2010/05/12 - 2010/05/23
139位(同エリア582件中)
カメちゃんさん
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きょうは、私たちがズッと前から、楽しみにしていた世界遺産の「ライン渓谷中流上部(文化遺産)」を行きます(^^) そうですよ!!古城が次々と現れるところなんですね〜。
16年前にノイッシュバンシュタイン城ほか一つか二つの城を見たことがありますが、ドイツの城を本格的??に見たわけではありません。今回は「山城」が主体とは言え、中世の城が見られる期待があったのですよ。
ところが、世界遺産の「ライン渓谷中流上部」に来る前に、ケルンからトリーアに行く途中で結構たくさんの古城を見て興奮してしまったんで、チョットだけですが興味が冷めてきてしまったと言うところが本音でしたね(^_^;)
ま、そんなことを言っても続々と現れるであろう古城に期待して、ズーッとデッキで頑張りたいと思います!!(^_^) そして、あのローレライで美しい乙女が私に声をかけてくれるかも知れない??という期待もありますしね(*^_^*)(*^_^*)
余計な話ながら、ドイツの世界遺産は33もあるんですね(第5位)。第1位はイタリアで44。日本は14で第14位と言うことです。
それでは、世界遺産をじっくり拝見すると致しましょう(^-^)(^_^)v。
「おかあさん、行くよ〜」(*^_^*)(*^_^*)
↓をクリックされますと、このクルーズ区間全体の地図が表示されます。
(青いアドバルーンマークをクリックされますと、古城名や教会名が分かります)
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000484efec757523341de&ll=50.091953,7.772827&spn=0.504839,0.741577&t=h&z=11
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 船
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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おはようございます。
早朝6時ちょっと前です。
ボッパルトの街はライン河の源流から571Km地点にあります。
水面の様子をご覧になってもお分かりになると思いますが、これだけ多くの船が行き来している割りには結構流速があるんですね。大河なのにどうして流れ早いの?と思いますが、流れが速いのには、自然の流量の他にもう一つ理由があります。
ライン河の船の航行のためには、川底に土砂が溜まって水深が浅くなるは困るのです。そこで、主として川幅の広いところに「水制」と言う「突堤」をつくって、人工的に流れを速くして川底への土砂の堆積を防いでいるというのです。昔はどうだったのか??そこは分かりません(-_-;)
ライン河を訪れた方々が一様に、「思ったより流れが早い」という風に話しておられる背景には、こんな事情もあったのですね。
↓は水制のあるところです(アドバルーンマークをクリックして下さい)。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,1&t=h&msa=0&msid=101016593599736252226.000484efec757523341de&ll=49.982441,7.9794&spn=0.00654,0.013454&z=17 -
こんなところに船のマストが飾ってありました。
海まで直線距離でも300Kmもある内陸部でこのようなものを見るのは、意外でした。
と言うことは、昔の川船がこのようなマストをつけていた??でも、それでは橋の下を通れない。いちいち倒していた? ちなみにコブレンツとマインツの間(70〜80Kmほど?)には、橋がありません。
いずれにしても、考えさせられたマストでした。 -
ボッパルトの街は、こうして見るとずいぶん大きな街のように見えますが、人口はおよそ1万6500人とのことです。日本で言えば「○△町」といった感じの規模ですね。
詳しくは↓にて。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%88
このボッパルトの街の歴史も古く、ローマ帝国後半期の頃にローマ人によってつくられた街のようで、その頃の史跡も見られるとのことです。フランク王国(現在のフランスとドイツを合わせた範囲)初期のメロヴィング朝の時には王室の居住地ともなったという歴史があるそうです。
また、温泉もあるとのことです。 -
タンカーが下流に向かっています。
夜を徹して航行してきたんでしょうね。先頭には照明灯が点灯しています。
こういうのを見ますと、家族から離れて頑張る男たちが可哀想にも思えてしまうのです。奥さんも一緒に乗っているとイイのですけどね〜(-_-;) -
タンカーとすれ違ってやって来たクルーズ客船です。
こちらも夜を徹してきたかも知れません。ご苦労様ですね。
船はお洒落で綺麗だけど、乗組員たちも家族を残して一人頑張っているんですね。 -
朝食です。
きょうのコースは世界遺産の中を行くわけですから、ノンビリしておれません(*^_^*)
(昨日のコブレンツから、世界遺産の範囲に入っているんですよ)
サッサと食べて、速くデッキに上がらないと心配ですよ!! -
いよいよ、ボッパルトを出発です。
ちょっとだけでも歩いてみればよかったと、心残りのある街でした。
(到着時刻が遅かったので、下船できなかったかも?) -
とってもカッコいい観光船を見つけました!(^^)!
ボッパルトにはたくさんの観光船が停泊していましたが、観光の基地といった街のようですね。 -
山の上に白いものを発見!(^^)!
しかしこれは、何でしょうか?? 白い箱のような感じで、お城らしくないですね。ゴミの焼却場??なんてことも考えてしまいました。(~o~) -
こちらにも黒い塊を発見!(^^)!
