2010/09/17 - 2010/09/18
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granateさん
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遅延するのは当たり前という、悪名(失礼!)高きアルゼンチン航空。
サンパウロ発ブエノスアイレス行きAR1275便は、奇跡的に定刻にブエノスアイレスに到着しましたが、それでも今がもう夕刻であるということには変わりありません。
それでも、なるべく多くの場所を見たい!
カミニートに行きたい!
そんな私の我儘を、全て汲み取ってくださったブエノスアイレス在住の、日本人ガイドUさん。
地球の裏側には、プロのガイドさんの仕事の流儀がありました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
何はともあれ無事にブエノスアイレスに到着した私は、現地の日本人ガイドUさんの案内で、市街観光に出かけました。
Uさん「でも、本当に良かったですね。アルゼンチン航空は、いつも平気で1時間位遅れますから。
それに、今からの時間だと段々混雑してきますし。」
g「はい、もう、どうなるかなって思っていたんですよ。
本当なら運航に関して評判の良いLAN航空にしたかったんですけど、
LANだと今日ブエノスアイレス入りするのも遅くなるし、
明日からウスアイアに行くんですが、そちらへの接続も、
今の時期だと悪かったんです。
・・・それで、本題なんですけど、どうでしょうか?
今日はカミニートには行くことができそうでしょうか?」
Uさん「たぶん大丈夫ですよ。
あの辺は、日が暮れると危なくなりますが、
まぁ行けると思います。」
g「そうですか。良かっ〜た。
それでは よろしくお願いします。」
Uさん「こちらこそ。」 -
Uさん「gさん、こちらをごらんください。これこそが・・・。」
g「ラプラタ川ですね!
ガイドブックとかインターネットでの旅行記を読んで、すごく楽しみにしてきたんです。
アエロパルケのすぐ横を流れていると聞いて、
本当にもう、楽しみにして来たんです!」
Uさん「そうなんですか。
ところで、ラプラタ川の色を見て、どう思います?」
g「えーっと、あの、その・・・。」
(思っていたよりも随分と茶色いし、
あんまり綺麗そうじゃないなんて言えないし。。。)
Uさん「あはははは。いえね、日本から来られた方は皆、
なんだか汚い水の色ですねって、口々にいうんですよ。
これは、上流からの土によるものでしてね、
ラプラタ川の川底にもその土が貯まっていくものですから、
実は結構水深は浅いんですよ。
それで、船が通れるようにと、さらに川底の土を掘ったりしているんですが、年に何回かはそれでも船が転覆したりします。」
g「へぇ〜、そうなんですか。」
Uさん「このラプラタ川なんですが、一番広い所で川幅がどの位あると思います?」
g「・・・分からないですね。でも、こうやって見ると、まるで海みたいですね。」
Uさん「実は、一番広い所で川幅が220kmあるんです。
日本で言えば、そうですね・・・東京から浜松位までと同じ位はあります。」
g「・・・スケールが、日本なんかとは全然違いますね。」
Uさん「驚かれました?
