2010/09/11 - 2010/09/21
186位(同エリア199件中)
明石DSさん
同江の朝
7:26:54
部屋の窓からの景色
本通りに面していなく
裏側の景色、一泊50元の部屋です
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2010.平成22年9月17日(金)
■同江の一日が始まる
早朝6時前、日本時間7時前に家内に電話して、受信できなかった事情が分かったので、パソコンが使えない家内にもう一度パソコンメールで送信を頼もうと電話で説明しながら試みたが、文章に辿り着けず、結局諦めた。パソコンを使えない家内には無理だった。
今年の二月にサイパンに行った時は、免許証を忘れFAXでホテルに免許証のコピーを送ってもらったが、今回も又ドジってしまった。同江の一泊50元のホテルにFAXが受信可能か否か?聞かなかったが・・・。
でもこの程度のドジなら、何ら大した問題でもなく家族の一大事ではない幸運を思う。次回は、この失敗を教訓にして再度同じことにならぬように。
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7:45:24
ホテルの廊下
2階の205号室
ここもエレベーターはなし -
まずは再度の三江口
8:10:24
三江口への道
今日も天気は上々
昨日も三江口に行ったし、余裕です
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同江観光へ
今日は同江観光に行こうと、まずホテルのフロントで小姐に運転手の紹介を頼んだ。今までは街中で自分で女性ドライバーを適当に探して交渉していたが、最近は紹介してもらうことが多くなった。その方が安全だし、料金を吹っ掛けられる確率も少ない。しばらくしたら若い男性の運転手がやってきた、ちょうど部屋に置いてくれていた同江の観光ガイドブックで行きたい場所を示しながら交渉した。
①三江口 ②街津山国家森林供公园 ③赫哲民族文化村 ④钓鱼台
この四ヶ所を巡って観光しながら、昼食は一緒に食べて私が奢る、包車の時間は6時間以内。この条件で「你要多少钱?ニイヤオドウシャオチエン?幾らですか?」と聞いたら「120元:¥1500円」との金額が彼の返事だった。思っていたより請求金額は安かった。この辺の相場なのだろうけど・・・。
そして午前8時過ぎに出発。運転手は“杜○○” 26歳、6歳の娘の父親。まず昨日も行った三江口へ向かう。市内から15分足らずで到着。同江の映像の文章資料はないので、無言の撮影、これに音声を後から挿入する。それも初の試み、パソコンの基本OS“Windows7”付属のムービーメーカーの編集機能が簡単に使えるようになって私でも可能になった。 -
8:13:08
この突き当りが三江口
遠くに高く聳える記念塔が見えます
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撫遠での戦い
撫遠においてのソ連軍の攻撃は、1945年:昭和20年8月9日午前1時から始まりました。その時撫遠に駐屯する関東軍は、交代着任したばかりの歩兵第367連隊第5中隊:藤原源一少尉以下23名の監視隊と、第11航空情報連隊8名の計31名だけでした。
その他、撫遠には監視隊の前任の隊長である斉藤一郎中尉がまだ出発せず市内に宿泊していました。そして国境警察、撫遠警察隊、約30名、県公署邦人男性30人。日本人の総計は190名です。その内・邦人婦女子約60名、幼児が40名でした。
ソ連との戦闘で多くが戦死或いは自決し、日本側資料によれば、幼児40名は自決させたとあります。第5中隊は二名の脱出者を除き全員玉砕しました。当時、富錦の通信隊には、撫遠通信所からの悲壮な電文「テキガキタコレカラゼンイントツニュウスル、ミナサンサヨウナラ」が届いたそうです。
8月9日午後11時頃には、撫遠は壊滅状態となり、斉藤中尉以下18名だけが10日午前1時頃同江(どうこう)方面に向かい脱出しました。しかしこれらの脱出者も、爾後長途の避難行(ひなんこう)の間に土匪の襲撃等を受け、撫遠からの帰国者は全部で7名に過ぎませんでした。撫遠の日本人:計190名の内、帰国が出来たのは7名です。