これはお城のようです
望遠いっぱい(450mm相当)で撮影!!(^^)
カミさんに感謝です!! -
先ほどの白い建て物は、古城でした。
その名は「シュテレンベルク城」です。11世紀初頭前後にはつくられたとのことで、つくられた年月は明確ではないようです。ライン河渓谷では一番古い部類になるとのことです。
この城の所有を巡っては変遷があったようですが、ボーランデン伯が13世紀末まで税金を取るための城とにしていたとか。14世紀にはトリーア大司教の所有になったそうです。
16世紀中頃から無人のしろとなって放置され、現在はラインラント=プファルツ州が管理しており、1970年代頃に修復されて、レストランやホテルになっているそうです。
そういうワケで、「白い塔」などという古城らしからぬ姿になっていたのですね〜。
↓をクリックされますと、城の位置が分かります。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000484efec757523341de&ll=50.213383,7.633197&spn=0.001967,0.002897&t=h&z=19 -
こちらは黒い塊だった古城です。
13世紀に神聖ローマ帝国が建てた「リーベンシュタイン城」とのことです。
その後トリーア大司教の所領となって、「シュテレンベルク城」との境として「壁」が作られたとのことです。
↑の「シュテレンベルク城」もトリーア大司教の所有となっていたのですが、彼は本当にたくさんの城をもっていますね。 -
「シュテレンベルク城」と「リーベンシュタイン城」です。
二つの城がこんなに近い距離でつくられたというのは珍しいそうです。
あんまり近すぎるから、「壁」をつくる羽目になったんですね〜。 -
こちらは黒い塊だった古城です。
13世紀に神聖ローマ帝国が建てた「リーベンシュタイン城」とのことです。
その後トリーア大司教の所領となって、「シュテレンベルク城」との境として「壁」が作られたとのことです。
↑の「シュテレンベルク城」もトリーア大司教の所有となっていたのですが、彼は本当にたくさんの城をもっていますね。 -
山の上に城跡のようなものが見られるのですが、これが何なのか?未だに分かりません(-_-;)
柵がありますし、何となく城跡のような気がするのですが・・
この撮影位置は、二つ上の写真撮影位置から8分・約1,5Km程上流側です。おそらく上流側を撮ったと思います。
ご存知の方教えて下さいね。 -
カミさんは奥さまに人生相談中ですかね?
それとも、今夜のベッドが離れてしまう悩みのことでしょうか?
いやいや、亭主の扱い方かも知れませんよ(-_-;)
それはさておき、こうして話の出来るゆとりのあるところも船の旅の魅力ですよ。 -
「おかあさん またお城が見えてきたよ!!」
次なる古城が見えてきました
まぁ、いちいちカミさんに報告するなんて、どうでもいいんだけどね(^_^;)
またまた望遠いっぱいで引きつけてみました(^_^) -
↑のお城は、「ねずみ城」でした。
下の街はヴェルミヒの街です。
トリーア大司教の命令で1356年から30年の月日をかけて建設されたとか。これより南(上流側)にあるラインフェルス城に対抗しての防御用として、また、ライン河での税の取り立てを確実にするためにつくったとされています。
城の名は一般にねずみ城(マウス城)と呼ばれていますが、正式名は「ドイエルンブルク城」と言うようです。これも3度目の名前と言われています。
ねずみ城と言われるようになったことには、諸説あるようです。よく言われるのは、「ねこ城」が出来た後、それより小さいこの城を皮肉って「ねずみ城」と呼んだということでした。 -
ヴェルミヒの街と教会です。
-
「おかあさん あんなところにも城みたいなのかあるよ!」
一つの城ばっかりを追いかけていると、他の城の発見が遅れてしまいますよ〜(^^)
この城は横に幅がありそうです。
調べてみますと、「ラインフェルス城」らしいことが分かりました。
城の名に「フェルス」というのがよく付きますが、「フェルス」とは岩という意味らしいです。ですから、「ラインフェルス」とは「ラインの岩」となるのですね。
「シュタイン」というのも城の名によく付きますが、それは「石」という意味だそうです。
「ブルク」は城塞を意味するそうで、「ベルグ」は、「山」とか「山の城」という意味だそうです。
ちなみに、恐妻家と言うのはドイツ語で「スリッパの下に立っている夫(機械翻訳)」だそうです。
ドイツの恐妻家は大変ですね。同じ恐妻家として、心からお慰め申し上げたいと思います!!(^O^)(~o~) -
この城は、通称を「ねこ城(カッツ城)」と言っています。
正式名は「ノイカッツェネルンボーゲン城」だそうです。
この城は、カッツェネルンボーゲン伯ヴィルヘルム2世が下流の「ねずみ城」に対抗するために、1360年から11年かけてつくられたと言われています。お互いに張り合っていたのですね。
もちろん船から税金を取るために張り合っていたわけで、困るのはライン河で物資を運ぶ商人たちですね。
ところが、この「ねこ城」は所有権争いで傷みつけられ、1806年にナポレオンによって爆破されてしまいました。現在は19世紀以降に再建された形なのです。 -
遠くなった「ねずみ城」を振り返りました。
ねこ城より小さいなんて言われて、ネズミなんて揶揄されてなんだか可哀想になってきましたね(~o~) -
上記の「ラインフェルス城」を上流側から見た形です。下流側から見た形とは全然違いますねぇ。私たちの家でも表と裏と側面では形の印象が違うモンですけど、複雑な形をしたお城ではなおのこと違ってきますね。
-
張り合う相手をネズミと言ってしまうだけあって、こちらのねこ城は堂々としていますね。
ところで、このあたりの古城や宮殿をつくった人をみますと、「カッツェネルンボーゲン伯」というように「伯」という爵位が付きます。どうして「伯爵」と言わないのか? 伯爵でない“伯”があるのかと疑問に感じますね。
その話はちょっとややこしいので、↓をご覧下さいね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B5%E4%BD%8D
ところで、当家の爵位はどれになるのでしょうか??カミさんに聞いて見ましたら、
「ぎくしゃく」
でしょう?となりました。
どうして?
「アンタの腰もギクシャクしてるでしょう」
あのねぇ、ナンボ歳だからと言ってそりゃないよ〜(-_-;) カミさんも小癪なことを言いますねぇ(T_T) -
上流側から見た「ねこ城」です。
-
「奥さんとカメちゃん、写真を撮るよ」
じゃあ、二人で記念写真といこうか(^o^)
エッ!!奥さまと二人で?!(^-^)(*^_^*)
「あ〜、もうホントに幸せだねぇ」
これで死んでも悔いなし!(*^_^*)!であります!!(^_-)(*^_^*)
(Kさんご提供の写真です) -
お友達ご夫妻と、ローレライをバックに記念写真であります!!
