2010/09/11 - 2010/09/11
186位(同エリア199件中)
明石DSさん
6:56:40
佳木斯駅
この旅で初めての曇り空
気温も一転して低くなり初冬の雰囲気
ウィンドブレーカーを着て歩く
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2010.平成22年9月16日(木)
■佳木斯を発つ朝
さあ佳木斯から同江に向かう朝が来た。今日は11日以来初めての曇り空で、一挙に涼しくなった。肌寒いくらいの朝を迎えた。佳木斯の街との多分永久の別れだろう、そんな感傷にひたりながら駅周辺を歩いた。
退房し客運站に向かったら朝の早くから昨日のウィグル人が同じ場所で手押し車を停めていた。今日も一日その場所で店を開いているのだろう。その辛抱強さには敬意を表するが、他に方法はないのだろうか?とてもそんな商は自分には出来ない。
すでに切符は買っており座位はNo1だ。佳木斯→同江のバス料金は47.5元(600円)。8時出発の10分前に改札は始まる。どこからともなく、ぞくぞくと人はこの場に集まりここから各地に出て行く。これが毎日の風景であり、その凄さに圧倒される。
長途バスだけではなく、表では私営のマイクロバスや、タクシーのような車での相乗りの客引きがあちこちで声を掛けている。今まで大連から丹東にいった時にこういった車を利用したことがある。料金は割高だが到着は早い。
-
7:00:06
駅前賓館 -
7:00:48
佳木斯駅の客運站
ここから八時発、同江へのバスに乗る -
7:24:00
今朝も朝早くから来ていました
今日も一日こうやってここにいるのでしょう
まだ商売物の塊は、昨日から形が変わっていない
減っていないということは売れていないということです
今日は形が大きく変わること祈ってます -
7:27:36
みんな各地に移動します
ここは長距離バス乗り場です
荷物が凄いです
http://www.youtube.com/watch?v=6pd_nGWKnsg&feature=player_embedded -
7:51:50
今は慌てて乗らずとも座席指定が有効です
それだけでも私にとって気が楽です
前日早くに買っているので、今回もNo1
料金は47.5元(600円) -
8:10:40
出発(開車)定刻8時より10分ほど遅れて出発。
いざ国境の町、同江へ。 -
同江へ
8:47:36
一路同江へ向かう
佳木斯から30分くらいのところ
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中露国境の町、同江(どうこう:Tong jiang:トンジャン)へ
定刻の午前8時に曇り空の佳木斯をバスは同江に向けて走り出した。市街を抜けると左右には満洲の穀倉地帯が広がる。黄金色にたわわに実った水稲も、もうすぐ刈り入れられるのだろう。樺川(かせん)を通り抜け富錦(ふうきん・Fu jin/ふーじん・ふーちん)に向かってバスは走っていた。
出発から2時間半後の10時半ごろトイレ休憩があった。場所はどこか分からない。トイレ休憩後バスは走り出したが、途中、交通警察のパトロールカーに停められ女性車掌が連行されてしまった。
バスも停止したまま、その車掌をしばらく待っていたが、車掌から運転手に携帯で連絡があり車掌を残したまま同江に向かった。一体何で停められ連行されたのか?分からないが、運転手の様子では大したことないように思う。「またか・・・ほんまふざけやがって」という感じである。
出発から3時間半後の11時半ごろには同江市内に入って来た。11時50分同江客運站に到着。
車窓の景色
http://www.youtube.com/watch?v=XAdR1wyOI40&feature=player_embedded -
8:56:40
樺川を通過す -
9:05:34
同江からの帰りに寄る富錦の標識が見えてきた -
9:30:04
こうやって途中下車もOK
途中乗車も無論OK
バス停はないが路肩に乗客が待っている -
10:25:12
出発後2時間半くらいでトイレ休憩
場所は分からず
途中雨もあり -
10:40:22
いきなり後方からパトカーが追って来た
停止を命じられ、公安が二人バス内に
結局車掌が連行される
訳がわからず -
11:06:22
大分同江に近づいたようで
あちこちで高速道路工事も多い。 -
11:33:42
同江に入ってきた -
11:50:06
同江客運站に到着
8時10分発、11時50分着、3時間40分のドライブ。
国境の街、同江に来る -
11:56:30
自転車タクシーに乗ってホテルへ
まだこの時は東西南北、右左なにも分かりません
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■「圣彼得堡饭店:Sheng bi de bao fandian:シェンビダバオファンディエン」へ行く
そこから三輪自転車に乗ってホテルに向かう。予約はしていないが佳木斯の青春旅行社に紹介してもらった「圣彼得堡饭店」に行った。宿泊代50元(¥625)、今まで私が泊まった中では一番安いホテルだ。
でも部屋は十分綺麗し大きかった。2階の205号室、部屋到着は12時20分。 -
12:20:36
2階の205号室
一泊50元(630円)は、今までで一番安いホテル
私にはこれで十分ですが・・・。 -
12:47:06
これは部屋の窓からではなく
廊下から見える外の景色です
部屋もランクがあるのか
本通り(同三公路)とは反対のほうでした -
12:56:08
ホテル前の同三公路の北方向を写す
さあ、どこに何を食いに??
