2010/09/11 - 2010/09/21
186位(同エリア199件中)
明石DSさん
7:11:06
7時頃から部屋を出て廊下などで車窓の景色を見てハルピンまで過ごした
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2010.平成22年9月20日(月)
■20日の朝、ハルピンまでの車中
朝の7時頃から软卧の上铺から起き出して、ずっと車中の廊下などで外の景色を見ながらハルピンまでの時間を過ごした。同室の三人は女性ばかりの母娘で、ハルピン到着真近までベッドで横になって過ごしていたようだ。会話を交わすことは一度もなかった。
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7:14:24
満洲の車窓の景色
ハルピン到着9時20分だから
あとハルピンまで2時間10分位のところを走っている
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ハルピンまで、あと2時間の車窓の景色
http://www.youtube.com/watch?v=ev-O-A-4F3k&feature=player_embedded -
8:09:42
車窓から満洲を眺める -
8:09:58
車掌が切符の交換に来た
乗車してすぐに車掌が
切符と乗車カードとの交換に来る
それと身分証明書の提示を求める
私はパスポートを見せる
その預けた切符を降車まえに交換しに車掌が来るから
夜中の途中下車でも、寝てての乗り越しの心配は無い
その点、乗客としてはありがたい -
8:25:54
新松浦駅を通過 -
9:18:46
ハルピン駅に到着
霽紅橋の下を通過する列車 -
9:22:32
ハルピン着
普通快速:4132 -
9:23:36
出口に向かって歩く、歩く
私は伊藤博文が凶弾に倒れた
1番ホームを目指す -
9:27:58
ハルピン四度目にして
初めて1番ホームに来た
さて、テロリストの凶弾に倒れた場所は?
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ハルピンの1番ホームに行く
9時20分頃にハルピン到着。昨夜の午後8時16分発だから、正味13時間の夜行列車の旅は終了した。出口の方に大勢にもまれながら向かっていたが、伊藤博文暗殺のプラットホームが1番ホームと記憶にあったので、この機会に行って見ようと思い立ち1番ホームを探した。
探すというより1番は「出口に一番近いホーム」「入り口から一番近いホーム」が「1番ホーム」だった。満洲国時代は《「故伊藤公遭難地点 明治四十二年十月二十六日」と銘記されたプレートがあったようですが、今は円形のコンクリート跡だけが残っている」》とWeb頁で紹介されていたので、とりあえず1番ホームをリュックを背負って出入口を左手に北西方向に歩いた。
でも、長いホームで何の当てもないので駅員に「伊藤博文暗殺地点」とメモ用紙に大きく書いて訊ねた。すぐにその駅員は、指を差して言葉を発しながら教えてくれたが、はっきり分からずとりあえず逆の方向だということが分かり、今度は出入り口を右手に南東方向に歩いた。そして又この辺りかな?と、思うところで駅員にメモ用紙を見せて訊ねた。
そしたら現場のすぐ傍のようだった。それでも私が分からなさそうにしているとホームの上のその地点を示すタイルを指差し「これが安重根が拳銃を発射した場所で、あそこが伊藤博文が倒れた場所だ」と教えてくれた。やっと「ああこれか」とその場所が分かった。そこには伊藤博文が倒れた地点と安重根が拳銃を発射した地点の二ヶ所に50センチ四方の四角いタイルが埋め込まれいるがどちらも何の説明もない。
安重根の狙撃場所の四角いタイルには三角の色違いのタイルで拳銃の発射方向を示している。伊藤が倒れた地点の四角いタイルには、中に四角の色違いのタイルが組み合わされ菱形模様になっている。ここでデジカメ動画は撮ったけど、不覚にも伊藤が倒れた場所を示す地点の写真を撮り忘れた。でもハルピン訪問四回目にしてやっと気になっていた場所が分かった。まあ良しとしよう。
そして駅を出て
駅前から紅軍街を歩き紅博広場を左折して東大直街を歩いて10時半前に11日の最初の宿だった 「MOTEL(莫泰连锁旅店:Mo tai lian suo ludian):168」に到着した。そして次に出て行ったのはデジカメ時間によれば午後2時頃なので、10:30〜14:00までの3時間半も部屋で休憩していたようだが、今はその時の記憶はない。やっぱりまだ体調が悪かったのだろう。 -
9:33:24
全く分からず、とりあえず端からと
ホームの出口を左手に
南西の方向に歩いた
途中、駅員に聞いたら
反対方向の
出口を右手に真っ直ぐ北東の方向だった
そっちを目指して歩く
写真の前方が北東 -
9:39:10
このタイル模様が、上の図の“○”印:安重根の位置
ここから三角の矢印方向向けて
拳銃を発射した
だが、真相は2階からの騎馬銃での狙撃が
伊藤博文を殺害したらしい -
9:45:26
右手側建物の入り口の前付近
この前の乗降口の向こう側付近
そこに伊藤が倒れた場所と、安重根の狙撃場所の
タイルが埋め込まれている
説明は何もない
伊藤の倒れた場所は
四角のタイルの中に菱形模様で
四角の色違いタイルをはめている
安重根の狙撃位置は
上記写真
その距離、普通に私が歩いて10歩
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伊藤博文暗殺は安重根ではなかった
http://www.youtube.com/watch?v=2GamxJgDknY&feature=player_embedded
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出口
http://www.youtube.com/watch?v=OcAm1O2NLW0&feature=player_ -
9:50:58
今朝のハルピン駅
空の色は?