とってもステキな記念写真です。一生の記念ですね(^_-)(^-^)
ローレライの美しい乙女って、この奥様方だったかもね??(*^_^*)(*^_^*
(Kさんご提供の写真です) -
ローレライ伝説は、ローレライ付近が航行の難所で、よく遭難のがあったことからうまれたようです。
その伝説では、ローレライにたたずむ金色の櫛を持った美しい少女に船頭が魅せられ、そちらに気を取られていると船が川の渦の中に飲み込まれてしまうという、魔女の話とのことです。 或いは、ローレライの岩陰に美しい少女がたたずみ手招きをするというのです。その少女に魅せられた船が引き寄せられ川中に飲み込まれてしまうというわけです。
船乗りを迷わせる女性“ローレライ”は、とっても美しい乙女なのに恋人に裏切られて絶望し、ライン川に身を投げてしまったというのです。そして、彼女は水の精となってその美貌と美しい歌声で船乗りたち誘惑していたというのです。
私に恋をしてくれたなら、お茶碗洗い付き・マッサージ付きのカカア天下で一生大事にしてあげたのに・・。でも、それは無理な話で、ローレライは私を一瞥しただけでそっぽを向いて去ることでしょう(-_-;)(T_T) -
本当のローレライ(Loreley)は、この写真通りの水面から130m盛り上がった岩山のことです。ライン河でも船の通行可能な範囲では一番狭いところとも言われています。
ここは流れが速くて水面下に多くの岩礁があるため、昔は多くの船が遭難したといわれています。現在では度重なる工事によって、大型船が航行できるほどに川幅が広げられているとのことです。
この岩山に向かって「オーイ!」と叫ぶと、こだまが返ってくるとのこと。「おかあさ〜ん!!」と叫んだら、「アホ―」なんてこだまが返ってくるかもね。
岩山の上には、ローレライセンターBesucherzentrum Loreleyが建てられている。 -
ローレライの上にはためく旗です。
手前の3色旗はドイツ国旗です。
(Kさんご提供の写真です) -
ザンクト・ゴアーの街にある教会です。
-
電車がいきますよ〜(^_^)v。
-
こんどは機関車牽引の列車ですね。
ヨーロッパでは機関車牽引の列車が健在ですね。
もう一度、列車の旅をしてみたいです!! -
これは何? 古城??
古城の土手っ腹に穴をあけちゃったの??
ホントにそう思っちゃいましたよ〜。
これは鉄道トンネルの出入り口だったんですね〜(~o~)(^-^)
このステキな遊び心!!絶賛したいですね!!
世界遺産の区域内だから、このような飾りをつけた??
それは分かりません(-_-;) -
ローレライ前のキャンプ場です。
ライン川では超有名な「ローレライ」の前に陣取るなんて、キャンプ場としては最高ですね。
旅行の形の一つとして、このようなキャンプ場で泊まるのも組み込んで欲しいですね。 -
鉄道トンネル
実は、この旅行に出る前にグーグルアースでこのトンネルを見つけていたんです。しかしこれが古城なのか、教会なのか、またその一部なのか、単なるトンネルの飾りなのかまでは判断出来なかったんですよ。
どうやらトンネルの飾りのような気がしますね。もちろんつくるからには何かの設備がこの塔に設置されているかも知れませんね。 日本のトンネルも、出入り口を城の石垣を模ったり中世の「倉」を模ったりしてカッコよくしたならどうでしょうかね。
このような中世風の装飾は橋にも見られましたね。
↓はケルンの橋です。
http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/19556878/ -
「おかあさん 古い塔がたくさん見えてきたよ」(~o~)
ホント、古い塔がたくさん見えますね。
あの右側のトンネルも古城みたいな感じですね〜。
ここは何という街でしょうか?
楽しみですね!!(^o^) -
曲がっている川を進むにつれて、今までとはちょっと違った感じの街が見えてきました。
古い塔と一体になった白い教会も珍しいです。
この町は、「オーバーヴェーゼル」と言う街のようです。 -
街の後には、城壁(市壁)のようなものが見えてきましたね。
ケルンのように「自由都市」であった歴史を持っている町でもあるとのことです。
こんな田舎の街で13世紀頃から「自由都市権」を獲得していたなんて、オドロキですね。
それで、たくさんの塔があるんですね。現在でも18もの塔があるというのです。 -
帝国自由都市として改めて眺めますと、そんな貫禄を感じますね。
ところが「帝国自由都市権」も奪われます。その際の戦争でライン地方で初めて大砲が使用されたとのことです。それが、有名な?「ヴェーゼルの戦い」とされています。 -
オーバーヴェーゼルの街は、塔が多いこととワインが美味しいことから「塔とワインの町」とも言われているようです。
知れば知るほど、歴史のある街なんですね。 -
白い壁の教会は「聖マーティン教会」だそうです。
これまであまりにもたくさんの教会を見てきましたから、ここらでもう一回お祈りをしようと思いましたね。そこでお祈りしたのは、
「家内安全・大願(宝くじ1等)成就・健康増進・無病息災・ポックリコロリ・・」
などなどでした。
よろしく御願い申し上げますm(_ _)mm(_ _)m -
「おかあさん 電車が来たよ!!」(~o~)(^O^)
カミさんもすっかり鉄道派の人間になりましたから、電車を見て喜んでくれますよ(~o~)(^O^)
白い壁の街並みに、この電車もしっかり溶け込んでいますね〜(^_^) -
川沿いにも城壁のようなものがありますね。
四角な見張り塔(防御塔と言う人も)が、城壁の守りを固めるところかもね。
右側の丸く黒い屋根の建物は、ヴェルナー礼拝堂のようです。 -
先ほどから見えていたオーバーヴェーゼルの街の見張り塔です。よ〜くみますと、左右に壁のようなものが伸びていますね。