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ホテルを出て昼食を
着いたばかりのホテルから出て右も左もわからないまま昼飯を食いに歩いた。近くにロシア料理の店が並んでいたのでその一軒に入る。客が多かったが全部ロシア人だった。そこに国籍不明の私がひょっこり入って来たので、みんなが振り向いていた。空いてる席に坐ったら、中国人の若いスタッフが注文を聞きに来た。みんなロシア語が流暢のようだ。
私の中国語もおかしいので、ロシア人と思ったのかロシア語で話して来た。「ロシア人ではない」と言うと、「中国人だ」と中国人の若い男性スタッフは、客のロシア人に向かって言っていた。それでも中国語も通じないので私が外国人らしいと分かり、「何処から来た?」と聞いてきた。
「日本から来た」というと、やっと納得し世話焼きロシア人叔母ちゃんが私のテーブルに来てメニューを指差し料理を勧めてくれた。
分からないので量が少ないのを頼んだ。出てきたのは、芋と野菜の炒め物とスープ、そしてご飯。旨かった。同江に着いたばかりだけど対岸がロシアなので、ここにロシア人が多いことを実感した。でも綏芬河や満洲里と比べると全然少ないのは、すぐに後から分かったけど。 -
13:12:126
朝の佳木斯は曇り空
途中では雨も降っていたが
午後1時12分の同江の空
雲はあるか?ない! -
13:29:34
こんな店に入ってしまいました
ロシア人専用のようです -
13:41:38
スープと
芋と野菜を炒めとろみを付けた料理
それにご飯
なかなか旨かったです -
13:49:16
確かここは「通港路」だと思います
何故か、この一度だけで二度は行っていない
ロシア専用?にビビッたのかも -
14:04:58
三江口への道中の景色
ふ〜ん、こんな景色か
グーグルアースで見てたけど、ここまで見えんし
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早速、三江口へ行く
次にタクシーで三江口に向かう。片道15元、この時往復と現地30分の滞在で包車したから40元という契約になったけど、片道だけで十分で、帰りのタクシーもこの場所に客待ちしている。早朝とか夕方遅くは分からないが、それにもし不安であっても電話番号を聞いていればここまで迎えに来てくれる。
この三江口広場は同三公路の起点であり、その碑が中央に立っている。同三公路というのは、黒龍江(アムール川)を挟んでロシアとの国境にある同江の町から5700キロ先の海南省・三亜とを結ぶ道の出発点です。ちなみに日本列島の長さは、最西端の与那国島から北海道の宗谷岬までの弓条の島の連なりで、総延長約は3500キロになるそうだ。それよりも2200キロ長い。
そして三江口と言っても、同江は松花江(スンガリー)、そして同江から北東に45キロくらいの街津口(JIe jin kou:ジエジンコウ)辺りが黒龍江(アムール)、そして東に200キロ以上先の烏蘇里江(ウスリー)を合わせて三江口と言う。私は昨年、2009年:平成21年5月に虎頭で烏蘇里江、そして10月に黒河で黒龍江をまたいでロシアを眺めた。そして今日は、同江の松花江の流れを見ながら対岸のロシアを望んでいる。
ここから20キロほど北東に行ったところの黒龍江の対岸にロシアのユダヤ人自治州ニジニェレーニンスコエ村があり、今年から黒龍江を渡河する鉄橋の建設が始まったようだ。鉄橋だけのようだが、それが完成すればこの同江の街も今に倍する以上のロシア人が溢れ活気を呈するようになると思う。
今日は下見と言う感覚で、又明日も来るつもりだったので早々にこの場を引揚げ街の中心に戻った。 -
14:10:20
同三公路起点
同江の町から5700キロ先の
海南省・三亜とを結ぶ道の出発点です。
あっそう、それが何か?