今日も真っ青だ! -
9:56:26
紅軍街の小人女性の物乞い
11日の夜は小人の男が夜に物乞いをしていた
結構お金をもらっている -
10:27:28
9月11日(土)に泊まった
MOTEL(莫泰連鎖旅店):168
戻って来た -
東北烈士紀念館
13:13:36
ハルピン訪問四度目にして初めて見学する
内容に興味あるものなし
中国人の抗日英雄の多さに
しらけたけど・・・。
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東北烈士紀念館へ行く
部屋で休憩後に向かったのは、東北烈士紀念館だ。
ここにも何度か来たのだけど、その度に閉館時間を過ぎていたり休館の日であったりと縁がなかった。別に入らなくても内容は想像出来るので、今まではどうでも良かったのだけど・・・。今回ハルピン四度目訪問にしてソフィアスカヤ寺院に初めて入って、貴重な昔のハルピンの写真や駅前模型を見た。その時、何で最初に来た時横のホテルに泊まっていたのに一度も入らなかったのか悔やんだ。
それがあったのでとにかく一度は入って見ようとそこに行った。でも今回も閉館の札が玄関にぶらさがっており大きな玄関ドアも閉まっていた。「なんじゃ今日もか」と諦めてとりあえず休憩と階段に坐っていた。そしたら中からここの職員とおぼしき男性二人が出て来たので、「休みか?」と聞くと「休みだ。毎週月曜日が休み、明日来て」と言われたので「明日は日本に帰る、今日しか時間がない」と言うと、ちょっと間をおき、出て来たドアを再び開けて中に入った。館内にまだ人がいるようで相談していたようだ。
そしたら、「日本語での説明者はいないけど説明文を見れば分かるか?」と聞いてくれたので「大体分かる」というと、それならと、中に入れてくれた。中にいたのは若い男性スタッフで、彼の親父は私と同い年だった。館内での写真撮影はダメだったが、ずっと一緒に回りながら室内の電気を順次付けてくれた。「何で来た」と聞かれ「戦跡を巡っている」というと「歴史の先生か?」と問われた。「違う、興味があるだけだ」と、簡単な話しをしながら回っていた。
彼は私が中国人の抗日戦士の英雄を連ねたコーナーや、日本軍の非道さを強調しているコーナーに全く興味を示さないのが明らかなので「歴史については国が違えば考え方も違うから」と自ら口にしていた。満洲で関東軍相手に戦った中国人英雄など聞いたこともなく、この館内の居並ぶ抗日戦士の多さには正直驚いた。支那事変で国民党軍相手に戦ってはいるが、八路軍相手との大規模な戦闘もないはずだ。
真実ではない捏造や、あまりに真実からかけ離れた誇張が一つでもあれば、全てに信用をなくす。それが日本人の普通の意識だと思う。しかし中国人は違うようだ。真実・事実よりも相手をねじ伏せれば、それが正当なものとなり、正義となる。
今回の尖閣諸島の中国側の行為を見れば良く分かる。海底に資源があると分かってから領有権を主張しだした。真実・事実は関係ない。船長逮捕に絡む問題も、工作員としての正体を隠し漁船で日本の海上保安庁の船に体当たりし、逮捕されたことを口実に自らの正当性を主張する。常識あるなら人間なら、そこには一片の正当性もなく、日本人には出来ない行動だが、中国人にとって、それは正当なのだ。
日本人にとって全く異次元の思想だが、彼らのそれが文化だとしか思えない。それに対して、日本がビデオを公開し真実を世界に報道し、毅然とした態度をとれば、中国はその後の損得だけを考えて、一旦は手を引いたと思う。そして日本手強しと思っただろう。
しかし、相手の威嚇に押されて超法規的措置をとり船長を釈放し、相手の横暴に屈した。彼らにはそれが今後、自分の主張を是とする根拠になる。中国相手に真実や常識は通用しない。勝つか負けるかだけの論理であり、勝ったものが正義であり正当性を持つ。
ようするに「歴史に評価される」ことの重要性がこの民族の意識にはないからだ。この大陸に生きる民族は一貫して統治者が変わる度に歴史は都合よく改竄され、作られた。そこにあるのは今権力が有るか?無いか?だけであり、今の勝ち負けこそが最重要なのだ。
