2010/08/23 - 2010/09/01
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etretatさん
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マルケはシテ島を中心にセーヌをたくさん描いている。
アルジャントゥイユ、ヴェトゥイユなどパリ郊外のセーヌを描いたモネとは対照的。
ブーダンはセーヌ河口部のノルマンディ海岸が多い。
サン・ミッシェル橋の誕生は、ちょうどノートルダム寺院の大聖堂完成など、
パリの華やかな栄光の歴史を展開する時期と重なる。
当時、シテ島には すでにグラン・ポンすなわち現在のノートルダム橋を
はじめとして4橋が 架かっており、サン・ミッシェル橋は5番目の橋で
あった。
橋の工事は1378年に始まり1387年に完成した。
この橋も当時のほかの橋同様に橋の上に家が建てられ店舗が開店した。
その中に本屋も含まれていたが、これは近くにはフランス最古のパリ大学が
1215年に誕生していたことでもうなずける。
その後、橋は氷塊の衝突で落橋したり、船の衝突で崩壊したりした。
1624年、従来の木橋でなく石造橋が姿を現す。
1857年にこの橋は最後の改修を行い、船の航行を容易にするために
三径間のアーチとなり、橋脚にはナポレオンの頭文字Nをデザインした飾りが取り付けられた。
- 旅行の満足度
- 4.5
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マルケ「サン・ミッシェル橋」(1908年)
橋上を馬車が行きかい、街灯などの構造物もこの絵では見られない
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マルケ「冬のサン・ミッシェル橋」(1920年)
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プチ・ポンから見たサン・ミッシェル橋 (下も)
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シテ島から橋を渡った先はサン・ミッシェル大通り、左手が5区、右手が6区だ。
写真右手方向にはシャンジュ橋がある。
道路が広いので対面通行で車の通行量がかなり多い。
5区にはローマ人の当時の生活の片鱗がいまも残っていて、ローマ人風呂跡(現在クリュニー美術館)、リュテス円形競技場(モンジュ通り)もある。 -
数多くのバス路線が東西方向に走っている
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コロー「サン・ミッシェル古橋」(1823年)
コロー(1796−1875)初期の作品。
母親の服飾店に近いグラン・ゾーギュスタン河岸から見ている。
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コロー「ノートルダムとオルフェーブル河岸」(1833年)
コローの絵は2点とも1857年の改修前、したがって現在と違い、橋の中央が盛り上がり、なおかつ四径間のアーチとなっている。 -
ヨンキント「セーヌ河とノートルダム寺院」(1864年)
1864年に描かれたこの絵では三径間のアーチだ。
30年の経過でセーヌ河岸や、水辺の遊歩道が整備されて
いるのが分かる。
ナポレオンの頭文字Nが入っているのが確認できる。 -
梅原龍三郎「ノートルダム」(1921年)
明治41年(1908年)梅原はフランスへ留学、リュクサンブール美術館やデュラン・リュエル画廊で見たルノワールの作品に心を奪われ、とうとう翌年南フランスのカーニュ・シュル・メールへこの巨匠を訪ねて行った。
ルノワール68歳、梅原21歳であった。
この作品はその13年後、師ルノワール亡きあとに描かれた。
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ノートルダム寺院屋上から望むサン・ミッシェル橋(中央右)、背景にエッフェル塔とアンバリッドが見える
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