ソ連軍の資料によれば↓
『撫遠に上陸部隊が前進すると日本軍は激しく抵抗した。そしてソ連軍戦闘飛行連隊の戦闘機が空中掩護を続け、先に上陸した第630狙撃連隊第一大隊を支援するため、水兵2個隊が市街中央部に上陸した。間もなく日本軍の抵抗は弱まり、その日の内に撫遠地区の占領を完了した。』と、あります。
8月9日当日、師団長の井関中将は液河(えきが)での司令部演習に参加しており佳木斯には不在でした。師団長一行は、報(しらせ)を受け9日午後8時頃佳木斯司令部に帰着しましたが、そこでの報告は「未だ敵主力の渡河を見ず」だったそうです。実際その時は撫遠の監視隊及び在留邦人の殆どは壊滅していたということです。
撫遠でソ連軍に対して奮闘戦死した関東軍兵士、そして、彼の地で亡くなった日本人の皆様のご冥福を祈ります。
http://www.youtube.com/watch?v=ZPSucYyC_PU&feature=player_embedded -
8:20:32
三江口
松花江(ショウカコウ or ソンファージャン or スンガリー)
黒龍江(コクリュウコウ or ヘイロンジャン or アムール)
烏蘇里江(ウスリーコウ or ウスリージャン or ウスリー)
三つ合わせて三江口(サンジャンコウ)
なるほど良く分かります -
三江口から街津口へ
8:39:10
道中こんな国境監視哨もあった
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街津山国家森林供公园へ
次に②街津山国家森林供公园 に向かう。といっても森林公園を巡ったのではなくて森林公園の門柱を車で通り過ぎただけで、その中にある③赫哲民族文化村に行った。市内から街津口まで45キロ、三江口からは30分くらいの道中で到着。
赫哲民族文化村に着いたのは午前9時、門票を買って入った。まだ早いけどそれでも観光客はパラパラと来ていた。でもイベントがある時なら活気もあるのかもだけど、展示館のようなものが数ヶ所と民族衣装を着た女性が数人いるだけで、全然盛り上がらない。土産物屋で魚の皮で作ったキーホルダーを10元のを8元に値切って買ったが、その売店の女性に「漢族?」って冷やかしで聞いたら「漢族」と言っていた。
民族衣装を着ていた女性たちも怪しい者だ。でもこの街津口の少数民族の村全体も住居も美しい。少数民族優遇政策なのか?この辺境の地の観光で潤っているのかも知れないが。
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街津口赫哲民族村
http://japanese.dbw.cn/system/2007/09/03/000021767.shtml
赫哲(ホジェン)民族はわが国の一番人口の少ない民族であります。街津口は赫哲民族の集中居住地であり、総面積は160平方キロ、その中には、村の建築面積は3500平方メートルです。村はほぼ正方形に配置されていて、建物は漢民族式の瓦葺の家が多いです。
赫哲民族はずっと昔から、三つの川(黒竜江、松花江、ウソーリ江)を家にして、漁業、狩猟を行い、独特の生活方式と民族風習を形成してきました。村の博物館の中には、赫哲民族の各時代に出土した文物や、人工製品、生産道具などを保存されています。
街津口赫哲民族村は同江市東北部にあり、黒竜江を隔ててロシアと隣接しています。山と川に接しており、街津山国家森林公園の隣にあるので交通も便利です。1936年村を設立して、住民は漢民族や、満民族、朝鮮族、赫哲民族などで構成され、現在、70戸の3000人が住んでいます。
歴史を拠るなら、赫哲民族はわが国の北方民族ー女真民族の子孫である。赫哲民族はわが国の北方民族ー女真民族の子孫である
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8:41:50
相乗り希望者が路上で手を挙げる
まだ何ヶ所かへの行く道だから停まらない
帰り道なら停まるだろうけど
三江口から街津口へ
http://www.youtube.com/watch?v=DrfxXxOoZX0&feature=player_embedded -