日本人の今は、ご先祖様に顔向けできるのか?子孫に恥を欠かさないようにとかが、今の自分の生き様を大きく左右する。「恥を知る」文化こそ日本人の日本人たる所以だ。それが無くなれば日本人ではない。
案内をしてくれた若者は体躯に優れ、気遣いもあった。記念にと最後に写真を写してくれてパンフレットも手渡してくれた。旅先の親切は本当に有り難いものだ。非常感謝! -
13:14:46
今日は月曜の定休日だったのに
わざわざ一人のために付き合ってくれた
案内してくれた彼に感謝
彼の父と私は同い年だった -
14:08:50
松花江に掛かる鉄橋
この景色は満洲時代から変わっていないと思う
歩いても渡れる
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松花江とキタイスカヤへ
そして次に向かったのはやはり松花江とキタイスカヤ。ホントは今日は丸々ハルピンでの一日が有ったので、まだ行っていない様な場所を歩き回りたかったけど、いかんせんその元気なく時間を潰すだけに終始した。まあ何度も旅をしていればこんなこともあるだろう。
キタイスカヤの松花江側にいつも似顔絵描きのグループが椅子を並べて商売していたのに、今回は何度きても一人も居なかった。もしかしたらこの場所での営業を禁止されたのかも。そして時間は3時を過ぎていたがまだ昼飯も食っていず、平成20年、初めてハルピンに来た時に入った和風拉麺の店を探しながら歩いた。
店が見つかり入る。今回は拉麺ではなく焼き飯と味噌汁セットを頼んで食べた。やはり焼き飯の量は多かったけど全部食べた。 -
14:19:50
2010年:平成22年9月20日(月)のキタイスカヤ
午後2時19分、結構人通りが多い
http://www.youtube.com/watch?v=_3iFQx64Noc&feature=player_embedded -
14:35:08
和風拉麺の店
2008.平成20年5月13日(火)
今から2年ちょっと前にノモンハンに行く時
初めてのハルピンで夕飯を食べた店
その時は
醤油ラーメン(18元)と焼き餃子(6元)を食ったけど
今日は
焼き飯と味噌汁セットだった -
14:42:00
内部はこんなんやったかなあ
今日は3時前の昼食?か -
14:47:22
やっぱし量は中国風
味はまあまあ
全部食った -
15:07:20
中央大街:キタイスカヤの南口
ここから歩いて駅に戻る
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ハルピン駅まで歩いて戻る
ここからタクシーでホテルに戻ろうかと思ったけど、タクシーも停めにくく諦めて歩いて戻ることにした。昨年来た時も夕方で空車タクシーなど全くなかった。その時も歩いて駅まで戻ろうとしたけど、距離感が掴めず駅のすぐ近くまで戻りながら、来合わせたタクシーを停めて駅まで行った。乗ってすぐ着いた(笑)。今回は分かっているので、後は遠回りをしたくないので道を間違えないようにだけ気をつけた。
何度も道行く人に聞きながら、そして经纬街:(Jing wei jie)を真っ直ぐ歩いてハルピン駅前に戻った。中央大街からハルピン駅まで徒歩30分足らず行ける。 -
15:18:08
この经纬街(経緯街)を真っ直ぐ歩けば -
15:28:08
经纬街(経緯街)を駅に向かって歩く
去年もここを歩いたことを思い出した
その時は、距離感がなく
駅近くでタクシーに乗ってしまった
乗ってすぐハルピン駅到着だった -
15:32:28
マチゴの陸橋、霽紅橋(霁红桥:Ji④ hong qiao:ジイホンチャオ)
キタイスカヤから20分ちょっとくらいでこの橋に来る -
15:34:18
霁红桥を渡り振り返る。
この陸橋のカーブを右に曲がっていけばすぐ駅だ -
15:38:44
ハルピン駅前に到着
人に聞いたりしながらだったから30分だが
迷わず歩けば駅からキタイスカヤへは
25分で行き来できそうだ -
15:54:08
紅博広場
