2010/05/15 - 2010/05/15
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梨木神社(なしのきじんじゃ)は、明治維新に貢献した三條實萬(さんじょう さねつむ1802−1859年)・三條實美(さんじょう さねとみ1837−1891年)父子を祭神としている。境内の井戸の水は「染井の水」と呼ばれ、京都三名水(醒ヶ井・県井・染井)のひとつとされ現存しているのは染井の水のみとのこと。
久邇宮朝彦親王(くにのみや あさひこしんのう1824−1891年)の令旨により、三条家の邸宅跡に三條實萬を祀るための社殿を造営し、1885年に地名からとった梨木神社として創建している。
梨木神社に面している廬山寺(ろざんじ)は圓浄宗の本山で紫式部(むらさきしきぶ、生没年不詳)の邸宅跡として知られている。
比叡山延暦寺の中興の祖である良源(りょうげん912−985年)により938年に京都の北山に創建された。1965年に考古・歴史学者角田文衞(つのだ ぶんえい1913−2008年)により紫式部邸跡とされた。
清浄華院(しょうじょうけいん)は浄土宗七大本山の一つで平安時代860年に清和天皇(せいわてんのう850−881年)の勅願により円仁(えんにん794−864年)が開基した寺で梨木神社、廬山寺の近くにある。
このあたりを平安時代は「中川のわたり」と言って源氏物語では空蝉の紀伊の守邸があったと設定され『蜻蛉日記』の作者、道綱母も住んでいた。廬山寺の面している寺町通は平安時代の東京極大路で、隠れ家的な高級住宅街。空蝉、紫式部、道綱母のような身分は低いが裕福な受領階級貴族が大きな家を建てた地域だった。
大貴族は大内裏に近い、二条大路に面した場所に邸を構えていた。源氏物語では光源氏の二条院も右大臣の二条殿も、藤壺の三条の宮も二条大路の近くに住んでいたと設定されている。
このあたりで紫式部が生まれ、育ち、藤原宣孝(ふじわらのぶたか953−1001年)と結婚し999年に一女・藤原賢子(かたいこ・けんし)を儲けたとされている。源氏物語を描いた紫式部の故郷・実家での生活の様子が思い浮かぶ。
(写真は紫式部の邸宅跡、廬山寺)
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梨木神社の光景。
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梨木神社の光景。
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梨木神社の由緒説明。
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梨木神社の光景。
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梨木神社の光景。
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梨木神社の由緒説明。
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梨木神社の光景。
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梨木神社の光景。
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梨木神社の光景。
湯川秀樹(ゆかわ ひでき1907−1981年)の歌碑。湯川秀樹は日本最初のノーベル賞学者で梨木神社「萩の会」の初代会長だったとのこと。 -
梨木神社の光景。
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廬山寺の光景。
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廬山寺の光景。
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廬山寺の光景。
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廬山寺の光景。
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廬山寺の由緒説明。
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廬山寺周辺の光景。
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廬山寺の由緒説明。
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廬山寺周辺の光景。
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清浄華院の光景。
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清浄華院の光景。
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清浄華院の由緒説明。
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清浄華院の光景。
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清浄華院の光景。
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清浄華院の光景。
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清浄華院の光景。
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清浄華院の光景。
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納涼を楽しむ人たちで賑わう四条の鴨川の光景。
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納涼を楽しむ人たちで賑わう四条の鴨川の光景。
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納涼を楽しむ人たちで賑わう四条の鴨川の光景。
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