そう、こんな風に茶色く見えるラプラタ川の水なんですが、ここブエノスアイレスでは生活用水として使用されておりまして、
例えば今日gさんがホテルに戻られてシャワーを浴びたり、歯を磨いたり、そうして使われている水は皆ここからの水なんです。
つまり、gさんの体の中にも、このラプラタ川の水が自然と取り込まれていくという訳なんですよ。」
そうなんだ・・・、このラプラタ川の水が、私の体の一部になっていくなんて、
なんだか・・・・当たり前のことかもしれないけれど、なんだかスゴイ! -
Uさん「ええと、gさん、こちらの地図をご覧になってください。」
-
「今日はこちらの地図にマークしたルートで回ります。
いつもでしたら、半日とか1日でじっくりとご案内するのですが、
今回は少ない時間でもたくさんの物を見たいというリクエストを頂いておりますので、少々説明を省きまして、飛ばしていきます。
よろしいでしょうか?」
g「はい、よろしくお願いします、ぜひ!」 -
Uさん「まずはレコレータに向かいます。
でも、gさん、今回はアエロパルケからで良かったですね。
あそこからなら市街までも4km程ですし、エセイサからだと35kmもあるんですよ。」 -
そして右に左にとUさんのガイドを聞きながら、
-
私たちを乗せた車は走ってゆきます。
-
そして、とある公園の脇で、Uさんと私は車を降りました。
Uさん「ここからは、貴重品とカメラを持って行ってくださいね。
後の物は車の中に残して行っても大丈夫ですよ。」
g「はい。」 -
公園には、とても大きな木がありました。
・・・が、実はこれは木ではなくあまりにも大きくなった草の一種なのだそうです。
実はなるものの、食べられず、その枝も幹も良く燃えないので薪にもならないという、実に無用な大木なのだそうです。 -
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辺りの様子を眺めながら、
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そのまま歩いていきます。
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こちらは、聖母ピラール聖堂です。
-
レコレータ墓地は、そのすぐ隣になります。
入口では、係員の男性が、
「後30分で、お終いになりますよ!」
と 辺りの観光客に呼び掛けておりました。 -
レコレータ墓地は、18時にはもう閉まってしまいます。
飛行機が遅れなくて良かったと、つくづく思いました。 -
アルゼンチンでも最高級に分類される、レコレータ墓地。
その地価は、聞いただけで驚いてしまうような金額でした。 -
日本の墓地のイメージとは、あまりにもかけ離れています。
なんでも、お昼休みのOLさんたちが、ここでランチを摂ったりするのだとか。 -
そして、さらに中を歩きますと
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もしかして、あそこが!
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ありました、ここです!
あまりにも有名な、エビータこと マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン元大統領夫人のお墓です。
余談ですが、Uさんの話によると、ここエビータのお墓はあまりにも有名で観光地化しており、下手をすると、この前にズラッと40人近くの観光客が集まったりするのだそうです。 -
あまりにも劇的な彼女の人生は、ミュージカルになったり、その後もマドンナの主演により映画化されています。
波乱の末の33歳という、若すぎる死は子宮ガンによるものでした。 -
いついかなる時も花の絶えることのないという、エビータのお墓には、今日も綺麗な花が供えられておりました。
-
エビータの墓の上には、ドゥアルテ家と刻まれている通りに、彼女は大統領の家系ではなく兄方の家の墓に入りました。
彼女は、未婚のコック、フアナ・イバルグレン(1894年 - 1971年)と妻帯者である農場所有者フアン・ドゥアルテ(1872年 - 1926年)との間に生まれた5人の私生児のうちの一人として誕生しています。
でも、ドゥアルテって、調べて見ますと彼女の父方の名字にあたるのですね。 -
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その他、いくつかのお墓の説明を受けましたが、おもしろいことに敵同士のお墓が向かい合って建てられていたりすることもあるのだそうです。
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そしてさらに、
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レコレータ墓地の名物といえば、たくさんの猫たち。
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猫たちは、いつもボランティアの人たちから御飯をもらっているのだそうです。
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それでは、レコレータ墓地を後にし、
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次に向かいます。
-
春先のまだ肌寒い夕方でしたが、
公園ではのんびりと過ごす人々の姿がありました。 -
そしてこちらが、
