさがれた「死の門」。
もうここを列車がくぐることはないという意味もあるのでしょうか。
線路にも輪留めらしきものが置いてあります。 -
オシフェンチム一帯の空撮写真です。
アウシュビッツ第一収容所から現存しない第3収容所モノビッツ、そして労働力を利用していた当時のドイツ大企業(I.Gファーベン社、クルップ社、シーメンス社など)の工場もありました。 -
アウシュビッツとビルケナウの空撮写真。
特にビルケナウの広大さと、鉄道との連携がよくわかる写真です。
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