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80番のバスで、セーヌ右岸のアルマ橋からモンマルトルへ。 <br /><br />バスはクリッシー広場からモンマルトル墓地を抜けるコランクール通り、 <br />クスティーヌ通りと進み、モン・スニ通りと交差してからは左へ曲がって<br />下っていく。<br /><br />モン・スニ通りはモンマルトルの丘からずっと下る、長い通りだ。<br /><br />逆にモンマルトルの丘に向かう場合はずっと登り。階段が幾つもある。<br /><br />丘に登ればモンマルトルのいろんな名所が待ち構えている。<br /><br /><br /><br /><br />モンマルトル関係はこちらにもまとめています。<br /><br />ピカソと、ユトリロと、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」 <br /><br />http://4travel.jp/traveler/etretat/album/10502860/

モン・スニ通りを登って、モンマルトルの丘へ

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2010/08/23 - 2010/09/01

10024位(同エリア17008件中)

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etretat

etretatさん

80番のバスで、セーヌ右岸のアルマ橋からモンマルトルへ。

バスはクリッシー広場からモンマルトル墓地を抜けるコランクール通り、 
クスティーヌ通りと進み、モン・スニ通りと交差してからは左へ曲がって
下っていく。

モン・スニ通りはモンマルトルの丘からずっと下る、長い通りだ。

逆にモンマルトルの丘に向かう場合はずっと登り。階段が幾つもある。

丘に登ればモンマルトルのいろんな名所が待ち構えている。




モンマルトル関係はこちらにもまとめています。

ピカソと、ユトリロと、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」

http://4travel.jp/traveler/etretat/album/10502860/

旅行の満足度
4.5
  • バスでは次の停留所が表示される。<br />   <br />クスティーヌ通りとモン・スニ通りが交差するところだ。<br />

    バスでは次の停留所が表示される。

    クスティーヌ通りとモン・スニ通りが交差するところだ。

  • モン・スニ通りのバス停は坂の途中<br />

    モン・スニ通りのバス停は坂の途中

  • モン・スニ通りはモンマルトルの丘からずっと下る、かなり長い通りだ

    モン・スニ通りはモンマルトルの丘からずっと下る、かなり長い通りだ

  • コランクール通り、クスティーヌ通りは空港とオペラ座を結ぶロワッシーバスの通り道でもある<br /> <br />

    コランクール通り、クスティーヌ通りは空港とオペラ座を結ぶロワッシーバスの通り道でもある

  • クスティーヌ通りを歩くと長い階段が幾つも見える<br />

    クスティーヌ通りを歩くと長い階段が幾つも見える

  • バスから降りた場所に戻り、モン・スニ通りを上がっていく。<br /> <br />終点はモンマルトル博物館があるところだ。<br /> <br /> <br />木立の中を上がり、広い道を渡る。振り返るとプチトランが通っていた。<br /> <br />

    バスから降りた場所に戻り、モン・スニ通りを上がっていく。

    終点はモンマルトル博物館があるところだ。


    木立の中を上がり、広い道を渡る。振り返るとプチトランが通っていた。

  •  階段は道路と直角に交わり、少しの平面を提供した後、さらに上を目指して登っていく

    階段は道路と直角に交わり、少しの平面を提供した後、さらに上を目指して登っていく

  • まだ目的地は見えない<br />

    まだ目的地は見えない

  • やっと見えた。あの上がゴールだ。右側にモンマルトル博物館がある。<br /> <br />

    やっと見えた。あの上がゴールだ。右側にモンマルトル博物館がある。

  • 上から見下ろすとこうなる。ユトリロの絵の構図と同じだ。中央左の建物は絵とそっくりだ。<br /> <br />

    上から見下ろすとこうなる。ユトリロの絵の構図と同じだ。中央左の建物は絵とそっくりだ。

  • ユトリロの「モンマルトルの眺め(モン・スニ街)」(1912−13)。<br /> <br />ここはモン・スニ通りのいちばん上だ。<br />

    ユトリロの「モンマルトルの眺め(モン・スニ街)」(1912−13)。

    ここはモン・スニ通りのいちばん上だ。

  • テルトル広場に一角には、なぜかダリ美術館が <br />

    テルトル広場に一角には、なぜかダリ美術館が

  • モンマルトルは長い間パリ郊外の農地であり、ぶどう畑と風車がシンボルであった。かつてパリにはワイン用のぶどう畑が広がっていた。<br /> <br />

    モンマルトルは長い間パリ郊外の農地であり、ぶどう畑と風車がシンボルであった。かつてパリにはワイン用のぶどう畑が広がっていた。

  • 斜面状の畑でぶどうが実っている。10月には盛大な収穫祭(今年は10月6〜10日)が行われる。<br /> <br />今では市の管理のもとで手入れされ、ワインも作られている。本数が少ないので、味とは関係なく値段が跳ね上がるらしい。<br />

