2010/05/10 - 2010/05/10
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tabioyaji2さん
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承徳に乾隆帝により建立された小ポタラ宮と通称される普陀宗乗之廟を見学する。
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北京からの茨城県土浦市人の団体の朝食とかち合った。この人たちの行動を見ていて思ったのは、中国は人口が多いから、譲り合っていたら食えないという原理があるということ。兄弟が多いとすばやく食い物を取らないと食べ損ねる原理だ。我先に行動し、自分の物は自分で確保する。それができないのは最初から負けなのだ。これが中国の生きる原理だと感じた。
この様子を見ていて、これらの人たちを統制するのに民主主義は向かないと思った。この国に必要なのは、力な一元的な権力である。中国4000年の歴史は、この人民の性格の上に成り立っているのだと思う。人民は権力の変化には「革命」という理由をつけて、力があるものが天下を取ることを正当化してきた。人民は暮らしぶりがよければその政権はいい政権なのだ。
この人たちに立ち向かうのは、半端ではない。
この人たちの行動原理を理解すると、中国が見えてくるように思えた。彼らは個々の人たちはいい人だけど、集団になると生存競争本能が一気にあふれるのだ。その場合は建前が優先する。この国を理解するキーワードを見たように思う。 -
普楽寺の旭光閣が見える。ここには寄らない。
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須弥福寿之廟を垣間見る。戦前の写真を見るとここは樹木が一本もない曠野であった。
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避暑山荘の城壁。
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承徳の武烈河の川沿いの昔ながらの胡同地区は取り壊されて公園になるという。家を立ち退く人たちの補償問題は解決されていないけれど、解体は始まっている。河から離れた山に住宅が作られているとガイドのリーさんが説明してくれた。
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小ポタラと言われる普陀宗乗之廟です。まさにポタラににせて建てられていますね。
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須弥山福寿之廟の概観。今回はこの寺には寄らない。この寺はいまでも修行僧が修行している。この寺はパンチェンラマ4世が、乾隆帝60歳と皇太后80歳の長寿を祝って、この承徳に3ヶ月近く滞在したときに、宿泊用に建立された寺。この寺の屋根も金胴瓦です。寄りたかった。
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昭和16年(1941年)ころの普陀宗乗之廟の写真。五十嵐牧太著「熱河古蹟と西蔵芸術」(第一書房)の写真から転用。当時の様子がこれで知れます。
樹木がないところだったんですね。現在は植林されて風景がずいぶんとかわりました。 -
昭和16年(1941年)ころの普陀宗乗之廟の写真。五十嵐牧太著「熱河古蹟と西蔵芸術」(第一書房)の写真から転用。当時の様子がこれで知れます。
戦前の満州国の遺跡として日本人学者が調査をして、保護依存の必要性を説いていたのです。このエリアは日中戦争の発端の導火線となった「熱河作戦」の行われたところです。でも日本軍によって破壊されないでよかったです。 -
同じく普寧寺の当時の写真です。この時期から60年以上経て、今では観光資源として保護されています。文革のときに破壊されずによかったですね。ほんとに文化財として大事にしてほしいですね。
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普陀宗乗之廟。駐車場です。承徳の街は昔は熱河省の省都でしたが、今は河北省の内モンゴル地区の大都市になっています。中国の行政区はわかりずいらい。省(州)の下に市または区があって、その下に県があり、その下にも「市」があるのかな。いわゆる日本の制度とは異なっていて、市の範囲は広い。中国の市は日本で言う「県」にあたる。承徳市(県)は人口300万だけど、いわゆる承徳「市」は人口30万人と言われる。その街ももこれらの遺跡で有名なのだ。観光地としてとても整備されていて、ひにくぽく言わせてもらうと、お金になる限りにおいて価値があると言うように見える。
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正面の山門。白い台閣の上に支那式建築を載せている。注目すべきは白の台閣の正面壁面に、「世界遺産」のプレートを埋め込んでいることだ。この建物自体が世界遺産の一部なのに、無神経に手を加えている。為政者にとって「文化遺産」を保護する意識より「世界遺産」であることを誇示することが優先されていると言うことだ。日光の陽明門にプレートを張るようなものだ。こういう感覚は正直なじめないところかな。
山門に6個の窓があるのはチベット様式。
山門には満州語と漢字と西蔵語と蒙古語の文字で寺名が書かれている。山門の前に二匹の獅子がある。 -
那式建築の屋根の飾り
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寺院への入り口。日本なら建物には手を加えず、外側に入場門を設置するだろうが、この無神経さが耐えられない。ゲートは2箇所あり、。右のゲートが団体だと言うので、ガイドが案内したら、担当者が違う違うと言って、この中央の入り口に戻された。親切とは言いがたい対応。今回のツアーは添乗員がいない。現地ガイドが入場料金を立て替えて払う。それで、後で会社に請求するので、入場券を回収すると言う。記念に集めている人にはつらいだろう。
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碑閣。山門を入るとすぐに出会う支那式建築です。この碑閣の中に石碑があります。
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三対の石碑。中央はこの寺院建立のいわれを記したもので、満漢蒙蔵の四態の文字で刻まれている。
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五塔門。台閣の上に形の異なるチベット式塔が五本建てられている。
私はインドのダラムサラに行くのでチベット音楽には親しんでいる。この見学中に「オムマニベメフム」という真言の音楽が流れていたが、メロディは同じでも言語がモンゴル語であるように思えた。
チベット音楽がモンゴル語で流れているのはうれしい。 -
瑠璃牌楼。
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瑠璃牌楼。この楼の前に石獅子が一対配置されている。獅子は日本では狛犬になった。この建造物は中国様式だと思う。沖縄の宮殿に似たような門があったような?