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ハルピン駅からホテルへ
そして体調は良くなかったが最後のハルピンを楽しもうと、何か面白いものはないかと探しながらゆっくり歩いた。紅博広場の交差点で、しばらく立ち止まってタクシー獲得競争を眺めていた。面白かった。
タクシーは来るが乗車拒否がほとんどで、客はタクシーが来るたびに右往左往して交渉している。そして行き先によって交渉成立したらタクシーに乗り込むが、運転手はすぐに出発しない。相乗りの客を待つ。先に坐った客も文句言わず中で待っている。そして相乗り客が現れたらやっと出発。見ていても大変だなあ〜と思う。こうまでしてタクシーを利用したくないと思うけど、仕方が無いのだろう。
そんな光景を見ているのがホンマ面白い。それに今回ハルピンで気付いたのは「収手机」と書いた札を路上において、店主?椅子に坐って客を待つ。そんな携帯電話の修理屋さんが、このハルピンの至るところと言っても良いぐらい、椅子一つでアチコチで商売している姿が目に付いた。
実際、携帯をバラシテ修理しているのも稀にみる。でも、若い女性や叔母ちゃんもいて、本当に修理できるのか?と思えるような修理屋さんも多い。
5時前に部屋に戻って来た。確かホテルに戻る前に何か晩飯に食おうと思って買ったけど、何を買ったのか?う〜ん、思い出した、最初、ホテル近くの持ち帰り包子を買おうと行ったけど店は開いていなく、横のパン屋で油揚げのパンを買った。結局夜にちょっとかじっただけだったけど。他に果物も買った。 -
16:10:44
タクシーの乗車拒否と
戦う乗客たち
この風景を見ているだけで飽きずに面白い
ホンマ大変そうだけど、これがここでは日常のようだ
夕方になると市内ではタクシーは停めにくい
しばらくここで見ていた -
紅博広場でのタクシー争奪戦
-
紅博広場でのタクシー争奪戦
-
16:25:04
こういう携帯電話の修理も
今回は多く目がついた
えっと思うような若い女性もやってるし
ホンマに直せるの?と心配になる
分解して修理しているのをたまに見るが
ほとんど椅子に坐って待っているだけ
やたらに多い -
16:34:04
東大直街
阿什河街、阿城へと続く
秋林公司のところに戻って来た
ホテルはすぐ横 -
16:46:40
部屋から外を写す
今回は9階だった -
16:46:48
部屋の窓から東大直街を写す
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ハルピンの最後の夜
旅は終わった。明日は帰国するだけだ。明日は8時10分発、5時にモーニングコールを頼んだ。でもそれより早く目覚めていると思う。と、いうより一体寝れるのか?ホンマ情けない旅行者だ。枕が替わったら寝れない、帰る日が近づくと嬉しい、自分ながら笑ってしまうけど、それでも又行くぞ。
使い捨て下着や、日本から持ってきた食い物がすっかりなくなり、土産は8元の魚の皮で作ったキーホルダー一つ。リュックは軽くなった。忘れ物はなし、資料を失くしたチョンボはあったけど大事に至ることななく。
尖閣諸島での中国漁船の不法侵入と海上保安庁の船への衝突による船長の逮捕は、こっちに来る前に起きた事件だが、満洲では何ら関心なく。民主党党首選挙も14日だったけど、知りたくもなく、しかしその二三日後のテレビのニュースで菅がなったことを知る。
菅も小沢もどちらも最悪の選択だが、それでも小沢よりホンノ少しだけホッとする。菅は小沢に比べれば国賊売国の決定的度合いが少しは小さいかもと。とにかく一日も早い売国民主党政権崩壊を祈るが、自民党の不甲斐なさにも絶望しかない。今は選択の術なく救国の英雄出現に期待するのみ。
ようするに日本人が未だ覚醒しないのは、まだまだ危機を身近に感じていないからだろう。戦争で負けても国は亡びないが、精神の崩壊こそが亡国への道を歩む。まあ、それこそは自業自得でしかない。
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