2007/03/02 - 2007/03/03
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ドクターキムルさん
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萩は慶長9年(1604年)、毛利輝元が萩城を築いてから36万石の長州萩藩毛利家13代260年にわたって栄えた城下町である。旧萩城の外堀から外側に広がる城下町は、町筋は碁盤目状に区画され、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていた。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめている。御成道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋の商家が並んでいたため、横町には、それぞれの名が残されている。
外堀から外の一角に、近代日本の胎動期に活躍した木戸孝允旧宅や高杉晋作誕生、伊藤博文旧宅、田中義一誕生地の地などがある。元々は下級武士の住まいであり、ちまちましていて武家屋敷という感じではない。全国各地にあった城下町にも武家屋敷はほとんど姿を消し、かろうじて、江戸から遠い田舎の地であったり、上級・中級の石高がそれなりであった武家屋敷が残る程度で、萩のような下級武士の住まいが現存しているのは、いずれも幕末・明治維新の英雄の生家だからだ。
萩にも武家屋敷が残る。上級武士が屋敷を構えた堀内地区は、18世紀末の主屋が残る口羽家住宅をはじめ広大な土塀や長屋門が独特の景観を見せる。周辺にも、現存する町屋では有数の規模を誇る菊屋家住宅、港町の浜崎地区にも古い町家が残り、風情を感じさせる。
田中義一の生家跡には大きな像が建っていた。昭和2年(1927年)に内閣総理大臣になった人で、陸軍大将になった軍人である。薩長からは政治家ばかりではなく、軍人も輩出したのだ。
(表紙写真は菊屋横町)
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江戸屋横町あたりから出発する。この近くには、木戸孝允(桂小五郎)旧宅などがあった。
「維新の三傑」木戸孝允は和田家から桂家に養子となり、第2次長州征討前(慶応2年(1866年))に藩主毛利敬親から「木戸」姓を賜った。 -
季節柄、雛人形が飾られていた。
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雛人形。
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雛人形。
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雛人形。
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雛人形。
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雛人形。
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雛人形。
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雛人形。
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雛人形。
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雛人形。
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菊屋横町。
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菊屋横町。
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季節柄、ここにも雛人形が飾られていた。
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雛人形。
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雛人形。
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早朝の萩の町。
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萩の武家屋敷通り。
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萩の武家屋敷通り。
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萩の武家屋敷通り。
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菊ヶ浜海水浴場から見る指月山。
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堀内あたりから見る日本海。
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堀内あたりから見る日本海。
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堀内あたりから見る日本海。
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堀内あたりから見る日本海。
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堀内あたりから見る指月山。
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熊谷家住宅(熊谷美術館)。
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刑場跡。
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ホテル近くのお店のショウウィンドウにも雛人形が飾られていた。
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ホテル近くのお店のショウウィンドウに飾られた雛人形。
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