この瑠璃牌楼は、まさに豪華です。清朝の、特に乾隆帝の時代(日本では江戸幕府)の力を見せ付けられるようです。この廟は、帝の60歳と皇后の80歳の長寿をチベット仏教のダライラマに祈念してもらうために建立したもので、ラサのポタラ宮の6分の1の規模で造られたものです。乾隆帝はダライラマ6世の行幸を願ったのだけど、ダライラマに断られて、その先生であるパンチェンラマ4世を口説き落として、ラサから呼んだのです。パンチェンラマ4世が応じてくれて、乾隆帝の面子がたったのです。
中国共産党はチベット支配を正当化するために、歴史を作り変えていますが、早稲田大学の石浜裕美子先生の「チベット仏教世界の歴史的研究」はすばらしい労作です。文献的にも中国の資料しか読めない学者と違って、モンゴル語、西蔵語の文献にも精通されていて、政治的判断は別として、歴史的事実を実証している。しかもこの乾隆帝時代の反映の背景が多民族の融和にあったこと、それが中国と言う地域的世界において重要なことだと実証しているように思える。
毛沢東は「権力とは銃である」と言った。その本質において乾隆帝の思想とは大きく離れているし、本来の共産党思想とも違うものだ。 -
瑠璃牌楼の装飾、龍の高肉彫り。左右にあって豪華な楼である。
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普陀宗乗之廟の城壁。かなり広い範囲が寺の式になっている。
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五塔の位置から見た大紅台。
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正面左脇から見た五塔白台。このチベット式塔はたぶん五ヶ所の仏陀ゆかりの地のストーパを現すものと思える。チベットでは8基のストーパとしての塔を並べる。
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下から見た大紅台。株は大白台というそうな。
実際のラサのポタラ宮は写真でしか見ていないから、その大きさの比較をとやかくは言えない。でも大白台と大紅台のこの建造物をポタラにまねて造ったという清朝の歴史的事実が大事なのだ。
共産党の歴史は偏見的歴史観で、チベット侵略を正当化するためにすべて言い換えられている。
しかし、チベット仏教と文化が、この内モンゴルの承徳に及んでいることの事実を消し去ることはできない。ただ歴史的・学問的解説をすることは今の中国には不利なので、見世物的な観光施設として、開放するしかないだろう。だから解説書も売られていない。文化財と言うよりは、デズニーランドの延長に位置づけられていると思えてならなかった。
ここには修行する僧侶はいない。言ってみれば歴史博物館だ。ポタラ宮もそのように扱われている。文化や宗教を圧殺しようとして生き残った権力は歴史上皆無です。 -
大白台の階段を上り、途中の照らすから眺めた山荘の城壁。
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手前の金色の敷物のある場所はご喜捨をするとお祈りできる場所。大白台のテラスはかなり広い。
台 -
中国式の長くて太い選考が売られている。
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テラスのチベットのタルチョ
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大紅台に入る会談を上がる。右側の白い壁は見た目よりははがれていたり補修が十分ではなさそうだ。
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会談の上り口から、タルチョと大紅台の壁面。この壁面は高さ25mで下部の幅59.7mで上部の幅は58mだそうです。
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大紅台にあがると、そこは三階楼に取り囲まれた広い空間に都網殿が建てられている。三階楼の四隅には楼がある。建物の中は撮影禁止。
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三階楼に囲われた中庭とでも言うべきところなのか。
建物の構造は単純なようで複雑。
しかもこの世界遺産に対する敬意な気持ちがないから、解説書もパンフレットも皆無である。知的な配慮がまったくないのは山荘のときも同じ。中国人の思考は歴史的遺産について、まだ考える余裕がないんだろう。博物的関心は薄く、ものめずらしいものを売り物にして、お土産を売ることだけに集中している。
実際見てまわっていて、悲しい思いになった。どうしてそこまで銭ゲバになっているんだろうか。それも最低の接客態度で。自分たちが稼ぎの対象としているこれらの建造物を、文化遺産として大事にしようという雰囲気は、申し訳ないけれど感じられなかった。これは文革の後遺症だ。あの時代の毛沢東は老人として完全に権力ボケしていたといえるだろう。 -
世界遺産の壁面にこのポスターだ。彼らはこういう木造の建造物の文化的な意味での保存とか、この建物自体に価値があると言う考えにはまだ及んでいないのだと言える。そういう意味では文化的遺跡をもちながら、その価値と有効な維持という能力と発想においては、後進国である。
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都網堂。この中に仏像がある。天井は黄金で加工されている。
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回廊と都網堂との空間。
この建物が乾隆帝以後どのように使われたのか、しりたいところだ。山荘には西太合のちいさな館があったから、20世紀初頭まで管理されていたのだろうけれど、清朝崩壊後に、特に共産党時代に省みられることなく、かなり崩壊していたのかもしれない。 -
皇帝の位を示す9つの龍。この建物が皇帝のものであることを示すものだ。
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都網堂の装飾。