8:59:50
街津山国家森林供公园の門柱
逆行で見え難いけど -
9:01:42
“杜○○” です。
26歳、6歳の娘の父親です。
同江で頑張っています
3年後にロシアとの間に鉄橋が完成したら
この同江もロシア人で溢れ活況を呈する街になると思います
彼の稼ぎも増えるでしょう -
9:03:08
普通のおっさん、おばさん が立ってます
暇そうです -
9:06:06
フムフム一応、民族衣装を来た叔母ちゃんが二人 -
9:12:48
ここで唯一の土産
魚の皮のキーホルダー
10元を8元に値切って買いました
ちなみに売店の彼女は漢族だと言ってました
何か? -
9:15:48
パラパラと観光客が -
9:16:16
こんな雰囲気の赫哲民族文化村でした
今日も青空が広がっています -
9:20:10
この村全体が観光地化されているようだ
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釣魚台の景勝地へ
赫哲民族文化村から車ですぐの所に釣魚台の景勝地がある。「街津口赫哲民族旅游度假区」の中に森林公園・赫哲民族文化村・釣魚台が含まれている。でも民族村でも入場料が要り、この釣魚台も6元の門票が必要だった。まず急な階段を登って上がった。手すりを掴みながら登らなければ恐いくらいの急勾配だった。
この頂上には、今展望台タワーが作られているところで工事中だった。頂上に「街津口辺防駐軍」の名前で参観謝絶の標識があったが無視して入って行ったが、作業員たちも何も言わない。展望タワーが完成して、その上から見ればさぞかし周囲の光景は素晴らしいだろうと思う。
この辺りの川は黒龍江だそうだ。そして対岸はロシア。そして頂上から降りて来ると吊橋の掛かった釣魚台の風景が見える。そっちの方向に降りて行き吊橋を渡った。しっかりした橋なので少しは揺れるが恐さはない。
しばらくたたずみ、もう二度と訪れることはないだろう、この美しい風景をまぶたに焼き付けながらタクシーの待つ場所に戻って行った。 -
9:23:44
釣魚台の入り口
黒龍江に面している -
この階段を登ってゆく -
9:26:00
こんな急勾配です
凍結すればどうやって登るのか?
黄山に冬場登った時のように
アイゼンを靴底に付ける必要があるかも -
9:34:38
頂上まで8分か、しんどいけど
展望台を作ってます
どこもかしこも工事が進行中
中国経済の活況?を実感します -
9:03:08
頂上からロシア・北方向を望む
この辺は黒龍江だそうです -
9:38:14
上から西方向を写す
なかなかの景観です -
9:46:18
釣魚台
http://www.youtube.com/watch?v=fOOJQI7wbEo&feature=player_embedded -
9:49:04
黒龍江対岸のロシアを望む -
9:56:54
大河:黒龍江の風景 -
9:57:22
山の上から見た街津口の村
何か村全体が美しいです
他の満洲の住居の雰囲気と違います -
10:00:34
急な勾配の階段です
転げ落ちると下まで落ちます
命の保障はありません -
10:38:04
街津口から三江口への車中で相乗りの
46歳の“おっちゃん”と話がはずんだ
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再々三江口へ
街津口に1時間半ぐらいの滞在で10時35分くらいにこの地を去る。②③④の観光地は三ヶ所とも同じ地域内にある。タクシーで同江に戻る時、相乗りの同乗者が居た。このおっちゃんが話し好きで車内で話をした。
このおっちゃんは46歳、安徽省の黄山近くに家があり、父母・妻・娘二人と本人の6人家族で住んでおり、本人だけが8年前から建築関係の商売の出稼ぎで満洲各地を渡り歩いている。一ヶ月の収入は大体3千元(37,500円)、毎年春節の時に片道三日間かけて鉄道で故郷に帰るとのこと。長女は23歳、大学を出て働き出したばかりで次女は高校生のようだ。安徽省は中国でも一、二の貧しい省だと言われている。