(Kさんご提供の写真です) -
オーバーヴェーゼルの街にある聖マリア教会とシェーンブルク城です。
-
オーバーヴェーゼルの街の上流側にある見張り塔です。
-
-
これもシェーンブルク城です。
四角な塔がどこに隠れていたのかと、思ってしましました。
右側の棟は、ちょっとアパートにようにも感じられましたよ。
(Kさんご提供の写真です) -
上流側から見た、聖マリア教会です。
このように赤い色をしていますので、誰が見てもよく目立ちますよ。
オーバーヴェーゼルの目印にもなりますね。 -
上流側から見たシェーンブルグ城です。
お城の形って、見る角度によってこんなにも変わるモンですね。
左側の高い壁は防御用の壁でしょうかね。
とにかくドッシリとした貫禄十分な城ですね。 -
続いて見えてきたのが、ライン河河右岸のカウプの街の上にある「グーテンフェルス城」です。
これ、望遠で引っ張っているんで大きく見えますが、実際はもっと小さく見えているんですよ。 -
「おかあさん 川の中にも何かがあるよ!!」
「おとうさん、あれって何なの??」
「オレも分からんよ」(-_-;)
この城??は「プファルツグラーフェンシュタイン城」です。
川の中にまで城をつくるなんて、ちょっと異常じゃありませんか?? 私がこんなことをしようとしても、カミさんが許さないと思いますよ(^_^;) -
「グーテンフェルス城」
1200年頃に、下級貴族のファルケンシュタイン家がライン渓谷の軍事上の拠点としてつくったようです。現在の姿と違って当時としてはライン渓谷屈指の大きさだったようです。
度重なる戦争に遭遇して、かなり破壊されましたが一部が補修されて、今ではホテルになっているとのことです。
下級貴族と言っても貴族は貴族。
当家のカミさんも、お茶碗洗い付き・お掃除付き・お風呂掃除付き・全身マッサージ付きの下男が付いていて、お出掛けの時にはスポーツタイプ?の車をぶっ飛ばしているのですから、貴族の血が流れているかも知れませんね(^-^)(^_^)v -
実は、デッキに陣を構えて撮影していたのですよ!!
皆さんと楽しく撮影会(^-^)!(^^)!
旅はこうやってするモンですね〜(^-^)(^_^)v
(Kさんご提供の写真です) -
グーテンフェルス城の下のカウフの街です。
ここにも船のマストのようなものがあったり、見張り塔もありますね。
川の方では、真ん中には浅瀬もあって難所といえます。船乗りにとっては油断なりませんね。 -
山の上にある「グーテンフェルス城」と川の中州にある「プファルツグラーフェンシュタイン城」です。
川の中州にまで城を造って船から税金を取るなんて、かなりどん欲ですね。(^_^;)
税金を払わない船には、大砲をブッ放して撃沈させたとの話もあるほどですから、船にとっては相当怖いところだったでしょうね。 川の中州にあればこそ出来る脅しですねぇ(>_<)
それにしても、海と違って川の流れのある中でどうやって船を泊めたのか??チョット分かりません。それとも、ここで船をチェックしておいて、別のこと艪で徴収したのでしょうかね?それだったら大砲は使えないはずですし、もっと詳しい放しを知りたいところですね。
そうそう、中洲の城は船のような形に似ていると思われませんか? 増水したときに備えて、上流側を尖らせているんですよ(~o~) -
オイ!オイ!!オイ!!
こりゃ、装甲車じゃないか(*_*)(@_@)
やぁ、ビックリしましたねぇ〜。
ま、とにかく穏やかにお手柔らかにお願いますm(_ _)mm(_ _)m -
くどいようですけど、「プファルツグラーフェンシュタイン城」です。
上流から見ますと、まさに船ですね(^O^)(~o~)
この城は通行税を取る目的の城で、軍事目的の城ではなかったために幾つかの戦争の戦闘に巻き込まれずん済んだとのことです。 -
オ〜!!大きい船が来ましたね〜。
この船は私たちの船のような、ベッドのある個室をたくさん備えた「クルーズ船」ではなく、大型の観光船ですね。
大勢のお客さんを乗せて、船上は大賑わいですよ!!(^_^) -
バッハラッハの街にやってきました。
山の上の古城は、「シュターレック城(シュタールエック城)」です。
11世紀末につくられたようですが、30年戦争の時に破壊され修復されたものの、17世紀にフランス軍に破壊されて廃墟になってしまったようです。その際、この城に大量に貯蔵されていた爆薬に引火して大爆発となって跡形もなくなったようです。
その後再度修復されて、現在ではユースホステルになっているとのことです。 -
左手の屋根のないゴシック調の茶色の建物は既に廃墟となっているものですが、「ヴェルネールカペレ」の遺跡と言われているようです。このヴェルネールカペレの屋根は、シュターレック城の大爆発の時に飛んでしまったとか??という話があります。
真ん中の尖塔のある教会は「聖ピーター教会」のようです。
これらの礼拝堂や教会の詳しいことは分かりません。
2011年9月13日
「ベルなー教会」を「ヴェルネールカペレ」に、「聖ピート教会」を「聖ピーター教会」へ修正しました。
himmelさん、ありがとうございました。 -
ロルヒハウゼンの街にある「聖マルティン教会??」だと思います。
川沿いの細長い街にも拘わらず、このような大きな教会が根を張っているのですね。
こちらの教会にも、「宝くじが当たって、これからもカミさんと旅行が出来ますように・・」と、お祈りをさせて戴いたのであります。
敬虔なるクリスチャンではないですけど、祈りだけは真摯な気持で一生懸命なのであります。早い時期に宝くじが当たる御利益も? 楽しみです(^_^) -
「シュターレック城」を上流側から見た姿です。
これまで見てきた古城と違って、木組みの美しい建物がありますね。
再建された城だから、このような飾りが付け加えられたのでしょうか??
