2010/07/22 - 2010/07/22
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ソフィさん
私の生まれた1930年は昭和5年。
第一次世界大戦景気の余波を受けたデカダンスと、来るべき戦争の予感を受けての緊張とが入り混じった、変化の多い幸福な時代だったと思います。
日中戦争が始まるまでは、アイスキャンデーや、子供は歌っちゃいけない「忘れちゃいやよ」などの流行歌と、子供心にも社会のダイナミズムを感じる、活発な時代でした。
そこで小学校(大阪府豊能郡箕面尋常高等小学校)入学ということになりますが、小学校は私にとって初めて経験する家庭以外の社会でした。
ここで私は、非常な幸運に恵まれたと思います。
それは、優れた先生との出会いでした。
二年生から、四年生半ばの転校まで担当された井上正八先生(丸亀市名誉市民)は、私たちに「人間を信頼する」と言う大切なことを、心深く根付かせて下さったと思います。
この先生は天王寺師範を出たばかりでしたが、将来は生国讃岐に戻って村長になり、村を立派にしたいとの夢を持っておられました。
私も級長に選ばれ、わがクラスを全校一に育てたいと、全力投球しました。
小学四年生の後半からは北陸の金沢に転校し、金沢一中に入学します。
優秀な同級生が次々に軍隊の学校に去ってゆく間、私は1945年の春から戦闘機「キ84」製作のため、同級生たちと手取川河口の町美川に合宿生活を送ることになります。
この工場設備は立川から疎開で移転して来たものでしたが、工員のほぼ全員が同級生でした。
14歳の子供が、扱ったこともない旋盤やフライス盤を使い、24時間三交代で飛行機のエンジン・シリンダーを造ります。
この飛行機は終戦三年前の1943年から製造開始され、合計製作数3,500機にも達したとされるが、「優れた性能にもかかわらず評価は分かれる」と言われている原因の一つに、我々の未熟な製造技術があると考えます。
私は総員の三分の一60人余が枕を並べる大きな寺の本堂の責任者として、同僚たちの心身の健康に心を配りますが、四ヶ月間に及ぶ食料不足の中の合宿生活を大きなトラブルなしに無事終えたことは、今から考えれば不思議に思われます。
その理由の大きなものは、各自が全力を国に捧げようとする熱意だったのでしょう。
しかし毎日のように発生する細々したトラブルの調整は、凄い経験だったと思います。
そして7月の終わり近く、終戦直前、かねて結核を患って入院中だった父が、栄養不良で死にます。
辞世は「露の身も 死は荘厳の極みかな」でした。
写真は「ソフィーさんのマイページ」(訪問54カ国、文章1,590件 写真6,770枚)、
http://4travel.jp/traveler/katase/
スイスの写真が美しい「片瀬貴文さんのマイページ」(文章625件 写真2,400枚)
http://4travel.jp/traveler/takafumi/
ブログの作成日順に並んでいる「片瀬貴文の記録」(文章1,650件)
http://blog.alc.co.jp/d/2001114
(片瀬貴文 79歳)
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