私も8年前の平成14年、ツアーで黄山と安徽省を旅したが、その頃店で働く小姐に聞いたら一ヶ月¥400~600元(5~7千5百円)くらいの給料で、この辺はみんなそんな感じだった。今はそこそこ上がっているだろうが、やはり都会との格差は開くばかりだろう。
「日本は生活費が高いのか?」「収入は多いのか?」等々聞いてくる。誰しも日本人の収入が気になるだろうけど、例えば一ヶ月の給料が20万円だというと、人民元では幾らだと、決まったように聞いてくる。そして人民元なら「20万円×800元=160,000元」と正直に言うと、片や3,000元であり、あまりに違うので言い難い。明日は富錦に行くと言っていた。私も明日はバスで富錦に行く。
そして翌日、客運站でこのおっちゃんから声を掛けられた。そして仲間と車に乗っていたが、一緒に乗って行けと誘ってくれた。すでにバスの切符も買っていたので遠慮したけど、話好きの気の良いおっちゃんだった。
11時前に三江口に到着、6時間120元の包車契約だったが、その半分の3時間で昼前に予定が終了してしまった。でも満足だったし料金も安いので120元を払ってここで“杜○○”と別れた。彼は私に名刺を手渡し、ここから戻る時連絡をくれたら迎えに来るからと言って去って行った。
私はここで遊覧船に乗りたかった。そして、船着場に近づいて行ったら、船頭たちはトランプゲームに興じていた。まあ一人では無理だろうと思いながら、「船に乗りたい」と言うと、船頭の一人が、「ダメだ」というので「一日中か?」と聞いたら、「一日中ダメだ」と即座に言われた。愛想も糞もない。
しょうがないと思いながら、その辺をぶらぶらしていたら中国人の観光客らしき4人グループのおっさん連中が、さっきの所に行って船に乗る交渉しているようだった。その光景を目にしながら、黒河の時を思い出し、彼らがOKなら私も乗れるだろうと確信していた。かすかに聞こえた交渉内容は4人で100元だった。案の定、さっき「一日中ダメだ」と愛想なく言い切っていたおっさんが私の方を見て、こっちに来いと手招きをしている。
私もハハハと思いながら、近づき「多少銭?」と聞いたら20元と言う。四人100元より安い。案外良心的だ。早速乗り込んで遊覧船は出発した。この辺は中国寄りが松花江、中州の向こうが黒龍江というようなことを言っていた。どっちにしろこの辺から松花江になるのだろうと思う。
船頭に一番深い水深を聞いたら、松花江は10メートル・黒龍江は20メートルと言っていた。この遊覧船はとりあえず松花江をロシア側の対岸に近づける、でもここは黒河と違って対岸にロシアの町影もなにもなく、この陸地も大河に浮かぶ中州のようなもので、この向こう側にも川の流れが幾筋もグーグルアースで上空から見れば映っている。ずっと北側に{ Kukelevo:クケレヴォ }というロシアの村があるようだが。
水の色は茶色で透明度はゼロだけど水量は豊富で西(佳木斯)→東(ロシア)へと流れている。どうも感覚的にロシアの方から流れて来ているように思うけど、実際流れを見たら西から東、南から北へ流れている。船頭に聞いてもそうだった。
船内で四人組の一人が、私に話し掛けてきたが一人旅をしてこんな所まで来ている日本人だと分かってか、それ以降彼らからの話が続かず、その後話しかけて来なかった。まだこの辺では、ええ歳をした“おっさん”の海外観光一人旅なんてピンと来ないのだと思う。 -
10:53:04
三回目の三江口
トランプ遊びで固まっている船頭たち
遊覧船は?と聞いたら
今日は一日やってないと言いながら -
10:58:58
その5分後、4人グループの客が来て
手招きしながらこっちへ来い
と、船の上の白シャツが私を呼んでいる
せっかくだからと、のこのこ行った -
11:02:02
遊覧船は岸壁を離れる
ロシアに向かって松花江を横切る -
11:03:10
こっちは三江口、記念塔が見える
http://www.youtube.com/watch?v=uP_gG1z6490&feature=player_embedded -
11:11:16
ロシア側が近づいてきた
陸地と言っても大河の中洲だから
建物も何もなく人が暮らす気配はない -
11:12:14
我、川の中央を越えてロシア領深く進入する
前方はロシア領なり -
11:13:56
ロシア領最接近画像
何か鉄塔のような物が建っているけど