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ゴムの大木です。
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あまりにも大きくなりすぎて、その枝を支えてりする台が作られておりました。
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Uさんについて歩き、
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再び車に乗りました。
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Uさんのガイドを聞きながら、
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その街並みを眺めます。
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そろそろ次の目的地に到着する様子です。
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空と海とそして自由や正義を表すブルーと白のストライプ、中央の太陽は、スペインからの独立を表す自由のシンボルなのだそうです。
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こちらは、アルゼンチン版自由の女神。
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再び車から歩くと、正面には大統領府カサ・ロサーダがありました。
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映画「エビータ」でも、このカサ・ロサーダが実際の撮影で使用されたそうなのですが、本物のエビータがスピーチを行ったのは左側のバルコニーだったのだそうです。
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そしてそのまま歩いて、大聖堂 カテドラル・メトロポリターナにやってきました。
多くの聖堂が写真の撮影を禁止されていますが、ここでは大丈夫とのことでした。
それでもフラッシュは、控えましょう。 -
ここには、南米解放の父と呼ばれる、ホセ・デ・サンマルティン将軍の棺が安置されています。
以下は、ウィキペディアによる彼についての記載になります。 -
1778年、彼は、アルゼンチン北東部の小さな村にて、貴族であり、スペイン軍の軍人だった父の子として生まれました。
7歳で家族とともにスペインに渡り、彼自身もまた職業軍人としての道を進み、22年間スペイン軍で働きました。
スペイン軍では、軍の師団長にまでなりましたが、母国アルゼンチンでの独立運動を耳にして、今まで築いた全ての地位を捨て、帰国を決意しました。
チリの独立の後、ペルーの独立を目指しますが、それもごく一部の海岸部に留まり、当時、時キトとグアヤキル(現在のエクアドル)解放を目指し戦っていたシモン・ボリーバルらの大コロンビア軍に支援を求めることにしました。 -
彼は、ボリーバルに自らを部下にして欲しいと申し出ましたが、ボリーバルは彼のこの申し出を断りました。
彼はこれに失望し、引退を決意します。
アルゼンチンへの帰国後、彼はメンドーサで妻子ともどもと穏やかな生活を送ることを夢見ていましたが、妻の突然の死の後、傷心を抱いた彼は、激しくなるブエノスアイレスと地方諸州の戦争に巻き込まれるのを嫌って娘とともに1824年、イギリスに亡命しました。
その後アルゼンチンに帰国しようとしたが、船上で罵声を浴びせられて再びヨーロッパに戻り、最後はフランスのブーローニュ・シュル・メールで余生を送り、失意の内に死去しました。 -
現在、彼の柩は、ブエノスアイレスの五月広場に面したここカテドラル・メトロポリターナに、アルゼンチン、チリ、ペルーの聖女像に囲まれながら安置されています。
Uさんの話によれば、実はこのサンマルティン将軍の棺は、斜めに収められているのだそうです。
何故かといえば、きちんとした棺の大きさ知る前にここを作ってしまったからなのだそうです。
彼が南米解放の父と呼ばれようと、ここを作りなおしてはもらえなかったのですね。
彼は、斜めでも安らかに眠れるのでしょうか? -
その後、Uさんは、5分だけ自由に撮影をする時間をくれました。
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Uさんからの許可が、何故5分だったのかと言いますと、
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5分後には、夕方6時からのミサが始まってしまうからなのでした。
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穏やかで美しい讃美歌が、辺りに響き渡ります。
そろそろおいとますることにしましょう。 -
さて、再び車に乗りまして、次なる目的地は・・?
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そう、あそこです。
こちらは車窓からの、ボカ・ジュニアーズ・スタジアムです。 -
やってきました、カミニートです!
時間的にも車窓から眺めて見るだけかと思っていたら、なんと下車できるというのです! -
色鮮やかな家々が並びます。
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これぞ、まさにカミニート!