一説によれば、この城のまわりには「堀」があって、いざというときには水を張ることが出来るようになっていたとのことです。平地の城ならともかく、このような山城で堀があるなんてチョット信じがたいですが、本当かも知れませんね。 -
こんどは丸い塔のある城が見えてきました。
「フェルステンベルグ城」です。
この城はケルン大司教の領地保護を目的に1219年に建設されといわれています。またライン河を行き来する船からも税金を徴収したようです。15世紀初頭にはプファルツ選帝侯が買収し、さらに銃を装備できるように城壁を改修したそうです。
17世紀に、プファルツ継承戦争でフランス軍に破壊されたと言われています。その後何人かの手に渡り再建も検討されたようですが、結局は放置されたとのこと。現在では国の所有下で城壁の補修が計画されているようです。 -
ロルヒの街の上にある「ノリッヒ城」です。小さい城ですね。
1300年頃に建てられたようです。
この城の詳しいことはあまり分かっていないようです。 -
「おかあさん、電車だよ!!オレたちが昔乗ったICEかもね?」(^-^)
この列車は、「ICE(インター・シティー・エクスプレス=ドイツの新幹線と言われる列車)」ですね〜(^_^)
ICEといえば、TGVや新幹線と覇を競う時速300Kmの高速列車ですが、いろいろなタイプがあって全ての列車が300Kmで走行しているわけではありません。
私たちはフランクフルト・ハノーバー・ミュンヘン間を何度も乗りましたので(“ICE1”の時代)、このような列車を見ると、とても懐かしいです。
ICEのことは↓にて。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ICE#7.E4.B8.A1.E7.B7.A8.E6.88.90_.28Baureihe_411.29 -
お酒も増えてきました(^-^)(~o~)。
デッキ上で大宴会となってきましたね〜(*^_^*)
クルーズというものは、こういうものなんですよ!!
でも、こんなに楽しくさせていただいたのも皆さん方のご厚意があってのことですから、本当に感謝・感激なのであります!!
(Kさんご提供の写真です) -
「フェルステンベルク城」をやや川上から見た姿です。
写真下の川の中に白い筋状の線が見えますが、これは川の流れを速くするための「水制」というものです。
↓をクリックされて、青いアドバルーンをクリックされてみて下さい。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000484efec757523341de&ll=49.981847,7.97807&spn=0.011742,0.012681&t=h&z=16 -
「ハイムブルク城」が見えてきました。
頑丈な造りの感じを持ちますね。ドラム缶を見るような感じがしましたね(^O^)(~o~)
この地はマインツ大司教の飛び地だったことから、南北のライン宮中伯に対抗するために1305年につくった城で、当初は「ハーネック城」などと言ったそうですが、「ハイムブルク城」と変えたとのことです。
その後、ライン宮中伯の「ライヒェンシュタイン城」がマインツ大司教の手に入ったことから、この城の価値が低下してしまったとのことです。それでも、例によってプファルツ継承戦争でフランス軍に破壊され廃墟になってしまいました。
その後所有者は点々として、現在は個人所有となって公開されていないということです。
この城は街に近くて、低いところにありますね。
そういう点では珍しい城と言えます。 -
デッキ上の宴は快調に進んでいます(~o~)(^_^)v
-
上記の「ハイムブルク城」です。
ホントに森の中に隠れそうな城ですね。 -
右手(左岸側)遠くに城が見えてきました。
ホントにたくさんの城がありますね〜。 -
城の様子がハッキリと見えてきました。
とってもカッコいいお城ですね。
城の名は「ゾーンエック城」です。
この古城は、ライヒェンシュタイン城を守ることを目的としてつくられたと言われています。建設年は1010年頃という話もありますが13世紀頃という話もあります。まぁ、定かでないということですね。
1253年と1282年と2度も破壊されて、その間に上流側のライヒェンシュタイン城と共に盗賊の住み家になったとのことで、さらに何度も破壊されたらしいです。その後何度も再建が繰り返され、フランス軍にも爆破され、現在では美術館となって公開されているとのことです。
盗賊が住み着いたことについては、神聖ローマ帝国の支配力の低下が要因と見る向きもありますが、それにしても盗賊の住み家になるなんて、世間というものは分かりませんねぇ(-_-;) -
こちらから見ると頑丈な岩場の上に建っていたことが分かります。
-
「おかあさん、あっちにもお城が見えてきたよ!」(^o^)
「ライヒェンシュタイン城」です。 -
「ライヒェンシュタイン城」の正面です。
大きな城ですね。形も四角でチョット単純ですね。
城がつくられた年は12世紀初頭から13世紀までの説があってイマイチ不明です。この城の違うところは、大司教やナントカ伯がつくったのではなく修道院がつくったことですね。しかし、結局は売却されてマインツ大司教の手に渡ったとされています。
13世紀後期以後所有者は転々とし破壊と再建を繰り返し、17世紀のプファルツ継承戦争ではフランス軍に爆破されたとのことです。
20世紀初頭に修復工事がされて、現在の形になったそうです。
13世紀頃には城が一時放置されて、ゾーンエック城同様に盗賊の住み家になったという話が有名です。 -
ライヒェンシュタイン城の北側に隣接する「聖クレメンス礼拝堂」とのことです。
12世紀に建てられたとのことで、ライン河沿いの教会ではかなり古い方になるそうです。
聖クレメンスは聖ペトロや聖パウロを直接知る人物とされている人です。
彼は、聖ペトロや聖パウロからキリストの教えを聞き使徒たちを助けて宣教したといわれる人で、12使徒の弟子とも言われています。
聖クレメンスは第4代教皇にもなったとのことです(制度としての“教皇”も、この時点ではハッキリしていなかったという説もあるようです)。使徒たちから受け取った信仰の遺産を忠実に守って、現在も信者と使徒とを結ぶ聖人として尊敬されているようです。
彼はローマ皇帝の迫害に遭い、奴隷として働き、最後には死刑に処せらたとのことです(実際には、彼の最期はよく分かっていないようです)。
18世紀に、彼が碇に縛り付けられて海に沈めらる様子が描かれています。
聖クレメンスの言葉
「イエスに従うすべての人々の目的は平和である」 -
山の斜面に古城が!! こんなところに城を造るなんて・・。
この城は「ラインシュタイン城」です。
↑のゾーンエック城にも引けをとらないほど、美しい形をしたお城ですね。 -
ラインシュタイン城がこんな感じに見えてきましたよ〜。
下の道路からジグザグの上り道が取り付けられていますね。是非ぜひ登ってみたいものです。
さて、この城もマインツ大司教が税関として建てられたもののようです。
このお城はすでに1000年ごろの記録があるという説や1260年頃に造られたという説もあります。14世紀という説もあるようです。早い話が分からないと言うことですね。
築城の動機は河を行く船から通行料(税金)を取るためと、下流のライヒェンシュタイン城への対抗心もあったようです。このあたり、なかなか複雑ですね。
その後所有者が転々としてようでしたが、城はどんどんオンボロになり17世紀の30年戦争やプファルツ継承戦争の時にはボロボロになっていたとか。それでもフランス軍はこの城を爆破したようです(爆薬が相当余っていたのでしょうかね?)。
1823年にプロイセンのフリードリッヒ王子が買い取って再建したそうで、それ以来「ラインシュタイン城」と呼ばれているようです。現在は一般に開放されているようで、レストランもあるようです。
(Kさんご提供の写真です) -
ラインシュタイン城を上流側から見た様子です。
急峻な岩の上に上手に建設していることが分かりますね。
クレーンも何にも無い時代にこのような城を建設したなんて、本当に溜息が出ますね。
また、岩の上面は突起と凸凹があったはず。11〜13世紀頃の技術で如何にしてその岩の表面をならしたのか??城の歴史のみならず、そういうところも解説して欲しいところですね。 -
お友達の奥さまと記念写真です!!