船が岸壁を離れて11分、ここから又戻る -
11:17:54
向こうに見えるのは中国側
この辺りの松花江の最深部は10メートルとのこと
黒龍江は20メートル
この船頭が教えてくれた -
11:27:44
三江口に戻って来た -
11:30:06
この“おっちゃん”たちのお陰で
私も遊覧船に乗れた。私は20元
“おっちゃん”は4人で100元
私の方が割安だった
“おっちゃん”の一人が文句言っていたけどハハハ。
大体30分ほどの遊覧だ -
11:38:24
三江口の前で客待ちのタクシーに乗ってホテルに戻る
同江市内への道中の景色 -
多分ホテルの2階の通路からの景色
11:51:24
どこで写したのかはっきりとした記憶はないが
多分ホテルの2階の通路から写した風景だと思う
同江市同三公路南段、付近の町並み
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ホテルに戻り休憩
その後、三江口の入り口で客待ちのタクシーに乗ってホテルに戻った(15元:タクシーにメーターはない)。12時頃部屋に戻る。昼飯を食ったのか?食っていないのか?記憶になく、デジカメ時間によれば2時間弱、部屋でダウンしていたようだ。
しかし体調は動けないまでは悪くなく、休憩すれば又出て行こうとする。 -
11:51:28
街の雰囲気がなんとなく感じられる -
13:41:40
自分の泊まっている圣彼得堡饭店から
大体あそこらへんだろうと思っていた同江賓館が
思っていた通りの方向と道にあった
これでやっと同江市全体の方向感覚が掴めた
日本でグーグルアースの地図で全体を見ているから
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部屋で休憩後に市内散策
今度は何処にと思ったが、とにかくまだ同江の街の全体像も掴めず位置関係も分からないのでそれを探りに出た。その為に、同三公路南段の住所にある「圣彼得堡饭店:Sheng bi de bao fandian」の前から、自転車タクシーに乗って街を巡ることにした。最初にこの近くの、多分あそこにあるだろうと思っていた同江賓館へ。
この同江賓館には日本から何度も電話して予約を頼んだが断られたホテルだ。政府系のホテルらしいが、方正賓館とは対象的だ。やはりそこは私の思っていた通り、宿泊するホテル前の同三公路を北に進んで、すぐの大直路を左折して西方向に行った場所にあった。
一ヶ所が分かれば私の頭の中の地図と現場が一致しし、全体が分かる。次に、同三公路に戻り、この同三公路もネットの地図なので見れば「建設路」と書かれている物も多いが、実際には同三公路だった。
それから昨日も行ったけど「同江海关旧址」に向かった。もうその時は私の頭の中の地図と現場の道とが合致していた。そして「同江海关旧址」には昨日行ったのでちょっと入っただけで、今、工事中の松花江の河川敷公園「沿江公園」に入って行った。
ここはグーグルアースで上からの映像を見れば、川がおおきえぐられた袋の底のようなところで川と言っても中州の支流で水量は少ない。でも前方に中洲が広がるだけの広々した風景で公園にはちょうど良いと思う。来年には綺麗な河川敷公園として整備されているだろう。
グーグルアースは、行く前も帰国後もホント役立つありがたい代物だ。
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同江での戦い
同江監視隊:第6中隊:隊長・長谷井正夫中尉以下約160名は午前5時からソ連軍機の機銃射撃を受け、又午前10頃から砲撃を受けました。同江警察隊:約48名、在郷軍人:約20名を指揮下に入れると共に、同江県内の一般邦人80〜90名に護衛を付けて午後4時頃後退させました。彼らは11日に無事に富錦に到着しています。
そして、ソ連の本格的攻撃を受ける前に三江口監視隊を加えた同江監視隊も8月9日午後11時頃、転進を開始、11日富錦東方の五頂山(烏爾古力山・ウルコリサンに同じ)に到着、大隊命令により更に東に方正に向かい転進、爾後富錦南方の集賢(しゅうけん)、佳木斯南方、依蘭(いらん)南方等で土匪と交戦、三江口監視隊・隊長:足立少尉以下若干の戦死、不明を出し、主力は9月11日方正付近で武装解除しています。