    斜面状の畑でぶどうが実っている。10月には盛大な収穫祭(今年は10月6〜10日)が行われる。

    今では市の管理のもとで手入れされ、ワインも作られている。本数が少ないので、味とは関係なく値段が跳ね上がるらしい。

  • ユトリロ「ラパン・アジル」(1914年頃)<br /> <br />

    ユトリロ「ラパン・アジル」(1914年頃)

  • ラパン・アジルは芸術家たちのたまり場、モジリアニ、ピカソ、そしてユトリロもここの常連だった。<br /><br />モンマルトルのぶどう畑のすぐ下にある。<br />

    ラパン・アジルは芸術家たちのたまり場、モジリアニ、ピカソ、そしてユトリロもここの常連だった。

    モンマルトルのぶどう畑のすぐ下にある。

  • ラパン・アジルとは、はね兎のこと

    ラパン・アジルとは、はね兎のこと

  • コルトー街にあるパリ市立モンマルトル博物館<br />

    コルトー街にあるパリ市立モンマルトル博物館

  • 中に入ると広い庭がある。この一角にルノワールや、ユッテルと一緒にユトリロ一家が住んでいた。<br /><br /><br />ユトリロ(1883−1955)は1907年にユッテル(1886−1948)を知り、母ヴァラドンに紹介する。<br /><br />1909年、ヴァラドンがユッテルと恋に落ち、夫ムーシスは離婚の手続きを始める。<br /><br />1911年、ムーシスとの離婚が成立し、一家はコルトー街12番地(現モンマルトル博物館)に転居。<br /><br />ユトリロはテルトル広場で犯した軽犯罪でラ・サンテ刑務所に入れられる。遺伝性アルコール中毒ということで1カ月後に釈放された。<br /><br />ルノワール(1841−1919)がコルトー街12番地(現モンマルトル博物館)にアトリエを借りたのは「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を描いた1876年の前の年。<br /><br />ユトリロ一家が住み始めた1911年には既にコート・ダ・ジュールのカーニュ・シュル・メールで晩年を迎えていた。<br /><br />

    中に入ると広い庭がある。この一角にルノワールや、ユッテルと一緒にユトリロ一家が住んでいた。


    ユトリロ(1883−1955)は1907年にユッテル(1886−1948)を知り、母ヴァラドンに紹介する。

    1909年、ヴァラドンがユッテルと恋に落ち、夫ムーシスは離婚の手続きを始める。

    1911年、ムーシスとの離婚が成立し、一家はコルトー街12番地(現モンマルトル博物館)に転居。

    ユトリロはテルトル広場で犯した軽犯罪でラ・サンテ刑務所に入れられる。遺伝性アルコール中毒ということで1カ月後に釈放された。

    ルノワール(1841−1919)がコルトー街12番地(現モンマルトル博物館)にアトリエを借りたのは「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を描いた1876年の前の年。

    ユトリロ一家が住み始めた1911年には既にコート・ダ・ジュールのカーニュ・シュル・メールで晩年を迎えていた。

  • サクレ・クール寺院下の広場からはモンパルナスタワーしか見えない<br />

    サクレ・クール寺院下の広場からはモンパルナスタワーしか見えない

  • テルトル広場の絵描きさん。<br /> <br />この界隈には客引きする似顔絵かきの人たちがいっぱいいた。<br /> <br />

    テルトル広場の絵描きさん。

    この界隈には客引きする似顔絵かきの人たちがいっぱいいた。

  • この写真も一応出しておきます、壁男?<br />

    この写真も一応出しておきます、壁男?

  • エミール・グドー広場にある洗濯船。<br /><br />アトリエ長屋の洗濯船は1970年に全焼した。<br /><br />1904年に入居したピカソは既に住んでいたフェルナンド・オリヴィエという<br />恋人を得て 「バラ色の時代」が始まろうとしていた。<br /> <br />

    エミール・グドー広場にある洗濯船。

    アトリエ長屋の洗濯船は1970年に全焼した。

    1904年に入居したピカソは既に住んでいたフェルナンド・オリヴィエという
    恋人を得て 「バラ色の時代」が始まろうとしていた。
     

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