ノンビリゆったりの旅であります(^-^)(*^_^*)
背景はアススマンスハウゼンの街です。
(Kさんご提供の写真です) -
カッコいい観光船とすれ違いました。
お客さんがちょっと少ない感じですね。
この船の籍は、今朝私たちが出発したボッパルトのようですね。
この背景もアススマンスハウゼンの街です。 -
約2Km上流側からライヒェンシュタイン城を捉えてみました。
中世の船乗りたちはこの眺めを見ながら、北へ南へと船を進めたのですね。 -
ビンゲン・アム・ラインの街の西にある「ビンガーブリュック」の街にある、聖ゴルディアヌス(St. Gordianus)教会と、聖エピマクス(St. Epimachus)教会です。
この二人の聖人のことはよく分かりませんが、多くの場合その名が揃って取りあげられています。
『レゲンダ・アウレア(Legenda aurea, 黄金伝説)』によるキリスト教の聖人伝集では、その69章に二人並んで取りあげられています。そのせいか、教会も並んでいるんですね。
この二人についてご存知の方がおられましたら教えて下さいね。 -
何か四角な建物が見えてきました。
この城は「エーレンフェルス城」です。
この城は、ねずみの塔と共に船から通行税を取り立てるために、1220年マインツ大司教が城塞として建設したとのことです。この城もプファルツ継承戦争でフランス軍に破壊され廃墟となってしまったようです。ブドウ畑の中に廃墟となって歴史を語るその姿は、ライン川から見える最も美しい城塞のひとつなどといわれています。
これまで、モーゼル河やライン河の古城をたくさん見てきましたが、本当にたくさんの城が爆破され、破壊されましたね。それはルイ14世やナポレオンによる場合が多いのですが、戦争の絶えることのなかったヨーロッパの厳しい歴史を見せつけられた想いがしましたね。 -
ビンゲン・アム・ラインの街から東の山の上にある、「聖ロクス(St. Rochus)礼拝堂」のようです。
聖ロクスは伝染病よけの守護者として、一番有名な聖人だったとのことです。 -
「ネズミの塔)
ローレライから8Kmほど上流側にも河の中洲に城(プファルツグラーフェンシュタイン城)がありましたが、もう一人同じことを考える人がいましたねぇ(^_^;)
この塔は13世紀頃に、マインツの大司教が川を航行する船から通航料(税金)を取る目的でつくったと言われています。
19世紀中頃、ネオ・ゴシック様式に改築されたとのことです。いつからか分かりませんが、1974年まで船のための信号所として使われていたとのことです。 -
近くで見た「エーレンフェルス城」です。チョット小ぶりですね。
それにしても、ライン河を通る船から通行税という名目で「カネ」を巻き上げるために、いったいどれだけの城が出来たというのでしょうかね。
プファルツグラーフェンシュタイン城では、「カネ」を納めない船には大砲をブチ噛ましたというのですから、身勝手なような気もしますね。 -
ネズミの塔には、誰かがつくった物語があるのですよ。
その話の筋書きは以下の通りです。
マインツ大司教は農民から穀物の十分の一税を取り立てていたそうですが、不作でも年貢を取ったみたいです。農民たちは大司教に税の軽減と食料の支給を願い出たのに、逆に穀倉に入った農民たちを閉じ込め火をつけて全員を殺してしまったとか。だが、逃げおおせたネズミたちは大司教を襲い、この塔に逃げた大司教を食べてしまったというのです。
おそらくは、殺された農民がネズミになって大司教に仇をとったということでしょう。あの時代なら、どこでもありそうな話ですね。悪いことをしたり、人をいじめてはイケマセンね。 -
ビンゲン・アム・ラインの街の真ん中の高台にある「クロップ城」です。工事中のようですね。
-
ニーダーヴァルト祈念碑が見えてきました。
私たちの船からの距離はおよそ1Km。望遠でグーンと引っ張り寄せて撮影しました。
出来れば、そこへも行ってみたいと思いましたね。 -
「おかあさん、リューデスハイムの街へ着いたよ〜」
そう、リューデスハイムの街へとやってきました。
リューデスハイムは世界遺産「ライン渓谷中流上部」を見る観光船の北からの終着地であり、北方面(バッハラッハ、ザンクト・ゴア、ボッパルト、コブレンツなどの街)への始発点でもあるようです。
もちろん。もう少し上流のマインツまで行く観光船もありますけどね。 -
先ほど捉えた「クロップ城」です。
この城をつくったのはマインツ大司教で、船から通行税を取るのが目的だったようです。
この城が建っている場所あたりは、紀元前11年の頃にローマ帝国が国境警備のための「ビンギウム城」を築いていたというのです。
クロップ城は30年戦争で破壊されて再建されたようですが、プファルツ継承戦争でも破壊されたとのことです。
現在の形は、1853年以後にネオ・ゴシック様式で再建されたものとのことです。今はレストランとして使われているようです。
それにしても、ライン河での通行税・通行料というのは、いったい何カ所で徴収されたのでしょうかね?それらは結果として商品値段に上乗せされますし、(出来なければ赤字営業ですね)、いちいち船を止めていては操船も危険で、税金のための「カネ」も用意しなければならず、それこそ本当に大変ですよね。どこかの本でチラッと見た記事では、輸送業者や商人たちが大司教らと通行税などの値下げを交渉したとのことが書いてありました。