でもこういった記念碑は観光客にはありがたい
ああ、ここに来たと思えるから -
14:11:32
この塔が展望台になっていれば最高だが
そうではないのが残念
高いところに登って全体を見渡したいのに・・・。
最初の三江口
http://www.youtube.com/watch?v=3NdTpXOszMY&feature=player_embedded -
14:24:04
対岸はロシアか、といっても
グーグルアースで確認すれば
この辺りは中洲が多く、川が何本にもなって流れている
今日は遊覧船に乗る予定なく -
14:27:02
川の中央に中洲が幾つもあり
よって川も幾本もの流れに別れているのに
この水量の多さに圧倒される、合わせて一本の川になれば
どんな大河なのかと -
14:35:46
公園出口には客待ちタクシーが常時停まっているようだ
片道だけで来ても明るい内なら、帰りのタクシーは大丈夫そうだ -
14:54:54
自転車タクシーに乗車
一ヶ所3元、往復6元
何ヶ所かを回るので25元くらいで契約したと思う
街中を巡るにはちょうど良い、速度が。
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同江の客運站に戻り、町を散策する
そして今度は自転車タクシーで、街を回ることにした。行き先は“港”そして海関旧跡、最後は東北亜広場ということで自転車タクシーに25元くらいで契約し乗った。
まず港へ行く。同江の街を西に突き当たれば、松花江の同江港に出る。
この同江には、石光真清も1900年:明治33年9月8日ハバロフスクからハルビンに向かう途中に立ち寄っている。同江は昔ホジェン語で「古い家」を意味する“拉哈蘇蘇”(ラハスス)”と呼ばれていたが黒龍江(アムール川)と松花江(スンガリー)が合流する場所に位置するところから、「同江」という名前になったそうだ。
ラハススという名前も今も使われているようで、どこかの看板に書いてあったが残念ながら写真が撮れていない。その場所も忘れた。ただ「同江海关旧址」の碑に“拉哈蘇蘇”海关旧址との碑文がある。
北側の同江沿江公園側は松花江が大きく中州でえぐれた支流のほうで、見た目、水量が少なく船の航行は可能なのか?と思うが、この場所に税関があったということは、この辺に港があった可能性も大である。石光真清も船を降り、ここに上がって来たのかも。この風景は100年前も、200年前も同じだと地元の人が言っていた。
同江は昔“拉哈蘇蘇”(ラハスス)”と呼ばれていた
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石光真清「曠野の花」(第二巻)に同江に立ち寄った時のことが次のように記されている。
ミハイロセメノフスキーを出発して約2時間、黒龍江を去っていよいよ松花江に入った。昼酒に疲れてぐっすり寝込み、眼が覚めたらラハスス(同江)に碇泊していた。崔をはじめ他の連中はこんな片田舎はつまらないヨと上陸しないので、私は趙をつれて上陸した。ここは清国の兵営があるので見に行ったら、営門にはロシアの三色旗が翻りカザックの歩哨が立っていた。小さな飯屋に入って事情を訊ねると、ここにも騒動が起こって、ロシアに対抗したが、ミハイロセメノフスキーから派遣されたカザック隊のためにたちまち鎮定され、それ以来カザックの一隊が兵営を占領しているとのことだった。
(この騒動と言うのは:二ヶ月前の7月16日、真清がいたブラゴヴェシチェンスクへの、唐突な清国側・黒河からの砲撃の報復として、ブラゴヴェシチェンスク在留清国人:約三千名が虐殺された事件です、そして、それを期にロシアが清国側に攻め入っています。日露戦争勃発の四年前のことです。)