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都網堂の金銅瓦、下の瓦は金色がおちている。
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大紅台屋上テラスから見た須弥福寿之廟全景
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大紅台屋上テラスに四群楼のひとつ。ここには18mの仏像がそれぞれ納められていて、この部分が顔の部分に当たるのだが、見ることができない。
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大紅台屋上テラスから見た親指岩
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大紅台屋上テラスから見た須弥福寿之廟全景
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都網堂の黄金の瓦。下段の瓦はその昔、日本の軍隊がやってきて、金メッキをはがしていったのだ。日本人もほめられたものではない。
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六方亭。屋上に出ると芳香がよくわからなくなる。この建物が一番高い建物で、大紅台西方の墨に立つ。六角重層の建物で、ここには入ることができる。
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六方亭の上層階に出るには外側の会談を上る。
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六方亭の増したから。
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六方亭の装飾
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六方亭の外壁
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大白台のテラスに降りた階段の脇にある財神殿の内部。いくつかの仏像が飾られていたが、中国風なのだろう。意味不明であった。写真もどうなのかわからないので遠慮して、道教風でしょうか。
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入り口
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ピンクのきれいな花が咲いていた。
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もう二度とくることがないかもしれないが、乾隆帝の時代にチベット仏教徒、それぞれの民族が融和して、大帝国を築いていたことは間違いない。清朝とチベットは敵対するのではなく、相互の文化を尊重しあって、双方を認めて共存を図った。
毛沢東の覇権主義的、軍事独裁的・帝国主義的かつ個人崇拝的権力思想こそ、中国を誤った方向へ導き、人民を苦しめたことは間違いない。
中国の共産主義をマルクスの共産主義と同じ思想とみなすことは到底できない。
テイクオフさせるために清朝打倒と、新しい国づくりは必要であっただろうが、革命後50年近くの経済的停滞をもたらした罪と、武力で少数民族を支配しようとしたのは、明らかに間違いである。
ガイドは「政治の話をしてはいけないんです」と言う。21世紀に入っても、こういう国が日本の近くに二つもある。清朝の乾隆帝の時代の多民族国家の方が、統治の仕組みとしては優れていたのではないかと思う。
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この旅行記へのコメント (3)
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- Humanrights4allさん 2010/06/09 23:28:27
- おもしろかったです+
- よく短期間でここまでコメントかかれましたね。
おかげさまで、ツアーの概要がつかめました。
空港へのコメントや、奥様のコメント(笑)、ホテルのアメニティ、風呂の水が茶色いこと、コーヒーがまずいこと(私は水質の悪いためだと思いました)、女の子のお化粧、文化財に貼ったポスター、に対するコメント、大変興味深く読ませていただきました。素敵な記録ですね。奥様の笑顔も、ほほえましい雰囲気を感じました。シェアしてくださってありがとうございます+
- Humanrights4allさん からの返信 2010/06/10 00:01:46
- 追記 おもしろかったです+
- 中国は人口が多いから、譲り合っていたら食えないという原理がある
納得できる文化論だと思います。総てはそこなのかなあ。
シャン(赤い細長い形のは中国のお香のような気がする)
バター灯明がないですね。
カタスィーもないですね。
タルチョ三角の始めてみました。
皇紀2517年の写真 どこから抜粋されたのですか。現在と比べることにより、興味深くみられました+
- tabioyaji2さん からの返信 2010/06/23 08:35:41
- RE: おもしろかったです+
- > よく短期間でここまでコメントかかれましたね。
> おかげさまで、ツアーの概要がつかめました。
> 空港へのコメントや、奥様のコメント(笑)、ホテルのアメニティ、風呂の水が茶色いこと、コーヒーがまずいこと(私は水質の悪いためだと思いました)、女の子のお化粧、文化財に貼ったポスター、に対するコメント、大変興味深く読ませていただきました。素敵な記録ですね。奥様の笑顔も、ほほえましい雰囲気を感じました。シェアしてくださってありがとうございます
勝手なつぶやきにお付き合いくださってありがとうございます。中国はいろんな意味で注目なんです。日本は中国の文化抜きには考えられないし、昔われわれは中国人に尊敬すべき多くの人物を見出していたのに、今はどうして好きになれないのか、その原因を知りたいと思っています。
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