結局、大河・ライン河には、あの時代からそれだけの物流(経済活動・富の流れ)があったと言うことなんでしょうか。面白いですね。 -
リューデスハイムの街に到着しました。
これよりお昼を戴いて、リューデスハイムの街に出掛けます。
今日のお昼は「お弁当」です!!(~o~)(^O^)
ケルン→モーゼル河クルーズでたくさんの古城を見たからといって、期待はずれってことはなかったですね。
「ライン河」
その名を思い浮かべるとき、“川”プラス“何か”を感じられてきたように思います。
それでも、私たちの知ったライン河はホンの一部に過ぎません。これから行くライン河はどんな姿を見せてくれるのか楽しみですね。
(その11に続きます)
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この旅行記へのコメント (4)
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- 白い華さん 2010/09/05 17:48:46
- 滅多! に 見られない・・・「装甲車 を 載せた! ドイツ鉄道」
- 今晩は。
カメちゃん の 「欧州・ライン川 クルーズ の 旅」 も、 ライン川 クルーズ の 佳境! ローレライ の 岩・・・ へと、 入って 来ましたね。
悲しい〜! 女 の 伝説・・・ が、 有名 な ローレライ は、 (ただ・・・ の 大きな 岩山 ?) でも、 日本人 の 私・・・ も 知っている 位、 有名 な ライン川 の 見所。
観光 ポイント! って、 現代や、 近代、 近年・・・ の 建物 などは、 ひと目!!! で、 その・・・ 魅力 が、 視覚的 に 理解! 出来ます・・・ けれど、
大昔・・・ の 遺跡 や、 城跡・・・ など って、 なかなか、 理解 しにくい・・・ ですよね〜。
その時、 そんな・・・ 美しい〜 伝説 や、 神話。 昔話・・・ が、
「目の前 の ただ・・・ の 原風景」 を 違った! 風景 の 大昔 の 物語・・・ の 世界 に、 連れていって くれる。
いやぁ〜、 そう・・・ 思った のは、 只今、 製作中 の 「岩手路 の 旅行記」 での、 遠野・・・ で 思ったこと!・・・ ナンデス。
遠野 は、 民話・・・ の 故郷。
見所 って、 ただ・・・ の 小さな 川 が 「カッパ淵」 と 云った・・・ 観光 ポイント! に、 なっていたり、 広〜い! 農村 風景・・・ が、 他 の 町! なら、 なんでもない・・・ 風景! なのに、
訪れた! 観光 客! の 「ココ! は、 遠野・・・ 原風景! も 一味・・・ 違った! 魅力 が あるんだ〜」 の 魔法 の 思い込み! が、 旅を 魅力的! に して・・・ しまう。 (笑)
そんな・・・ 視線! で 眺める・・・ 岩手・遠野 は、 今回 の 旅行 で 一番! 時間を 掛けてしまい、 とっても、 素敵!!! でした。
そんな ワケ! で、
大昔 の モノ! を 見る・・・ 旅 には、 そんな、 昔話にも、 シッカリ・・・ 耳 を 傾けたい! モノ ですね〜。
そして、 川沿い! に、 通行税・・・ を 取り上げる! ため・・・ に 建てられた・・・ 城。
王様 たち・・・ も、 やっぱり、 お金 が 欲しかったンですね〜。
現代 に、 暮らす!・・・ 私たち 庶民 には、 宝くじ! で、 一攫千金・・・ しか、 ありませんわ〜。 (爆)
それにしても、 こわもて! の 装甲車・・・ を 幾つ! も 載せて・・・ 走る ライン川 沿い! を 走り・・・ 往く、 鉄道〜。
コレ! は、 珍しい〜・・・ トコロ を 見られて、 良かった ですね〜。
びっくり・・・ しました。 そして、 こんな 乗り物 が、 ミスマッチ! の ワン・シーン も、 とっても、 面白い・・・ と 思います。
続く・・・ 欧州 クルーズ。 とっても、 楽しみ! デス。
それでは また
- カメちゃんさん からの返信 2010/09/05 23:30:30
- RE: 装甲車にはビックリしました(^_^;)
- 白い華さん こんばんは〜
ライン河・モーゼル河クルーズの話も、ようやく中間地点まで漕ぎつけられました(~o~)
白い華さんには、そんな私の旅行記をいつもご覧いただいて心から感謝しておりますm(_ _)m
> その時、 そんな・・・ 美しい〜 伝説 や、 神話。 昔話・・・ が、
> 「目の前 の ただ・・・ の 原風景」 を 違った! 風景 の 大昔 の 物語・・・ の 世界 に、 連れていって くれる。
お話しのように、旅にはそういう雰囲気を察しながら“見る”というのも、楽しみの一つですね(^_^)
ご存知かも知れませんが、ローレライは「世界3大ガッカリ名所」に数えられることもあるのですよ(-_-;) 「“名所”への期待」だけで見に行ったら、そりゃガッカリすると思いますね〜(~o~) その人を知らずして逢ってみて、姿だけ見てガッカリすることなんていつものことですしね(^_^;)
> そんな・・・ 視線! で 眺める・・・ 岩手・遠野 は、 今回 の 旅行 で 一番! 時間を 掛けてしまい、 とっても、 素敵!!! でした。
人の息づかいや心が伝わってくる風景・・。それが旅の隠し味かもね。(^-^)