この辺は見渡す限りの大平原だが、身の丈を越す草が被い茂っ繁っていて展望が利かず物騒であった。出発間際にカザック兵10名と砲兵3名が船に乗り込み、野砲一門を前部甲板に据え付けたので、一同は今ままでの陽気さを忘れて言葉少なくなった。午後2時頃、突如清国側から銃声が起こった。銃声は次第に激しくなって甲板の上をシュッ、シューと不気味な音を立てて飛んだ。
船足が速くなり、カザック兵が船橋を盾に射撃を始めたが、敵は草にさえぎられて見えない。乗客が慌てだし、真っ青な顔でうろつきまわる奴もいた。趙が私の肩を叩いて、「平気な顔をしてはいけませんよ。疑われますよ、荷物の間に隠れなさい」と注意した。怪我人は一人もいなかったが、乗客はそれ以来急におとなしくなった。
と、このように同江:ラハススに立ち寄った時のことが書かれている。この後、真清は波乱の道中を重ね10月半ば頃目的地ハルピンに到着している。今、2010年、真清がこの同江に来てからちょうど110年目。そして、1945年、昭和20年8月、この地から関東軍が退いて65年の歳月が経過した。
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同江港から次に「同江海关旧址」に向かった。海关というのは税関と言う意味で1900年に起こった義和団の乱における列国と清国・義和団との戦闘の事後処理に関する最終議定書。この議定書により膨大な賠償を列強に支払うことになり、その賠償金の支払い源も海関税など確実な収入を得られるものを差し押さえる形で規定されていた。
北京議定書
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E8%AD%B0%E5%AE%9A%E6%9B%B8
この同江にも海関税の徴収を行う税関が置かれていた。その建物の遺跡が「同江海关旧址」で、1910年に建設され今年100年に当たることから補修工事が行われている。工事中で建物内部も改修中で中に入れなかった。 -
14:59:40
最初に行ったのが「海关」:税関だった
その時は方向感覚が全く分かっていなくて
ここが「同江海关旧址」と思っていたが
後からそこに行ったので
一体、最初のここは何だったのか?と思っていたが
帰国後、ここは今の税関だということが分かった -
15:01:24
おっちゃんが気を利かせてなのか案内してくれた
同江海关旧址とばかり思って中に入る
今の税関に入って、中の職員に見学の許可を訊ねた
「一階のフロアーだけなら見ていい」と言われた
別段見るべきものもなく・・・。 -
15:17:26
この“おっちゃん”の自転車で同江を回る -
15:17:42
同江港
1900年:明治33年9月8日
石光真清がラハスス(同江)に降り立ったのは
ここか(西側:今の海关)?向こう(北側:同江海关旧址の方)か?
昔は税関が北側の方にあったので、そこに港もあったのだろうけど
どっちかなあ・・・分からん -
15:19:08
同江港より南方向を写す
水は写真左から右に流れる
ロシア方向が川下
ハルピンに行くには流れを遡る、よって時間が掛かる
http://www.youtube.com/watch?v=pGjZtbPTi50&feature=player_embedded -
15:25:02
同江港まで鉄道は敷かれているが
貨物だけで今は客車は運行していない
今、ロシアとの間あだに鉄橋を作っている
完成は3年後の2013年の予定
その頃には同江も列車で行き来出来るようになるだろう -
15:29:10
ロシア人相手の店が並ぶ
でも街全体としては、まだホンノ一部だけの感じ
満洲里や綏芬河よりもロシア人は全然少ない -
15:35:50
この同江でも建築ラッシュ
不動産バブルはここ満洲でも凄い -
15:36:06
一体、この新築マンション群は公営団地なのか?
それとも民間分譲マンションなのか?
民間分譲なら誰が買うか買えるのか?
