2010/09/13 - 2010/09/13
196位(同エリア307件中)
風 魔さん
静岡〜山梨〜南信州と、初秋の雰囲気を求めてのロング・ドライブの旅は、桜の鑑賞で有名な高遠城まで来ました。
諏訪湖のホテルを出発して、茅野市から国道20号線を南に下り、山道を走行し杖突峠を越え、伊那市・高遠町へ到着する。
その昔、このような山の中に城を築くなど、どのくらいの人員の動員と労力の投入、資材の搬入があったのか、交通路の確保さえ困難な時代に先人の知恵と努力には、敬服しました。
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
PR
-
茅野市より、国道20号線から国道152号線(杖突街道)を南下して、伊那市・高遠町を目指す。 -
その昔、険しい山道を登り、杖がなければ歩いて越せないといわれた「杖突峠」を通過する。 -
平地に下り、収穫まえの稲穂が黄色く色付いていました。 -
「ザ・日本の農村」の風景。 -
田んぼの隣りは、蕎麦の畑。 -
まもなく、新蕎麦が食べられる時季になりました。 -
高遠城址公園に着き、歩いて城内を散策する。
城跡は、公園となっています。 -
まず、案内板を見て現在位置を確認をする。
桜の名所ポイントが、表示されていました。 -
濠にかかる木橋。
高遠城は、桜で有名なため桜の古木が多く植わっていました。 -
こちらは、石造りの橋。 -
かっての城下町・高遠町が見えました。 -
城内には、句碑や歌碑が、所どころにあります。 -
台座には、花模様の白いコケがついています。 -
今日は、月曜日のため「高遠町歴史博物館」は休館でした。… 残念 -
悲劇の「江島生島物語」から…
絵島が流刑され、幽閉された「絵島囲み屋敷」も、本日は休館日でした。 -
名君・保科正之公と生母・お静の方の像。
保科正之公は、慶長16年(1611年)に第2代将軍・徳川秀忠公の四男(庶子)として生まれ、江戸時代初期の会津藩・
松平家初代大名です。
正之公は、信濃高遠藩主、出羽山形藩主を経て、陸奥会津藩初代藩主を治めた名君とされています。
江戸幕府の第3代将軍徳川家光公の異母弟で、家光公と
第4代将軍家綱公を輔佐し、幕府の主要な地位をなした。
幕末時には、京都守護職を務めた会津藩主・松平容保公の系譜につながる。 -
松平(保科)正之は、その後会津松平家の初代藩主になりましたが、蕎麦好きだったため、今でも会津・大内宿には「高遠蕎麦」が伝わっています。
これは、蕎麦の器に入った1本のネギをハシ代わりに使い、蕎麦を食べ途中に薬味としてネギをかじるものです。 -
城内を歩いて廻り、南門より辰巳櫓を眺める。 -
城内をひらすら歩いて見物する。 -
三峰川にかかる白山橋を下ると、伊那市に至ります。 -
高遠城は、高台にあり周辺はほとんど山に囲まれています。
後方には、高遠湖が見えました。 -
城址らしき雰囲気を残す建造物は、天守郭代用の三層の辰巳櫓のみです。 -
信州高遠美術館。
ここも休館日でした。 -
かっての濠にかかる木橋。 -
葉の緑色が爽やかな紅葉の木。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
25