今回の旅行に関して私たちが一つ幸せと感じたことは、あの時代劇にも出てくる「大八車」の時代、「モモ引き」姿の父と「モンペ」姿の母を鏡に私たちもこの手でこの身体で田畑や山林を駆け巡った時代を体験していたことですね。ライン河やモーゼル河流域の朝靄の山河も、山に佇む古城の姿も、あの時代に重ね合わせて感じ取れるような気がするからです。
また、ヨーロッパの原風景の隠し味は??そんなことを考えながら眺めてみるのも面白いですね〜(^o^)
> 大昔 の モノ! を 見る・・・ 旅 には、 そんな、 昔話にも、 シッカリ・・・ 耳 を 傾けたい! モノ ですね〜。
本当にお話しの通りですね。
旅の流行する現代ですが、ただ見て回るだけでなくて「何か」を感じ取ってこれる旅ですといいですね〜(^^)
> 王様 たち・・・ も、 やっぱり、 お金 が 欲しかったンですね〜。
あのライン河のお城の多くが、船から「カネ」を巻き上げるためにつくられたなんて、ホントに唖然としてしまいますね。ヨーロッパの中世は、「カネ」と権力と宗教の絡み合った激烈な戦いの時代でもあったようですね。「カネ」というものは、やっぱり恐ろしいものですね〜(-_-;)
> コレ! は、 珍しい〜・・・ トコロ を 見られて、 良かった ですね〜。
平和なクルーズをしているときに、あのような装甲車を見て本当にビックリ!!しましたね。
この世で怖いものは、カミさんの「愛の仕打ち(^_^)」と怪談と武器ですね。
優しく、優しくお願いしたいものです!!(~o~)
(その11)では、リューデスハイムの酒場に行きます(*^_^*)
新宿の「BAR」のようなわけにはいきませんが、楽しいひとときでした。
また、のぞきに来て下さいね!!
ありがとうございました。
これからもよろしく御願いします。
カメちゃん
-
- マチャさん 2010/09/05 15:08:58
- こんなところに『ねずみの塔』があったんだ…
- カメちゃん、こんにちは。
まだまだ暑さは衰えませんね〜
こんな暑い日にはカメちゃんのクルーズ旅行記で涼むに限る!
それにしてもクルーズ船はのんびり優雅な旅が出来ていいですね。
次々と現れる古城をしっかり探せている様で。。。。
私なんて、ずっとキョロキョロ、フロントガラスの真上にいきなりお城が現れるなんて事も。。。。
『ねこ城』から『ねずみ城』を振り返るなんて出来ませんでした。
コーヒー飲みながら、お友達とお話しながら、ワイン片手に宴会しながら、ガイドブックを片手に古城をゆっくり眺められるクルーズの旅の良さがしみじみ解りました。
やまびこに向かって「お母さ〜ん」と叫んじゃうカメちゃん、可愛い♪
でもやまびこが「お父さ〜ん」ってかえしてきたらビックリですよね。
そして私が見つけれなかった『ねずみの塔』
カメちゃんのお写真にはしっかりある。
次は絶対クルーズがいい〜っ。
マチャ
- カメちゃんさん からの返信 2010/09/05 17:10:03
- RE: 次回は船で(^_^)
- マチャさん こんにちは〜(^^)
きょうも暑い一日になりましたね。いったい何度になったのでしょうか?
昨日の名古屋の気温が38度だったとか? もう、ムチャクチャですね(-_-;)
> こんな暑い日にはカメちゃんのクルーズ旅行記で涼むに限る!
とっても嬉しいお話!!(^_-) 本当にありがとうございます!!m(_ _)mm(_ _)m
> それにしてもクルーズ船はのんびり優雅な旅が出来ていいですね。
> 次々と現れる古城をしっかり探せている様で。。。。
クルーズっていいでしょう!!
ゆっくりとした速度(時速10〜15Km程度)で360度の見晴らしがありますから、両岸の風景をじっくり眺めることが出来ますよ〜。船の移動によって変化していく城や街の様子もしっかり見られますから、これも面白いものです。
この区間(ボッパルト→リューデスハイム)では、城や街の詳しい説明がデッキ上のスピーカーから流されていましたよ。現地の観光船でも説明があるのですけど、各国語で順番にやることから日本語でやるときには(こんな船は少ないですが)、もうそのお城が見えてないなんてことがあるようですね。
> 『ねこ城』から『ねずみ城』を振り返るなんて出来ませんでした。
車や列車などですと、どうしても視界が限られますからね。
目的の場所に行きたいときには、車だと便利ですけど・・。
> コーヒー飲みながら、お友達とお話しながら、ワイン片手に宴会しながら、ガイドブックを片手に古城をゆっくり眺められるクルーズの旅の良さがしみじみ解りました。
クルーズの良さの一つには、時間がたっぷりとあることですね。3度の食事の時間も合計すれば4〜5時間かけていますからね。日中はデッキやラウンジで好きな過ごし方が出来ますしね。夜は好きなだけお話が出来ますし・・(^-^)(^_^)v
ですから、旅行費用を楽しめる時間で割れば、格安の旅行ということになるんですよ!!(^o^)
> やまびこに向かって「お母さ〜ん」と叫んじゃうカメちゃん、可愛い♪
カミさんへのゴマすりを忘れたことはありません(^_^;)
恐妻家の宿命であります(^^;)
> そして私が見つけれなかった『ねずみの塔』
> カメちゃんのお写真にはしっかりある。
次回ドイツにお出掛けの時には、必ず見つけて下さいね(^^)
> 次は絶対クルーズがいい〜っ。
オススメしますよ〜〜!!(^_^)v
「耐える妻の会」の総会もクルーズで!!(^o^)
ありがとうございました。
カメちゃん
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