ソ連側資料によれば・・・。
8月10日ソ連軍、砲艦が同江の町に向かい日本軍陣地に対する砲撃を準備し、三屯(同江北東約20キロ)付近に上陸した第361狙撃師団の部隊は陸路同江の町に迫った。日本軍監視部隊が前夜の内に後退したことを知らぬソ連軍は日本軍がいないことに驚いた。同江占領後、ソ連軍は再編成し、南方の富錦の日本軍に向かって前進した。・・・とあります。
http://www.youtube.com/watch?v=x3t0z1hlVTE&feature=player_embedded -
13:41:48
今日はこの“おっちゃん”の自転車で周回する
走りながら「そこにロシア人が歩いている」
とか教えてくれた -
13:56:50
この道が同江市の中央を北に向かって伸びている道
突き当りが松花江:沿江公園
突き当たりの手前、右手に同江海关旧址がある -
13:58:14
現在改修中の海关旧址 -
14:00:30
ここが同江北部を流れる松花江
東方向(撫遠)を写す
中洲で幾本にも別れた支流のひとつ
本流はこの中洲の北方向を流れている -
14:00:36
西方向(佳木斯)を写す
対岸の陸地は松花江の中洲
本流はずっと向こうの方を流れている
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同江に立ち寄った石光真清
http://www.youtube.com/watch?v=l9A_oKufna8&feature=player_embedded -
14:14:10
東北亚广场
東北業広場(東北业广场)ではない。
大体街の中心部にあるようだ。
隣に客運站もある
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東北亜広場で自転車を降りる
最後は東北亜広場で自転車タクシーを降りた。この“おっちゃん”も片言の中国語を話す年配の一人旅の日本人が珍しいから、停まったところで私のことを「日本朋友! 日本朋友!」と言いふらしてくれた。まあみんなその声にチラッと振り返って私の方を見るだけだが。
この東北亚广场は、地図などには東北業広場と書かれているのが多い。写真でも分かるが「業」ではなく「亜=亚:ya:ヤー」だった。中国語の発音も「業=业:ye:イエ」ではなく「ドンベイヤー・グアンチャン」
公園内の光景はどことも同じように、将棋やトランプ、麻雀に興じていたり、伴奏付きで歌っていたりと様々な人間模様に溢れている。伴奏者も次々と代わる歌い手に譜面を手渡されるが、黙々と演奏を続けている。
そんな公園の一角に、見慣れぬ食い物の屋台があり旨そうだったから、とりあえず一個買った。それは骨付き鶏肉というより骨に少し鶏肉がこびりついているという手羽先のような物だった。そして骨に切れ目が幾筋も入り、骨ごと食う物だと思う。私はそんな丈夫な歯を持っていないのでこびりついた肉をはがしてしゃぶるだけだが、それでも旨い。一個2元、もう一つ買った。
その近くに薄く水で溶いた卵と小麦粉のような、超薄いぺらぺらの焼き物を食った。二枚で一元、でもこれは美味しくなく他に食い方があるかも知れない。二口くらい食って見えないように捨てた。その後、チェーン店であるラーメン屋の李先生の店に入ってキュウリと鶏肉拉麺を食べた。あっさり味だが日本でなら金払ってまで食わない代物だ。
そしてこの公園の角に昨日佳木斯から到着した客運站があった。これで客運站の場所も確認できたので明日はゆっくり歩いて来れる。そしてそのまま同江市内をフラフラとヨチヨチと彷徨しながら見て回った。この同江もどことも同じように建設ラッシュで高層マンションが各所で建築中だ。
その傍らに今までの平屋の住宅街がある。みんなはどっちに住みたいのだろう。新築マンションの内部がどの程度快適に作られているのか知らないが、この平屋の住宅街もなかなか良いもんだと感じる。それぞれの屋根から煙突が突き出し暖かそうだし。
地震が無いといっても地震国日本に暮らす私には、この高層マンション建築中の現場に積み上げられている脆いレンガの山を見ていると、こんな高層住宅は御免こうむる。やはり地に足つけた生活こそ人に相応しい本来の生活環境だ。