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ただし、もう夕暮れも終わりにさしかかり、店ももう閉まっています。
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それでも、この街並みを眺めることができただけで、本当に来た甲斐がありました。
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タンゴの源、カミニート。
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最初は男同志で踊ったのが、始まりなのだとか。
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ほんのわずかな時間ですが、本当に来ることができて良かったです。
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ここから再び車に乗り、街並みの説明を受けながらホテルへと向かいます。
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このブエノスアイレスの沖の地中を、そのまま真っすぐ掘っていくと、なんと東京湾の真ん中に出るのだそうです。
その通りに、日本からは地球の反対側にある、アルゼンチン。
でも、日本とのつながりには意外にも歴史があり、先の世界大戦中にも参戦しなかったアルゼンチンは、多くの物資を日本に送ったり、戦艦を寄贈したのだそうです。 -
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また、日本からの移民も受け入れており、隣国のブラジル等とは異なり、彼らの多くは農業ではなくクリーニング店業に就いていたのだそうです。
また、先の世界大戦大時、多くの北米、中米、南米の日系人が財産を没収される中、アルゼンチンの日系人だけは政府保護を受け、そのような目に遭うことはなかったのだそうです。 -
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その話の流れから、あまりにも美しい日本語を話すUさんの出身について尋ねてみました。
Uさんの生まれは日本で、5歳の時にご両親とアルゼンチンに渡ってきたのだそうです。
そのため、国籍は日本で、パスポートも日本の物を持っているのだそうです。 -
-
その後ホテルにチェックインをし、直後、お土産のお菓子を買うため、Uさんに近くのミニスーパーに連れて行ってもらうことになっています。
ホテルでは私の代わりにUさんがチェックインの書類を書いてくれました。
Uさん「gさん、大体の住所は?
それと、個人的な情報は全く頂いておりませんが、
こちらの職業欄は、<主婦>としておきましたから。」
・・・・・・あ・・、Uさん、<主婦>ってソレ、大嘘なんですけど。
もし、もしも、ここで私の身に何かが起きたら、日本では、<被害者の日本人旅行者で主婦のgさん>と報道されてしまう・・・!
職場の皆にはウケるかもしれないけど、
でも、でも、それは・・・・!
Uさん「さぁ、まずは荷物を部屋に置いてきてください。
私はここで待っていますから。」 -
私は、ホテルの部屋に案内されると、急いでUさんの待つロビーに戻りました。
「Uさん、今からスーパーに行きますけど、その前にこれを渡しておきますね。」
と、私はUさんにチップと、成田から共に旅をし、
ラプラタ川を越えてきた<夜のお菓子・うなぎパイ>を手渡したのでした。
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この旅行記へのコメント (6)
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- grindwheatさん 2010/10/02 09:37:15
- 主婦!!
- いつの間に主婦になったんですか!?
主夫だったり。
- granateさん からの返信 2010/10/02 20:44:11
- ジョブチェンジ
- >grindwheatさん=Mくん
こんばんは。たくさんのメッセージを、どうもありがとうございます。
外国で親切な現地日本人ガイドさんに当たると、ジョブチェンジが可能になるようです。
でも、性別まで超えるになったのは、初めてでした。
いや〜、本当に面白い経験でした。
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- grindwheatさん 2010/10/02 09:34:45
- 男同士で。
- 屈強な男が音楽に合わせて二人で踊る姿。
みたいなぁ。きっと目を奪われてしまう。
- granateさん からの返信 2010/10/02 20:49:35
- タンゴの始まり
- >Mくん
アルゼンチンからは、この画像のデジカメでの確認画面を送らせていただきました。
やっぱりMくんも、来ればよかったのに。
それと、以前教えてもらった、映画「ブエノスアイレス」のことを思い出しましたよ。
タンゴの始まりは、男同士が踊ったのが最初だったと現地で聞きましたが、そこまでの複線があっての映画だとしたら、スゴイですよね。
肝心の映画は、まだ見たことがなかったので、マドンナの「エビータ」と一緒に楽天で注文してしまいました。
早く見たいです。
-
- grindwheatさん 2010/10/02 09:27:44
- 微妙に!!
- 微妙に右前足が地面についてない!!
躍動感ある写真です!!
- granateさん からの返信 2010/10/02 20:51:33
- ブエノスアイレス猫 第一号
- >Mくん
猫がいたので、慌てて撮ったらこうなりました。
レコレータ墓地には猫がいっぱいで、猫好きにはたまらない場所です。
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