2010/06/12 - 2010/06/12
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かめさん
仁和寺と白峯神社に行きました
白峯神社は元々、蹴鞠の神社ですので、ワールドカップ公式ボールとか サッカー関係のものがいろいろとありました。
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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仁和寺 二王門
仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって鎮護国家・仏法の興隆を図るため「西山御願寺」(にしやまごがんじ)と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。
しかし光孝天皇は志なかばにして崩御せられ、次の第59代宇多天皇が先帝の遺旨を継がれ仁和4年(888年)にその造営を完成されました。西山御願寺は先帝から受け継がれた「仁和」の年号をもって仁和寺(にんなじ)と呼ばれるようになりました。 -
仁和寺 左が勅使門です
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仁和寺 北庭 五重塔が見えます
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仁和寺 北庭 五重塔が見えます
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仁和寺 北庭 五重塔が見えます
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仁和寺 北庭
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仁和寺 北庭
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仁和寺 五重塔
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仁和寺 五重塔
仁和寺にある江戸時代建築の重要文化財建造物。寛永21(1644)完成。高さ36m。東寺の五重塔と同じく、寛永期を代表する塔。「御室桜」と共に仁和寺のシンボルとなっている。 -
仁和寺 金堂
真言宗御室派総本山。886年(仁和2)、光孝天皇の勅願により創建、888年(仁和4)に完成。年号を寺名とした。宇多天皇が落髪入寺し寺内に御室(御座所)を設け、御室御所と呼ばれた。以後、明治まで代々法親王が門跡となり門跡寺院の筆頭にあった。堂塔伽藍は応仁の乱(1467-77)で多くを焼失、寛永年間(1624-44)に再興した。金堂(国宝)は御所紫宸殿を移築。御影堂(重文)も旧清涼殿の材を用いて建立した。霊宝館には、阿弥陀三尊像(国宝)、孔雀明王像(国宝)、弘法大師の真筆三十帖冊子(国宝)など多くの寺宝を陳列。遅咲きの‘御室桜’は有名で名勝。旧御室御所御殿の御所風たたずまい、豪華な障壁画が見事。1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。 -
仁和寺 経蔵
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仁和寺 金堂
仁和寺にある桃山時代建築の国宝建造物。慶長造営の旧紫宸殿を賜って仏堂としたものといわれ、現存最古の紫宸殿の遺構であるが、屋根が桧皮葺から瓦葺になっている。 -
仁和寺 水掛不動
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仁和寺 水掛不動
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仁和寺 御影堂
仁和寺にある桃山時代建築の重要文化財建造物。慶長造営の清涼殿の古材の一部を再利用して仏堂としたもの。 -
仁和寺 御影堂
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仁和寺
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仁和寺 二王門
仁和寺にある江戸時代建築の重要文化財建造物。正保元年(1644)頃完成。純和様で作られていることが特色で、王朝時代に創建された当寺の二王門にふさわしい復古的な気風が漂う。 -
嵐電 御室駅
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京都市バス ようこそジャパン ラッピング
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カステイラ専門店 越後家多齢堂
越後家多齢堂のはじまりは、初代が長崎でオランダ(人)から製法を伝授され、江戸時代中期に、京都に持ち帰ったことと伝えられていますが、記録がないため、正確なところは実はわかっていません。
初代から3代ほどについては、ずいぶん昔のことでもあるため、確かな歩みはベールをかぶってしまっています。
その後、昭和23年に、中川肇蔵(ちょうぞう)が、京都市内の今出川千本の地に店舗を構え現在に至っています。 -
西陣 石畳の道
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京都市考古資料館
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京都市考古資料館の説明
元の西陣織物館です -
西陣の碑
「西陣」の名は応仁の乱で西軍総大将である山名宗全が堀川よりも西に陣をおいたとされたことが由来です -
京菓匠 鶴屋吉信本店
京菓子が、ほぼこんにち見るような姿になったのは、江戸時代に入ってからで元禄期を過ぎ、文化文政期の頃からといわれます。公家文化の復興と茶の湯の文化の興隆によって京菓子も多彩な発展をとげました。
享和3年(1803)、初代伊兵衛による鶴屋吉信の創業は、そのスタートラインにあたります。おりしも輸入砂糖配分のために上菓子仲間が結成されて上菓子司の結束と技を磨く切磋琢磨の機運を醸成して京菓子発展に寄与したのでした。
上菓子仲間は明治・大正期には「菓匠会」に発展してこんにちに続いています。
明治維新後、鶴屋吉信3代伊兵衛は「柚餅」を創案、西陣織隆盛の地にあって京菓子司の家業を大きく発展させました。
続く4代稲田儀三郎は、銘菓「福ハ内」を創案、昭憲皇太后をはじめ皇室のご愛顧を賜りました。また「柚餅」を愛好した文人富岡鉄斎との親交によって大看板の揮毫や装画、画賛などを得て京名物として声価を高めました。明治・大正の京都観光ブームに呼応して「京名物協会」の結成を呼びかけて京みやげの業界発展に貢献したことも儀三郎の功績として忘れられないことです。
昭和8年、昭和天皇による「柚餅お買い上げ」があり、また第二次世界大戦のさなか、政府による「戦時京菓子18種」のひとつに「柚餅」が選ばれるなど、激動の時代にあっても京菓子司の暖簾は守られて戦後の発展を迎えます。
戦後、5代稲田栄三によって鶴屋吉信は家業の暖簾を株式会社として近代経営に乗せて、東京に支店を築き、多彩な営業活動を発展してきました。「柚餅」とともに銘菓「京観世」が代表商品として鶴屋吉信発展の力強い牽引力となってきました。 -
白峯神宮
時は幕末動乱の日々、孝明天皇は幕府に命じて「崇徳天皇」のご神威を仰がれようとされましたが、間もなく崩御。
父帝のあとを継がれた明治天皇は、維新の礎を固めるために父帝のご意志を尊ばれて、社殿を造営して四国坂出の御陵よりご神霊をお迎えになりました。
続いて淡路島の御陵より「淳仁天皇」のご神霊をお迎えになりました。
この地は、代々、鞠と和歌の宗家である公家飛鳥井氏の邸地で、「精大明神」が祀られており、御所にほど近く、樹齢数百年の霊木たる小賀玉の木のもと、飛鳥井の井から清水が湧き、百万都市京都のオアシスともなっています。 -
白峯神宮
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白峯神宮
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白峯神宮
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蹴鞠の碑
球技・芸能上達守護
(せいだいみょうじん)
精大明神
平安朝の昔から鞠の守護神「精大明神」を、その道の第一人者 である公家の飛鳥井家が、邸内に祀って代々尊崇されていました。
近年はマリを扱うスポーツ全般の守護神として広く知られ、 全国で唯一の「闘魂守」を求めて各地から参詣する人が多く、 4月14日(春期大祭)・と7月7日(精大明神祭)には が伝統を受けつぐ京都蹴鞠保存会によって、古式ゆかしく奉納されます。
また、精大明神は「七夕の神」とも説かれて、 芸能・学問の向上を祈って7月7日の七夕にはが、 あでやかに奉納されています。 -
蹴鞠の碑の説明です
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サッカー関係の献灯がたくさんあります
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アルシンドです
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高原直泰選手です
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蹴鞠をするところ
鞠庭です -
キャプテン翼のサインボールです
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ワールドカップサッカー
フランス大会の公式ボールが奉納されています -
ワールドカップサッカー
日本・韓国大会の公式ボールが奉納されています
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