どう見ても、そんな金がある人間が多いと思えない -
15:38:46
この道を通って同江海关旧址に向かう
見ての通り閑散とした通りだ -
15:42:16
左手の工事現場の向こう側は松花江
今、ここも同江沿江公園を建設中
ホンマ同じような公共工事もあちこちで同時並行進行中
中共政府主導の中国経済の実態を感じる -
15:48:24
同江北側、松花江傍に同江海关旧址はあった
義和団事件後に作られた税関跡
国辱の歴史がここにもある、至る所にあるけど
日本も今後そうなってはいけない
そうならなかったのは先人たちの功績だ -
15:48:24
今年建設百年で、建物は改修中 -
15:48:52
改修中に付き内部はなにもなし
仕方が無い -
15:49:22
拉哈苏苏(拉哈蘇蘇:ラハスス)と、この碑文に明記されている。
今も同江でこの名称は使われているようだ
国辱の碑文が刻まれている -
15:50:00
もうすぐ改修も終わり
さぞかし美しくなっているだろう
是非!見に行って下さい -
ホテルに戻る
午後4時過ぎに果物を買って部屋に戻って来た。
同江の初日で買った果物
16:12:38
今回の旅は果物を食う旅でもあった
たまたま体調を崩したこともあり
余計に果物に救われた感がある
水分をとり栄養も取れた
味もあまり変わりはない
そりゃあ日本の果物の方が旨いけど
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資料を失いボヤク
13日から14,15,16と今日で連続四日間熱と喉の痛みに悩まされながらの旅になっている。解熱痛み止めの座薬と飲み薬でしのぎながらの苦難?の道中は初めての経験になった。そしてこの日部屋に戻った後、この同江と富錦の映像を写す時の語りの資料を失くしたことに気付いた。佳木斯で休憩する時に敷物代わりに使いそのまま忘れてきた。
もうすでに撮影済みのハルピン・方正・佳木斯の資料を敷物にしていれば何ともなかったのにと、悔やんでも仕方がないが・・・。そして家内に電話を掛けて何とかパソコンのデーターをこっちに送信してもらうことを考えた。ちょうど電話したらパソコンを使える長男の嫁が来ていたので私のパソコンから同江・富錦のワードの文章を見つけ出してもらいパソコンメールにコピーして携帯に送信してもらった。しかし最初、受信できなかった。
でも突然携帯に富錦の文章が受信できた。文字数が多くて四分の一くらいだったが。私はこれで大丈夫と思い、受信出来た文章の終わりを伝え、その範囲で何通かに分割して送信してくれるように頼んだ。しかし、後で分かったのだが、その時突然のように受信できたのは、パソコンのメールを家内の携帯に一旦送信し、その家内の携帯から私の携帯に送信した文章だった。
その確認のために家内が私の携帯に、「パソコンから直接と携帯経由と二通り送信したけど受信できたのはどっち?」という問いを送信し、私も受信していたが、それを見落としていた。そして嫁もそのままパソコンから文字数を考えながら分割して送信してくれていた。結局受信できないままだった。その後長男が会社から帰りにそのまま我が家に来て再度パソコンから送信してくれた。
それでも受信出来ず、そして長男が念のためにと自分のパソコンメールにデーターを送り、その後三人で食事に行って帰ったとのこと。私も一通は受信したから、その内受信出来るだろうと楽しみに待っていた。でも時間が経過しても届かず、長男に最後の頼みと携帯経由で送信を頼んだ。そしたら即座に届いた。ネットメールは届かず、携帯メールなら届くというのが、その時分かったが、その原因は不明だった。
でも残念ながら長男が自分のパソコンに転送したのは富錦の文章だけで、同江のはしていなかった。ようするに失くした資料の半分だけが届いた。今更、家に行って同江の分を送ってくれとも頼めず、それにこの時は、まだパソコンメールが明日にも届くかもと思っていたから・・・。それに最悪は、手間隙掛かるけど映像だけ撮って音声を後から吹き込める。
そう思いながら寝て、しばらくして目を覚まし、あることに気が付いた。それは私の携帯は迷惑メールが多いから、以前auショップに行った時にネットからのメールを受信拒否にしてもらったようなことをボヤーっと思い出した。そしてすぐに携帯を取り出し、「海外でWeb頁に繋げば高額料金が請求されます」という注意書きを見ながらネットに繋ぎ設定変更しようとした。そしたら暗証番号を要求され、そんな物覚えていない「万事休す」と思いながら適当に番号を押したら繋がった。
そして何とかかんとか設定に辿り着き、見ればやはりネット受信拒否になっていた。「よし、これでOK」と思ってネット受信OKで登録したが、結局一旦受信拒否したメールは明くる日になっても届くことはなかった。あ〜あ、仕方が無い。
松花江の対岸はロシア、はるばるここまで来たのに、同江での最初の夜を思いもよらずこんな風に過ごすことになった。今日の佳木斯の朝は空も曇り寒いくらいだったが、同江に来る頃にはいつもの快晴、そして暑さもぶり返したが、やはり夜ともなれば寒さを感じる。寒い暑い寒い、体調すこぶる悪く資料失う同江の夜。
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