のんびりと歩いて町を散策し、又午後4時過ぎにホテルの部屋に戻って休憩。 -
14:18:18
ここでも伴奏付きで歌を歌っている
歌に踊りに、太極拳、トランプ、将棋、麻雀
太極拳は踊りのような感じのは見たような気がする
格闘技系のは、この辺では見た記憶がない -
14:18:54
広場は広い -
14:21:12
広場で集い語る老人たち
この同江の地でどんな人生を過ごして来たのだろうか? -
14:22:16
鶏肉の手羽先のような食い物
骨がほとんどで骨に切り目が入っている
そのまま骨ごと食うようだ
一本2元と高いけどよく売れていた
旨いから二本食った
骨は食えず、肉をしゃぶるだけ -
14:30:52
玉子をメリケン粉で溶いて薄く焼いている
二枚で一元と安いが旨くなかった
ちょっと食って捨てた -
14:32:22
広場の隣が客運站だった
同江市内の全体が段々と鮮明になって来る
ホテルの方向も道も分かるようになった -
14:33:28
李先生の拉麺店に入って拉麺を食う -
14:45:12
きゅうりのピリ辛漬物と鶏肉ラーメン
チェーン店なのでハルピンと同じ味だった -
14:45:16
一応小奇麗な内装で、メニューも写真がある -
15:01:18
この角の果物屋で果物を買ってホテルに戻った
ホテルの隣にも果物屋があるが数が少ない
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同江市内の散策
http://www.youtube.com/watch?v=2jAtSstpEnM&feature=player_embedded -
15:23:16
同江の裏通り
一歩中に入るとまだ昔の風情を残した住宅地が残っている
こっちも暮らしやすそうだけど -
15:26:00
平屋の長屋住宅が並ぶ
歩道もレンガ舗装でこれなら歩きやすそうだ
菊の花が満開で美しい
厳寒の冬季は如何であろう・・・か
満洲時代ここにも日本人が暮らし
日本の国民学校があった -
15:29:40
表通りは建築ラッシュ
こんな脆いレンガで高層マンションが造られて行く
いくら地震がないといっても日本人の私は住みたくない -
15:29:46
空は青くレンガは赤いけど
レンガを触るとボロボロ感がある -
15:31:00
レンガを積み上げて高層マンションにする技術は凄そうだ
均等によく積み上げれるものだと感心する
テラスの上でジャンプしたらボキッと折れるのではないのかと・・・。
鉄筋が弱弱しく並んでいる -
15:48:46
同江の子供ダンス教室
一人っ子だから教育には金を惜しまない
子供は親の期待に応えなければならない? -
16:04:40
写真の黄色い建物が
同三公路南段に建つ「圣彼得堡饭店:Sheng bi de fandian」
一泊50元(630円)
我に十分なり、安いことは有り難いことだ -
16:06:58
完成真近の高層マンション
次々と沢山建設中
誰が買うのか
それとも格安賃貸の公営住宅?
でも、そうは見えないしなあ・・・。 -
16:14:26
我が宿舎
「圣彼得堡饭店:Sheng bi de fandian」
電話:(0454)2922228
住所:同江市同三公路南段 -
16:14:30
ホテルを背に同三公路、北方向を写す -
16:14:36
ホテルを背に同三公路、南方向を写す -
20:32:24
豚肉水餃子
これが一番最小単位の一斤(500g)の半分の半斤
それでも食いきれない
写真で見る以上に実際は山ほどある
二人でも十分満腹になる
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夕食を食いに
次に出たのは午後8時半頃、今度は4時間も部屋でノビていたようだ。餃子屋に餃子を食べに行った。
餃子の量の最小単位である半斤、豚肉水餃子だが、それでも私には量が多すぎて半分も食べれない。味も日本のほうが旨い。
そして部屋に戻り、明日に備える。熱は続いている
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